4章-11
「まぁ座れ」
先輩の勧めに、どこに座ったらよいか迷っていると、水分が「お客様なのだから、奥に座ればいいのよ」と促してくれた。言われるままに、奥手にある一番庭がよく見えるソファに腰掛ける。
その左にはヨミ先輩、大江戸、新田原が座る。先輩と水分は、俺達が座ったソファの右側にある、ラフな二人がけ椅子だ。
「どうぞ、お口に合いますか」と、松平さんがぐり茶をコトリと置いていく。
「なんとも夢のようだな。まさか我が家の別荘にお前達が来るとは」
「誘ってくれたのは、先輩自身じゃないですか」
「そうだが、半年前には想像もしなかったからな」
「そうね。私も半年前は、瑞穂くんと友達になるとは思わなかったわ」
「どう思ってたんだよ」
「いきなり遅刻だからな、うだつの上がらん奴だと思ったよ」
「お前には聞いてねーよ、大江戸!」
自然と話に入って来やがて! こういうところだけ敏い。
「私は、そこまでは思っていなかったわよ。この人、大丈夫かしらとは思ったけど」
「だよな~、初日から遅刻だもんな」
「俺は瑞穂を見た時は……」
新田原が、カッと目を見開いて言うので、身を乗り出して奴の動きを封じる。
こいつ、日頃の憂さを晴らすつもりだ。目がギラギラしてやがる。
「いい! お前は言わなくていいから!」
「言わせろ! この機会に全部言ってやる」
「やめろー! こんなところで、聞きたくない!」
ヨミ先輩と大江戸越しに、小突き合っていると、
「お前らは、何時もじゃれ合っているな。傍から見ていると楽しそうだ」と、先輩が呑気なことを仰る。
「葵もそのなかに入っているんだよ。傍から見たら」
「お前もな、神門」
「僕は入ってないよ」
「あはは、やっと普段に戻ってきたみたいだな。そうでなくては楽くない」
「まぁ、一番、楽しそうなのは葵だけどね」
あははと、大きく笑う先輩。横の水分もふふっと微笑んでいる。
先輩は、余程高まっているらしく、丈の短いワンピだというのに、椅子の上で胡座をかきそうになるところを水分に見つかり、ピシャリと太ももを叩かれていた。
そのぺちっという音に、コチコチの新田原が反応するが、先輩の足は何事も無かったように椅子の前に。
よかったね、新田原、気づかなくて。キミの理想という名の幻想は守られたよ。
「そういえば、俺、旅行の予定を全然聞いてないんだけど。大江戸は?」
「俺もだ。水分が教えてくれなくて」
「へへへー、今回はサプライズだからなー。ウチらだけで考えたんだぜ。な、宇加」
「はい。二日間みっちり宿題をやるつもりですから。そう、教えたら瑞穂くんは来ないでしょう」
「えっ!」
「本当か水分。教科書は持ってこなかったが」
大江戸が冷静ながらも、驚きの声を上げる。
「……ウソよ」
「お前~」
俺はからかい半分に水分を突っ込んだが、横に座る大江戸は目をくりくりさせて静かなに唸る。
「水分が言うと本当の事に聞こえる。そんな冗談を言うと思わなかった」
「あら、大江戸くんの方が驚いてるわね」
傍目には余り驚いてるようには見えないが、これは大江戸としてはかなりの動揺だ。なにせ表情に出ているのだから。
大江戸は、水分の委員長としての顔しか知らなかったのだろう。付き合い表面的だもんなー。
いい機会だ、この旅で相棒の違う顔も知ってもらおう。
「まぁ確かに水分って冗談を言うようには見えないけど、俺は水分の本性を知ってるからな~」
「ちょっと変なこと言わないでよ」
「何だ、瑞穂。本性って」
「実はな、水分はな」
大江戸が身を乗り出す。
「腹が黒いんだ。球技大会の時に生腹みたら、真っ黒だった。特にヘソの周りとか真っ黒だ」
「ちょっと!」
「腹黒ということか? そんなことはない。水分は献身的で思いやりがあって努力家だ。美人なのに鼻にかけないのも素敵だ。尊敬に値する女性だ」
「おいおい、マジになるなって。冗談だって、大江戸」
「冗談か」
メガネを弦を指で押し、ひとりごちて納得している。だが動揺するのは相手の方だ。
「大江戸くん、ちょっと恥ずかしいこと言わないでよ」
かーっと真っ赤になり、目を伏せて口ごもる水分。
よく分かる。男の俺でも、赤面する口説き文句だった。こいつ付き合いは上っ面なくせして、コミュニケーションはドストレートだ。こりゃ軽く冗談を言った本人にとっては、こむら返りの返答だったろう。
これにはヨミ先輩も、ドギマギしたらしく、らしくもなく太ももなんか両手でごしごしさすって、きょろきょろと落ち着きかない。
二人の間に挟まって息が詰まるらしく、あわてて話題を作ろうと口を開いた。
「ま、まぁ宿題はないから、安心していいぜ」
声が上ずってる。
「じゃどんなイベントがあるの?」
神門がさらっと言う、いや、冷静だなお前。
「それはお楽しみだ。さて、ひと休みもしたし、散策にでも出かけようか」
先輩は苦笑いをして、水分に助け船を出してくれた。
未だ真っ赤になって俯く水分の背を、俺とヨミ先輩は、ニコタラ鑑賞しながら追いかける。大江戸は、何が起きているか分からないようで、どうしたのだと新田原に小声で聞いている。
聞く相手を間違っているだろ。あいつも、女の子の機微に疎いからさ。ふふん。
さて、先輩に連れられて、村の中をぷらぷら歩く。あぜ道の稲草なんか引っこ抜きながら。
この村はいい。のどかで静かだ、
久しく忘れていた雰囲気。空気が澄んでいて、自然が産み出す音が耳にやさしい。
心の澱が消えていくようだ~。ザッツ癒し~。
いいネタを仕入れたヨミ先輩が水分とじゃれあっている。水分は先輩に助けを求めて、すり寄って歩く。
俺達はそんな三人の後ろ姿を眺めながら歩く。なんか一服の幸せ。
ぽーっとしているのは新田原。目は先輩に釘づけだ。
大江戸は、さっきの事が気になるのか、水分の揺る後ろ髪を見つめている。
神門は、頭の後ろに手なんか組んで悠々自適だ。珍しく見ないハーフパンツから、脛毛のない白い足が見える。
清風ぬける山村は、山入端に近づきかけたお天道様に照らされてキラキラと輝く。
歩きながら先輩が、いとおしくこの村を説明してくれる。
「その雑木林を抜けると沢がある。上流には山葵田があって、水がすこぶる綺麗だぞ」
そう言えば、ここらは山葵の産地だったな。
「向こうのこんもりした緑は、鎮守の杜だ。風景に溶け込んでいて綺麗だろ。だが風の強い夜は、社からカラカラと音がするのだ。それが、風に乗って家まで聞こえてくる。時に早くカラカラと、時に木魚の様なリズムで。コロンコロンと。子供の頃はそれが怖くてな、近寄れなかった」
「じゃ、風の強い夜は恐くてトイレに行けなかったんじゃねーの。葵先輩」
先輩が、はむっとした生真面目な面持ちで答える。
「怖かったが……行った」
あらら、これゃ行けなかったんだな。ヨミ先輩も当然気づいたろう。
「へぇ~、本当は行けなかったんでしょ。オネショしてたりして」
「してない……」
してたなこりゃ。そんなに動揺したら、モロバレだって。
「子供の頃の話なんだから、無理しなくてもいいじゃない。葵」
「してない!」
「まぁまぁ、先輩がしてないって言うんだから、俺は信じるぜ」
「政治!」
先輩が、すがるような潤んだ瞳で俺を見る。別にそういう嗜好はないが、やり込められた先輩のこういう表情は俺は好きだ。なんていうの? ギャップ萌えってやつかしら?
それを呆れた様子で見ていたヨミ先輩が、ハイハイと言って引き離す。
「葵先輩、コレ」
なんだ? 指で空をなぞってサインを出しているんですけど。
「分かっている! ちょっとだろ。お前は厳し過ぎる」
「ハイハイ、次の案内よろしくです」
不満そうに、頬を膨らます先輩が妙に可愛い。
「葵、そう言えば、ここの上って神社だよね」と神門。
「ああ、あの石畳を上ると稲荷神社がある。明日は丁度、夏祭りだ。みんなで行ってみよう。小ぶりながらも花火も上がるぞ」
「いいね」
ん? 女の子三人が、顔を見合わせているぞ。その雰囲気を察した神門がそれとなく男性陣の様子を聞く。
「歳は、お祭なんか行くの?」
「どういう意味だ? まるで興味が無いとでも言いたそうだな」
「まぁ、聞きたくなるのは分かるな。大江戸はそのような祭事には不精そうだ」と先輩。
「いえ、祭りにも年の市にも行きます。人が集まる所は商売の勉強になりますし」
「そういう視点かよっ。大江戸は本当に商売人だな」
わははと笑う俺達に、「ああ」と答える大江戸が、また笑いの的になる。
その商売人の血が騒ぐのか、大江戸が先輩に質問をする。
「そういえは、幕内先輩、ここにはお店はないようですが?」
「ああ、村の店は駅前の雑貨屋だけだ、だがここには都会にあるもの以外はなんでもあるぞ」
「それはつまり、何もないと言うことでは?」
大江戸よ。それは了見が狭いというものだ。土地が埋まれば豊かで幸せというわけではないぞよ。
「そうだな、ならば無駄なものはないと、言えばよいか」
「それでは生活に困るでしょう」
「ふふふ、大江戸が言うのも尤もだ。実は山を越えると街なのだ。半時も車に乗れば店には困らん。暮らす者にとって文明は必要だ。桃源郷は都会人の無い物ねだりといったところだな」
先輩の大人の発言に、今度は自分の了見の狭さを知った。大江戸のことをバカにしなくて良かった。俺ってすぐ白黒つけたくなる所が、お子ちゃまだよな。大江戸もだけど。
ガンガン仕事が出来るようになって、自力で稼げるようになれば大人になるわけではない。この二人の会話はそれを物語っているように思えた。先輩の背中は遠いなぁ。
他にも、廃校になった木造の小学校や、農業用水路、丘の上の茶畑、大ナマズいるため池などみて見て歩いて、また別荘近くに戻ってきた。
「ちょっと、その農家に寄っていく。もっとも、みんな農家だがな」
「どうしたんですか?」
「野菜を頂くのだ」
先輩が玄関を叩くと、腰の曲がったシワシワのお婆ちゃんが、ぽっちぽっち床を踏みしめながら出てきた。
「あら、あら、葵ちゃん」
話が聞き取りにくいのは、歯がないからだ。見た目で言うと80歳は遥かに超えているだろう。
「ばぁば、久しぶりだ!」
先輩が手を広げて、お婆さんに駆け寄っていく。
「幕内先輩のお婆様か?」
大江戸が、水分に聞く。
「違うと思うわよ。あまり似てないもの」
「そうか。歳の差があり過ぎて分からんが」
「こないだ会ったのいつだったかね~。随分大きくなったねぇ」
なんて話している。
「そうか? ばぁばと最後に会ったのは、中学の時だ。そう変わってはおるまい」
「そうかい、じゃ、ばぁばが小さくなったかねぇ、ひゃははは」
何故か女性は年を取ると、何かにつけて自分の言ったことに笑いを添える。実に不思議な生き物である。
「葵ちゃんはもう働いてるのかい?」
「そこまで、大人ではない。今は高校三年だ」
「まぁまぁ、そりゃべっぴんさんにもなるわ。ボーイフレンドも連れてくるわね、後ろのどの子だい?」
「ばぁば! ち、ちがう。そんなのではない。ばぁばは、年甲斐もなく色恋沙汰が好きで困る!」
ばぁばさんは、ゆっくり俺達の顔を見る。
「そこの小っちゃい子は、前に来たことあったねぇ」
神門が自分の鼻を指さしてる。「小っちゃい子……」
「メガネの子は、葵ちゃんの好みじゃないわね。もっとやんちゃな子が好きだったものね~」
「それは子供の頃の話だ!」
「そっちの普通ってぽい坊やかしら?」
俺? 坊やですか? 普通っぽいって。間違っちゃいないが微妙に傷つくんですよ。他の奴等と比べちゃうからさ。
「それより野菜だ! ばぁば! 男子を物色するのはやめてくれ!」
ばぁばさんは、「あらあら、そうだわね~」なんてマイペースな事を言って、葵ちゃんもまだまだ子供ねなんて、からかいながら、男衆は畑に女性陣は庭に振り分けた。
畑は、母屋の裏に回って、ちょっと行った先にあった。そこは広大な緑の大地。これをこのお婆さんが一人で耕してるの?
凄いなぁ。
「好きなの採ってき」
「ありがとうございます。でも、どれを貰ったらいいんだ?」
ここで気づく訳だ。何を作るか分からなければ、何を採れば良いか分からないと。まさか、キュウリの馬にナスの牛を作るわけではあるまい。
「大江戸、ちょっと先輩に聞きにいってくれよ」
「母屋まで行けと言うのか、俺に」
「だって神門は体力ないしさ、新田原と先輩は会わせたくないし」
「聞きづてならん! 瑞穂! 俺がいく」
「ダメ、お前は畑の戦力なんだから」
「分かった、ならばしかたない。聞いてきてやる」
大江戸が駆けだしていく、その間、俺達は、ばぁばに野菜の収穫の仕方を教わる。
ナスひとつとっても、どのくらいが食べごろか、どこからもぐかはコツがあるらしい。てっきり実の近くを切るのだと思ったら、枝の付け根から切っちゃうそうだ。「ちゃんとやるんだよ。ばぁばが楽できるようにね。ひゃひゃひゃ」とまた声を出して笑う。
「どんどん採ってええから、採ったらそのカゴに優しう入れて」
「はーい」と、若者らしい快音を飛ばし、練習がてらにザクザク収穫する。
暫くすると大江戸が戻ってきた。
「水分から聞いてきたぞ。ナス、ピーマン、ししとう、とうもろこし、トマト、キャベツと紫蘇、パプリカだ」
なるほど、どうやら水分先生が料理の腕を振るうらしい。
何を作るのだろう、楽しみです。
野菜を採った後は、女の子達の仕事が終わるまでと、ばぁばの手伝いでゴーヤの収穫や草むしり、剪定とかさせられた。
あれ? 俺達遊びに来たんじゃなかったけ? なんで今、野良仕事をしてるんだろう。
そうして一仕事を終えた俺達が別荘に戻った頃には、晩御飯の下ごしらえが随分進んでいた。
なんと、女性陣は先に帰ってたのか! ばぁばに一杯食わされた!