3章-11
一般生徒がゾロゾロ帰宅する中、体育委員と競技部活、生徒会は撤収を行なう。
生徒会はテントと大型モニタの撤収が担当だが、俺達がやるのはテントを畳むだけだ。大型モニタはビジョンカーという車と一体になっているのでケーブルを外して教師が移動する。
まぁこのケーブルがクソ重いんだけど、大半は報道新聞部にやってもらう。人数も多いし資金も潤沢なんだ、頑張ってもらおうじゃないか。
生徒会は、設営の丸ごと逆を指示するので、撤収完了まで帰れない。
とは言え、体育館、講堂の撤収はあっという間だ。部活の奴らにとって後片付けは慣れたもので、俺は現地で施錠を確認し、チェックリストにマークを入れるだけでOK。
看板の取り外しや装飾の撤去も、そう時間のかかるものではない。使い終わったものは一旦倉庫に詰めておき、時間のある時にでも仕分けすればいいだろう。
報道新聞部は、今日は機材だけ元の場所に戻すだけだ。放送機材は高価なのでそのまま仕舞えないそうだ。
そうして運営関係者も一人一人と帰り、18時に閉会した球技大会が完全に終わったのは、20時を過ぎた頃だった。
残ったのは生徒会だけ。
「いや~、終わったねー」
あまり働いていない&活躍していない神門が、さも疲れた疲れたとアピールする。
「お疲れさん。まぁ神門の割には肉体労働、頑張ったな」
「僕だって頑張ったよ、テントの柱を運んだじゃない」
「1本だけな」
「そうだっけ?」
「瑞穂。残務はあるか?」
「いやもうない。あとは鍵を締めるだけだ。生徒会でぞろぞろやるような事じゃないから、もう帰ってもいいぜ」
「そうか、まぁあれだ。無事終わって良かったな」
珍しく大江戸が慰労の意を示す。
「おお、さんきゅ。時間がなくてどうなるかと思ったけど、いい仕事だった。罰ゲームも盛り上がったな。バ・ツ・ゲームも」
「それを強調するな」
普段、無表情の大江戸が負い目を感じてか、複雑な表情で言う。一方、新田原には負い目なんかない。
「そもそも、引っかかったのは貴様のせいだ」
「俺はまた、新田原が仕込んだのかと思ったぜ。身内を捨てて盛り上げるために」
「不可抗力だ。だが盛り上がったようで良かった。葵様もさぞ、お喜びだろう」
二人とも高まっているせいか、普段よりも随分気さくな風で俺の話に合わせてくれる。普段からこうだといいのに。
その先輩は、この二日間、見ていない。
俺が生徒会に近づかない方がいいと言ったのもあるが、たぶん俺達を気遣って、接触を避けたのだろう。
先輩が出れば、何かと俺は先輩と比較されるし、生徒会とは関係ないから運営テントにも顔を出せなかったのだと思う。
なんとも寂しい。
無理な話だけど、先輩と一緒に生徒会をやりたかった。四月のまだ寒いときに、二人っきりの生徒会室で一緒に資料を読んでいた頃が懐かしい。
もっとあの時間を大事に過ごすんだった。
あとは俺が戸締りを確認するだけなので、三人は家に帰す。
全体を見なければならないので、グラウンドの外周をぐるっと回り、講堂に向かう。
七月末ともなれば気の早い虫も鳴き始める頃で、グラウンドの隅からコロコロと邯鄲の声が聞こえていた。
昼間の喧騒が嘘のようにがらんとした空間。
埃を舞い上げた講堂も今はすっかり静まり返り、水銀灯のジリジリという音だけを微かに響かせていた。
その電気を消して、鍵を締める。
明かりが消えると、球技大会という物語の一幕が降りたように、喝采の余韻だけが暗闇の中に沈んで行く。
次に薄暗く長い廊下を抜けて体育館に向かう。
校舎もさっき放送室の電気が消えた。あとは学園事務所のある別館一階を残すのみである。
薄明かりはあるとは言え、この広い学園に俺一人と思うと、怖くはないが何とも心細い。
突き当りが体育館だ。
隙間から明かりが漏れる重い引き戸を滑らせて中に入ると、老朽化した床板のピシっと鳴る音がやけに長く響いた。
こんなに響くんだ。体育館って。
「政治」
「うわぁ!」
気配の無い背後から、急に声がしたものだから、びっくりして飛び上がってしまった。
「す、すまん。気づいてなかったか」
振り返ると、もちろん声で分かったが先輩が入り口の壁にもたれて立っていた。
「先輩!!!」
「最後は生徒会長が戸締りをするのは知っていたからな。待っておった」
「もう、びっくりさせないでくださいよ。チビるかと思いましたよ」
「ふふふ、そうだな。安心しろ。その時は私が世話をしてやろう」
前にもあったようなやり取りが何故か面白くて、ふたりで小さく笑いあう。
「随分待ったでしょう」
ドキドキする胸を落ち受けて聞くと、「そうでもない。ここに来たのはちょっと前だ」と本当かどうか分からない事を答える。
「それまで何処にいたんですか?」
「うむ、記念堂に行って鍵がないのに気付いて、生徒会棟に行って、ここに私がいるのは問題かと思って引き返し、散策がてらに中等部、初等部、幼稚舎を見て歩いてきた。久しぶりだったから、じっくり見てきたよ」
「その格好で?」
「ああ。懐かしかった。ここが私が育ってきた故郷だからな」
先輩はまだ体育着を着ていた、ジャージは前のジッパーを開けて羽織っている感じである。さっきまでトレシャツだったのだろう。冷えてきたから羽織ったに違いない。
俺がゆっくり近づくと、先輩は胸に手を合わせてすっと後ろに身を引いた。
「ちょっと待て、今日は一日走り回った。あまり近づくと、その……汗臭いかもしれん」
目を伏せてほんのり顔を赤らめる。
「俺もですよ」
「お前は男だからよい! 私は……恥ずかしい」
恥じらい言う。
「二人とも臭ってたら、どっとちが臭いかなんて分かりませんって」
「臭くないっ!」
興奮ぎみに先輩が反論すると、羽織ったジャージの向こうに、胸のふくらみを映したトレシャツがちらっと見える。そこから視線を逸らして下に移すと、綺麗な脚線からのびる、しっかりとした太ももとお尻のラインがジャージ越しに見えた。
だめだ、これはだめだ。先輩は魅力的過ぎる。
あれほど新田原に先輩を応援に行くと駄々をこねたのに、二人っきりで会うのダメだ。
それでも何とか平静を装って話をしてみる。
「応援に行けなくて済みませんでした」
「いや、気にせんでよい。生徒会は忙しい。自分のクラスの応援もある。時間は作れんかったろう」
「ええ、先輩のベストエイトで、応援に行こうとしたら新田原に捕まりました」
「それは残念だった。自慢ではないが私は大活躍したぞ!」
わざとらしくも鼻高々に言う。
「そうだったんですか?」
「信じていないな、バレーボールは得意なのだ。アタックを何本も決めた」
腕を上げてスパイクを打つ手真似をして、自慢げに俺にその様子を語る。
「それ見たかったなーー! もう、新田原め!」
「ならば、一本打ってみようか」
「え?」
「ここは体育館だ。用具室にボールもある。政治がトスを上げて私が打つのだ。私の活躍を証明してやろう」
「いえ、そこまでしなくても」
先輩はその言葉を無視して、俺の手をはしっと取り、入り口反対側にある用具室に向かった。
俯いて、ぐいぐいと俺を引っ張っていく。
長い髪に隠れて顔は見えなかった。いや、見せなかったのかもしれない。
「政治! 好きなボールを取ってくれ。ちゃんと空気の具合を確認するんだぞ」
少々上ずる声を俺にかけて、先輩は背を向けてウォーミングアップの屈伸を始めた。
俺はそれを黙って見る訳にもいかず、いらぬほど丹念にボールの空気圧を確認して、よいだろうボールを手に取る。ボールの継ぎ目をこれでもかと言うほど見て。
「よし、やろう。ステージ側に打つから、横からトスをあげてくれ」
「はい」
先輩はジャージのポケットから髪ゴムを出すと、それを口にくわえて、脱いだジャージを半分に畳んで床に置いた。
ヨミ先輩なら、ぽいっと投げ捨てるところだが、これを丁寧に二つ折りにするのは先輩らしい。
そうして、両手で髪を集めて慣れた手つきで後ろに髪を縛った。
まとまった髪が、つるんと弾力を見せつけてゴムに束ねられていく。
「んっ?」
「いえ、なんでも」
「真っ赤だぞ」
いかん、いかん。だが、どこを見ろと云うのだ。目の前に、こんな美少女が体操着姿でいるというのに。
うなじの柔毛を見るだけでも、ドギマギするというのに。
「大丈夫です!! 見せて戴きましょう!」
煩悩を振り切って、興味の矛先をこれからやることに移し集中する。
バレーボールを平手で、パシン、パシンと床に打ち付けて、手になじませる。それはまるで自分に与える警策のようだ。
「どのくらいの高さですか?」
何度か高さの違うトスを上げて、先輩にみせてあげる。
トスに意識を向けると、なぜかこの空間に先輩と二人だけでいることを意識してしまって、急に落ち着かなくなってきた。話しているより無言の方が先輩を感じるなんて、どうかしてる。
「うむ、その位だ」
そんな動揺などかき消す、先輩の心地よい声。
因みにトスは結構高い。俺がジャンプして届く高さくらいに思うが、大丈夫なのだろうか。
「政治のタイミングで上げてくれ」
「はい」
俺は先輩が離れるのを見て、ボールを上に放り投げた。
そして手の先に三角の窓を作って、柔らかくトスを上げた。ちょっと高いか?
右耳に先輩の走り込む音が聞こえてきて、次に俺が見たのは、自分が上げたトスが頂点に達する前、しなやかな肢体が大きく反って宙を舞う姿だった。
静かな体育館に響くバシーンという打撃音。
そして、やけにゆっくりトレシャツの裾をなびかせて、ちらっと脇腹を見せた天使が空からふわり降りてきた。
結んだ黒髪が、首筋を撫でて、ふるんと背中に定位置に戻っていく。
圧巻。
ハートを鷲掴みにされるという言葉があるが、まさにそれだった。網膜に焼きついた一瞬の姿。その躍動する肉体美に打ち抜かれた感じだった。
「うむ、これは決まった感じだな。どうだ? 政治」
「……」
「政治?」
「はい?」
「どうだった? なかなかのものだろう?」
「は、はい! 凄かったです。クイックですね。打撃点に上がる前に」
「ああ、思いのほか政治のトスが柔らかかったからな、少々タイミングがずれた」
両手を腰にあてて、アタックの出来栄えを自賛している。
そのポーズをすると、小さいとは言えない胸がつんと張りだして見える。
また、要らぬ欲望が蠢きそうで、俺は俯いてしまった。
「うーむ、どうも政治の感動が薄いな」
その反応がどうも不満なようで、前屈みになって俺に詰め寄ってくる。
「そんなことは無いです。むしろ凄すぎて、どう反応していいか困ったくらいで……」
「そうか? 神門に聞いたところでは、もっと喜んでくれると思ったのだが」
「嬉しいです。こうして待っててくれたことも」
体育館を転がっていたボールが、すぅと止まる。
時が止まったように、俺達は口を閉じた。
沈黙が続くと、互いに恥ずかしさが急に益し始め、先輩は薄紅色に頬を赤くして横顔を見せた。
多分、俺も真っ赤だったからだろう。
二人ともこの羞恥の意味は、言葉にならずとも心で分かっていたと思う。
「ベストエイト止まりだったのは残念でした。せっかく活躍したのに」
うわっついた言葉。
「ああ、相手が上だった。政治は3位だったのだろう。大したものだ」
「おかげで罰ゲームですよ。チーム戦は苦手だったのですが、やっていくうちに勘がつかめたというか」
「私も見ていたぞ。しかし、神門はなかろう」
「咄嗟のことだったので、それに逃げ切れませんでしたし」
「また足蹴にされていたな。どうも政治は囲まれるのが好きなようだ」
「そんな訳ないですよ! 心外だなぁ」
小声で笑いながらも、先輩も俺も『好きな子』の話題を巧みに避けている。
聞けば何が変わってしまう事も、言えば壊れてしまう事もわかっている。いまがベストじゃなくても、俺達はまだこのままでいたくて、流れる時に川べりに見苦しくもへばりついているんだ。
「帰りましょう。遅くなるとご家族が心配されます」
「ああ、そうだな」
暗黙の了解だった。
床に置いたジャージをそっと手に取る先輩を見ていると、さっきのアタックを決める姿が甦る。
その姿が、俺を狂わせそうになる。
どこからなのだろう、気高く耀く先輩をこう見てしまうようになったのは。
水分は『貴方といると葵さんはダメになる』と言った。新田原は怒って『お前が先輩を変えてしまう』と言った。
言った通りかもしれない。
先輩は、俺の知らない事は何でも知っている、大人の女性。困難をさらりとやってのける憧れの人。
でも、先輩に弱くなった。遡行した。まるで普通の同年代の女の子になったかのように。
魔法が解けたのか、それとも魔法にかかったのか。それは俺なのか先輩なのか……。
尊敬と羨望が入り交じった淡い四月の時は、もう遥かに遠い。
ここまでお読み戴きありがとうございます。「球技大会編」はここまでです。
どんどん存在感を増していくヨミは、葵と政治にどう関わってくるのか? そこは、次の「夏休み編」で書きたいと思います。
学園の破綻問題もありますが、それは夏休みが終わったら。休みは遊ぼう!