4章-2
俺は補習・追試という手土産を持って夏休みに突入した。
とほほ。情けないやら、恥ずかしいやら。
もう、先輩に会わせる顔がないよ。
彼女の事だから、笑ったり、憐れんだりする事はないと思うけど、それがまた申し訳なさを助長する。
そして、俺を生徒会長に選んだ先輩の顔に、また泥を塗ってしまった。
すみません。不肖の弟子で。
それでも、やることはやらなきゃいけない。
二学期明けには、すぐ桐花祭があるのだ。準備のために、休み期間中の生徒会活動を確認しておかなきゃいけない。
終業式の後、『死ね死ね』冷酷に鳴くクマゼミの声に心を痛めながら生徒会室に行くと、ヨミ先輩が貴賓室で、ちんまり座って待っていた。
「よう」
もはや、居るのも来るのも当たり前といった挨拶である。
「あっ、ヨミ先輩、なんかお久しぶりです」
「はは、だな。変な噂になっちまったから」
ヨミ先輩は少しはにかむと、短いくせっ毛を指で捩って、気まずさを誤魔化した。
「別にそんな、噂になることなんて、ないんですけどね」
「ああ、うん。そうだよな」
即、その答えが返って来たものの、ヨミ先輩は、窓を見たり手を見たりと落ち着かない。
そんな先輩を前に、俺もいい言葉が見つからず、ただギクシャクした雰囲気ばかりが高まっていった。
「あの……あの後、すぐヨミ先輩と話したかったんですけど、テストなんかもあって」
「そうだな、直ぐだったもんな。オレも」
『オレも』で途切れた言葉の意味も分からず、また二人して戸惑う。
会う前は色々話そうと頭に描いていたのだが、最初に躓くと、リズムの崩れた二人三脚のように、想いが絡まって足も言葉も前に出ない。
俺達が会話を続けるためには、仕切り直しが必要だった。
「上、行きませんか? 生徒会室、久し振りでしょ。もう生徒も居ないし、今日はいいんじゃないですか」
「うん、ありがとう」
上目遣いに、小さく答える。
ヨミ先輩の『うん』は、ちょっとかわいい。普通、肯定の『うん』は、元気に言うもんだが、彼女は鼻から声で、か細く言うのだ。そのキャラとのギャップにちと萌える。
「ヨミ先輩、エキシビションお疲れ様でした。今更ですけど」
「ああ、こっちこそ、ありがとな。すげー、ビッグプレゼントだったぜ」
「まさか、あそこまでとは思いませんでしたよ」
「ま、まぁな。言ったろっ」
照れてる。
それがまた可愛いので、意地悪をしたくなる。
「あそこまで、鈍足だったとはなぁ~」
「だっ、だから、言ったろ! じゃまなんだって!」
むぅ、と頬っぺたを膨らませて、 さも不満だとうそぶく。
「へへへ、だって、あのドタドタ走りは」
「お前にはわかんねーよ! 痛いんだぞ!」
「ふふふ、たしかに分かんないです」
そりゃ、あれだけ揺れれば痛いだろう。でも思い出すだけでちょっと笑いが込み上げてくる。
「瑞穂!」
「でも、それが、かわいいですよ」
「な、なんだよ、先輩に向かって! べ、別に、か、かわいくねーよ」
まんざらでもないらしい。
素直じゃないなぁ、らしいけど。
「ひとつ聞いてもいいですか? 最終回でちーちゃんとは何を話してたんですか」
取り戻してきたテンポに任せて、会ったら話そうと思ってたことを一つ、記憶の小箱から取り出した。
俺はあの魔法の一言が知りたかった。フラフラでぶっ倒れそうだったヨミ先輩を燃え上がらせた言葉。闘志を賦活させたアレは何だったんだろう。
「あれか、本気で投げないと、ぶっ殺すぞって」
「まじ!? ちーちゃん怖えなぁ」
「別に手、抜くつもりなかったけど、千恵も逃げないって分かったから、すごい勇気もらった」
足を止めて振り向き窺うと、ヨミ先輩は妙にマジな顔で足元に視線を落としていた。
マウンドに流れた、二人だけの純粋な時間だったのだろう。大事な宝箱を開けるように、あの瞬間を愛おしむ気配が伝わってきた。
「あの子、友達想いですね」
「うん、千恵はいい子だよ」
「先輩のクラスは面白い人が多いですね、秋山さん、松方さん、馬術部長の結城さんもですよね。ちょっと気の弱そうな」
「千恵は特別だよ。あたしも千恵も桐花っぽくなかったから、高等部で会ったとき、すぐ友達になったんだ。苗字近いしな」
確かに。二人とも特別だし苗字も近い。
そして、上下関係ない奔放さは、相通じるものがある。それは桐花では異質だ。
それにしても、何で俺の周りにはマ行の奴らが多いんだ? 神門、幕内、益込、水分、松倉。言われてみれば、みんな苗字が近い。
「桐花っぽくないか。そうですね。でも、ぶっ殺すはないでしょ。先輩が聞いたら怒るだろうな」
「あはは、違いないや。葵先輩には言えねーな」
なんて、いつもだとガハガハ笑う俺たちだが、この時ばかりはクスリと笑いあった。
こんなヨミ先輩を見ていると、リスクをしょってでもエキシビジョンをやって良かったと思える。一生徒のために仕込んだと思われれば、生徒会の信頼が失墜して、学園を救うどころじゃなくなる。
けど、ヨミ先輩の『本気のモノだけが持つ眩しい輝き』が、その暗雲を打ち払い、そのうえ全校生徒の心を揺さぶった。
『本気』はヨミ先輩のキーワードだ。この言葉は彼女の生き方なんだと思う。
「ええーと、ヨミ先輩」
「なんだよ、改まって」
「かっこよかったです。俺、感動して泣いちゃいました。ヨミ先輩はやっぱり凄いです。素敵だなって思いました。真っ直ぐで真剣で、ヨミ先輩は俺にとって特別です」
「な、なに言ってんのさ! まさか告ってねーよな!」
「いやっ、告ってないです、ほんとに特別凄いと思ったから」
二人で目を合わせては、上を向いたり横に逸らしたり。またチラッと見ては、不自然なポーズをとったり。
青春チックな一コマに不慣れな俺達は、言葉のない間が埋められない。
「やめ、やめ、変な雰囲気になってきた。みんな帰ったらまたキャッチボールしようぜ。暫くやり納めだもんな」
「はい、俺はあと一週間くらい学校にいますけど」
「生徒会? そうだ! お前テスト!」
ギクッ!
「ぐふふ、見ちゃったよ。瑞穂くん」
さっきの雰囲気はどこ吹く風ぞ。急にいつもの悪戯ネコの表情になって、俺をからかいに来る。
「ああっ、その先は言わないで! 傷つくからっ」
「よっ、赤点くんっ」
「あーーーーー」
「今回はたまたま調子が悪かったんだよな。全面的に。全科目的に」
「先輩!」
「あはは、わりぃ」
あっけらかんとネタの様に笑い飛ばされたが、皆さんが思う以上に俺は赤点に衝撃を受けているのだ。
ヨミ先輩は、何となく俺の仲間だと思っていたのに文武両道のできる子だったし。
生徒会役員の三人も、俺と同じように忙しいのに、ちゃんと学生の本分を果たして結果を出している。
そして先輩は、堂々の首席。
彼女は俺の中の理想として燦然と輝いて。だからこそ、いろんな意味で自分が許せない訳だが。
「まぁ頑張れ、赤点くん。夏休みの学校は楽しいぞう」
「もう!」