3章-6
俺のバスケ第三試合は苦戦していた。
ベストエイトが決まるこの試合には、クラスのほとんどが応援に来ている。コートサイドは、双方やいのやいの大賑わい。上がる歓声は途切れることがなく、ゴールが決まるたびに「うわー!!」の喝采が右から左からステレオで届く。まさに熱狂空間となっていた。
それもそのはず、試合は開始早々、激しいシーソーゲームになったからだ。
敵は連携のとれた五人で攻めてくる。パスが早い。パスからシュートの間が短い。そして良く動く。
こっちも負けていない、鳴川が走る。ケビンが拾う。山縣もパスを通す。四人はフルで動いている。
四人。
そう、つまり一人イマイチ動けてない奴がいる。
誰だ!
俺だ!
ひとえに俺のせいなのだーーー! なんとなく走り回っているが、明らかに戦力になってねー。それは俺自身がよーく分かってる。
何もしてねー、何も出来ねー! あーもう、どうする!
得点も30-34で離されつつある。
もう、ハーフパニックだよ。
「タイム、タイムだ!」
見かねた鳴川がゲームを止め、俺達をゴール下に集めた。
はぁはぁと荒い息を、ごくっと飲んで鳴川が言う。
「瑞穂、分かってるよな」
「ああ……」
その次の言葉は、誰もが想像した通りだ。
「お前が活躍しないと勝てない」
鳴川の言うとおりだった。5対4で五分なんだ。なら俺がちょっと動くだけで試合は傾く。
動き過ぎている広瀬も、両手を膝について支えていた体を起こし、俺に厳しい視線を寄こした。
「ポジションが悪いんだ、お前は! お前のせいでディフェンスが!」
「ちょっとまってくれ!」
それを遮ったのは山縣。
「瑞穂には、目を見ろと言ってる。目が合ったらパスが来ると。こいつはポジションが悪いからマークが緩い。シュートが打てると思ったら瑞穂の目を見てパスを出せば、そしたらコイツは打つから」
「そうなのか」
鳴川の真剣な眼差しが俺を問う。
「さっき、そう話した。俺はチームプレイは苦手だから、それだけやれと」
「ダイジョウブ? ホントに」
ケビンにも心配されてるし。だが俺の言えることはコレだけだ。
「一度試してくれ。このままじゃジリ貧だ。使えそうだと思ったら」
鳴川は、ちょっと考えて「分かった」と答えたが、まだ表情には明らかな不審が残っていた。
ここまで一度もボールを触ってない奴を、今更、信じろだなんて。
「ピー」と鋭いホイッスルが、タイムの終了を告げる。
俺達は手を合わせて、「おーーー!」と気合を入れるや、ポジションに走り戻った。
その気勢に合わせるように、クラスの応援団も「うぉーーー」と大盛り上がりに盛り上がる。
この応援に応えたい。
それには、残り5分で逆転して逃げ切るしかねーんだ。
勝つ! 俺達は勝つ!
敵からのスロー。
向こうのポイントガードがドリブルで来る。そしてバウンドパスでスリーポイントラインに滑り込んだ仲間にパスを通す。
そのままシュートというところで、ケビンが長身を活かしてガードする。
ぽろっと落ちたボールをはしっこくも山縣が拾う。
「走れー!」
その声に俺を含め四人が一気に走った。当然、敵も走る。
山縣は一拍おいて、鳴川に足の長いパスを通した。鳴川はそれをジャンプして片手で受け、シュート……するには距離がある。
着地して、1歩、2歩、ゴールまで詰めたところで、敵のディフェンスがマークに入る。
打てない!
打てないが、こっちもまだいいポジションが取れていない。俺もまだ、スリーポイントラインの外だ。
その時だ!
……目が合った。鳴川の光る目が。
奴はキッとシューズを鳴らすと、間髪入れずに体をこちらに向け、えらく早いチェストパスを出した。
来た!
取れなかったら突き指必死だな。こりゃ。
だが、そのボールは俺の手にすぽっと納まる。頭をよぎるのは山縣の一言。
『パスが来たらシュートしろ。簡単なお仕事だ』
最初がいきなりスリーポイントかよ。
だが、この距離ならやれる。ノーガードだ。
しっかり狙って、ふわっとシュートを放つ。
弧を描くボールのつなぎ目が、ゆっくり右に回転しているのが良く見えた。
打った瞬間に分かった。これは入ったと。
歓声はあったと思うが、俺の耳にはザパッっというネットを揺らす音だけがハッキリと聞こえた。
直後、「うおーー!」と「キャー」が入り混じった歓声が聞こえ、そして遅れて久しぶりにボールを触った感触が、じんわり手に伝わってきた。
「みずほーーー!!」
珍しい! 鳴川の歓喜の声だ。やたら興奮したように俺の頭にデカい手をがばりと乗せて、ごりごり回しまくる。
他の奴等も駆け寄ってきて、それぞれに俺の背中や腹をゴツゴツと拳で付く。
「うおっし! 逆転だーーー!!! 逃げ切るぞーーー!」
鳴川がひっくり返った声で、喝を飛ばす。
「Yeah!!! マグレじゃないネ!」
ケビンが両手の人指し指を俺につき出して、奇声でそれに答えた。
「やればできるじゃねーか」
「やればできる子なんだよ、俺は」
「うるせー」山縣が思いっきり俺のケツを叩いた。
「勝つぞ!」
「おうっ!」
作戦の組み立てに一人加わった俺達のチームは、攻撃のバラエティが一気に広がり、鳴川はこの選択肢を実にうまく活用した。
ディフェンスが固くて、シュートが打てないときは、パスか斬り込むか、後ろから打つか、どれに出るかを選べる。
俺も、攻めあぐねている時はボールを持っているヤツの目を見るようにした。
キツイ局面では視線が通るところに動くと、確実に俺のところにパスが来る。
チームの奴らは俺のスキルを知ってるので、マークが無いときしかパスは来ない。
ということは、俺は常にノーマークでシュートが出来る。
俺にパスが来ると、必ずケビンが走る。
これが実にうまく回った。
ゲームセットまでに、俺は5本のシュートを打って、3本を決めた。
ケビンがリバウンドを取っているので、点数としては13点取れた計算になる。
そして勝敗は……。
辛勝!
いやー、危なかった。4点差だよ。
あぶね、あぶね。でも少しはチームに貢献できてよかった。
ゲームセットのホイッスルが鳴ると、鳴川を初めチームの奴らと、応援席にいたクラスの男子どもがわらわら俺の周りに集まってきた。
「おらっ、瑞穂! やれるんならとっとと活躍しろ!」
「ハラハラさせんじゃねーよ」
誰か分からないが、俺を押し倒しては、バシバシ叩くは蹴るわ足蹴にするわ、これは祝福じゃねー、イジメだ!
「やめろ、やめれー!!」
頭をガードしていた腕を離すと、白い歯を見せて嬉しさを爆発させる仲間の姿があった。
「どうだ、どうだ。やれば出来る子の仕事はよー!!!」
誰も聞いちゃいないが、どうでもいい。祝福されてんだから!
よしよし、ちょっと俺を敵認定している阿達に仕返しに行こう。
応援席を見ると、おお、いたいたちゃんと応援に来てるじゃないか。
「阿達さん、調子はどう?」
「おかげさまで、勝ち残ってますわよ」
「阿達さんも、頑張ってるね」
「おかげさまで。瑞穂さんも」
「おかげさまで。バトミントンは経験があるの?」
「たしなみ程度ですわ。瑞穂さんもバスケットボールのご経験がおありで?」
「たしなみ程度で」
「ところで水分さんは、二回戦で敗退されたようですわね」
「ああ、あいつは腕も根性もあるけど、体力がねーし。なにせ、お嬢様だからな」
阿達さんの頬がぴくっと動く。
「それは偏見ではなくて、瑞穂さん」
「おっと失礼、お嬢様でも武闘派の人もいるかもしれないしね」
「瑞穂さん……」
口元が引きつってるように見えたので、そろそろおいとましよう。
「失礼、ちょっと水分の激励に行ってくるよ」
振り向くと、阿達さんの背中は怨嗟に震えているようだった。俺を敵認定するからだよ。震えて後悔するがいい。
さて、水分はと。
……寝てた。
この大騒ぎの応援の中で。
佳子彌子コンビの間に挟まって、たしか彌子さんだったっけ? の方に寄りかかっている。
二人に小声で聞いてみた。
「寝てるの?」
「ええ、本当にギリギリまで頑張られましたから」
どれどれと顔を見ると「女性の寝顔を伺うなんて、失礼ですわ」といいつつも、動けない二人はどうすこともできない。
「見るなといわれてもねー、タオルでも顔に掛けておく?」
「バカをお云いなさい」
「縁起でもないことを」
「じゃ起こす?」
「やめてください。お疲れなんですよ」
どうしようか水分の寝顔を見ながら考える。
汗でしっとりした髪が軽く頬に掛かっている。無防備な口元が軽く開いていて、静かであれば寝息が聞こえてそうだ。
じっくり見たことなかったが、こんなに睫毛が長かっただろうか。
親友にもたれて傾げた首は、こんなに細かっただろうか。
普段がしっかりしているので、足こそ斜めに揃えているが、しどけなく垂れた腕が何とも魅力的に見えてしまう。
「じろじろ見ないでください」
「ごめん、ごめん。でも、ここで寝る訳にもいかないでしょ。どうしようかと思って。次のクラスの試合もあるし」
佳子さんと彌子さんが顔を見合わせる。多分二人もそう思っていたのだろう。
「俺、運ぼうか? そこから出たら、目の前が救護テントだから」
「だ、ダメです!」
「なんで?」
「色々な意味で誤解されます。それに宇加様の名誉が」
「なんで? 疲れて倒れちゃったから?」
「そうではありません! アナタには、その色々と女性の噂があるのに」
「え、マジ!?」
やべ、ドキドキしてきちゃったよ。そんな噂があったのか。確かに生徒会関係で、先輩とかヨミ先輩とか接点は近かったけど。
「いや、何もないから。そ、それより運んじゃうよ。もう次の試合だし」
「わ、わかりました。私達も一緒に行きます」
「そうして、誤解されたくないし」
二人はそっと体を動かして俺が運べるように隙間を作ってくれた。おんぶをしようと思ったら、「バカ! 変なところ触るつもりでしょ! お姫様だっこにしなさい」と怒られたので、足と背中に手をいれてそっと持ち上げる。
人ひとりなので結構な重さと想像し、かなり力をいれたが、あれれと思う程、軽々と上がってしまった。
「軽っ!」
「バカ! そんなの確認しないの!」
また怒られてしまう。
「だってさ、想像よりめちゃめちゃ軽いんだぜ。40キロないんじゃないの」
「な、何を言ってるんですか。本当に怒りますよ!」
もう十分怒ってるだろって。
そのまま運ぶと首ががっくり落ちてしまうので、肘を上げ目にして水分の顔を俺の胸元に当てて運び上げる。
こんなに細いのに、しっかりと背中や肩、ふとももにある軟らかな感触に、煩悩を刺激されながら、水分を起こさないように、ゆっくりと運ぶ。
周りがどうした、どうしたと騒がしいが佳子さん、彌子さんが「なんでもありません。ご安心ください」と当たり構わず、頭を下げまくってる。
いい友達をもったよ。宇加様。
幸いテントまでは距離が近いので、体育館横の扉から上履きのまま外に出て、くったりする彼女を救護ベッドに横たえた。
「アナタはもう用済みです。早く出て行ってください」
「用済みはねーだろ」
「私達が監視してますから、手出しはさせませんけど、いつ寝込みを襲われるかわかりませんから」
「しねーよ、生徒会長でそんなことしたら退学になるって」
「もう、アナタの世話になるなんて」
「まぁ逆にいいんじゃねーの。仕事で対応しましたって言えるだろ。俺なら。他の男子だったら他意があるように思われるかもしれねーけど」
「……たしかに一理ありますわね。それより、その仕事は、こんなところで油を売っててよいのですか?」
「やべっ! 勝ち試合で浮かれてた! じゃ俺行くから。水分が起きたら、おつかれさん、よく頑張ったと言っといて」
「宇加様です!!!」
じゃーねと手を振ってテントを出る。
もう他の競技も、ぞくぞくとベストエイトが決まっている筈だ。そろそろ、今日の終わりの準備をしなくてはいけない。