1章-3
予想外に外部生に好意的に受け入れられた政治だが、その平穏を打ち破るように葵がクラスに現れる。
連れられて来たのは、歴史の重みを感じる生徒会棟。
密室の中で二人きり。葵は政治に急接近する。
俺は思いのほか、クラスから好意的に受けとめられたらしい。もっとも外部生の男子からダケだが……。きっと初日のクラスをみて、内部生と外部生の格差を知ったからだろう。
「瑞穂、災難だったな」
「災難? ああ生徒会長の事か」
「本当にやるの?」
「やるもなにも、急に聞いた話だからなぁ」
学校に着くと男子がわらわらと俺の席に集まって来る。肩のラインが一本。ほとんど外部生だ。そりゃ、いきなりの大ネタだからね。興味津々でしょう。
「ウチのクラスから生徒会長だからな。これでやりたい放題だぜっ」
「まだやるって、言ってねーし。しかも何でもやれる訳じゃねーだろ」
「まずテストをなくせ」
「いやムリだって」
「修学旅行はヨーロッパだな」
「それ三年の話だから」
「ねぇ瑞穂、現実的なところで、生徒会長になったら女子の制服変えてよ。スカート短くしてさ」
「いや、さすがにマズいだろそれ。俺の立場が」
目の前に座る女子が眉をひそめて俺を見ている。俺じゃねーって。言ってるのは、そこの名前も知らねー男子だから。
「みんな政治を困らせたらダメだよ」
その声に俺の周りに集まっていた男子が振り向く。声の主は神門。
「政治だって急な事で、まだ気持ちの整理も着いてないと思うんだ。だから、無責任な事を言うのは、冗談でもキツイんじゃないかな」
「いや、そんなマジな話じゃねーって」
「俺もそんなに困ってる訳じゃねーけど」
「ほら、本人がそう言ってんだしー」
「でも僕が急にこんな事に巻き込まれたら、心配で夜も眠れなくなっちゃうよ。政治は大丈夫なの」
「まぁまだ決まった話じゃねーだろうし、実感ねーから」
「ホント? 僕は政治の味方だからね」
神門は俺の両手をがっしり握って、真剣な目で俺の事を心配してくれている。なんていいヤツなんだ。だが、勝手に盛り上がって二人の世界を作らないでくれるかな。別の噂が立つと、俺の制服デートが更に遠のくんだけど。そして神門との制服デートは御免なのだよ。
「まぁ神門くんが言うのも、もっともだな」
おいおい、俺は呼び捨てで神門は君付けかよ。
「瑞穂、何かあったら言ってくれよ。出来る事があったら何かするからさ」
ありがとう、できる事はするのね。なにせ、できる事だからね。
ちょっとひねくれちまったが、興味本意でも、言葉をかけてもらえるのは望外の幸せである。初日に遅刻したときは、暫く孤独を味わう覚悟をしていたのだから。
さて、やたら俺の事を心配してくれた神門だが、後々思い起こすと、どうやらこの時点で俺が生徒会長になると確信していたらしい。もちろん俺は、断る気満々だったのだが、そんなことは無理だと知っていたようなのだ。そりゃ、大丈夫かと聞きたくもなるよ。
それより窓際の席にいる武闘派の男子が、俺の事をギラつく目で睨らんでいるんだけど、なんで?
◆ ◆ ◆
目下、俺のテーマは二つ。一つは生徒会長問題。もう一つは登校初日に倒れた事件の真相解明だ。どっちも泣き寝入りはしたくない。自分から流されるのはいいが、人に流されるのはイヤだ。
どうしようか考えていた放課後。
「瑞穂! 瑞穂はいるか!」
授業が終わったばかりだというのに、幕内先輩が扉をガラッと開けて俺の名前を威勢よく呼ぶ。曇りのない綺麗な声に、クラスの視線は一気に幕内先輩に集まる。刹那、俺にも。
「瑞穂、先輩がお呼びだぞ」
「ああ、確かに呼ばれてるな」
早速、仲良くなった友達(男子)が俺を茶化す。
こいつは山縣。人の不幸が楽しくてしょうがない奴だ。客観的に見て、そういう趣味ってどうなんでしょうね。でも嫌味臭くなく、そういう不幸を笑い飛ばしてくれるヤツでもある。
「早く行けよ」
「そうだな」
とは言ったものの、あー腰が重い。
「いいな~瑞穂は、あんな美人の先輩と」
「なんなら替わってやろうか。今なら生徒会長もセットで」
「それはいらね」
「そう言うな山縣、お得なポテトもつけてやる」
「あの入学式の感じからして、瑞穂、相当気に入られてるよな~、いや好きなんじゃねアレ。俺、もろ好みなんだけどなぁ。でもセットの生徒会長はキツイよな。しゃーない。幕内先輩は瑞穂にやるよ。俺は神門と楽しくやってるから」
「楽しくって。まさかお前、神門をそういういう対象として見てるんじゃ……」
「イヤだなぁ、そのくらいの弁別はあるって。一応~」
「ホントかよ」
目覚めの悪い朝の布団のように、出ようか出るまいか、山縣との雑談を引き延ばしながら迷う。その俺を見る幕内先輩。
いかにもズカズカ教室まで入って来そうな人だが、何の遠慮か入口で大人しく待っている。だが、ただ待っているだけでも絵になる人だ。
「おい、瑞穂! 女性を待たせるものではないぞ」
前言撤回。俺を急かして待っている。
「へいへい」
仕方ない。ポケットに手を突っ込んで、前屈みに先輩の所に向かう。どうせ会いに行かなきゃならなかったのだ。実は渡りに船なのだが、それを見透かされるのはちょっと悔しいので、そういう顔はしない。
「政治、もっときりっと歩け。折角カッコイイのだから」
「え、俺が?」
「そうだ」
「齢15年生きてますが、そんなの聞いたの初めてかも」
「そうか? それは友人に恵まれなかったな」
「そうですね。今でも」
「まぁよい。私についてこい」
何でこの人、命令口調なのかな。俺にだけ? なのかな?
先輩はスカートを翻して踵を返すと、つかつかと廊下を歩き出した。幕内先輩はけっこう背が大きい。俺より少し小さいから165センチ位だろうか。
けっこうガツガツ歩くので、後ろ髪がリズムよく揺れる。その香りに引きずられて、どこまでもついて行く。
俺が廊下を歩きだすと、背中に控える一年の各クラスは、わいのわいのと騒ぎ出した。きっと俺が三年生の幕内先輩と懇意だからだろう。内部生なら中等部時代の幕内先輩を知ってそうだし、中学の頃から先輩は有名人そうに思えるし。
でも、イヤだなぁ、また皆に噂されるのは。
一年生のクラスがある三階から、一気に一階まで降りて、下足箱で靴に履き替える。今度はローファーのコツコツという靴音に従う。
「あの、幕内先輩」
「先輩はよせ。葵でいい」
先輩は後ろを振り向かない。
「それはちょっと人目もありますし」
「二人の時でよい」
言えるわけないでしょ! どのくらい強い希望なのか分からないから、こういうのは非常に困る。
もう10分は歩いているだろう。校舎を出て、中央大路を突き抜けた向こうにある、園内緑地まで来ていた。緑地には大きな楠やコナラがあり、ヒヨドリがピィーヨと鳴いている。生徒会室に行くと思っていたのだが、いったいどこに連れていかれるのだろう。
「あの先輩。どこまで行くんですか」
「私はこの緑地が好きだ。鎮守の杜のようで、ここだけ精妙な感じがする。お前も気に入ってくれると嬉しい」
俺の問いには答えず、とんどん人気のないところに向かっていく。葉擦れの音も騒がしく、森が濃くなってきた。学園のど真ん中だというのに、この別世界には先輩と俺しかいない……。
なんかマズくない? 何か企んでるんじゃ。まさか美人局? 怖いお兄さんにボコられて身ぐるみ剥がされるとか!?
はっ! うちのヤク○教師は、そういう輩を取り締まるための公安か! 何うっかりついてきちゃってるの俺。ヤバイ、ヤバイよ! ここから脱出せねば!
「先輩ちょっと薄暗いですねココ、もっと日の当たる所に行きませんか?」
それを無視して幕内先輩は、すうっと腕を上げ遠くを呼び指す。
びくっ! なに!!!
「ここだ、その建物だ」
「へ?」
「生徒会室だ」
促されるままに、指し示す先を見ると、緑地の木陰の向こうに歴史遺産かと思う建物があった。石の布基礎に下目板張りの白い壁。線対称に作られたデザインは、典型的な二階建ての和洋折衷建築。えー、これが生徒会室?
「スゲー」
これは、さっきとは違うドキドキだよ!
「明治初期の建物でな、この学園で最も古い建物のひとつだ。本校舎の部屋は部室で取られてしまって、生徒会はここに追いやられたというわけだ」
「追いやられたって生徒会なのに? それにこんな文化財みたいな建物を使ってもいいんですか」
「学園の物だからな。それに使わなければ、ただの遺物だ。使った方がコイツも嬉しいだろう」
そういうものだろうか。俺なら緊張して粗暴には扱えない。
近づくと屋舎に施された、古典建築の技巧と歴史の重さに益々圧倒される。四隅に配された飾り柱には、植物や動物の装飾。エントランスを仰ぎ見ると、天上には趣向を凝らしたステンドグラスがあり、虹の煌めきを放って客人を出迎えている。玄関には右には麒麟を、左には獅子を象どった銅像。この建物は、華族かそれに準じる高貴な人の物だったのだろう。
俺がそんな威風に当てられているというのに、先輩はポケットから取り出した古風な鍵を、まるで自宅に帰ったかのように躊躇いもなく捻る。
鍵には口を開けた呆け顔のチンアナゴのキーホルダーが、プラプラと揺れている。鮮烈な先輩の印象からすると意外な趣味だ。
鍵は「ゴトリ」と想像どおりの重々しい音を立てて開いた。ノブを捻るとエントランスの大扉は、ギッギギッと錆び臭い音を発してゆっくりと開く。
「古いから、立てつけが悪い」
先輩はにっこりと微笑んで俺を見る。
扉の向こうは薄暗く、俺が通されたのは、大仰なまでの大時計があるエントランスホールだった。
ホールの主がゴッゴッと重厚な時を刻む。
「左には貴賓室がある」
「右は図書室だ。使うことはないが、飾り程度に古い本が置いてある」
先輩は自分の部屋を紹介するように、なんの緊張感もなく扉を開けて説明をする。貴賓室には、シワもない白い布でお化粧されたテーブルと、白い帽子を被った皮張りの椅子が並んでいる。壁は何かの絵柄を模した唐紙。天井には透かし彫りのライトが浮いている。
「凄いですね、さすが桐花学園の生徒会だ」
「見た目だけだ、ここは。政治も使えば分かる。夏は暑いし冬は凍える寒さだ。冷暖房がないから大変だぞ」
と言って先輩は、ちょっとしまったという顔をすると、取り繕うように次の言葉を繋げた。
「先に失望させてはいかんな。生徒会室に案内しよう」
そういってホールの中央階段を先に上がる。
臙脂の絨毯は色褪せて起毛もクタクタ。この建物の老いを誇張している。
顔をあげると、対称的に先輩の若々しく健康的な足首、黒のハイソックスのふくらはぎ、そして太ももが目に飛び込んでくる。う~ん、先輩、けっこうスカート丈が短い。いいんだけど。いいんだけどね。
不用心すぎる先輩に先導されて上がった二階には、全部で五つの部屋あり、生徒会室は廊下の突き当たり、右の一番奥だった。入り口には威厳を示すような重厚な木の扉があり、よく見ると扉には葵、桐、菊の彫り物が施されている。そっとなぞると、指先に伝わる凹凸が生々しい。
「ここだ」
先輩が体を開いて、左手で生徒会室を紹介してくれる。建物を傷つけない為だろうか、学校にありがちなクラス表示のプレートはついておらず、『生徒会室』と書かれた立て看板が置かれていた。ほんと、どこかの歴史遺産を見学に来ているみたいだ。
先輩に続いて中に入ると、ここだけ使われている生命感があり、室内はなかなか豪華な設えだった。
部屋の真ん中には背の低い応接セット。正面奥の窓際には両袖に引き出しを備えた一枚板の大机。左壁にはガラス張りの大きな書棚がある。
右壁には歴代の生徒会長の名前と、十枚の生徒会長の絵が飾られていた。
写真ではなく油絵だ。
もちろん先輩の絵もある。赤いベルベットの会長椅子に足を右に揃えて座っている。手を腿の上に揃えて乗せて、歯を出さずに上品に微笑む絵画。おもわず見とれてしまった。
「絵画なんですね」
「ああ、この学園の風習だ」
なんとなく目の前にいる本人との印象の違いに、改めて見比べてしまう。
「二年前の絵だ。幼い顔をしているだろう。見るたびに恥ずかしくなる」
「はぁ」
必要最小限のそっけない返事に、先輩が表情を和らげる。
「政治、なにか誤解しているな。私は別になにもせん。ただ確認したいのだ。あの場では生徒会長と宣言したが、お前の意思を」
「じゃ、保健室で確認してください」
「確認したら、断ったろう」
やけに可愛く笑う。
「もちろんです」
「そう思ったのだ。だから色々、手続きを飛ばした」
「やっぱり、俺の意思は無視じゃないですか」
わははと先輩が笑う。
「政治らしいな。私は、そういうお前か好きだ」
好きって。こんな美人に好きだと言われて言葉に詰まる。
「ズルいです」
「すまんすまん。だがお前の前では極力素直な自分でありたい。ダメか?」
ダメと言えるわけがない。もう! 何の弱みも握られてないのに、なんでこの人のペースにはまるんだ。俺は! くそ、言われっぱなしは性に合わない。なんでもいいから、反撃だ。
「先輩はこの絵の雰囲気とは全然ちがいます。確かにかわいいですけど、強引です」
先輩は少々のけぞるように驚き、ちょっと頬を赤らめて瞳を開いた。
「ふふっ、そういう所も、やっぱり変わっていないな」
意外な反応にも驚いたが、引っかかったのはその言葉だ。保健室でも言われたが、変わってないって、どういう事だ?
「あの先輩。変わってないって。どういう意味でしょうか」
「ああ、幾ばくかやさぐれたかと思ったが、思ったことを素直に口にするのは、やはり私が知っている瑞穂政治だ」
何が嬉しいのか、腰に手を当てて含み笑い。
「やさぐれたって」
「すまんすまん。素直な感想だ。お互い様だろう」
率直な感想有り難うございます。やさぐれましたよ。ハイハイ。じゃ、質問を変えよう。
「先輩、俺には先輩に会った記憶がないんです」
「保健室でもそんなことを言っていたな。だが私にはココに居るのは私の知っている政治に思えるが」
「いつですか中学? それとも小学校?」
「小学校の頃だ。本当に何も覚えていないか」
「……すみません」
そう伝え先輩に方に向き直ったとき、先輩がスッと俺に詰め寄ってきた!
ゆっくり伸びる白い右手。そして柔らかい手のひらが俺の頬に掛かる。時をも伸びるレトロな空気の中、鼓動が急激に高鳴り出す。
さらに一歩、先輩が近寄ってくる。
顔が! 端正で品のある顔がゆっくりと。先輩の大きな瞳が俺をまじまじと見ている。
「政治、目を閉じてくれないか……」
頬を赤らめた先輩が目の前に! うぎゃー息がーー。耳元でささやかないでー!!