1章-4
急接近する葵に動揺する政治。そこに神門がタイミングをみたように現れる。
神門は葵と幼馴染だった。
葵は政治に、学園を一緒に救って欲しいと懇願する。面倒事は断りたい政治だが、成り行き上、断るに断れず……。
「見せてくれないか」
なに~! 何を、何を見せるの~! 俺~。
耳元に掛かる熱い吐息に、全身から汗が噴き出す。もうダメだと思った次の瞬間、入り口の扉がガチャリと音を立てて勢いよく開いた!
止まる術を持たない分厚い木板は、行き着く所まで行き着くと、ビーィンと体を震わせて、慣性に任せるままに己の定位置に帰ってくる。
その向こうに人影。
「政治! なんで一人で行っちゃうのさ!」
ドアの前に立っているのは、大袈裟に肩で息をする神門。
「葵も酷いよ、僕がいない間に政治を連れて行っちゃうなんて」
「神門!」
先輩は素っ頓狂な声を上げて、慌てて俺の頬から手を引き剥がし、よろけるように後ずさった。何とか平静を装うおうとしているが、行き場を失った手は、顔に行ったり白い制服の裾に行ったり。
一方、神門はこの光景に驚いたかと思えば、僅かに口角を上げて俺達を見ている。いや、観察していると云うべきか。
「お前、いつからそこに」
「え、やだなぁ。今。たった今、着いた所だよ。急いで追いかけて来たんだから。あれ~、それともお邪魔だったかなぁ~」
「へぇー、たった今ね」
絶対嘘だ! 出るタイミング見ていやがったな。今、はっきり理解した。コイツは見た目みたいな友達思いのイイヤツなんかじゃない! 大好きなオモチャをいじくり回して壊すタイプの奴だ。そして『猿蟹合戦』なら猿の方で、『真夏の夜の夢』なら妖精パックを演じる方の奴だ。
「解散したとは言え公務室だ。ノックくらいしろ!」
気を取り戻した先輩が、声を上ずらせながらもジト目で神門を責める。
「何いってんのんさ、そんなこと今まで一度も言った事なかったクセに。あ、もしかして葵、政治にやましい事でもしようとしてたんじゃないの」
「バカを言うな! い、いくらお前でも言っていい事と悪い事があるぞ」
「怪しい~。葵がこうなるときは、大抵、隠し事をしているんだ」
「ない! 断じてない! なんなら政治に聞いてみろ。 私達は清廉潔白だ」
『私達って』、うまく巻き込むよな俺のこと。自分事だから感心してられないけど。
「政治~」
今度は神門が横目で俺を見る。
「ああ、先輩の言うとおり何もなかった、けど」
「けど」
「先輩が大胆だった」
「ほら」
「政治っっ! お前はこういう時も! 私は政治の頭の傷痕を見ようと思ってだな」
「ハイハイ」
前のめりに興奮ぎみに俺を責める先輩の耳が、黒髪越しにも真っ赤々だ。
それより、このいたずら小僧。あっというまに懐に入られた気分だ。会って間もないのに、もう昔からの友達のように俺をからかってくる。独特な雰囲気の持ち主。
「なぁ神門、ちょっと訊いていいか」
「ん?」
「色々あるんだが、何んでここが分かった? そして何でここに来た? どうして先輩と仲いいんだ? お前、何者? 先輩の何なの?」
「えーっと、そんなに一気に質問されても答えられないなぁ」
飄々としてて、テンポ狂うなぁ。
「一つずつでいいから説明しろよ」
「だって政治は生徒会長じゃない、だからここに来たんだよ。そろそろ葵に拉致されるだろうと思ってね」
「拉致とは人聞きの悪い。訂正しろ」
やっと息を整えた先輩が、軽い反撃のジャブを打ち返す。
「じゃ、デート」
「ちっ、違う!」
黄色い声で否定するも、あえなくカウンターでマットに沈む。あらら、先輩がもてあそばれてるぞ。
「じゃなんで、先輩とタメ口なの?」
「幼馴染だもん」
『だもん』って、お前は高校生だろ。男盛りの。そのだもん発言に対して先輩も肯定し、うんうん頷いている。
「神門は私の面倒をよく見てくれる」
「面倒だなんて、確かに葵は僕によく面倒をかけるけどさ」
「そう言うな」
あれ、あれれ、なんか二人の関係がよくわかんない。
ミカドっちの方が先輩の面倒をみてて、でも俺と同い年だよね。面倒って生徒会のことか、それともプライベートの面倒? いや中学の時の話か? 二人とも三本線の肩章にワッペンだから、生粋の桐花生だし。でも中学で一緒なのは一年間だけだろ、その割には距離感近くない? やっぱプライベートか。マンガとかよく見る、家がお隣どうしで神門が一人の時はご飯を作ってもらう的な? いや、面倒を見るのは神門だから逆か。神門が料理? うそ! 想像でもエプロン姿でキッチンに立つ神門が似合いすぎるわ。鼻血が出そう。
「政治、混乱してるね。かわいい~」
「かわいくねーっつーの」
「とにかく僕と葵はそういう関係なの。それに政治も葵に遠慮することないよ」
神門がふわっと俺の横に来て、急に小声になり耳元で囁く。
「葵はああ見えてMだから、イジられるほうが好きなんだよ」
「神門、聞こえているぞ」
「違う? だって僕が葵をやり込めると、恍惚とした表情を浮かべてるじゃない」
「あれは感心しているのだ! お前の狡猾さに!」
「ね、ちょろいでしょ」
「政治に変な事を吹き込むな!!」
「怖い、怖い」
あ! 俺の中で閃くものがあった。このズルさはっしこさは、もしかして、初日の事件は神門の仕業なんじゃない?
「神門、俺のこと先輩に吹き込んだのお前じゃねーの」
「さーね、確かに幼馴染だけど、政治が入学してくるのは僕にも分からなかったからね」
うわ、怪しいわ。こいつ。いつか探り出してやる。
そんなやりとりを交わしている間も、神門は終始、屈託のない笑顔を浮かべ、先輩はやけに満足げな様子だった。
「それより今日の何でここに……」
「そうだ、それだよ!」
神門の言葉で思い出した。俺はここに呼ばれて、どうすればいいんだ。それを聞かなきゃ!
「幕内先輩、それで俺はどうすればよろしいのでしょうか?」
「幕内か……」
先輩が、ちょっと口を尖らせて、ぶすっと呟く。なんで?
「まぁいい。お前の決断が聞きたい。正式に生徒会長になるのか断るのか」
「入学式で任命しておいて」
「矛盾していると分かっているが、私は政治の意思を大事にしたい」
「葵は政治ことが大好きだからねー」
「う、うるさい!」
神門といると、凛としている先輩がどんどん崩れていく。強引で怖い人かと思ったが、そうでもなさそうだ。むしろ、かわいいところがある。
「実際どうだ、会長になってくれるか」
「そう言われましても」
「私もいきなり全てをやれと言っているのではない。実務は私が引き続きやろうと思っている。もっとも生徒会役員ではなくボランティアという形だが」
「どういうことですか?」
「形式上の問題だ。私は辞任しているから、生徒会役員にはなれんのだ」
「辞任!?」
「色々あって、私は罷免される前に辞任したのだ。生徒会もそのときに解散した。皆、私と苦楽を共にしてきた仲間だ。私が罷免されると彼らも学園側と私との間で苦悩すると思ってな」
「じゃ、いま生徒会って」
「空白状態だ。学校行事の諸々は、もう一ヵ月以上も停止したままだ」
マジ!? スゲーな、この学校。
「あ、だから暫定生徒会長なんだ」
「そうだ。辞任した生徒会長は次の生徒会を指名するのだが、その間は暫定生徒会長としてその任を全うする」
「それって新入生でもいいんですか?」
「生徒会規約には制限はなかったな。もっとも一般的には副会長を指名するらしいが」
「幕内先輩、むちゃくちゃですよ」
また先輩が渋い顔を、俺の言葉に時々、苦い顔をするけど何でだろう。
「色々あるみたいだよ」
神門が呑気に部屋の中央にある応接椅子に腰かけて言う。指でも立てて、紅茶をすすっていたら絵になったろうに。
「私はどうしても信頼のおける人物に、この職を引き継いでもらいたかった。だから政治、お前なのだ」
「俺?」
「そうだ」
「でもなんで?」
先輩は会長机の向こうにある木枠の窓に両手をついて、遠く学園を眺めた。生徒会棟は緑地を抜けた少し高い所にあるので、木々に隠れながらも中等部と高等部の校舎がわずかに見える。それを愛おしそうに見ながら、モノローグでも語るように話し始めた。
「私はな政治、この学園か好きだ。幼少の頃から学園を行きかう真っ白い制服のお兄さま、お姉さま方を憧れの想いで見てきた。桐花は救国の礎となった学校だ、ここを巣立った多くの若者が歴史の英雄となり活躍した。そんな英雄達の物語を、私は祖父の膝の上で何度も聞かされた。私も大きくなったらここに通い、学び舎の伝統を守り伝えたいと思ったものだ」
急に始まった昔話に、俺は先輩が何を言いたいのか分からなかった。だが、感情一杯に語るものだから、気楽に割って入ることも出来なかった。
「この古い建物も、歴史が紡いだ伝統も、自由すぎる生徒も、どれも等しく愛おしい。どれも私にとって大切なモノ達だ。守りたかった。……だが、それも無くなる運命にある」
「無くなる? この学園が?」
「そうだ、まだ詳細は言えんが、このままでは、この学園は早晩無くなるだろう」
「……」
「私の力ではどうにもできなかった。だが政治となら守れるかもしれない。お前となら、私はもう一度。だから私に力を貸して欲しい。今度は一緒に……」
「そんな、いきなり!」
「政治、ここは『任せろ!』って言う所だよ。かっこいいよ」
バカいうな! そんな刹那のかっこよさに、一年間を棒に振っていいのかってーの。
「言うかよ! 生徒会長って人望だろ。生徒課長くらいなら俺にも出来そうだけど」
「学園が無くなったら、また受験だよ」
銀髪を指でいじりながら、気楽に言ってくれちゃって。
「そっ、それは……マズイ」
「しょうがないなぁ。葵が懇願しているのに。うーん、じゃ僕も手伝ってあげるよ。それならどう? ちょうど葵に恩を売っておきたいと思っていたところだし。三人なら何とかなるんじゃないの?」
なんの貸し借りをしているんだ、この二人は。その先輩は、潤んだ瞳で俺を見ている。うっダメだ。俺はこの手の顔に弱いんだ。昔から。
「ダメか?」
「……」
「政治……」
「分かりました! 分かりましたから、その顔はやめてください。ちょっとだけですからね。本当にちょっとだけ。そんな難しい交渉とか判断とか出来ませんからね。それでいいですよね」
先輩の顔がぱぁと明るくなる。
「ありがとう!! 政治! やっぱり政治だ!」
涙目で、もう抱き着かんという勢いの喜びようである。実際そうなりそうになったが、神門の手前か先輩は直前で思いとどまり、大きく広げた手を所在なく戻した。
かわいい人だと思う。なんだか懐かしい、憎めない人だと思った。
でも……
やっちまった。甘い言葉と潤んだ瞳に、とんでもないものを引き受けちまった。うっかり壺とか買っちゃう人って、こういう心境なんだろうな。絶対、朱竹の掛け軸とか壺とかには近づかないぞ。あと水晶玉にも!
人生の禁忌を心に刻んだ。