4章-12
「みんな、先に帰ってたんだ! 言ってよ!」
「我々も帰ってから、ばぁばに一杯食わされたと気づいたのだ。昔から人を使うのが上手くてな。子供頃は、遊んでいるつもりで何度も働らかされたよ。はははは」
「オレ達も庭先で働いてたんだぜ。インゲンの芯を剥いてた」
ヨミ先輩が、サヤをむく手真似をしながら、うれしそうに教えてくれる。
「ヨミさんなんか、何度もばぁばさんに怒られて。仕事が雑だって」
「ばぁばは、細いんだよ。ちょっと位残ったて、食えるだろって」
「高く売れないって嘆いてたわよ。それに雑な子はモテないって」
ピンクストライプのフリルエプロンをした水分が、台所からちらっと振り返り、ばぁばの言葉を借りてチクっと刺す。
エプロン姿の水分は何度見ても、ほんのりする。エプロンもいいが割烹着も似合いそうだ。水分は和の風情があるからなぁ。
だが、もう少し胸が欲しい。折角のエプロンなのにエロさがない。まぁ本人も気にしてるっぽいので当然、心に仕舞う訳だが、惜しむらくはその一点だ。にしても、ウエスト細いなぁ。
「んなことねーよな。瑞穂」
「はい!? 何? 俺?」
「何、ビックリしてんだよ?」
まさか急に振られるとは。えーと、そうだヨミ先輩が雑な件か。その通りなんだけど、嫌な所を振られたなぁ。どう言えば角が立たないものか。『そうですね』と言えばヨミ先輩が傷つきそうだし、『そんなことない』と言えば喜ぶヨミ先輩に先輩が食いつきそうだし。
呻吟し「うーん、そうですね~」など言葉を濁していたら、大江戸が「ダメでしょう。少なくとも俺の性格には合いません」と強気な先手を打ってきた。助かった?
それに対して、「大江戸には、聞いてねーよ!」とヨミ先輩の語気が厳しい。
「ですが益込先輩、丁寧な仕事はビジネスにとって欠くことはできないと、常日頃から思っていますので、ここは引けません」
その勢いに、うっと身を引くヨミ先輩。
「て、手厳しいな大江戸」
「ええ、雑な仕事で納品単価が5%下がれば、給料はそれ以上に下がります。働いたのに賃金が下がれば、社員のやる気も落ちるでしょう。とはいえ経営者として無理に給料は払えません。会社が潰れてしまえば路頭に迷うのは社員ですから」
「そ、そうだな。お、お前の言うとおりだ」
「分かって頂けて何よりです」
ヨミ先輩が、慄き顔で、そそと俺の元に来て耳元でつぶやく。
「商売の鬼だな。あいつは」
「ええ、金の事になると目の輝きが違いますから」
「だな」
それを見てていた先輩が、横歩きに俺の横ににじり寄ってきた。
「三人とも、今くらい金の話は忘れようじゃないか。せっかく遊びに来たのだ。時間が勿体ないぞ。時は金なりと言うではないか」
「金の話に戻ってます先輩!」
「金の話やないかい!!!」
「さて、今日はバーベキューというものをやってみようと思う」
ん? 何か今、変な言い方しなかったか?
同じつっかかりを抱いたのであろう。新田原がめずらしく葵様に質問をする。
「『というもの』ですか葵様?」
「ん?」
「もしや葵様、バーベキューを体験されるのは、初めてでいらっしゃいますか?」
「うむ、私も宇加も初めてなのだ。だが、外で食事をしたことならあるぞ。まぁ立食だがな」
そりゃ牛丼も食べたことがないんだ。バーベキューもないかもしれない。
「ようございました。葵様……うっう」
何に感動したか、感涙むせびなく新田原。嗚咽は止めろよ、もう。
いちいちメンドクサイ新田原は放っておいて、
「そうですよね。家族でバーベキューなんて、キャンプでも行かないとやらないですもんね」
「そうなのだ。宇加も私もそういう事をやる家ではないからな」
考えてみれば、俺も本格的にバーベキューをやるのは初めてだ。親父はあの通り適当人間なので、キャンプなんかやらないし、友達同士で火から起こしてまで、やったことはなかった。そう思うと、俺も初体験な訳で『マイバージンバーベキュー』、略してMVBBQに俄然モチベーションが上がってきたぞ!
でも大丈夫かな。先輩も水分もバーベキューってどんなものか分かってるのかなぁ。ちょっと不安なので聞いてみよう。
「安心しろ。道具はちゃんと揃えてある。それにやり方もヨミに教えてもらった」
ヨミ先輩!!! 嫌な予感しかしない!!!
その予感が外れている事を祈りつつ、道具が置いてある土間に行ってみると、
「あれ? ちゃんとバーベキュー用の道具がそろってる」
グリルに薪に炭、それに火ばさみ。ご丁寧に着火剤まである。
ヨミ先輩と聞いて、疑ってかかって悪かったなと思ったら、台所から「あっ」と声がした。奇声の主は大江戸。
「水分! なんだこれは!」
「何って、お好み焼きの生地だそうよ」
「バーベキューだろう。なぜお好み焼きなんだ」
「だってヨミさんが、バーベキューにはお好み焼きが鉄板だって」
慌てて台所に向かうと、きょとんと首を捻る水分が、おおぶりのボウルを持って大江戸と話していた。
「水分。そりゃ鉄板ちがいだよ。バーベキューは網で焼くんだから、お好み焼きも、もんじゃも焼けないって」
「そうなの?」
「ちょっとヨミ先輩!?」
「てへ、バレちゃった?」
「バレちゃったじゃないですよ、どうすんですかコレ? こんなに大量に」
「うーん、フライパンで焼けばいいんじゃないの?」
「この人数ですよ、一枚ずつ焼いてられませんよ」
なにかわいく舌なんて出してんですか。先輩なのに!
「なぁ瑞穂、何でカツオがあるんだ?」
こんどは目ざとく新田原が、大ぶりのカツオを見つけて言う。
尾っぽを持ち上げると、新田原の足まである大ぶりなカツオだ。
「ヨミ先輩……」
「火があるから、カツオのたたきが出来るかなって、てへ」
「あんた、バーベキューなめてんだろ!」
ヨミ先輩をアンタ扱いしたことで、俺がヨミ先輩の拳骨で頭グリグリの責めにあっている間に、新田原と大江戸が着々とバーベキューの準備を整える。
火を起こすのは大江戸だ。炭を叩き合わせて拍子木よろしくキンキンと音を立てている。おっ備長炭。「いてて、ヨミ先輩、痛い!」
神門は何もしてない。縁側で部屋にあったウサギのぬいぐるみを抱いて、扇子を扇いでいのんびりしている。風流人だなぁ。「あっ、あひょぅっ、ヨミ先輩! 脇腹はやめてっ」
「宇加、お好み焼きの生地とカツオは何とかなるか?」
先輩が言う。
「大丈夫です。なんとかします!」
「おーっ! さすが宇加ー!」
俺をいじる手を止めたヨミ先輩が、むんっ意気込む水分に賛美を送る。
水分がやる気になっている! 水分って逆境に燃えるタイプなんだ。
「どうするの?」
神門が、うさぎのぬいぐるみを抱いたまま縁側から乗り出して尋ねると、水分は今日のレシピの説明を始めた。
皆はぞろぞろ台所に。
「トマトはオーソドックスに、薄ベーコンを巻いて、このまま焼きます。味はお塩と胡椒で整えます。トマトはまだまだありますので、おナスと合わせてスープも作りましょう。それとも炒めた方がいいですか?」
皆が顔を見合わせるので、代表して先輩が「ではスープで」と答える。
「スープなら簡単です。お鍋にオリーブオイルを引いて、ベーコン、たまねぎ、おナスを炒めます」
「まずベーコンから炒めましょう。ベーコンはブロックに切って……」
おっ、台所で即席クッキング番組が始まったぞ。
「本当はベーコンは、にんにくと一緒に炒めるとおいしさが違うんですけど。ばぁばさんの所で作ってなかったのが残念です」
「あ、大江戸くん。おナス、切ってもらえるかしら」
「あ、ああ」
「葵さんは、玉ねぎを剥いて」
「うむ。皮はどこまで剥けばよいのだ? 宇加」
まぁ器用なことに、炒める手も動かしながら水分の説明と指示が続く。
「水分、こんなものか」
「ありがとう、大江戸くん。ちょうどいいサイズよ」
お褒めにあずかり、満足げに頷く大江戸。
その横では先輩が目を細めて慎重に玉ねぎを切っている。知ってはいるが先輩はあまり料理が得意ではない。玉ねぎも剥き過ぎなくらいで随分、小玉になってしまった。
「葵さん早くして」
「わかっておる!」
台所に立つと二人の立場は逆転だ。
少々不揃いな大きさに切られた玉ねぎが水分に手渡され、鍋に投下!
「玉ねぎの色が変わる前に、おナスも炒めます。そして玉ねぎがあめ色に変わってきたら、お水を加えてコンソメスープの素を入れます。香りづけの香菜が欲しいので今日はシソを入れましょう。煮立ってきたらトマトを入れます。あとは塩、胡椒で味を整えれば完成です」
「今日は炒めるところまではお台所でやりますので、あとはバーベキューコンロで沸かしましょうね」
水分が絶好調だ!
「カツオはどうするのだ?」
「カツオは、ハラスと背に分けます。お魚のさばくのは結構大変です。でも苦労の分だけおいしくできます」
水分がカツオのサイズに負けずに、意気込んで包丁を立てる。
ギャー、包丁が怖い。俺は遠くから見ていよう。
「あっ、誰かばぁばさんの所から、生姜をもらってきて下さい。きっとあると思いますから」
それを聞いて、大江戸が分かったといって走る。
「生姜は臭み消しなんですけど、カツオとは相性がいいんです。でもこんなのあるとは思ってなかったから」
皆の視線がヨミ先輩にじろーっと集まる。
「オレ?」
あたりまえでしょ。皆さん無言の肯定です。
「大江戸くんが生姜を頂きに行ってますが続けましょう。折角、炭火があるので、串に刺して軽く炙ります。カツオは炙ると、臭みが取れて皮も柔らかくなります。寄生虫を殺すこともできますよ」
「皮はパリパリに焼いて、お茶漬けにしましょう。こんぶとカツオぶしでお出汁を取って、冷蔵庫で冷やしておきます。今回は冷お茶漬けです。食べる時に、冷え冷えのお出汁を冷ましたご飯にかけて、さっき焼いた皮と生姜やシソを放ちます」
「刻みネギも忘れずに。おネギは歯ごたえもいいですし、カツオの香りも引き立ちます。お出汁と薬味は準備しておきますから、バーベキューグリルでカツオの皮を焼きましょうね」
「背の方はどうするのだ?」
「煮付けにします」
「おお、煮付け!」
「煮物を作ると凄いという人が多いんですけど、実は凄く簡単なんです。まず、カツオをほどよいサイズに切ります。煮付けにアクが出ると味が落ちちゃいますので、湯通しをお勧めします。生姜は多めにすりおろして」
ばぁばの所から戻ってきた大江戸が、さっそく生姜の卸しをかってでる。
「あとは、醤油、お酒、みりんを入れて沸騰させます。沸騰したら火を弱めるんですが、これをバーベキューコンロに掛けておけば、だんだん味が染みてきて、1時間くらいで丁度いい具合になります」
「ハラスの方は、バーベキューなので焼いちゃいましょう。炭火とお肉の脂は最高の組み合わせです。さっきばぁばさんから、麹をもらいましたから、これにカツオをつけておきます。その前に、さっと洗って雑味をとって、ペーパータオルで水分を拭き取ってから塩麹に付けます。こういうひと手間が美味しい料理のコツなんですよ」
「へー」
気のない返事。ヨミ先輩、興味ねーな。
「30分もつければ味は染みますから、これは、このまま置いておいて、その間は、下味ををつけておいたお肉のバーベキューをいただきましょう」
「あとは、カルパッチョ風のサラダにでもしましょうか。タマネギとしそ、生姜、ポン酢があれば切るだけですよ。タマネギは、薄めに切って冷水に晒します。よく切れる包丁なら、涙は出ないのですけど」
手際よく玉ねぎを剥いて半分にし、板前のような無駄のない動きで包丁を引く。
「うっ」
水分が目を細める。
「葵さん、こっちの包丁、切れないです。磨いでおいてください」
「ああ……すまん」
怒られちゃった。
「たまねぎの辛味が飛んだら、マリネの下味をつけます。今日はオリーブオイルです。ゴマ油もいいですよ。他にパプリカもあったのでそれも使いましょう」
俺達に説明しながら、どんどん料理が進んでいく。
六名はただ頷くばかり。凄いなぁ。料理が趣味だと言ってたけど、これは趣味を超えてるぞ。
テキパキ仕事をする水分を、先輩もヨミ先輩も唖然と見ている。むしろ手伝っているのは新田原だったり大江戸だったり。こいつらは意外に手際がいい。水分の指示を的確にこなす。
「ところで、お好み焼きの生地はどうすんだよ」
「何を他人事みたいに言ってるんですか! 元はと言えばヨミ先輩が適当なことを吹き込むからですよ」
「いいじゃん、楽しい思い出だって」
「なんでも、想い出で済むと思ったら、大間違いです」
ちぇっと舌打ちして、顔をそむけるヨミ先輩。
「お好み焼きの生地は……」
んーと上を見てちょっと考える水分。
「いいこと思いつきました。ここにソーセージがあります」
「ああ」
「ソーセージにタコさんみたいな、切れ目を入れます。それを串に差して、お好み焼きの生地をつけて焼くんです。焼けたらまた生地をつけて焼きます」
「うんうん」
「すると、お好みの生地がソーセージの上にミルフィーユ状になると思います」
「うん、なりそうだ!」
「他にも、お肉や野菜でも出来そうですよ。お野菜はレンジで火を通しておいて、あと、お菓子でやっても美味しいと思います。余った生地は、フライパンで本当にお好み焼きにしましょう」
いろいろ考えるなぁ。ひとりクックパッドだよ。
ベランダを開け放ち、バーベキュー会場となる玄関前の作業場まで、何度も往復して食材や食器を運ぶ。さすが『私が委員長をやらなきゃ』と自認するだけあって、水分の指示は的確で分りやすい。
「瑞穂くん、そこのオークの食器棚から、人数分のお皿を持っていって欲しいの。お肉用の大きいお皿と取り皿よ。取り皿は、手のひらサイズのお皿ね」
「大江戸くんは、お箸と、スープもあるからスプーンを運んでちょうだい。お箸は食器棚の引き出しの中。スプーンは下の観音開きのカトラリーセットの中にあったわ」
「新田原くんは、足元にあるプラスチックケースに、キッチンペーパーとナプキンを入れて持っていって。コップはガラスだと落として割れちゃうから、ダンボールに入っているプラスチックのにしてちょうだい」
先輩が顎に親指の爪を当てて、うんうん頷いている。
「さすがだな」
「葵さんも感心してないでお手伝いしてくださいな。そこのお肉を持っていく!」
「あ、ああ」
先輩たじたじである。