2章-33
今日のところは遅いので、俺達はやる事だけ確認して解散することにした。
メンバーを生徒会室から送り出し、最後に鍵を閉めて生徒会棟を出る。
このまま帰ってもいい。けど頭をクールダウンしたくて、遠回りに緑地を歩いて帰ることにした。
雲間から三日月が見える。深夜の緑地は全くなほど静か。風が殆ど無いせいか、世界から取り残されたように時が静止していた。
「はぁー」
今日は色々とあり過ぎた。良いことも悪い事も。
足の赴くままに下草を踏みしめる。
記念堂まで行こうかと思ったが、大路を離れる程に街路灯は疎らになり、そのくせ思ったより月明りは心許なく、なんだか急に心細くなってきた。
いや、ここでウソを言ってもしようがない。止めどなく怖くなってきた。
なんか物陰から出てきそうな……引き返えそうかと思い、足を止めて後ろを振り向いたとき、
「がさっ!」
前方から、落ち葉を踏む音!!!
ひぃっ! あわやの所で口を押えたが、突然の事に肢体がビクッと仰け反った。
『誰かいる』
きょろきょろ見まわしても月明りではよく見えない。それに木々が深いので、幾らでも隠れる場所がある。
ちょっと待ってくれよ。待ち伏せじゃねーだろな。マジ勘弁してくれって。部活の奴等か、それとも理事会の手の者か? サロンの可能性もあるし。もう夜討ちの心当たりがあり過ぎて、相手が誰なんだかなんて想像できないって。
わずかに身を引いてスタンスを落とし、襲ってきても咄嗟の動きがとれるように準備する。
どこから……。
「政治!」
「がにゃーーー!!!!!!」
想像よりは遙かに近くで聞こえた声に、ビー玉並み縮みあがった肝がつぶれた!
がっっっと振り向くと、間近に見えた顔は神門。
おい、身内じゃねーかよっ!
「なんだ、神門かよー! 脅かすなよー。マジ寿命縮んだって。ナーバスなんだから今日の俺は。ちょっと脅かすだけで死んじゃうって。分かる? そういうウサギちゃんの心境なんだよ。分かってる? 今の俺を」
「うん? うん、ああ、ごめん」
何だ、この無関心な反応。
「だいたい、お前、帰ったんじゃねーのかよ」
まだバクバク云う心臓を押さえて問うと、「あれからずっと考えてたんだ」と無感情な答えが返ってきた。俺のビビリなど知らないのね。もうっ! いけず。
それより神門の奴、何を考えてたんだ?
「なにをだよ。もしかして先輩が危ないってやつか」
「それもあるけど……」と言うと、これでもかという距離まで近寄り、俺の胸に顔を埋ずめて匂いをクンクンと嗅ぐ。
いやん、ちょっと近い、近いです。ドキドキしちゃう。
「政治、葵とサロンに行ったね」
「うっ!」
なんでそれを。ちょっと用があるって言っただけなのにコイツ。でもそうか、先輩と一緒に生徒会室に来たんだから、考えたら分かるか。
「僕を騙せると思ったの?」
「いや、騙すも何も」
「この香りはサロンのだね。そして葵のあの感じからすると」
「分かるの? お前!?」
「劇的な事があったんだろうね。たとえば会頭を解任されたとか」
心臓が飛び出るかと思った。こいつ超能力者かよ! やめて! これ以上驚くと俺のエンジェルハートが壊れちゃうって。
「ハイ、当たり。政治はウソがつけないね。ほんと役者に向いてない」
「な、な、なんで分かったの!?」
「わかんないよ。適当に言ったら、政治がハイそうですって顔をしたんだよ」
俺は掌の上の孫悟空かよ。背中に嫌な汗が流れてきたわ。
「ま、いいよ。それはいつか葵の口から話してもらうよ。どうせ自然消滅だし、いまさら解任なんて何の意味もないしね」
「そ、そーですね」
「それより理事会だよ。おかしいと思わない? 気づかなかった?」
「何を?」
「理事の面々の対応だよ。本当にお金が苦しいなら願ってもない話なのに、あの態度」
俺達は明かりの見える中央大路に足を向けながら話を続けた。
僅かに草いきれの残る緑地を、涼やかな風が駆け抜けていく。未だ誰にも踏まれていない若々しい緑が微風に合わせて慎ましいダンスを見せる。ぽつんとある街路灯のスポットライト浴びて。
「寄付金が集まらないのは確定なんだから、もう削減するしかないはずなんだ。何を躊躇うんだろう。削減されちゃ困ることでもあるみたいに」
俺は神門の思考を邪魔しちゃいけないと思い無用な言葉を止めた。ただ頷くのみである。
「葵が生徒会長を罷免された事と、繋がる気がする」
神門は急速に集中しつつあった。目は開けども何処も見ていない。
極めて集中している神門は、すっかり無防備になる。もし眼前に罠があっとしても彼は躊躇なく、それを踏み抜くだろう。
万事にこの集中力を発揮していれば、中間テストも平均60点なんてことはないだろうに。
嫌味半分に「テストくらい本気でやれよ」と言ったことがあったが、「テストだから手を抜いてもいいんだよ」と逆に意味の分からない理屈を言われてしまった。真剣に授業後を受けてる俺に申し訳ないと思え、という意味だったのだが、本当に頭がいい奴は実力を測るなんて事に興味なんか無いのだろう。
「僕らは明らかに理事会の期待から外れたことをしている」
「彼らは財務状況を公開されることが本当に嫌だった」
「政治は大幅な部費の削減を要求された。でも過度に削減した予算を持ってきたときの困惑。あの態度には、もっと違う何かがあった」
「破綻ギリギリに意味が?」
「債務不履行なんて信じられないと言った政治が正しいのかも」
「なら、あれは芝居?」
思考を整理する独白が続く。その目がパッと俺に向けられる。
「政治は理事会から、『秘密だが財政破綻しそうだ。部費を抑制して欲しい』と言われたんだよね」
「ああ、要約するとそうだな。理事達が去年の施策を話してくれたけど、それが今年はうまく行ってないからだと」
「そこだよ。僕が芝居にひっかかってと怒ったのは。部外者にあえて言わなくていい事まで言っている。多言は相手の妥協を引き出すための常套手段だからね」
「う、うん」
よく分からないが、あの時の神門は俺の話を聞いて、『理事会は俺にウソの財務状況を公開して、絞らせた部費の上前をちょろまかすつもりなんだろう』とでも思ったのかな? それに気づかないでホイホイ俺が帰ってきたから怒ったと。
でも、そうじゃなくて本当に財務は厳しかった、いやでも破綻するほどじゃない? わからん。
「でも理事達は政治の背後に僕や葵が居る事を知ってるんだ。理事会は政治だったら真に受けて本当に削減してくるけど、僕がいるから裏をかいて、多めの額を出すことを見込んだんじゃないかって」
「なんで、神門がいるとそうなるんだよ。それになんで多くする必要があるんだよ。普通に多めの金額を俺に言えば、俺が真に受けてその金額に収めるだろ」
「僕らは関係者だから」
「関係者?」
「それは後で言うよ。それより理事会は生徒会をトカゲのしっぽにする必要があったのかもしれない。同じ結果でも、真に受けて実行したことと、反発して実行したことは意味が違う」
「手駒にされたということ? 生徒会や生徒の反発のせいで破綻に追い込まれたという」
眉間に皺を寄せた顔が、月明かりに見える。それが銀髪と相まって妙にミステリアスに見えた。
「いや……ダメだ。仮説に仮説を重ねているだけで、なんの根拠もないよ」
「どうやって証明すんだよ」
「それを明るみにするには、僕が頑張らないとダメなんだけどね~。どうしよう……」
グレーの瞳が小刻みに左右に動いている。
珍しく神門が迷っている。困っても迷うことはない奴だ。よほど難しい事を考えているのだろう。
「神門。皆に話してみようぜ。一人で考えるな。生徒会が協力してと言ったのはお前だろ。俺はお前の作戦には期待しているけど、全部をお前に背負わせる気はねーよ。大江戸だって新田原だって、かなりデキル奴だ。先輩が心配なら先輩にも入ってもらえばいい。それに、最後に決めて責任を取るのは俺だ」
上から眺める神門の頭を、ぐしゃぐしゃと片手でかきむしると、急に手が出て来て驚いた神門は、深い思考を切られて咄嗟に「うわぁ~」と奇声をあげた。
そりゃ、びっくりしただろう。それでもぐしゃぐしゃする手を止めない。今の俺が神門にしてあげられるのは、この位のことだから。
「いま分からないなら、情報が揃うまで考えを止めてもいい。今できることをやればいいんだ、未来にばかり不安を置いても足が重くなるだけだ。お前は想像もつかない世界に裸で飛び込むのは、あんまり得意じゃなみたいだ。そういうのは俺に任せろ」
先輩が俺を生徒会に引っ張り込んだ時も、全て分からなかったのだ。それでも、今できることを信じて彼女は飛んだ。なら、俺もそうしよう。
「……政治が、なんか急にかっこいいことを」
ぽやんと上目に俺を見る。
「そうか? それは今まで、お前に俺をみる目がなかっただけだろ」
「ぶ~、前言撤回。ありがとうが言えない子は、いいリーダーじゃないよ」
ふくれっ面の神門を見て、俺自身の不安も軽減されたと思う。でも俺は、思った以上に神門に負担をかけているかも知れない。
その神門がふっと笑う。
「ありがとう政治。必ず相談するから、少し時間をくれない」
「ああ、分かった。必ず」
「必ず」
俺達は青臭くも、お互いの拳骨をゴツっとぶつけ合った。
「ところで、さっき関係者とか言ってたよな、あれ、なんだよ」
「ああ、それは僕が学園の関係者だってこと」
「え?」
いや、そうか。特別内部生だもんな。考えてみりゃ、その可能性はあったんだ。あまりに普通に話すから、いつも神門は特別内部生だって忘れるよ。
「どんな関係者なん?」
「それは秘密だけど、一つだけタネ明かしをしてあげる。吉田先生の事だけど、彼は神門の家が手をまわして入れた教師だよ」
「……えっ」
どーいうこと!? この美少年、何をいってるのかしら。なに楽しそうに可愛く笑っちゃってるの?
「保険のためにってね」
「保険?」
「今日みたいなときのために」
な、なんなのそれ! そんな計画が秘密裏に進んでいたなんて。衝撃、まさか吉田がという動揺で脳が回らない。
「な、なんで言わねーんだよ」
「だって言ったら政治は油断するでしょ」
「しねーよ」
「いや、したと思うよ。それに吉田先生と政治が反目するほどに、保険の効果は高くなるんだ。だから知らない方が良かったんだよ」
どういうことだ? この子、時々難しい事をいう。
「分かんないよね。それがまさに今日だよ。理事会は吉田先生を使えば、確実に政治を消せると思えば油断するでしょ。そこに疑いがあれば、あの場に吉田先生は出てこなくなる。そうしたら保険の意味がなくなるでしょ」
「そ、そうだな」
分かってないけどな。そう答えておこう。
「僕は吉田先生に政治を突っつくようにお願いをしていたんだ。生徒指導室に呼び出された時も。ごめんね、ちょっとイジワルなやり方で」
小首を傾げて、うふっとシナを作って微笑む。そして「政治、怒った?」と俺を覗き込んできた。
やめーて、かわい過ぎるー!
「お、怒ってねーよ」
「でも、現実に保険が使われたんだから許して欲しいな」
許すもなにも。確かに吉田に睨まれてちょっと不愉快だったけど、救われたわけで責めるつもりはない。けど……
「しっかし、なんだかなー。始めから仕組まれてたって事かよー」というのが正直な感想だ。それに保険を掛けられる生徒会長って、ダメダメじゃん。
その心を読むように、神門がフォローを入れてくれた。
「葵が残してくれた、最後の遺産だよ」
「なんだよ、それ」
「葵は引責辞任したんだからさ」
そこまで言って、神門は小さくウインクして口を閉じた。
あっ、これって先輩のための保険。でも先輩は自分がピンチの時に使わなかったのか!
バカ。あの人、サロンの時も俺を庇って。
「愛だね」
何が愛だよ。愛というか、それは先輩の優しさだよ。
でもそれは嬉しいような悔しいような、男にとって複雑なやさしさだった。