4章-15
軽く心を砕かれた俺達は、ちんまりとソファーに座り女性陣の帰りを待つ。
膝を抱えながら、じっと待つこと四十分。
「待たせたな」
「ごめんなさい。先にお風呂をいただいちゃって」
やっと華やかな声が居間に戻ってきた!
けど、俺は彼女達にかける言葉を持たなかった。ただ心の中で『ふぁ~』と、意味不明な感嘆の声をあげるのが精一杯。
だって髪をアップにした湯上がりの君は、悩殺的な色っぽさで、とても直視など出来ない程なのだから。
湿りを帯びた艶々の黒髪。うっすらと汗ばんだうなじ。始めてみる先輩のTシャツ姿は、体のラインがうっすら分かり、見ているとドキドキして真っ赤になってしまう。
いや、その前に下半身がいかんことにならないよう、細心の注意を払わないといけない。
といって、ヨミ先輩を見れば、肩からちらっとブラ紐が見える部屋着に着替えており、その下には、下着のレース模様までくっきり見える大きな二つの膨らみが。
クッキリ見えんだよ! クッキリよぉ~。
普段より大きく見えるのは、胸元がぴちっとした服に着替えたから?
やべっす!
うっかり触……いや、凝視してしまわぬよう、渾身の力で見たい誘惑を畳み込む。
下着の模様が見えるのは、本人も気づかない筈はない。その紐は見せる為のものだと俺も分かっている。けど分かっていても、こうなっちゃうのはしょうがない。
水分は髪をくるりとまとめて、白を基調としたゆったりとしたパンツルックに着替えていた。パンツの丈がもも位なので三人の中で一番刺激が少なくて助かる。それでも、湯上がりに上気した玉の肌はピンクに色付き、芳しく漂う石鹸の香りは、男の嗅覚を良からぬ方に扇動させるには充分だった。
俺達の視線は自然と水分に集まる。
エロ男子と思われない為には、どうしても彼女に視線が集まるのは致し方なく、それは三人とも同じらしい。
「何で私ばかり見るのよ」
問う彼女に俺が言い訳するより早く、大江戸が口を開いた。こいつは水分の事になるとガッつくな。
「白が目を引いた! 水分らしい清楚な色だと思う。水分は肌が綺麗だから白が似合う」
声が上ずっている。珍しいぞ、唐変木。
「えっ! あ、ありがとう。ほんとに?」
水分の声が上滑り。わかるよー。こいつマジメなメガネくんのクセして、よくこんな歯の浮く台詞が言えるわ。相手が水分だからこの反応だろうけど、普通の女なら「バカじゃないの。超ウケル」くらい言われて自沈してるに違いない。ほら、水分ですら俺にヘルプの視線をチラチラ飛ばしてる。
「似合ってるじゃん。ふわっとしてて涼しそうだよ」
「うふ、ありがとう瑞穂くん」
柔らかく微笑んで小さく首を傾げる。
かわいい! かわいすぎるー。そのしぐさ100点!
それを見ていた先輩が「ううんっ」と咳払いをして、半歩前に出てきた。
しまった。一人だけ褒めたのはまずかった。学習してねーなぁ俺。
「え、え~と~」
鼻の頭を掻きながら、理性のボリュームをマックスにして先輩を見る。ちらっと。
風呂あがりだろう、赤みを帯びた頬と首筋。
大きめのTシャツだけど、それでは隠し切れない、つんと立ち上がった内側の存在感。ゆるっと着こなしたシャツの下には、裾がふわっと広がったピンクの花柄のショートパンツ。
張りの良い腰からは長い生足がスラッとのびていた。
先輩はその足をぴたりとクロスさせ、後ろ手にもじもじしている。きっと、コメントを求める自分が恥ずかしいのだろう。その姿も俺をきゅんとさせる。
『うわぁ~、やべぇなぁ。やばすぎる』
急いで視線を戻す。
それでなくても直視できない殺傷力なのに。そんなに意識した態度を取られると、それ以上にコッチが困ってしまう。
冷静に考えれば、球技大会の時の露出と大差ない。
なのに、なんだか普段より増して妙に生々しい。
もじっと動くたびに形を変えるシャツの皺にすら、意味もなく興奮してしまう!
それ以上に、黒目がちにうるっと俺を見る瞳が狂おしい。
あかん! これ以上は、俺のアフターバーナーが発動してしまう!
「すみません。すごい似合ってます。素敵です! 俺、風呂に行ってきます!」
「おい、政治!」
「瑞穂っ!」
そんな先輩二人の声を背に聞きながら、ネズミ花火の素早さで風呂場に向かう。俺がこの調子なんだ。新田原は大丈夫だったろうか。と思ったら、予想通り大江戸が新田原の肩を支えて脱衣場やって来た。
「やっぱり倒れたか」
「ああ、鼻血を出してな」
「わが人生に、一片の悔いなし!!!」
何、達成してんだよ。その短い人生で、クイもカイかいも体験してねーだろ。
「幕内先輩が狼狽えていたぞ。あと瑞穂がつれないと嘆いていた。益込先輩は逃げやがってと怒っていた」
「そんな、誤解だって」
「知らん。俺はなにも訂正してないからな。それとも瑞穂は欲情してますとでも言って欲しかったか」
「いや、シャレになってないから」
「シャレじゃなくて真実だがな」
勃ってますなんて言われたら、それこそヤバイわけで、唐変木の大江戸にしてはうまくはぐらかしてくれた。
「だいたい、お前はなんなんだよ。先輩の体とかヨミ先輩のおっぱい見ても平然としてるし、男が好きなワケ?」
すぱすぱと服を脱いで、そこらの籠に放り投げ湯屋に入る。
「露骨だな、お前は。バカ言え。先輩達は、なかなかのスタイルの持ち主だと思うが、お前のように見境なく欲情はしない」
「見境があったからココに来たんだろ! あ、そうか大江戸は貧乳派だもんな。だから大丈夫なんだ。水分派だもんな」
かけ湯をざんばりと流して、大江戸と並んで浴槽に向かう。
「ちょっと待て、気にならないと言えば嘘になる。だが体目当てではない!」
「どうだか。なんだっけ? 『白は水分の色』だっけ?」
「セリフが違うだろ! 似合っていると言ったんだ」
掛け合いをしながら、俺と大江戸が湯船に足を掛けた瞬間、
「ちょっと待てーーー!」
二人そろって猫のように飛び上がる。危ねぇだろ、タイル張りの風呂ですっころんだら頭打って死ぬぞ!
「なんだ! 新田原」
「その湯船は、葵様がお浸かりになった湯ぞ!」
「お前、なに時代の人だよ! ……だが、確かにそうだな」
「ああ、確かに。うっかり入るところだったが、水分も入った湯だな」
「そのまま入ってよいのか、えっ? 瑞穂、大江戸」
「入るのかって、いつかは入るけどよ」
「バカモノ! 貴様ごときが汚してよい湯ではないわーーー!」
「じゃ、お前は入っていいのかよ。まさか、飲んだりしねーよな」
「するか!」
「やりかねんな。俺と瑞穂が目を離したらやるだろ」
「100パーセント変態だ、それは!」
「お前の先輩に対する接し方は、もはや変態の域だろ、自覚ないの? 怖いわこの人。それに対して俺は純真だぜ」
「抜かせ! 俺は見てたぞ、葵様の湯上がりのお姿に淫らな想像をしおって。前を押さえていたのが何よりの証!」
ちっ、よく見てやがるな。
「お前はどうなんだよ、鼻血出してぶったおれたくせに」
「バーベキューを食べ過ぎたせいだ。高貴なお方に欲情などする訳がないわ!」
俺達の口論を横に、ツカツカ湯船に向かう大江戸。
「おい、大江戸!!!」
「貴様、何、そ知らぬ顔で!!!」
二人で大江戸の足にタックルをかます。足を取られてステンとひっくり返る大江戸。
「ばかやろう! 危ないだろ! 頭でも打って死んだらどうする! 殺人罪で告訴するぞ」
「バカめ、死んでるから裁判沙汰になんかならぬわ」
「お前さ、協調性とか考えろよ! 見てなかったの聞いてなかったの俺達の会話を」
「知らん! 俺は素直に生きてると言ったはずだ」
「素直と独善をごちゃまぜにすんな! お前、その性格直さねーと、ぜってーいい死に方しねーぞ。まったく困った奴らだ。お前らには任せられん、ここは生徒会長の俺が先に入る」
「どんな理由だ、瑞穂!」
「お前らが言い争っている間に、湯が冷めてしまうな。しょうがない。俺から先に入る」
「新田原!!!」
もう収集が付かない、俺だ俺だの大論戦。
「分かった、このままでは永遠に風呂に入れない。ここは公平にじゃんけんで決めよう」
「じゃんけん?」
「分かった、恨みっこなしだ」
「臨むところだ」
口論で肩で息をしていた呼吸を整え精神を集中する、オールオブメンズ。精神統一しても結果が変わらないのは分かっている。だが最新の量子力学では意思の力でランダムのばらつきを変えられるそうだ。燃え上がれ俺のコスモ!!!
「よーし、最初はグー、じゃんけんぽん!!!」
三人ともチョキ。不敵な笑いを浮かべる二人。やるな。緊張するとグーを出しやすい、それを読んでパーを出すことを見越してチョキを出してきたな。図らずも同じ思考をしたって事か。
「引き分けだ」
「ああ」
「行くぞ……」
「あいこでしょ!!!」
引き分けだ。またチョキか。この状態なら次の手は変えてくるのが常道だ。するとグーかパーだが、やつらは裏を読んでくるのは第一手で分かった。なら同じ手で来る可能性が高い。チョキならあいこ。グーを出せば勝ちだが、更にそれを読んでくる可能性がある。確率的に一人負け少ないチョキと読んだな。
緊張がはしる。
「気が合うな」と大江戸。
「ああ、おれたちはチームだからな」と新田原。
「だが、次で決めるぜ」
「あいこでしょ!!!」
俺グー、新田原、大江戸はチョキ。
「いぇぇぇぇす! ウィーキャン! やったーーー! 俺の勝ちだ! じゃぁなあばよ愚民ども。自分の不運を呪うがいい。おっさきー」
喜び勇んで前も隠さず大手を振ると、
「むむむむ、大江戸!!! 瑞穂を押さえろ!」
大江戸が俺の胴回りを両手でがっしり掴む。
「やめろ! 世界一公平なじゃんけん様に、楯突こうってのか!!!」
「もう関係ないわ、貴様に資格などない! 人間として失格なんだ!」
「実力行使だ!」
「うっせー、勝負だ」
「無効だ!」
「法治国家なめんな!」
「だまれ! どこに法律があるんだよ。何時何分、だれがジャンケンの結果が絶対だって決めた。言ってみろ。民法か!」
「知るか! だれかが決めたんだよ! 始皇帝か誰かだよ!」
殆ど『なんば花月』のお笑いコント。もう少しで拳がクロスカウンターになるかという時に、脱衣場の鳥羽口がガラリと開いた。
そこの立つは松平さん。
「皆さま、葵様のお気遣いで、お湯は入れ換えております。もしお温ければ遠慮なく仰ってくださいまし」
ご丁寧に頭を下げて、ガラガラと敷戸が閉まる。
「……」
「……」
「……」
「風呂に浸かるか」
「ああ」
「すっかり冷えてしまったしな」
「そうだな」
終止無言で湯船に浸かる俺達。
男って。男って、なんて悲しい生き物なのだろう。
「湯上りに漂う薫り誰のぞと清水に聞けど誰と答えず」
……句のキレも悪いわ。
徒労に脱力しきって居間に戻ると、先輩達と水分は弾ける笑顔で俺達を出迎えてくれた。
「随分楽しそうだったな。居間からも声が聞こえたぞ」
「でも急に静かになったのだけれど、どうしたの?」
「いえ……、静かに湯を嗜むのが日本人のマナーですから」
「そうだな。お前たちはマナーが良いな。日本の侘び寂びを理解してもらえて私も誇らしい」
「ええ……、詫びたいですし、錆びてます」
心が。
「ところでヨミ先輩は、どうしたんですか?」
「食べ過ぎたのが、今頃になって苦しくなって来たんですって」
ソファにぐてんと伸び、眉をハの字にお腹を擦っている。
「ヨミ、お前は桐花の淑女としての慎みが足りん」
淑女って。先輩だって椅子の上で胡坐かくじゃない。俺、何度も危険な瞬間を見てるよ。
「そんな~淑女だって食べ過ぎれば苦しいんだって、あーもうダメ、苦しっ! 横になる」
「ヨミっ!」
先輩が止めるのも聞かず、フロアにするする降りてくったりと横になる。
「マジ苦しい。瑞穂より食ってるんだから、うぷ」
確かに食いきれるかというほどの食材だったが、あの牛もラム肉もロースも、ふつふつと沸いたナスとトマトのスープもハラスも、どれもヨミ先輩のお腹の中だ。俺もついつい食べ過ぎたが、それと同じ以上に食べているなら、女の子のお腹にはかなり苦しい筈である。
そう思ってお腹の辺りを見てみると、立っているときは気づかなかったがお腹がぽっこりしている。
床に横になると、薄手のシャツがひっぱられてか結構目立つ。ぽんぽこりん。
「ヨミ、腹は隠しておけ」
「折角、可愛いお洋服なのに」
「だって、これ以上、引っ込まないんだもん」
弱りきって幼児退行してるし。
「仕方ない。タオルを持って来てやる」
「ありがと~、葵先輩」
珍しく弱弱しいいヨミ先輩の声に、一同の笑いが起こった。
その後、俺達はトランプをしたり、星を見たり、お菓子を食べながら談笑したり、そのお菓子に手を伸ばすヨミ先輩の手を、水分がピシャリと叩いたり、そんな事をして夏の夜長を過ごした。
風呂上りの神門が、後ろに薔薇の花とハイライトをしょって現れた時には、全員がドキッとなって沈黙したが、このドキリの意味はみなまで言うまい。
ヨミ先輩、負けましたね。