4章-19
一休みしたら、夜は祭りだ。
女の子は浴衣を持参してきていた。なるほど、それで送るほど荷物が多かったんだ。
一方、男共はどうでもいいので別荘にある、客人用の浴衣に着替える。帯なんて締められないから、それは松平さんにお願いするのだが、彼は実に手際がよくて、男三人の着付けを10分とかけず終えてしまった。凄いなぁ。
女性三人はなかなか部屋から出てこなかった。廊下には、聞き取れない、かしましい声が広がるばかり。
時々喧嘩もするが、三人ともカラっとした性行なので、後腐れがない。もっとも女の子の世界は俺には分からないので、もしかしたら裏で骨肉の争いがあるのかも知れないけど。
夕刻になり、虫の声も夜の装いになる頃、それは俺達にとっては、十分長い暇な時間だったが、着付け終えた先輩達が、そそと居間に表れた。
そうか、髪を結っていたのか。
美人は何を着ても似合う。それが和服ならなおのこと。
今日は人生最高の日かも知れない。水着に浴衣なんて、もう二度とない夏だろう。
「ほほう、かなかな和服が似合うな政治は」
俺が先輩の浴衣姿に賛辞を送る前に、先輩が俺を見て言う。
「先輩こそ、見とれました」
「政治こそ、絣に負けておらん」
「いや、先輩こそ」
微妙な譲り合いの末、二人して俯く。
はっ! 俺の足元に新田原が、片膝をついて跪いている。
その顔がゆっくり上がる。何を言うかと思ったら、
「お美しい。葵様の前では、どの花もくすんで見えましょう」
……言いやがった!
おい、こいつ頭大丈夫か! 大江戸病が伝染したか!?
「新田原、こ、困る。変なことを言うな!」
全くだ。持ち上げられ馴れている先輩ですら流石に引くわ。
だが、そんな事にめげる男ではない。
少女漫画ばりの輝く瞳は、いつまでも煌めきを失うことはなかった。
遅れてヨミ先輩が、床をギシギシいわせながら居間にくる。
「瑞穂どう? おかしくないか」
その赤らんだ顔は水着の時でしょう、と思いながらも、彼女にとってこっちの姿の方が、アウェイなのは分かる気がした。そそとした浴衣着なのに盛大に足音をたてて来るのはそのせいなのだろう。そうでもしないと言い分けがないのだと思う。
薄いピンク地におおぶりな紅葉、そこに落ち着いた海色の帯をしめていた。髪型こそいつものはねっ毛だが、ある意味、ボーイッシュで溌剌とした彼女らしくなく、グローブをはめている時こそ様になる左手には、いかにも不自由な小豆色の巾着が握られていた。
俺は彼女の心境を慮ると、いっそ似合わないといった方が気が楽なのではと思ったが、その場を繕うに本心を含ませる自信がなかったので、喉まで出かかった言葉をぐっと飲み込み口を閉じた。
それが、生生しかっのだろう。ヨミ先輩は、眉をひそめて、「瑞穂、お前、生唾飲むなよ」と言う。
「違いますって!」
言葉はからかうものだが、口調は彼女の方がよほど色っぽい。そんな不一致は、本人も気になったのだろう。「らしくねーよな」と、ため息混じりに肩を盛大に落としてみせた。
薄衣の向こうにある、大きな膨らみがたわやかに揺れる。
自然と見えたものだから、別段罪悪感はなかったが、エロだエッチだと言われた手前、なにか言うにでも周囲の視線が気になり、みんなの表情をちらっと確認する。
するとそこには、先輩の見覚えがある微笑みが見えた。
『しょうがないな政治は』
たしなめ半分に一歩譲るとき、彼女はこんな表情をする。懐に広さと言うか、いや、それに言葉を当てはめるなら母性と言うのだろうか。男の俺にはまるでかなわない。そう感じさせる表情。
『しょうがないな政治。素直に言ってやればよいではないか』
そう先輩が言いたいのが、十分伝わってきた。だから心のままに答える。
「ヨミ先輩。浴衣、とても似合ってます。この柄を選んだのヨミ先輩ですよね。ヨミ先輩の暖かさとか優しさが伝わって来ます。ヨミ先輩のそんな女の子っぽいところ、皆が知らないところ、俺、よく知ってますから」
ゆっくり穏やかに、感じたままに。
「浴衣、着てくれて、ありがとうございます」
にこっと微笑みがえしてヨミ先輩の目を見れば、彼女はくっと何かを噛み締めて、くるりと俺に背中を向けた。
ほんのひと呼吸の間があって、
「バカ、先輩向かって女の子って言うな。部活とかで教えられなかったのかよ」と、昔生徒会棟の裏で聞いた言いぐさを、今度はやけにしんみり繰り返した。
そんな、妙にしっとりしてしまったヨミ先輩の横に先輩が立つ。着替えの時だろうか、きっと二人は何かを話していたのだろう。通じ会う仕草にそんなものを感じる。
今は二人、このままにしておいてあげたい。
水分は、まさに大和撫子だった。日本画の見返り美人のように、和服がよく似合う。
絽の萩柄の裾がシーっと静謐な音を立てると、男性陣は必然息を飲んだ。
元来振舞いが上品なものだから、着物に映えて、一層の気高さがあったからだ。
「水分には、かける言葉を失うよ」
呆然としながらも言葉にすると、隣で見ていた大江戸も「ああ」と、それしか言わなかった。
「母の物なのだけれど、年不相応だったかしら」
謙遜して言う。いや本当にそう思っているのかもしれない。
「良く似合ってる。宇加は首が長いから着姿が綺麗だ」
「ありがとうございます」
うぐいす色の縞の帯の前に手を合わせて優雅に頭を下げると、上げた髪にうなじがするっと見えた。
こういうチラリズムには思わず興奮してしまうものだが、それが美の領域に入ると下種な欲望など消え失せてしまうらしい。他の奴らの心中は想像するしかないが、少なくと鼻息を荒くする男は、この四人にはいなかった。
「宇加はさ、着付けとかできんだもん。スゲーよ」
らしくもなく俯いていたヨミ先輩が、控えめに付け加える。魂を抜かれた男達の言葉を代弁するようだ。
「ちょっと覚えがあるくらいです。年に数回着る機会がありますから」
「和服なんて着ねーよ。葵先輩は武家の家なんだから、あるかもしんないけど」
「私もないな。勘違いするのは分からんではないが、武家と和服は関係のないものだ」
「そう? しっくりきてるけど」
「そう言ってくれるのは嬉しいが、私は身長があるでな。こういう色味の浴衣を着ると着流しのようで自分でも幻滅する」
言われるとそういう気もしてくる。先輩は黒紗の縦柄の浴衣だ。帯こそ浅葱や帯紐に朱など入れているが、美少女にかこまれ、見栄えを気にする気持ちもよく分かる。
「じゃ、もっと水色とか黄色とか、柄も朝顔とか、そういうのにすればよかったじゃん」
「……まぁそうだが」
きっと恥ずかしかったのだろう。この二人に比べられることを先に考えてしまったに違いない。だから俺は言うのだ。
「お正月が楽しみですね。先輩の晴れ着」
先輩は面喰ったようにわずかに後ずさると、「政治には分からんと思うが、アレは苦しいのだぞ」と困った体で喜んでみせた。
「じゃ、オレも晴れ着」
「ヨミ先輩、持ってるんですか?」
「レンタルだってあんだろ!」
「わたし、晴れ着の着付けはできませんからね」
「まだ頼むって言ってねーじゃん!」
「ご飯もおなか一杯食べれんぞ」
「食わねーよ! 正月早々! だいたいオレは食いしん坊キャラじゃねー」
華やかな浴衣に負けず劣らず楽しげな女の子達に、男性陣は驚かされっぱなしだ。
「もう行くよ。ゆっくり歩いて行けば、ちょうどいい時間じゃない」
華と愕のどちらにも属さない神門が言う。
こんなに眼福を前に微動だにしないとは、お前はじじいか仙人か!?
俺はとても平常心じゃ、いられない。