2章-30
大江戸がまとめた資料を手に理事会へ。今回は事が大きいので神門も呼ばれている。
会議室の重厚な扉を開けると、扉に負けぬ重苦しい顔をした理事達が臭気を発して俺を待ち構えていた。
その中の一人が、ふんぞり返っていた椅子から跳ね起き、目覚まし時計のように喚く。
「やってくれたな、瑞穂くん!」
瞳孔の縮んだ目をつり上げ、バシンとテーブルに一撃。
早速きたなー。俺達、まだ座ってねーのに。コイツはどんだけ怒ってるんだって。
「高校生にもなって約束も守れんのか! 私は君の裏切りを絶対に許さんぞ! 学園のもっとも大事なときに、お前という奴は!」
大粒の唾が何人もの頭越しに飛ぶのが見えた。その飛沫に感染したかのように、ほかの理事も次々と口を開く。
「理事会を甘く見ない方がいいぞ。君のせいで再建が頓挫したら、どう責任を取るつもりだ。この負債のいっさいがっさいを、君はどうするつもりなのだ」
「我々の苦労を理解してないようだな。これではただ負債を隠蔽しただけだ。余計にタチが悪い」
そう言ったのは会計担当理事。眉が、ハの字になっている。
「運命共同体という自覚はなかったようですね。所詮は子供ですか」
この丁寧な言葉づかいは、『生徒間に化学変化が云々』とカッコいいことを言ってた糸目の理事だ。たぶん総務担当理事だろう。
その隙間をついて、言葉が漏れる。
「不適合者め」
言葉のレイピアが、心に纏った甲冑の隙間を抜く。
不適合かよ。今まで色々な奴に色々と言われたけど、今のが一番キツイ。
各々に口走る理事を押さえて、理事長が大きく息を吐き出す。
「組織の規律として、君は処分を免れんぞ。覚悟は出来ているのだろうな」
『そんなもの、とうの昔に出来てるわ!』と、言ってやりたかったが、ハイと言うと即処分されそうなので言わない。これは神門からクドクド言われていた。
「政治は変な所で思い切りが良すぎるから」と。
その神門が、俺の足をちょんちょんと蹴る。
「政治、話を打ち切って本題に入ろう。相手の土俵に入っちゃダメだ」
ささやく神門の声が、するりと耳に滑り込む。
全くその通りだ、相手のペースに乗ってる場合じゃない。
話の通じそうなヤツは誰だと、ぐるりと理事を見渡せば、まともなツラをしてるのは理事長だけっぽい。そこに向けて話し始める。
「お呼び戴いたご用件ですが、全校集会の説明だと理解しています。そちらの話をしましょう」
「勝手に話を打ち切るな!!!」
ひゃー! 耳が痛い程の怒鳴り声。キテるなぁ、コイツは。
「皆さんは怒りを爆発させたいのですか? それとも我々から説明を聞きたいのでしょうか?」
ならばと、先に神門と考えていたセリフをおっさんどもが取り囲む円卓に放り投げる。理事達は若輩の言葉に一瞬、狼狽えたが、小バカにされた怒りに震える拳を抑えられないようだった。
そりゃそうだろうな。格下の小僧が偉そうに。
神門は俺に一つの下知をしていた。
『理事達は相当怒っていると思うよ。だから政治は、おかしいと思うほど冷静に接するんだ。感情を殺して』
『それって、一層怒るんじゃねーの』
『いいんだよ。いい? 絶対忘れないでよ。約束だ』
これ以上は教えてくれない、いつものパターン。だが、あまりに強く念押しするので、これは作戦なのだと分かった。
「子供のクセに大人をバカにするな!」
「処分の話が下らないとは言いません。しかし本質ではないでしょう。それこそ時間と金の無駄です」
「下らないだと! それこそお前の処分が我々の議題だ!」
「いえ、全校集会について説明しろと言われて来ております。それに部費問題の宿題もあります」
「何を続けるつもりになっているんだ! お前は! 生徒会長は首だ! 学園も退学にしてやる、吉田を呼べ!」
なんで? 意外なところで吉田の名前が出てきたぞ。
「吉田先生と、これは関係ないのではありませんか?」
「今、ここで退学の手続きをしてやる。生徒指導教員の吉田に」
えー! そうなの!? しまった! 吉田が言って迷惑って退学のことだったか。マズったなぁ、知ってたら、吉田は味方にしといたのに。
神門~、事態が悪化してるように見えるけど、本当に大丈夫なのかよ~。
俄然、現実味を帯びてきた退学に、胸の中で生まれた不安が蠢き回わり、喉を突き破って出てきそうになる。
理事の命を受けた事務官がバタンと扉を閉めると、理事長は呆れたと言わんばかりに、深々と椅子に身を沈めた。
「瑞穂くん、どうもキミは人を怒らせる素質があるようだな。だがキミが言うのも尤もだ。吉田先生が来るまで話を聞かせてもらおう。それに神門くん。君の処分も検討しなければならない。これは追って報告させてもらおう」
「ご随意に」
俺の知らない言葉で神門が答える。
「さて君達は財務の事を全校生徒に公開したそうだが、どういう了見かね」
「はい、生徒会が……」
「お前! 覚悟はできてるんだろうな!」
さっきの高圧的な理事が腹から声で、また吠える。だが、かかずらわってはいられないので放置プレイ。
「生徒会が執行する予算は、かなりの額です。ならば、この問題を解決するには、生徒の理解と協力は不可欠だと考えました。そのため、現状をありのままに話すしかないと考えた次第です」
「何を勝手なことをしているんだ! 学園にどんな影響があるか考えなかったのか! バカモノが!!!」
自分の怒りに喰われた彼は、真っ赤になり野獣の如く憤怒する。
「浅野くん。落ち着きたまえ」
いちいち中座を余儀なくされる状況に、さすがに理事長もイラッとしたらしい。強い語調で諌めて座れと指示する。
そうか、浅野っていうんだ。今更、名前なんてどうでもいいけど。
渋々と口を紡ぎ、半腰の尻を椅子に戻す浅野を目で追いながら、理事長は「続けたまえ」と俺に説明を促した。
「はい。影響は考えておりますが、何れ分かる問題なら事が小さいうちに、オープンにすべきでしょう」
「タイミング以上に、準備があるのだ」
「その時間は理事会には、十分あったのではないかと思いました。ここ一、二年の話ではありませんし」
理事長は腕を組んで、だんまりとなった。代わりに会計担当理事が口を開く。
「父兄からも問い合わせが殺到しているんだ。そのような話は聞いていないと」
「不安になるのは尤もです。真摯に説明する必要があります」
「君が蒔いた種だぞ」
「生徒会は、事実を明らかにしただけです。寧ろ隠し通すのは不誠実では?」
「寄付金が止まって、学園が債務不履行に陥る責任をどう取るつもりだ」
「それを回避するために、全校的な協力が必要だと言っているのです。それに、ここまで財政を悪化させたのは私ではありません」
「財務状態の責任が君にあるとは言ってない。これは複合的な問題なのだ、キミは知らんかもしれぬが、我々も何もしなかったわけではない」
口調こそ冷静だが、会計担当理事長の全身からは疲労と苦悩が滲み出ていた。関係者から激しい質問と譴責を浴びていたのだろう。
極度の高まった緊張が会議室を縛り上げる。
そんな沈黙を無粋に破ろうとするモノは誰もなく、ただ悪戯に時が過ぎた。
「……それで、ここまで我を通して、我々に何をしろと言うのだね」
それを押して理事長が切り出す。
「現状改善に向けて、全ての財務資料の生徒会への公開と、関係者への状況説明です」
「公開資料があるだろう」
「生徒会の財務担当によると、あれでは何も分からないとのことです。我々が今何をすべきかを検討するには、詳細な資料が必要です」
「そんなものはない。あの程度の資料しか作っていない。我々は上場企業ではないのだ」と言ったのは会計担当理事。しらを切るつもりか。
「幕内前生徒会長が、アクセスできない資料があると言っていました」
空気が固まった。見合わせる理事たちの目が相互に走り、そして理事長に集まる。
ココに何かある。確かに。
一人だと隠せる事も多人数だとボロが出る。語らずともあっさりそれを暴露した形だ。
よし、もうひと押し……。
そこに間も悪くノックが響いた。
「失礼します」
ドアの向こうからは聞き慣れた野太い声。吉田だ。
「入れ」
召使いを扱うような命令が下され、浅野は入り口近くに座る俺達をニヤリと見た。いやらしく。
「吉田くん、聞いた通りだ、いつも通り処分を頼む」
いつも通り? ということは吉田って、理事会の回し者ってこと!? おかしいと思ったんだよ。一人だけ○暴の風体だし!
「理由は」
後に手を結び、休めの姿勢で真っ正面を見続ける吉田。
「瑞穂は学園に多大な被害を与えている。問答無用で処分の対象でよい」
「生徒に対しての説明は」
「不要だ」
「しかし」
聞き取りにくい、更に低いガラガラ声。そりゃそうだろう。浅野は言うだけだが、処分するのは吉田だ。何かあれば自分が責任を問われるのだから。
不愉快だけど、そこは同情しちゃうね。
「雇われ教師の分際でゴタゴタ抜かすな。だいたい君は何をしていたのだね。このようにな滅茶苦茶な生徒会の組閣を許し、あまつさえ越権行為を放置して、学園を混乱させておって。しかも、二人ともお前のクラスの生徒ではないか! こんな生徒会を放置して、なにが生徒指導だね!」
その叱責には吉田も口を結ぶ。
「なんだその顔は。キミの権限で瑞穂を退学にしろと言ってるのだ。学園の害悪なのだぞ」
えー! まじー、本人の前で言う。そういう事~。
浅野は増長し暴走していた。その慢心を見て神門が動いた!
「理事長、僕も瑞穂くんも処分は甘んじて受けます。その前に財務資料の公開の解答をいただいておりません。それとも公開出来ない理由があるのでしょうか」
「真実を生徒に告げるのは退学になる行為でしょうか。それに僕の目には理事会が吉田先生に圧力をかけているように見えるのですが」
その言葉に、吉田が言葉なく反応する。
「生徒会は全校生徒に対して説明の義務があります。ここでのやり取りを公開しても構いませんか?」
伏せる視線が全てを物語っていた。こいつらは、そこいらの悪童を葬るのとは訳が違うと、今、気づいたと。
神門は理事会の失言を待っていた。俺達には1000名を越える観衆が付いている。今の生徒会を相手にすることは、全校生徒を相手にすることだ、その裏には父兄がいる。多額の寄付をしている父兄が。
理事会、侮って墓穴を掘ったな。
理事長は苦しさを隠しながら、「まず生徒会長の意見を最後まで聞こう」と時間稼ぎのワンクションを取った。相手も粘る。だが出来た隙はこじ開ける!
「先程、皆さんに申した通りです。財務資料の公開と関係者への説明の二点をお願いします。問題がないのであれば財務諸表は公開しても良いはずです。まずは生徒会に。そして我々は生徒への義務としてそれを分かり易く解題して全校に告知します。そして関係者への現状説明です。ここまで事が大きければ、もはや避けては通れない筈です。ここで学ぶ生徒、働く先生方には知る権利があるのではないでしょうか?」
神門が補足する。
「労使関係がこじれて訴訟になったとき、生徒会のせいですとは言えませんよ」と言って、襟のバッジの辺りをトントンと人差し指で叩いた。
なんの意味かよく分からなかったが、一部の理事に冷や汗が見えた。神門に対する舌打ちが小さく聞こえる。
「分かった、財務資料は用意しよう。時間がかかるがいいな」
「ありがとうございます。説明の方は?」
「教師には、この件を正式に伝えよう」
「いえ、生徒やこの学園に働く全ての方に対してです」
「何故かね?」
「これから配付する資料をご覧ください」
神門が一人ずつに資料を配布して歩く。理事たちは、資料を手に斜め読みに内容を確認していく。
「なんだね、これは」
「生徒が自主的に行う削減プランです。もしこれを実施すると、一部の従業員の解雇が発生します。そのために説明が必要なのです」
「これは越権だ! 我々に相談もなく勝手に約束を取り付けるのは越権以外の何物でもない! これで理由になるだろう吉田! 生徒会長を処分の対象とすべきだ!」と血相を変えたのは浅野理事。それきたことかと、この内容に食らい付く。
「これは削減の可能性を示しただけです。生徒会からは実施の強制はしていません」
「生徒会も含めて、各所の努力がいる話だ。相談してから動くのが筋だろう」
理事長の言う事はもっともだが、それが出来ているならもうやってるはずだ。実施されてないから退路を断ってやったのだ。
「なら、なぜ理事会から生徒会に同様の相談がなかったのですか? 財務は緊急で重大な問題なのならそうあるべきでしょう。そして僕は費用削減の指示をもらいました。理事の皆さんから。それに答えて持ってきたプランです。もっとも部費削減には限界があったので、それ以外の分野も対象に入れましたが」
浅野はグッと唇を噛む。
「我々にリストラをさせる気か」
「部費は、部費はどうなのだ?」
浅野理事の悲痛を救うように、会計担当理事が違う観点の話を振った。
「5億円で収めています。もっとも財務の改善状況により追加予算を組む予定ですが。それこそ理事会と相談です」
「5億!」
「生徒に事実を公表したおかげで協力を頂けました」
仰天するとはまさにこの事だ。ざわざわと隣の理事と話すのは信じられないからだろう。
「私は財務の詳細は分かりませんが、部費を20分の1まで圧縮するには、痛みを全体で分かち合う必要がありました。そしてこの金額がその結果です」
「こんな事をしたら、学園全体が大騒ぎになるぞ、それを想定しているのか!」
「一人一人が、そのくらいの騒動を越えられなければ、危機は乗り越えられません」
理事は、俺達を抜きにして小声で相談を始めた。
「費用削減は必要だ。生徒会は暴走しているが、彼の言っている事も一理ある」
「事実、生徒会が使う費用は部費も含めて莫大だ。削減が困難な教員関連費用を除くと財務インパクトは大きい」
「寄付金はどうする」
「削減を進めることで繋ぎとめるしかない」
「いや、しかし……」
互いに頭を寄せ合い、にじり寄る。 何を言っているか分からないが、合意点を探しているのだろう。
「わかった。君の部費予算案を認めよう。また、要求通り説明も行う。ただし、削減案の実施は理事会の決議にて行う。いいな」
「もちろんです」
「さてキミの要求は呑んだぞ、だが、口約束とはいえ君が約束を反故にし、学園に混乱を生じさせた事実は変わらん」
その理事長の言葉を待ってましたとばかりに、浅野と数名の理事が処分の件を蒸し返す。
「吉田、処分ついて続けろ」
くそ、やっぱりダメか。まぁそうだよな、俺も神門も潰しちまえば、対外的な説明は行っても、生徒会がないんだから、その後の追及は阻止できるんだし。
生徒の目と父兄の圧力だけで逃げ切るってーのは甘かったかー。でも、せめて痛み分けにしたかったなぁ。
神門、これが限界だったな。すまねーな。結局、作戦は全部お前に任せちまって。
先輩、ちょっとは前に進みましたか? 俺は先輩の期待に応えられませんでしたね。すみません。
大江戸は、俺と一緒に退学かもしれなねーな。この案を考えたの、あいつだし。
新田原は……、新田原はいいや。先輩の居ない生徒会だし未練はないべさ。
それにしても短い高校生活だった。この制服ともお別れか。いろいろ後悔があるなぁ~。せめて女子のスク水は拝みたかった。
いや、そうじゃねーだろ、そんな後悔より、もう一度、受験しなきゃだろ。うわ、めんどくせ! もう一度、受験勉強かよ! て言うか、来年の四月までどうしよう。旅でもしちゃうか。
その前におやじに退学の事、言わなきゃ。やだなぁ激おこだろーなぁ。むしろ、そっちが嫌だ。
「瑞穂の処分ですが……」
キタ! 吉田の死の宣告。
「瑞穂は私の保護観察にします」
え!
理事が信じられんという顔で吉田を見る。
「なんだと!」
俺も信じられないって! なんだ? 内輪揉め? 何が起きたの?
「生徒の指導は私の権限です。雇われ教師ですが、私にも矜持というものがあります。判断は理事会の命令ではなく私が行います」
浅野の表情がみるみる変わり、血走る目がカッと見開かれる。
「吉田……」
浅野は怒りのせいか、はたまた衝撃のせいか呂律が回らず、そのあとの言葉は聞き取れなかった。
なにがどうしたのか分からないが、どうやら退学は免れたらしい。覚悟はしていたとはいえ、この結果にひとまず、ほっとした。
とはいえ、ここで鉢巻を緩める訳にはいかず、俺が緊張の塊を吐き出すことが出来たのは、理事専用会議室を出て、生徒会棟に戻る人気のない隘路に入ってからだった。
「はぁ~、肩が凝ったぜ。なんとか目的を達したか」
全身から息きを吐き出し、同じ気分であろう隣の神門をみると、終始無言だった神門がゆっくり口を開いた。
「こっちは計画どおりだけど、嫌な予感かする」
「えっ!? 上手くいったんじゃないの?」
「葵が危ないかも知れない」
執筆時間がないぃ! 定期連載って大変です。週刊誌の漫画家さんとか尊敬します。