3章-9
ヨミ先輩は快調にぶっ飛ばし、ストレートのみの三球三振で三人を打ち取った。
あっという間にチェンジ。
ここからの『教師連合』がズルい。
確かにクラスの生徒と交代してもいいと言ったけど、どんだけメンバーを変えるんだ。
どいつもこいつも1打順回ったら、「腰を痛めた」とか「肩が痛い」とか理由をつけて、自分のクラスの男子と交代していく。
でも観客のブーイングは起こらない。
もはや教師が相手にならないのは明白で、観客は男子との試合ならどうなるのか、見てみたくなっているようだった。
ヨミ先輩は、9人の教師を全員三振で打ち取ったので、4回からからは、ヴァーレンズ対男子学生チームになってしまった。
この状況に、応援団の熱は更に高まる。
流石に体力では圧倒的な差がある男子相手だ。どうするヨミ先輩。
マウンドでは選手が集まって相談している。ヨミ先輩がなにかを話して、皆がうんうん頷いている。
横の奴のスマホを覗いて、実況を聞いてみると、
「凄い展開になってきましたね。30分前には誰も想像していなかった事態です」
「実力的にも圧倒的でしたからね」
「ええ、益込選手のピッチングはどう見ますか」
「柔らかい体を活かした理想的なフォームだと思います。女子は筋力で劣りますから、全身の体重をボールに乗せるこのフォームは理にかなってますね」
「コーチとかいたんでしょうか?」
「さあ分かりませんが、フォームが安定してますからかなり投げ込んでるのではないでしょうか。もっとも全身を使うので体力が続くか」
「そうですね」
なんて知ったようなことを言い続けている。
そうこうしているうちに相談は終わり、選手がそれぞれの持ち場に戻る。
ヨミ先輩は厳しい顔をして、マウンドに一人残った。ここからが本番という所だろう。
さて、どうなるものか。
マウンドの土を馴らし、投手板に足をかける。
そして全身の力と体重をボールに込めるように、1球を放った。
名も知らぬ男子生徒は、あえて外したところでバットを振りタイミングを合わせる。
むむむ、タイミングは合ってる。やばいぞ。
やっぱり120キロくらいだと、高校生だと打てるからなぁ。コントロールで逃げるしかないか、あとはキャッチャーのリードでどのくらい揺さぶれるか。
2球目は、ストレートで攻める。だがついにバットに当たる。軽いカンと音を出しファールになったボールは、高々とキャッチャーの真上に上がっていく。
それをしっかりキャッチして1アウト。
ほっと一息をつく先輩。観客も緊張がふっと抜けて安堵の声援がこだまする。
二人目だ。坊主頭の腕の太い男子生徒がバッターボックスに立つ。体重でみたらヨミ先輩はこの男子の半分くらいだろうな。
素振りは風を切るような鋭いもので、これはちょっとスイートを外れてもホームランになりそうなパワフルさだ。
どうする?
ヨミ先輩はキャッチャーとサインのやりとりをして、コクと一つ頷いた。
投球フォームに入り足が上がる。こっちも、「ふんっ」と力が入るほどの力投。
バッターは、そのボールにタイミングを合わせて、思いっきりスイングする。
ちょっと離れたところにいる、俺にもブンと音が聞こえるほどの強打。
……ではなく空振り。
「ありゃ」
と思っていたら、スマホの解説が叫んでいる。
「シュート! シュートです! 変化球だぁ!!!!」
「すげ……ぇなぁ」
解説の野球部部長が絶句している。
俺の所からだと良く見えなかったが、どうやら変化球を投げたらしい。
そういえば、お前の取れない球、投げるぞと言ってた事、あったっけ。そういうことか。悪送球のことじゃなかったんだ。
もっと近くで見たいので、席を立って場所を移す。
カニ歩きに移動しながら周囲を見ると、中継を見てない人たちは何が起こっているのか分からないようで、知っている奴等が、今、何が起ったのかを教えながら観戦をしていた。
野球を知らない女子なんかは、さっぱり凄さが分からないようで「えー、そうなんだー。それって凄いの~」なんて、のほほん口調。
夏の甲子園をTVで観ると、最近の高校球児は普通に変化球を投げてるイメージだが、ありゃ素人が投げてコントロールが取れるもんじゃない!
それは当然バッターも実感しているわけで、腕に覚えアリといった風の剛腕バッターも苦虫をつぶした顔をしている。
次の投球は、内角ギリギリを狙うストレート。声援を送る女の子から「きゃっ!」という声が上がる。ぶつかると思ったのだろう。
だが、あのくらいのコントロールはヨミ先輩には朝飯前だ。
1球、100キロ台の遅めの球でタイミングを外して、最後は低めのストレートで打ち取った。
「キャー、キャー」という女の子の歓声。
男性陣はヨミ先輩の実力に脱帽しているようで、ごくりと唾を飲むばかりで声が出ない。
スゲーな。すげーよ。超すげーよヨミ先輩!!!
次にバッターボックスに入ったのは、俺と同じくらいの体格の選手。
きっとこいつも野球には、一方ならぬ自信があるのだろう。
ヨミ先輩は四回表にあって、まだ一人もランナーを出していない。女子のエキシビションマッチは7回制だから、あと三回押さえれば完全試合である。
それはもう折り返し地点まで来ている。
だが、変化球投手だと分かってしまったので、相手も出方を変えてくるはずだ。
さて野球部監督はどんな作戦を授けたのだろうか。
その作戦は初球で分かった、いや初球のモーション中に分かった。
バントできやがった!
これには、やばいと思ったに違いない。
「コン」とうまく力を殺した打球は、ころころとホームベースとマウンドの中間あたりに落ちて行く、どっちが取るか一瞬躊躇したように見えたが、距離的にはピッチャーが拾いに行く位置だ。
ヨミ先輩は全身を使ったモーションから体を起こして、急いでボールに駆け寄るが、やっぱり足が遅い。
一方、バントをした選手はやたら足が速かった。
ヨミ先輩がボールを掴んで一塁送球しようとしたときには、既にベースは踏まれたあと。
ズルくないけど、なんか汚くないか、オイ!
「おまえ、全力で走りやがったな!」
席をぬいぬい、ちょうど1塁側まで移動してきた俺が、うっかり声を上げてしまったのをヨミ先輩は聞いていた。
「瑞穂! いい! 試合なんだ、当たり前だっ!」
ヨミ先輩の高くて張りのある声が、俺に付き刺さる。
その通りなんだが、女子相手に男が全力なんてズルいじゃないか。
ヨミ先輩は、そのままクルっと背を向けてマウンドに向かった。完全試合は断たれた。
マウンドに全員が集まる。作戦会議だろう。たぶんあいつは走る。そして女の肩では刺せない。
逆に打たせて取る方に切り替えるか。けど、ピッチャーでもっているチームかも知れないので、それはリスキーだ。
ヨミ先輩にタッチしながら笑顔で話していたメンバーが、各々のポジションにばらけていく。
それを見送るマウンドのヨミ先輩は、ぐるっとライトからレフトを見渡して大きく手を広げた。
「おーっ」
掛け声以上にその顔は得も知れぬ充実感に満ちていて……。投手板を踏む前に、ちらっと俺の方を見て一瞬微笑んだのが印象的だった。
もしかしたら、こういう緊張感に飢えていたのかもしれない。この人は。
1球、外し球を投げる。バントがないか牽制のためだろう。解説も同じことを言ってる。
2球目はシュート。ほとんどストレートと速度差がないので、見分けがつかない。
3球目はストレート。これはファールになる。
4球目は外角に外して、5球目は逆に内角に振る。バッターはこれを振ってファール。
キャッチャーのリードもなかなかよい。
6球目は渾身のストレートだった。今日最速の125キロを出している。
会場からため息が漏れた。多分このため息を出した奴は女子野球を知っている奴だろう。そうそう出せる速度じゃない。推薦でどこかの野球クラブに入ってもいいくらいだ。
だがこれはいい音を出して弾き返された! 左中間に飛んでいく打球。
取れるか!!
ヨミ先輩も、おもいっきり首を捻って打球の軌跡を追う。
だが運がいいことにセンターの守備は深かった。
走れ!! 取れる!!
手に汗握る中、センターがボールを追いかけ、ジャンプして飛び込むようにボールに滑り込む。
はたしてボールは……
入ってる!
審判が手を上げてアウトを宣言している。
「ひゃー、緊張するわ」
ソフトボールに比べて高く打球が上がるので、不慣れだと思うが良く取った。ナイスガッツだ。あの子は誰なんだろう、知ならない子。ナイスプレー!!!
だが、走者が2塁を蹴ってるぞ! っておいおい、気づいてるの!?
「奈緒ーー! 投げてーーーっ!」
スゲー大声がサードから聞こえてくる。
センターの奈緒ちゃんが、急いで立ち上がり三塁に送球。
うわ~、肩弱っ。
走者は三塁に止まったけど、こりゃワンアウトだったら犠牲フライもあえるパターンだ。
ヨミ先輩は「ドンマイ、全然オッケー、先輩ありがとうございます!」と帽子を取って頭を下げていた。
どうやら奈緒ちゃんは、三年の先輩らしい。
いろいろ問題のあるチームだと見えてきた。
ヨミ先輩は超活躍しているけど、鈍足で体力も不安がある。
外野は外野なのに肩が弱い。
バッターは2回の途中に、男子生徒のピッチャーに代わってから、まったく打ててない。
まさかの1点勝負の投手戦になるんじゃないだろうか。
次のバッターは4番。ここが山かもしれない。
でも、時々見えるヨミ先輩の顔は楽しそうだった。ここからでも汗に光る顏が輝いて見える。楽しいんだろう。何年ぶりかのリアル野球は。
サインを確認してモーションに入る。この打者はいかにも打ちそうなオーラを持っていた。
被せてくるような打撃フォームで、投手を睨みつけている。スタンスが広く安定感がある。素振りもスムースで、腰がよく回っている。
ここは押さえてくれよヨミ先輩。
初球は内角の高めで起こしてくる。いや、よくあそこに投げ込めるね。俺なら怖くて投げられないよ。
相手は軽く身を起こして避けるが、また被せてくる。
もう1球、同じようなコースに。今回は更にインに斬り込んでくる。
それをのけ反るように避ける。
「あっ!」俺の横に座る女子が、両手で覆った指の隙間から、そのシーンを見て小さく声を上げた。
生の野球であのギリギリコースは、つい当たったことを想像して怖くなる。
顔を覆いたくなる気持ちは、俺にも良くわかった。
会場はラッパの応援こそあれ、息を飲む集中した雰囲気に包まれていた。だれもが二人の勝負に見入っている。
3球目、真ん中からググッと曲がるシュート。それを打者はファールにする。
このあと、シュートのファールが4球続く。
ヨミ先輩の息が荒くなってきた。肩が上下に揺れている。
熱くなったのかもしれない。ヨミ先輩は、額の汗を手の甲で拭うと、ジャージの上着を脱いでマウンドの横にポイと捨てた。
ん? あれれ、タイムがかからないぞ。
ちょっと、それ置いたまま進めちゃうの?
どうも、ヴァーレンズのベンチは、皆、ヨミ先輩に集中しちゃって、それどこじゃないのかもしれない。
「もう!」
しょうがないので、かぶり付きで観戦していた俺がグラウンドに飛び込んでジャージを拾いにいく。
1塁側の仕切り線を越えて、米星監督と審判に「タイム、タイム」と言って、マウンドに向かう。
先輩は、こっちを振り向いてジャージを取りに来たのが俺だったことに、少々驚いているようだった。
近づくと「瑞穂」と、はぁはぁ息を切らせて名前を呼んだ。
「だいぶバテてますね」
「ああ、飛ばし過ぎた。楽しすぎて」
「バカですね」
ジャージを拾いながら、いつもの二人の会話が交わされる。
「バカになるくらい楽しい」
言葉は要らないと思ったので、俺は先輩の目をみて笑った。
先輩も玉の汗を腕で拭って笑った。
俺達は、何の意思疎通もなかったが、ゲンコツとゲンコツを、ゴツンっと合わせてお互いうなずいてマウンドを別れた。
あとあと考えると、なんでそんな紛らわしいことをしたんだと思う。
だが、あの時はヨミ先輩があまりに美しくて、俺はそうしたい気持ちを止められなかったのだ。
グラウンドがざわめいているが、そんなの関係なくヨミ先輩は大きく振りかぶって、次の投球モーションに入った。
「ブンッ」
バットが空をきった。
呆気にとられるバッター。
周りじゅうのスマホから、「うわぁー、落ちたーーー!!! 落ちる球だーーー」の大声が漏れてきた。
たぶんあれはチェンジアップだったと思う。ミットが地面に着くほどの高低さ。
まったく凄い人だ。ホントに脱帽だよ。