4章-3
暑くなると無性に気が急く。
暑いうちに遊びきらないといけない焦りと、夏、独特の期待感に、胸が騒ぐのだ。
砂浜を思わせる入道雲、花火会場に向かう浴衣姿と下駄の音、通りから漂う蚊取り線香の匂い。どれもこれもが俺を待ってる!
今、エアコンの切れた教室だけど。
補習会場は、いつもの教室。
「はぁ~」、ここに集う面々を見ると、言っちゃ悪いが、どいつもこいつも頭わるそーな顔してんだよなぁ。
20名程あつまったメンバーは、桐花に似合わぬ制服を着くずした、ちょっと悪そうな奴。長髪で暗そうな男。ギャルかな? ギャルだろ。ギャルでしょていう子。そして、どこにでも居そうな、ただのアホな普通の生徒の4タイプだった。
この学園では、あまり会わないタイプの方々。
幸い知り合いは居ないが、俺もこのメンバーの一人だということに、さして高くもないプライドが刺激される。
出欠を取り終えた初老の教師が、不興顔で補習の概要を説明する。
『テストの結果を見て、弱点を指摘してやるから、あとは自習で勉強しろ。追試は補習期間中、いつ受けてもよいから、自分の判断で受験を申請しろ、ただし一教科につき三回まで』とのことだ。
補習が進めば早く抜けられる、最後まで残った奴が『バカ オブ バカ』という、シビアなババ抜き。
追試を受ける身分で何の矜持もないが、ラストだけは御免だ。これは一日も早く抜けたい。
その教師が、弱点指摘の為だろう。表情を変えずに俺の机までやってきた。
「瑞穂くんは、数学と地理歴史と英語が、ダメですね」
テスト結果だけに目を落とし、点数をみりゃわかるだろうって事を指摘する。
「見たところ、四月から全てやり直すのが一番良いと思いますよ」
はぁ?
真顔で笑えない事を言いやがった。全て弱点だなんて分析じゃない。お前、ここにいる意味ねーじゃん。
それに頭からなんて、一番わかってるのは本人だ!
だが、一学期で留年になりたくないので、文句は言わない。いや、言えない。
「先生、限られた時間の中で最大の効果を出したいのですが」
悪あがきと思いつつ、最善策を模索すると、
「そんのものはありません。急がば回れです。瑞穂くん」
いや、もっともらしいなオイ! ここで求めてねーよ、教師らしい模範回答は。
あくまでもクソ真面目にやれということか。
ということで、9時から15時まで眠気に耐えてひたすら教科書を読む。
四ヵ月を一週間で叩き込むなんて……、どうにもならない感が半端ねー。
半端ねー、半端ねー。はんぱZZZ……。
いかん! 眠気が。
時間になれば、誰もが無言で弁当を食い、また時間になれば、まだ真昼の暑さの残る中、誰もが無言で帰宅する。
知り合いなんか居ないので、俺も一人寂しく帰路に着く。
朝、教師と喋ったきりだ。あまりに無言で、追試の前に日本語忘れそうだぜ、なんてシニカルな事を思いながら、校舎を出たらて、背中から「政治」と声がかかった。
おっ! この声は先輩!
「先輩! 何でここに?」
「補習だと聞いたので、様子を見にきたのだ」
「わざわざですか! ありがとうございます」
「どうだ補習は?」
なんとも、嬉しそうに話しかけてくるので、俺は補習の様子を見たままに語った。
シャーペン一本で学校に来てるヤツがいるとか、教師が見てるだけでやる気がないとか。
先輩は、歩きながらチラチラ俺を見ては、その度に、ふわっとした笑顔を差し向け、「ほう」とか「そうか」と頷いている。
受けた事がないから、補習の風景が微笑ましいのだろう。
首席には無縁過ぎるイベントだもんねー。
「それで政治は、ずっと教科書を読んでいたのか?」
「はい、頭からやり直しなんで」
「辛いだけだろう。それでは。身に付くものも身に付かんのではないか?」
「辛いですが、しょうがないですし」
「ふむ」
先輩は顎に親指の爪をあてて考え、息で頷くと意外なこと口走った。
「私が、一緒に勉強を見てやろうか?」
「えっ」
「一人でやるより、よかろう。それに要点を絞って教えてやれるぞ」
「いやでも、休み期間中に悪いですから」
「気にせんでよい。生徒会の仕事もないので、今年は時間があるくらいなのだ」
いやいやダメっしょ! 走って先輩の前に回り込み、歩みを止めるように促す。そんな申し訳ない事は出来ない。ここで止めないと本当に先輩に迷惑をかけちゃう。ちゃんと話さなきゃ。
「あの先輩……」
と言いかけたときに、横から声が飛んできた。
「瑞穂!」
ちょうど俺達が居たのが、中央大路につながる校門前だったが、声がする門扉の方を振り向くと、
「ヨミ先輩!」
その声に、ぴくっと反応する先輩。
ヨミ先輩が、もたれていた正門から体を引き離し、此方に歩いてくる。
「あっ!」
気づくわな。当然。
「益込世美」
「葵先輩」
二人の間を、季節外れの乾いた風が吹き抜けた瞬間だった。
先輩の長い髪が、ぶわっとなびき、毛先が口許にかかる。
ヨミ先輩の、私服のTシャツがバタバタとはためく。下はオレンジ色のショートパンツ。その裾の飾り紐が白い太ももを叩く。
「夏季休講だが、学園まで何のようだ。益込世美」
「フルネームは、やめて戴けませんか。幕内葵先輩」
「こちらの質問の答えが未だだが」
「葵先輩こそ、こんなところで何をされてるんですか」
「見ての通りだ。学園に用があった」
「あたしも、見ての通り学園に用があっただけです」
あわわ、いきなり臨戦態勢。真ん中に38度線が見えるよ。
「何で瑞穂と一緒なんですか」
「それは、お前には関係なかろう」
「葵先輩こそ、質問に答えてません」
「お前こそ用とはなんだ。校舎には、制服で入館するのが決まりの筈だが」
「入館の必要はありませんから」
ヤバイよ、ヤバイよ、ただならぬムードになってきたよ。どうしよう。
「政治、行くぞ」
「いや、行くぞって」
先輩は、髪が跳ね上がる程、勢いよく振り向くと、俺にいっぱいの目力を込めてサインを送った。
「ちょっとまてー! あたしは瑞穂に用があんだ」
「ほほう、用があるなら一言二言、言葉を交わしてよいぞ」
「何で、葵先輩に許可をもらわなきゃなんねーんだよ」
「益込」
そういうと、先輩は自分の口に人指し指をあてて、『静かに』みたいな仕草をした。
「ん?」
「乱暴な言葉はいかん。そんなことでは、好きな男子に逃げられてしまうぞ」
いつになく攻撃的だ。先輩!
ヨミ先輩は、真っ赤になって怒る。
「かんけーねーだろ。こういうのが好きな奴だって、一杯いるんだよ! 大体、葵先輩だって上から口調だろ。それはどうなんだよ」
「なに?」
二人がじりじり近づいてくる。
挑発合戦に高まる緊張。なんですり足で近づいてくるの!? ねぇ、離れようよ。ねえってば!
「益込、お前とは一度じっくり話さねばならんと思っていた」
「奇遇ですね。あたしもです。葵先輩」
荒野の決闘ですか! 腰にリボルバーないよね。
「政治、ちょっとはずしてくれないか。益込と話したい事がある」
「ああ、望むところだ。瑞穂、向こうに行っててくれ」
グーで作った親指を背に向けって、校門の辺りを示すヨミ先輩。なんだよ、かっこいいけど、このシーンで要らないって。
「ちょっと、暴力沙汰はなしですよっ」
「そんな下卑たまねはせん」
「俺を信じろ、瑞穂」
ヨミ先輩の言葉は、過去に自分が言った言葉だからだろう。先輩が、くっと眉を上げて更に詰め寄り睨みをきかす。
二人はもう、胸と胸がくっつきそうな距離で、向き合っていた。
ダメだ。ここは俺が出る幕じゃない。黙って身をひこう。
そーっと、後ろに後退り、校門の向こうにまで離れる。二人の会話がギリギリ聞こえる距離だ。
二人は、前に話した事がどうの、態度がどうしたと言っている。聞かれちゃ嫌だから、席を外せと言ったんだろうけど、どうも俺が関係しているらしい。聞きたいところだが、あーっ! ヨミ先輩が先輩の胸倉をつかんだ!
暴力なってるやん! 何が信じろだよ!