4章-10
別荘までは、さらに電車を乗り継ぐ。
ローカル線は箱席だ。先輩と顔を見合わせて座る、テーブルの無い空間は、ちょっとドキドキ。
電車はトンネルを抜けると、次第に海岸線に近づき、車窓に青い海と白い砂浜が見えると、俺達は喚声を上げて絶景に賛美を送った。
また、山間を抜ければ、カーブ越しに見える渓谷の鉄道橋と瑞々しい木々の緑に感嘆の声をあげる。
先輩も普段、車では見られない新鮮な景色に大いに感動し、電車旅行の素晴らしさを饒舌に語っている。
そんな先輩を、子供でも見守るように目を細めて見る水分。
ヨミ先輩は、窓から身を乗り出して髪を靡かせ、景色に溶け込んでいる。実にらしい。
そんな元気一杯の女性陣に比べて、お腹一杯の男性陣は、ぐったり。飲まれ気味だ。
電車は30分ほど山間平野を駆け抜け、終に人気の少ない、のどかな駅に到着した。
改札を抜けて見た景色は、何もかもが広々とした田園風景。ちょっと前まで俺がいた田舎を思い出すような景色だった。
駅前の小さな雑貨店。錆び茶けたポツンと立つバス停。風の音と鳥の声が調和した空。ジリジリとした太陽を受けて、てりっと反射するコールタールの電柱。そしてどこからともなく漂う乾いた鶏糞の臭い。
無性に懐かしくなる原風景。
別荘という響きから、軽井沢のような賑やかさを想像していたのだが、俺と同じ想像していたであろう大江戸と新田原も言葉を失っていた。
鋭くも空気の抜けた警笛を鳴らして、電車がホームを去ると、駅舎の横に停まっていた黒塗りの車から一人の男性が降りてきた。
「いらっしゃいませ。葵様」
深々と頭を下げる。
「久しいな、松平!」
「ええ、お久しゅうございます。二年ぶりでしょうか、益々、お美しくなられましたな」
「その口の上手さは、変わらんな松平。だが、嬉しいぞ。お前も壮健そうで何よりだ」
「葵様が、お幸せになられるまでは、死ねませんからな」
「あははは、松平は長生きする。私が保障しよう」
喜々として挨拶を交わす先輩。随分と親しいな。
松平さんと呼ばれる方は、五十は超えると見える小柄な男性だが、白髪混じりの頭とはおもえぬ溌剌とした喋りで、先輩と相対している。
濃紺のスーツ姿に、誠実そうな黒の蝶ネクタイ。スーツ越しだが、なかなか良い体つきだ。
「水分様ですね。ようこそお越しくださいました」
「こんにちは、水分宇加と申します。お世話になります」
「存じ上げておりますとも、大きくなられました」
「まぁ、お会いしておりましたか?」
「覚えていらっしゃらないかも知れませんが、十年ほど前に葵様のご家族と一緒にお越しいただいております。とても愛らしいお嬢様がいらっしゃったのでよく覚えております。幼き日の面影がございましたので、すぐ分かりました」
「ごめんなさい。全然覚えてなくて」
「いいえ、年寄の十年など瞬きの事ですので、お気になさる必要はございません」
「ありがとうございます」
十年前に一度来たお客さんの顔を覚えているなんて、スゲー記憶力だ。神門は季節使用人だなんて言っていたけれど、よくできた人が雇われたものだ。さすが幕内家と言うべきか。
「神門様、いらっしゃいませ」
「うん、大人数だけどよろしく頼むよ」
「お任せください」
神門は、顔見知りなんだな。
「松平、四人を紹介しよう。瑞穂政治。一年にして桐花の生徒会長だ。新田原実。新田原には兄弟ともに世話になっている。ともに実直真面目な好青年だ。大江戸歳。彼はなかなかの合理主義者だぞ。松平とは話が合うかもしれん。大江戸は、高校生ながら商売もやっている。二人とも生徒会役員だ。益込世美。ヨミとは……ふ~む、不思議な縁だ。顔を逢わせれば喧嘩ばかりだ」
「喧嘩ですか」
「ああ、いつも意見が対立する。喧嘩ばかりだ」
「わははは! 葵様も喧嘩をなさいますか」
「ああ、そうだが、何がおかしいのだ?」
「それは、素晴らしいご学友に出会われました」
「ああ、ありがとう……」
何がおかしいのか分からない先輩は、頭にハテナマークを浮かべて首をひねっているが、そんなことはお構いなしに、松平さんは微笑みを湛えつつ俺たちの顔を一人ずつ眺めた。
挨拶をするタイミングを逸したが、俺達が「よろしくお願いします」と、揃って頭を下げると、「こちらこそよろしくお願い申し上げます。私も久しぶりに楽しい時間を過ごせそうです」と、気の効いた挨拶が返ってきた。
「瑞穂様のお噂は葵様から伺っております」
「え、何の噂ですか」
「松平!!!」
急に俺に話を振った松平さんを、先輩が飛び込むように止める。
「わ、悪い噂ではない、あ、安心しろ政治!」
先輩、裏声になってますよ、そんなにあたふたしなくてもいいのに。信用してるんだから。
松平さんは、そんなお茶目な先輩をみて、合点したようで優しく微笑みつつ、「少々フランクな話し方に致しましょうか?」と提案をしてきた。
「そうしてくれ、私もその方が楽だ」
松平さんは軽く頭を垂れると、改めて「よきご友人に巡り会われましたな」と言った。
「ん、松平、今日のお前は変だぞ」
先輩はあまり自覚してないようだが、この四ヵ月で先輩は随分変わったから、松平さんも驚いたのだろう。
松平さんは、その変化が好ましいと思ったに違いない。先輩には笑顔だけで返事をし、俺たちに乗車を促す。
車は稲穂の海を走る。ここは散居村で風にそよぐ緑海の中には、小島のような屋敷林が点々とみえる。
別荘は、その一戸だった。
ひときは大きい屋敷林に囲まれているところをみると、ここらの豪農の古民家を譲り受けた物と思われた。
俺達は、別荘という響きから、洋風建築を想像していたので、車を降りて古民家を見たときは、皆の口から「ほ~」と声が出た。
「驚いたか」
「……はい」ぽか~んと巨木に囲繞された敷地を見渡し声を上げる。
「此処に来ると、みな同じ反応をする。印象と違うからだろうな」
「ええ、てっきり丘の上の洋館かと」
「あはは、だろうな。祖父もそれが面白くてこのような古民家にしたのだろう」
「中も古民家なんですか」大江戸が質問する。
「建物は当時のものだが、中はリフォームをしている。快適なものだぞ」
そう説明をしながら、先輩は俺達を中に案内する。
皆で、きょろきょろしながら先輩に付いていくのが面白い。
引き戸の玄関をくぐって第一声を発したのは、やはり大江戸だった。どうも建物に興味があるらしい。
「立派なものだな」
何を見てるかと思えば、上がり框の横の柱と、それに連なる梁だ。
大江戸が感心するのも無理はない。
水分の胴よりも遥かに太い梁は、漆塗りで100年を越えるだろう時を経ても、いまだ輝きを放っていた。
その上に設えられた欄間は、鶴の透かし彫り。名のある豪農だったのだろう。さすがに茅葺ではないが、木材の質感が半端ない。
「まぁ上がってくれ」
「奥座敷は男性の皆様に、和寝室は女性の皆様にご用意しております」
「うむ、ありがとう。まずは居間でひと休みだ」
土間を抜けて上がった居間には、流石に囲炉裏はなかったが、古木を使ったテーブルがあり、はきだしの窓からは、小ぶりながらも手入れの行き届いた日本庭園が見られた。
縁側の天井に、手水鉢の光が反射してゆれ遊ぶ。屋敷林を背景に軽い傾斜をもって作られた庭園は、武骨な置き石と繊細な草木の配置が、素人目にも絶妙に計算されていて、居間から見ると、まるで小世界を眺める錯覚に陥るようだった。
「どうした、政治。ヨミも。随分静かだな」
「ちょっと圧倒されたというか、緊張してまして」
「あ、あたしも」
「なに、自分の家だと思って寛いでくれるとよい。みろ、神門や宇加は、落ち着いたものだぞ」
神門は来た事あるんだし、水分は、こういうのに慣れてそうだもん、そりゃそうでしょ。
他方、新田原を見れば緊張は俺達の比ではなく、もはや目が泳いで全身硬直していた。なにせ先輩の別荘だもんね。
それには先輩も苦笑いで、
「新田原、お前がそうだと私も緊張をする。深呼吸でもしてはどうだ?」
とリラックスを促す。
「はい! よろこんで!」
お前は居酒屋の店員か! というよりは、軍曹に答える軍人だ。直立不動で大きな返事をすると、ラジオ体操よろしく、きっちり背筋を伸ばして深呼吸をする。
これは先輩への尊敬というよりは、本人の性格だなぁ。