4章-5
学園からわが家までは、徒歩で30分程の距離にある。
それなりに遠い道のりを、俺達は無言で歩きとおした。
俺と水分が先頭を歩き、後ろに二人の先輩。時々、他愛もない事を話しかけると、先輩ズが妙な対抗意識をむき出しにして俺の話に答える。
それを水分が、呆れ顔で見るという構図が続いた。
「もう、16時ですけど」
「そうだな」
「おうちの方は心配なさらないですか」
「バカいえ、高校生だぞ。大丈夫にきまってんだろ」
そうですか? ヨミ先輩はまがりなりにも女の子なんですけど。
「問題ない」
本当かよ。先輩の家ってかなり固そうなイメージなんだけど。
「私も、赤母衣に伝えておきましたから、あまり遅くならなければ」
止めろよ、赤母衣さん。あんたボディーガードだろ。
「……三人とも。ウチにきて何を」
「勉強を教えてやるのだが」
「オレもだ」
「私は特に何も」
「私は上級生だからな。数学でも物理でも大丈夫だ」
「オレだって上級生だ。それに地理や英語は得意なんだよ」
「……たのもしいです」
水分が耳打ちする。
「どうなっているのよ」
「いつの間にか、なんか俺に勉強を教えることになってて」
「勉強するために、補習を受けてるんじゃないの」
「そうなんだけど」
「瑞穂くん、ちゃんと断りなさいよ」
「見たろ、断れる雰囲気じゃないって」
「私が巻き添えになっているのよ」
「ううんっ、宇加」
「水分」
後ろからわざとらしい咳払いと、下から響く声が聞こえる。
「はいっ!」
「近い」
「はい?」
「そうだ、水分。先輩の言うことは聞くもんだ」
「は、はい……」
不満を匂わせて答えた水分が、また耳元でささやく。
「何で怒られなきゃいけないのよ」
「知らないよ、俺だって!」
「水分~」
「はい……」
そんな目で俺を見るなよ。けど可愛そうに、まさに巻き添えだ。
アパートに上げる前に、ちょっと玄関前で待ってもらて、部屋のヤバイものを片付けておく。
まぁ、分かりますよね。アレをアレしたわけです。
「どうぞ」
「うむ、邪魔するぞ」
きちっと靴を並べて上がる先輩。実にらしい。ヨミ先輩は、脱ぎ散らかして入るんだろうな。
と、思ったら意外にも、脱いだ靴だけでなく、俺の靴まで並べて揃えて上がる。
「ヨミ先輩、意外にこまやかですね」
「へっ? 何? 靴?」
「ええ」
「ああ、ううん、まぁな。やっぱさ、こういうのって大事じゃん」
「ええ、そう思います、オレも」
でへへ~と頬を赤くして照れるヨミ先輩。暗いアパートの玄関でもそれが分かった。
一方、不機嫌なのは先輩。
あからさまに口を尖らせて、俺を見ている。
「先輩は、当然そういうのが出来る人なんで、安心なんです! 当たり前のことが、当たり前に出来るのが凄いなって思います!」
「ありがとう」
うわー、全然感謝のこもってない、ありがとうだよ。
ヨミ先輩は、それがどんだけ嬉しいのか、勝ち誇った顔でベロを出して先輩を見ている。
ちらっと、後ろに詰める水分みると、「バカじゃないの、少しは状況を考えて言葉を選びなさいよ」っていう呆れ顔だ。全くです。
広くもない部屋に上がると、三人は「ほー」とも「へー」とも付かない声をあげた。
「これは」
「なんというか」
「ですね」
「えっ、なにが?」
「ごちゃごちゃだな」
「狭いし汚ね」
「私は兄がいるから想像はついてましたけど」
三人はぐるっと部屋を見回して、先輩とヨミ先輩は腕組、水分は澄まし顔で感想を漏らした。
「政治、勉強の前にやることがあるな」
「えっ何を」
「掃除だよ」
「まじ! でも、勉強があるでしょ」
「うむ、そうだが……」
「これじゃ、集中できねーだろ」
腕を組んで悩む二人に水分が声をかける。
「お二人に提案があるのですが」
「なんだ、宇加」
「今日は、葵さんは瑞穂くんに勉強を教えて、私と益込先輩は部屋の掃除をするというのはどうでしょう。とても一日では終わりそうもありませんし。明日はその逆で、益込先輩が勉強を教えて、私と葵さんが掃除をするのです」
二人は顔を見合わして首肯。
「あの、俺の意見は」
「瑞穂くんの意見など、聞いていません」
「なんで、俺の家なのに!」
「わかった。そうしよう」
「よし、決まりだ」
「えー!」
という俺の失意は斟酌もされず、三人は早々に動き始める。
「さてやるか。政治、まずどの科目がよい?」
「水分! どこから掃除する?」
マジ無視かよ!
「政治!!!」
「はいっ!!! 数学からで!!」
「まず、ゴミから捨てましょう」
「オッケー」
あ、あの、俺の……。
「政治!!!」
「はいぃぃぃ」
狭小住宅である。 荷物を動かせば、ドサドサと本が崩れ、ゴミを捨てれば、ビニール袋がガサゴソと騒ぐ。その上、この舞い上がる埃。気が散って勉強なんてできませんよ!
「集中しろ! 政治」
「でも」
「せいじぃ~」
声が、半眼が怖い!
「はひーー」
無理でしょ!!!
・
・
・
「違う! さっきも間違えたろう。因数分解はパターンなのだ。そこを間違えては、すべての問題を間違えてしまうぞ」
「すみません」
「公式は、丸ごと覚えろ」
「どうやって?」
「覚えようとすれば、覚えられるだろう」
「無理っ! 先輩は、頭いいから覚えられるんですよ」
「違う! 覚えようとする意思と集中力だ。努力だ、甘えるな!!!」
ひーん、厳しいよう。今日の先輩は格別厳しいよぅ。
先輩、お怒りを溜めてる時は、直接言わないで、事にあたって厳しく接するんだよな。
やっぱり今日は、玄関の事といい、いささかお怒りなのだ。反論はすまい。
「お前には、それが足りん。宇加をみてみろ、あやつも物事に取り組む姿勢は真摯だ。益込も、野球に研ぎ澄ましたエネルギーを注いだからこそ、あの活躍なのだ。そうだろ二人とも」
「……」
「そうだろっ、二人とも!」
ん? 答えがない。というか、やけに静な気がする。
「宇加?」
ふと見るとヨミ先輩と水分が俺のベッドの上で、ぴったりくっつき膝を抱えて、なんか見ている。
二人とも、まるで初めてお酒を飲んだように真っ赤っか。
「凄いポーズですね」
「これ、見えちゃうんじゃない? 水着ちっちぇーし」
「ええ、こんなの絶対着れないです」
「男はこんなのがいいのか」
「益込先輩ならスタイルいいから、いけませんか」
「だめだって、恥ずかしいって」
「それにしても大きいですね、ウエスト細いのに」
「こいつ、姉ちゃんよりあるぜ、姉ちゃんの方が遙かにウエスト太いけど」
ペリッとページをめくる。おーと小声で驚嘆。
「……あ、あっ、あーーー!!! 君たちなに見てんの!!!」
はっと顔を上げる二人。
「瑞穂くん」軽蔑の水分の眼差し。
「瑞穂も男だな」悪戯なヨミ先輩の口元。
「どこでそれをっ」
「ベッドとマットの隙間に。水分が気づいたんだぜ」
「わ、私は、ベッドの上に乗ったらなんかあるなって」
「にしし、瑞穂は巨乳好みかぁ」
「わーわーわー、違いますって。こういうもんなんですよ、こういう雑誌は。な、な、水分」
「私に同意を求めないでください!」
「だって、お兄さんいるんでしょ」
「兄の部屋にまで入って、そんな雑誌など見ません!」
先輩が、自分の胸を両手で隠して俺を見ている。
「政治、まさか、それで集中できなかった訳ではあるまいな」
「違います、バカなだけです。俺が注意力散漫でバカだけですから! それにその制服じゃ、胸の大きさなんて分かりませんから」
「じゃ、オレは瑞穂の好みってとこだな。あっ、姉ちゃんはナシな」
「確かに、ヨミ先輩の胸が大きいのは認めますけど、そんなサイズだけで判断してませんって」
ところが、先輩も何の対抗意識を燃やしたか、
「私も、小さくはない!」
えー、さっきは隠してたやん、どっちやねん! じゃ、大きいと言えばいいの? ないと言えばいいの?
「お二人とも、とてもスタイルがいいと思います。もう眩しいくらいで」
「ごめんなさいね。瑞穂くん。胸が全くなくてスタイルが悪くて」
なーーー! 何で君がそこで拗ねるかなーーーァ。違うでしょっ!
「水分はスマートで華奢で凄く女の子って感じがするよ。うん、細くてスタイルもいいと思う。頭も小さくて、かわいいし」
「すまんな政治、私はガタイが良くて太くて」
今度はこっちかよ!
「そんなことないです! 健康的で素敵ですって、均整がとれているのって美しさの基本というか、黄金比率?」
「あーそう、どうせ胸もお尻も大きいですよ。オレは」
こんどはヨミ先輩! もう、じゃどう言えばいいのよ!
もう分からんばい!
「だ・か・ら、ああもう! おっぱい好きですよ! 男ですもん! でも三人ともそんな風に見てません! 三人ともかわいいし、素敵だし、憧れてるし。だから一緒にいるといつもドキドキしてるんですっ!」
俺のブチ切れ発言に、三人とも一瞬怯み、そして言葉に詰まった。
あれ? やべ……セクハラだった……かな?
謝った方がいいかな。いいよな。何となくうっかり『おっP』と言ってしまった気がするし。
テンパると何を言ったか覚えてないのは、まったく良くない癖だ。
「せ、政治、私は、お前の勉強の予定表を作ろう思うので、今日はそろそろお暇しようと思うの……だが」
「お、オレも。遅くなると姉ちゃんに勘ぐられそうだし……」
「私も、もう時間ですから」
「あっ、へっ?」
やっぱり。やっぱりセクハラだったのね。
三人の余りの引き際の良さに、謝る間を逸してしまった。
ちょっと、かんべんしてくれよ。