2章-36
はっと目覚めたとき見えたのは、口論する二人の先輩だった。
「益込もしつこいな。政治は私が看病すると言っておろう!」
「いいや、オレが怪我させたんだ。面倒を見るのはオレだ!」
「桐花ではオレは禁止だと何度言えば分かる! 益込は部外者だ、生徒会との癒着を疑われると言っているのだ」
「関係ねーだろ。そんなの、看病してたで済む話じゃねーか」
「済まんから言っておる、なんでキャッチボールをしてたかを問われるだろう」
「たまたま、やってたんだよ。なんだよ、葵先輩は、何でそんなに突っかかってくんだよ。先輩だって部外者だろ!」
「私はボランティアでやってる!」
「そんなの、他の奴らが聞いたら言い訳だろ。それこそ瑞穂との関係を疑われるぜ」
「望むところだ」
「何が望むところだよ。じゃ、瑞穂に言ってんのかよ、その、あれを」
「な、なんだ」
「だから、あれだよ」
「ならば益込はどうなのだ。お前の姉が言っていたぞ」
「ねーちゃんが、何を?」
「だから、あれだ、お前があれだと」
なんだか様子を伺い合ってるみたい。
「あれじゃわかんねーよ」
「世美は政治の事が、す、す……と」
語尾が小さくて良く聞こえないんですが。
「ねーちゃんめ、くそ! 余計な事を」
「だが、だがな、それはダメだ。報道機関と生徒会だ。一線を越えてはならんからな」
「うわ、きったねー。そこでもってくるかよ。葵先輩だって辞任してんのに瑞穂に近づけないだろ」
「うっ」
さらに様子を伺い合ってるみたい。視線を全く外さず、にらみ合う二人。
「相談だが、お互い組織の利害を超えて、純粋な気持ちでというのはナシか」
「はじめっからそう言えばいいんだよ! 変なことを言ってゴマかすから」
「誤魔化しておらん!」
「じゃ、どうなんよ。瑞穂のこと、どう思ってんだよ」
「そ、それは。それは益込に言う義理はない」
「じゃオレも言わない」
「そうか。なにも思っておらんのなら、政治には手を出さないということでよいな」
「ちょーっとまてー! おかしいだろ、それ! すり替えんなよ!」
「ならば、どう思っているのだ、正直に申してみよ」
「瑞穂は、あいつのことは……男子だけど嫌いじゃない」
「なら、私の方が上だ。やはり政治の看病は私がしよう」
「なんだよそれ! だからさっきから言ってるだろ、このコブを作ったのはオレだって、あっ!!!」
「あ!」
俺の頭を指し示すポーズのままに、凝固するヨミ先輩。先輩も「あ!」の口のまま固まっている。
口論に専心するあまり起きてるの気づいてませんでしたね。
「瑞穂!!!!」
こんな高い声って出るんだって、人の可能性を知りました。
「い、い、いつから起きてた」
ちょっと前からです。
二人とも真っ赤になって、お互いにそっぽを向く。
「せ、政治、起きたのなら、一言いえ」
始めて聞いた、先輩のこんな裏声。
「すみません。あまりに二人の口論が激しくて、機を逸しました」
「と、ど、ど、どこから聞いてた?」
「看病はどっちがすると言ってるあたりから」
二人が顔を見合わせている。
「いいだろう」
「ああ、いいぜ」
頷き合ってるんですが、何がいいの? 俺わかんないですけど。
「政治は知らんでいい」
「瑞穂、世の中には知らなくていいことが沢山あんだよ。お前も大きくなったら分かる」
いえ、あなたと一つしか違いませんが。
「そうだ! 瑞穂! てめー、パンツって大声で叫びやがって!」
「え、そ、それですよ! ヨミ先輩があんな短いスカートで全力で投げるからっ」
「アホか! 女をなめんな。スパッツに決まってんだろ」
というと、ヨミ先輩は立ち上がってスカートを、ちらっとたくし上げた。
筋肉の上のうっすら脂肪が乗ったアスリートな太ももの上には、黒のスパッツが。
確かに俺が見たのはソレです。
「だいたい、黒のパンツなんか履ねーよ」
先輩が、頬を紅潮させて、ふっと視線を外す。
それをヨミ先輩は見逃さない。さすが報道関係者。勘が鋭い。
「おや~、もしかして葵先輩、今日は黒の下着ですか。高校三年生は大胆ですね~。夏なのに~」
「違う……」
「じゃ何で目を逸らすんですか~」
「何でもない」
うわー、ねーちゃんにそっくりだ。こういう詰め方。
「そうですか、瑞穂は黒が好きなんだ~」
「俺?」
「政治は関係ない」
「瑞穂は何色が好きなんだよ」
「え、言うの?」
「言えよ! 言わねーと、オレのパンツ見ようとして頭でボールとったって書くぞ」
「それパーツは合ってますけど、中身全然違いますよ!」
「うっせ、スパッツだろうと何だろうと、見たのは見たろ! いいから言え!」
「えーと……白、かな。無難に」
「だよね~。おや、葵先輩、なーんか気落ちしてませんか~」
したり顔で先輩をみる。いやもう目がきらっきらだ。
「しておらん、至って平静だ」
「じゃ、今日は何色ですか~」
つつつと目を逸らす先輩。
「……ろ」
「きこえなーい」
「……しろ」
「ほんとですか~、じゃ見せて下さいよ。女同志だったらいいですよね。向こうの部屋で」
「ダメだ! こ、ここには男子もおるのだ。そのような欲情を煽るようなふしだらな行為は健全な高校生としてっ」
「黒の下着つけて、よく言いますよね~」
「ちーがーうー!」
こりゃ確かに先輩の危機だよ。神門。
こんなことしている場合じゃないんだけど。
「じゃ葵先輩、下着は白でいいですから、ちょっとだけ瑞穂と話す時間くれません。決着は、後でつけますから」
「う~」
「頼みまーす。クロイ先輩」
「アオイだ! 分かった5分だ。それ以上は淫らな行為に及んでいるとみなして踏み込むぞ」
「はーい」
先輩は俺を見て軽く頷くと、「世美、悪さはするなよ」と、もう一度、釘を刺して不承不承と部屋を出た。
パタとドアが閉まると、ヨミ先輩が恥ずかしげに頬を赤らる。
「済まなかったな。痛くなかったか?」
「いえ、お気遣いありがとうございます」
言われて始めて、頭の違和感のあるところを触る。
「痛っ!」
「なんだ、いま気づいたのかよ。お前らしいな」
「先輩~、人の頭だと思ってっ」
「ああ、俺の頭じゃねーもん。どこが痛いかなんて知らねーよ」
くししと口に手を当てて、何かを思い出し笑いをしている。
「どうしたんですか?」
「瑞穂の頭にボールが当たっときの事。もう、すぱーんと上に飛んでよ。インフィールドフライだったぜ」
「ひどっ!」
「いやー、危なかったなぁ。硬球だったら死んでたかもしんねーな」
「殺さないでください!」
「あとで裏庭に行ってみな、お前に当ったボールが運よく二階の窓ガラスに当たって割れてるからさ」
酷い話だ。人にパンツ、いやスパッツ見せつけて、そのうえボールを頭にあてて、あまつさえガラスまで割って大笑いしているのだ。
だが、うってかわって大人しやかに言う。
「瑞穂」
「はい」
「ありがとな。オレの事なのに」
ゆっくり俺が横たわる保健室のベットの横に座る。
「野球のことを言ったのはお前が初めてだよ。辛すぎて泣いちゃうから言えなかった」
「俺こそ、ありがとうございます。話してくれて」
「ボールを持つたび思ってた。何でだって。何でこんな事になっちゃったんだって。こんなのオレじゃない、オレじゃないって」
自分の手を見て、自分に言い聞かせるように話す。
「辛かったですね。ずっと心に溜めてきて」
ヨミ先輩は、この言葉を噛みしめていた。やや暫くして
「うん」
そう苦しげにいうと、彼女は口を歪めて押し黙った。
他に言葉はいらなかった。そうして折角奪った時間を、彼女は沈黙という名の白い合間に使った。
「ずずっ」と時より小さく鼻をすって。
「なぁ、瑞穂。前がやろうとしていること、合ってると思う。オレがいうのもなんだけど、諦めないで欲しい。神門に言われたからじゃなくて、オレはオレの意思でお前を応援するよ」
「ありがとうございます。でも、ヨミ先輩はヨミ先輩の信念で、生徒会の事を書いてください」
「ああ、もちろんだ」
ヨミ先輩だから言いたかった事だと思う。諦めちゃった後悔を俺にも味あわせたくなかったに違いない。それを思うと俺も一つ伝えたくなった。
「でも、ちゃんと練習の成果が出てますよ。諦めなければ、きっと」
「それは、オレの思う野球じゃ……」
「ヨミ先輩が思う形じゃないかもしれない。でも、きっと違う形で叶うと思います」
「そうだな。そうなるといいな。瑞穂も」
大きな親子時計が、音もなく時を刻む保健室にて。
部費問題はひとまずの解決を見たが、本質的な問題は、何一つ無くなった訳じゃない。学園破綻の問題は、いつかは全員に真実を突き付けなきゃいけないし、内部生と外部生の格差問題もある。
どちらも、ひとまず元の巣穴に隠れただけだ。
理事会と先輩との間にも、まだひと悶着ありそうだ。
どれもこれも、小手先のやりくりで先に送っただけ。
時間稼ぎが万事において愚策だとは思わないが、また、こいつらは俺の元に戻ってくる。きっと形を変えて、名を変えて。
その時限爆弾がいつ起動するか、俺はこの時知る由もなかった。
2章完