1章-5
葵から引き継いだ生徒会の仕事は途轍もなく重く、その仕事量にいきなり学校を遅刻してしまう政治。
その失態を、同じクラスの新田原に叱責され、二人は一触即発の状態になる。
だが、それを止めようとしない教師。「この学園には何かある」そう思う政治だった。
「遅刻したのは申し訳なく思っております。不可抗力で朝寝坊をしました」
三日目にしていきなり遅刻である。情けない。だが理由はある。間違っても夜中にゲームをやり過ぎたなんて、くだらない理由ではない。先輩から読めと言われた資料が厚過ぎたのだ。
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「私がまとめた生徒会の業務概要と、いま仕掛っている仕事の一覧だ。詳細は別にある。まずは手軽な所として大枠を理解してもらおう」
先輩は、さらっと言ってのけたのだが、手軽な大枠がこれかっ!
学級代表委員会、定期部会報告、部室の再配置、全校集会、桐花祭、体育祭、球技大会、入学式オリエンテーション、クリスマスイベント、初等部共同活動、中等部共同活動、地域ボランティア、園内風紀の向上、庭園保全、学食提案、投書箱目録……理事会向け学力向上施策のご提案? こんな事もか!
先輩すげーな。あの人、毎日これをやっていたのか。こりゃ無料でやる仕事量じゃない、金を貰ってもいいくらいだ。これじゃ勉強もままならないだろ。
……まぁ、俺はなくてもやらんと思うけど。
そうも言っていられないので、まずは全体に目を通してみるか……。
そうして気づかぬうちに机の前で突っ伏して、起きたのが8:30! 学校まで走っても間に合わねぇー!!!
というわけで確定遅刻だったのだが、真面目な俺は、その痛手を最小限に留めるべく全力で走って学園まで登校し、やっと着いたのが1時間目を10分ほど過ぎた頃であった。
「理由は何ですか、瑞穂くん」
1時間目は歴史だ。これまた、生きた歴史みたいなカサカサの教師が授業をしている。また、お爺ちゃん先生ですか。
「昨晩、生徒会の仕事をして夜更かしをしてしまい……」
「言い訳かと思えば自慢か?」
先生と話している最中だというのに、遠くからこれ見よがしに嫌みな男の声が聞こえる。その声の方を見ると、窓際に座る一人の生徒が、こちらを見ず独り言のように喋っているではないか。
アイツだ! いつぞやギラギラした目で俺を見ていた奴。誰だっけ? 自己紹介聞いてねーから覚えてねー。
声の主は無駄のない仕草で筆記用具を置き、顔を上げると切れ長の目で俺を見据えた。
小顔ながらも角ばったしっかりとした顔立ち、短髪でキリッとした太いまゆ。鼻筋の通った面貌が端正な印象を与えている。
くっそー、白制服がよく似合う。残念ながらイケメンだ。
「自慢でも言い訳でもない。事実だ」
「その事実は自慢げに、ここで言う事か?」
「なに?」
涼しい顔して言いやがる。ていうか、お前に言い訳してねーもん。俺は先生にしたんだもんねー!
「生徒会をだしに使っても、同情は得られんということだ」
出し抜けに、こんな難癖を付けるのはコイツだけだろうと思えば、クラスの数名は頷いている。なぬ? 少なくとも男子からは好意的だったはずなのに、いきなり雲行きが怪しいぞ。
しかし、なーんで初対面で突っかかってくるのかな、この人。話したこともないのに非常識じゃない。この素朴な疑問をぶつけてやろう。
「いきなり突っかかってくる方が失礼だろ?」
「被害妄想か。俺は忠告したまでだ。瑞穂くん」
むかつくー。玲瓏な声がいよいよ嫌味。
その喧嘩、買ってやろうじゃねーか! すぐ熱くなるのは悪い癖だと思い封印してきたが、心のどこかで求めている疼きがある。マズイと思いながらも湧き上がる衝動を止められない。
「忠告の割には嫌味が過ぎるな」
「一般論として自分の特別さを言い訳に使うのは、得策ではないと言ったまでだ」
特別? ははーん、そういうことか。カマをかけてやれ。
「言外の意図が透けて見えるんだよ」
「なんだと」
「幕内先輩の事だろ」
幕内と云う名に反応して、カッと目を見開く名も知らぬ人。どうやら逆鱗を当てたらしい。さっきの余裕などまるでない、下から突き上げるような恫喝口調になる。
「貴様、葵様に特別扱いされたからといって、いい気になるな!」
「特別扱い? まぁ確かにそうだな。だがそれは、お前には微塵も関係ない事だろう。これは俺と葵の問題だ」
へへーん、あえて呼び捨てにしてやったぞ。どうだ。
「葵様を呼び捨てにするな!!!!!!」
怒声が鋭く教室に響く。距離が近かったら胸倉を捕まれていたに違いない。怒髪天を突くとはこのこと。
その怒気にやられて、奴の近くの女子が、小鳥のように小さく震えている。かわいそうに。
にしても、本音の分かりやすい奴だなぁ。もう少し、くすぐってやれ。
「お前には関係ないことだ。葵が言うなら分かるがな」
ちょっと先輩の口調を真似てみる。ほれ、怒れ怒れ。
「この、よそモノ風情が! いい気になるな!!!」
「確かに俺は外部生だ。だが生徒会長に指名されたってことは、そのよそ者の方が葵にとって信頼に足る人物ってことだろ」
「貴様という奴は、我々の存在まで否定する気か! 表に出ろ!!!」
「男のやっかみは醜いぞ」
「おのれ!!!」
歯をギリギリならして、わなわな震えている。これは相当キテるな。先輩も随分な単細胞に愛されたものだ。
教室は水を打ったように静かだ。その中、二人だけが結構な剣幕でやりあっているのだが、ちらっと斜眼で教師を見ると仲裁に入ることもなく、張り付いた仮面の笑顔のまま、この様子を見ている。なんで止めないんだ。普通、止めに入るでしょ、そのつもりでこっちはやってるんだけど。
この学園の感じでは、まだ足りないのか? ならもう少し強く打ってみるか。そう思い腹に力を入れたところで、
「まあまあ新田原くん、そのくらいにしてあげてよ。剛健質実で真面目なのはいいけど、女の子に嫌われちゃうよ。瑞穂くんも熱くなるとかわいくないぞ」
神門は人当たりのいい笑みを浮かべると、教師に代わって柔らかく仲裁に入ってきた。
大ゲンカをかましている男子に、『かわいくないぞ』って語尾を上げて仲裁に入るのは、いかがなものかと思うのだが、神門がやると効果はテキ面で、その笑顔パワーにクラスの雰囲気が一気に緩んでいく。
内部生ってのもあるけど、こりゃ天性の持ち味だね。ナチュラルに敵を作らないなんて、羨ましい限りだよ。
驚いたのは新田原が意外な程あっさり矛を収め、静かに席についたことだった。ただし、こっちまで聞こえる舌打ちをしてな。
「瑞穂君、自分の席に座って下さい」
やっと教師が声を発した。お前! これはお前の役目だろ!
神門が小声で話しかけてくる。
「彼は内部生で中等部から葵の親衛隊だよ」
「親衛隊?」
「そ、葵はあんなだから、結構ファンが多いんだ」
「へー、あんなMっ子なのに」
「それは政治の前だからだよ。あれでいて相当キレ者なんだよ」
「じゃそのキレ者の面倒をみてる神門はどうなんだよ」
「あれは葵の謙遜だよ」
「そうですかね」
「それより政治、自分の立場分かってる? 脇が甘すぎだよ。注意してね。おっとこっちも先生に注意されそうだ」
神門はすんと澄まして、何事もなかったように前を見た。こちらに向かっていた先生の視線がテキストに落ち、授業が続けられる。
立場? 脇が甘い? 注意? なんで俺が注意しなきゃならないの? こいつもこいつで何を考えているのか分からない。
退屈な授業が続く。
ハムラビ法典なんて、どうでもいい事が黒板に書かれていく。歴史は現代から始めるべきだ。三千年も前より重要なのは今だろ。過去なんて未来を縛る枷でしかないのに。
2時間目は数学。小学校の頃から数字は苦手だ。自慢じゃないが小学三年まで九々が言えなかった俺である。落ちこぼれないようにしないと。
にしても、お爺ちゃん先生はテンポが遅くて退屈。全体的に教師の高齢化が進んでいるこの学園の授業は、退屈なものが多い。レベルが落ちたとえはいえ歴史のある学校だ。もう少し活きのいい教師がいてもいいのに。担任も、この学校には相応しくない○暴っぽい奴だし。
休み時間に新田原が絡んでくるかと思ったが、睨むばかりで何もしてこなかった。
私恨はあれど、葵様の手前、手は出せぬと言ったところか。或いは、神門が抑止力になっているのか。いずれにせよ、拍子とはいえ俺自身が虎の威を借りる状態になってしまったのは、苦々しいばかりだ。これだけは、男として新田原に済まないと思う。
昼休み。
お昼は食堂で食べるなり、弁当を持参するなり、自由に取ってもいいのが、この学園の決まりである。食事をする場所も、屋上でも木陰のベンチでも中庭でも、もちろん教室でもどこでもいい。
「中等部は給食だったんだよ。マナーを教えるために時々、懐石とかフルコースがあったけど」
神門が教えてくれる。
「まじ!? それ給食じゃねーよ。給食ってのは、もっとこう、安い食材で大量生産されて、米もパールライスとかで、栄養のバランスを考えるあまりシャケとパンが出たりするんだよ、それにも関わらず男子が競っておかわりしてな」
俺が熱く給食のなんたるかを説明しても、「ふーん、そうなんだ」と神門の返事はそっけない。いや、熱く説明している俺がバカに見えるでしょ。
「ちょっと神門さん、リアクション薄いんですけど」
「だってそんなの食べたことないからねー。おかわりって意味わからないけど、中等部までは殆ど外部生が居ないから、むしろ政治の云う方がおかしく聞こえるよ」
「確かに給食がおかしいのは認めるが、お前も十分おかしいからっ! これに関しては同年代のほぼ100%が俺の味方だ」
「でもシャケとパンはないよ。子供の頃からちゃんとしたもの食べた方がいいよ。味覚は5歳くらいで決まっちゃうんだってさ」
「じゃ小学生は手遅れじゃねーか!」
「あはは、そうだね~」
あはは、じゃねーよ。しかし、こりゃ思った以上のこの学園は普通と違うらしいぞ。適当に決めちまって全然調べてねーから、折を見て物知りの神門から、いろいろ聞いておこうっと。
「ところで政治は、お昼はどうするの?」
「ああ、今日は食堂に行こうかと思ってるけど」
「僕と一緒だね。じゃ行こうか」と華やかな笑顔で食事に誘ってくれた。その笑顔は女子に使いなさいね。俺に使っても無駄だから。
「神門さ、中学の時モテたろ。その笑顔はさつ、うわっ!」
「おお瑞穂! やっと来たか」
扉を外に! 先輩が!
待ち伏せしているなんて、油断したわっ!
「先輩! なんでここに!? 待ってたんですか? なら、呼んでくれればいいのに」
「うむ、だがこの時間に呼び出すと、いかにもな感があるんでな」
「いかにも?」
言葉尻がよく聞き取れなかったが、何をモジモジしているのだろう。
「いや、何でもない。あくまで生徒会の引き継ぎの件で、お前に会いに来たのだ」
「はぁ、分かりますが……」
「そうだな、理解が早くてなによりだ」
「それで、どの引き継ぎの件ですか?」
「あ、うん、そうだな……」
なに複雑な表情してんだ? ここじゃ説明が難しい件かな? センシティブな部室配置の件とか。
「その、だな……」
ん? どうした? 先輩、度忘れしちゃった? 俺の顔をじっと見つめて。
「……」
「……」
「あの~僕もいるんだけど、もしかして僕はインビジブルのスキルが覚醒しちゃったかな」
「す、すまない神門!」
慌てて謝る先輩。
「いいよ。政治は鈍感だから葵は覚悟を決めた方がいいよ」
は? なんのこと?
「神門、俺、今、先輩と生徒会の話してんだけど」
「ふー、はいはい、じゃ食堂に行こうか二人とも」
「何だよ」
食堂は一階、体育館とは反対側にある。
入口に立つと、中は開口の明るい開放的な作りで、窓際にはテラス席もあってオシャレ。
そのテラスは庭園に面しており、折り畳みのガラスを開け放つと、外と一体になるそうだ。初夏の頃は人気の席で、真っ先に一杯になるんだって。たしかにこれは、ちょっとしたカフェ気分。
学食のメニューは日替わりだ。食育をテーマに掲げており、若いうちから味覚を育てるために、本物にこだわっているのだそうだ。さっき神門が言っていたのは本当らしい。
環境も意識しており、地産地消を推奨している。こんな都会で野菜なんて採れるのかと思ったが、食堂の入り口には、今日取れた食材が木箱に詰められ、飾り付けのように置かれている。
まだ泥のついた、じゃがいもと人参からは土の匂い。葉物野菜はまだシャンとしており、パリっと折れば、その身に蓄えられた瑞々しい息吹が弾け飛びそうだ。
さて、じゃがいもと人参といえばカレーである。うむ、好きなメニューだ。だが生徒には不人気だそうだ。
「なんで?」
「制服が白だろ、カレーが撥ねると目立つからさ」
「特に女子からは不人気だな」
「確かに。じゃ上着を脱げばいんじゃね?」
「それは桐花の発想じゃないね」
「うむ、特に女子なら品性が疑われるな」
すまんね。品がなくて。
「それでも俺は食う!」
その頑是ない態度をみて、二人は肩をすくめて苦笑いだ。
二人から離れてカレーの列に並ぶと、遠くの二人が何か睦まじく話しているのが見える。読唇術で読んでみると、
神門「しょうがないね」
先輩「やっぱり政治だな」
と言ってるっぽい。そうだよ、俺らしいだろ。
かなり美人比率の高い学校ではあるが、食堂の店員はおばちゃんであった。そのおばちゃんが威勢よく「大盛りにするかい」と聞く。躊躇っていると、「タダだよ」と親切に教えてくれた。
先ほどは失礼。気配りの素敵なご婦人でした。
タダと聞いて、いわずもがな大盛りにしてもらった。同じ金額で量が増えるなんてスバラシイじゃないか!
席に戻ると二人は既に着席していた、だがテーブルには何もない。
「あれ、何も食わないの?」
「ん? オーダーしてきたぞ」
「だって、何もないじゃん」
「まだ来てないからな」
「えっ何、どういうこと。もしかして運んでくるってこと?」
「まぁ、そうだな」
「何それ~、先に言ってよ~」
じゃ、おばちゃんからカレーを奪い取って持ってきたオレって。
だが周りを見てみると、持って来ている人もいれば、手ぶらで席に戻ってくる人もいる。なんだ、お願いすれば配膳を頼めるってことか。
「ごめん、ごめん、後で説明するよ」
「神門だって、こないだまで中等部じゃん、なんでそんなの知ってんだよ」
「えへへ、ひ・み・つ」
一瞬、真顔で話した神門だったが、次の瞬間には、はぐらかすようにいつもの顔に戻っていた。
『ひ・み・つ』なんて、男からも女からも一度も言われたことないから、ドキっとしたよ。その慌てっぷりが先輩からも見えたのだろう。「神門、政治を籠絡するのはやめてくれないか」と釘が。
「籠絡されてません!」
「僕もしてないよ、葵は気にし過ぎだよ」
そんなこともないぞ。キミが無意識に放った『ひ・み・つ』攻撃の流れ弾に、周りの女の子がやられてるよ。止まった手に握られたスプーンから、スープがダラダラこぼれている。こりゃ末恐ろしい子だ。
チラチラ俺達を見る視線と小声のつぶやきを感じつつつ暫く待つと、テーブルに得体のしれない美食感溢れる料理が運ばれてきた。
「なにそれ!?」
「じゃがいもの冷製スープビシソワーズとイベリコ豚のカルピオーネ」
はい? カタカナ過ぎて訳わかんない。味が想像できない。それに庶民の代表選手カレーとでは、見た目で大敗。
この差はいったい……。いや、カレーは好き。好きではあるけど。
「どうした政治、しょげているように見えるが」
「……二人の裏切りに心が折れました」
「何が?」
料理を見比べる。
「ああ、これか。カロリーを考えたらこうなったのだ」
「僕は単純においしそうだったからだよ。政治だってそうじゃない。自分の食べたいものを頼んだんだから」
「いや値段もある。むしろ価格だ! それは幾らだ!」
「二つで1、000円だったかな」
「カレーは400円だ!」
「いいではないか、叶うなら私もカレーを食べたかったぞ」
「そういいながら、欧州風情あふれるものを頼んでるじゃないですか。なら葵先輩もカレーにしてくださいよ」
「いや、カレーは、はねたら大変だろ……」
先輩の表情が、みるみる明るくなる。
「政治、いま私のことを何て呼んだ?」
「え、覚えてないですよ」
「名前で呼んだな」
「そうでしたか」
「そうだ。そうか、そうか、うんうん」
そんな嬉々としなくても。
「この料理が気になるなら、私のも食べていいぞ」
「いいですよ。いつか自力で食べますから」
「そう言うな、政治っ」
神門がうふふと笑っている。それが、あまりにかわいいので直視できず、目そらしてしまう。男子の制服を来てなかったら間違ってナンパしそうで怖い。
この美的感覚は、俺だけではないらしい。神門の前の席に座る女の子が、笑顔の流れ弾に当たって、あんぐり口を開けている。
見えてるよ! 口の中のパンが。閉めて口!
いろんな意味で、この二人と一緒にいると劣等感を感じます。あと周囲の嫉妬の視線も感じます。
朝の大立ち回りは、先輩にはナイショだったが、吉田の耳にはしっかり入っており、放課後、俺は職員室に呼び出された。
あの風貌だ、一発ぶん殴られるかと思ったが、なんのことはなく「ちっとは、我慢しろや。ガキじゃあるめーしよ」と、ヤクザな口調で注意されただけだった。
案外、いい奴なのか吉田。それとも俺の感覚がズレてるのか? 田舎のハマっ子は、悪さをすると近所のおっさんにぶっ飛ばされるのだが。
それも小学の頃の話だけどね。