2章-23
何も言わず、騒ぐ生徒や教師を壇上から見ていた。
入り混じる声は、もう聞き分けられる単語にはならなず、屋根を叩く豪雨のようだった。
そんな水煙に曇る体育館を、演台に手を突き、睨みつけていた。
我慢。
『揺るがぬ山よ、揺るがぬ石垣よ、たとえ颶風が吹き荒れようと、全てを受け止め我と共にあれ』
なぜか心に浮かんだ言葉を、何度も口のなかで呟く。
『耐えろ政治』
先輩の声が頭の中をグルグルまわる。俺は一人じゃない。先輩と共に立っている。とことん皆と準備をしてきたんだ。だから、ここに居るのは俺だけじゃない。
暫くして、眩しさに慣れた目に、こちらをじっと見つめる生徒が見えてきた。
その横に一人。
離れた向こうにも一人。
俺が段上から、じっと全体を睨みつけているのが見えたのかも知れない。
また一人、また一人。
その口を閉じた間隙を起点にして、雷雲は晴れあがってゆく。
そして、聞き分けられる程の声が耳朶を打つようになり、遂に豪雨は去った。
静かに俺の声を待つ生徒達に向けて、大きく息を吸って呼びかける。
「理事会からの情報だ。前生徒会長も認識してたが理事会より強く口止めされていた。だがここに至って、学園の存亡差し迫ると判断し公開するに至った。生徒会は、この危機を受けて強権的な策を打ってでも破綻を食い止める。それにはここにいる全員の協力が必要だ。これより生徒会から皆に協力を求める事を列挙する。これは生徒である我々が行える緊縮策だ。今日は概要だけ説明する。打ち手は四つだ。詳細は広報や公示を見てくれ」
諸人はピクリとも動かない。資料のページをめくる音がバリっと響き、不気味さをいっそう増長する。その無言の圧力を押し返し説明を続ける。
「一つ目の施策だ。生徒向けのサービスや補助を停止する」
はーっと息をのむ声が聞こえてきた。
「一例をあげる。学食における補助を停止し、価格は補助金分を値上げする。これは購買に関しても同様だ。この手の補助金が入っているものは随時廃止する。皆さんには値上げを覚悟してもらいたい」
今度は「エー」と声がする。まぁ想定通りの反応だ。額は大きくないが、あえて多くの生徒に影響する項目を入れるのは、危機感を広く認知させるためだ。誰もが感じる痛みは、時には必要なのである。
「当たり前に我々が享受してきたサービスもこの範囲に含まれる。例えば冷暖房の使用だが、冷房は気温30度以上、暖房は気温16度以下に限る」
かなりのブーイングだ。「信じらんない!」「まじかよ」なんて文句が聞こえてくる。そりゃそうだろう。夏ならお嬢様方は汗だくになっちまう。それでも、ここは山の上だし緑も多くて快適なんだぜ。
「サービスの停止は、一部の生徒にのみ提供されている物にも適用する」
「おお」というどよめきが起こった。やっぱりそういうのだ。一等内部生の特権的な扱いに、納得してない奴らも多いのだ。これはその声。
「学食における特別内部生へのサービスは停止。一等、二等サロンの予算も停止させて戴きたい。範たる者こそ率先して危機に向かって戴きたいと思っている。これは決定事項だ、例え特別内部生でも例外は認めない」
ざわっと空気が動いた。見るでなく周囲の様子を伺う生徒達。ここまでやって特別内部生はどう思ったか確認したいのだろう。それは俺も同じだ。
この決定で先輩の立場は最悪になるに違いない。今までの尊敬や羨望を失うかもしれない。それだけじゃ済まず、怨みすら買うかもしれない。
先輩が推した生徒会長が、一等サロン潰すのだから。そして幕内葵はそれを止めないのだから……。
それでも俺は先輩に一番キツい選択を突きつけなきゃいけない。
清濁併せ呑む? そんなのウソだ。そんな寛大なんて無関心じゃなきゃ出来っこない!
潰れそうになる胸を叩いて、俺は次の施策の説明に声を張った。
「二つ目。校内清掃、緑地保全などは業者による実施を取り止め、生徒の手で実施する。そのために各クラスの衛生委員は、学級代表と協力してクラス全員の清掃活動を指示してくれ」
これには「ちょっと待てよ」の声が投げ掛けられた。内部生は今まで自分達の手で落ち葉拾いや掃除なんてしたことがない。急にやれと言われても受け付けないだろう。
だがな。そんなの先輩がしてきた苦労に比べたら屁みたいなもんだろう。掃除ごときでブーブー言うな! 腹立たしいので一言加える。
「この学校では生徒一人当たり、約1、000万円の費用が使われています。これは私立としても異常です。緊縮財政下、校内清掃やグランドの整備、緑地の維持など、自分達が使うものは感謝の気持ちを込めて自分達で維持管理していくのは当然です。公共財なんですから。清掃活動は漏れなく全員に、毎日、やってもらいます」
「瑞穂!」と俺の名を呼ぶ罵声も聞こえてくるが、無視。なんでもタダで頂けると思うなよ。
「警備の削減も検討している。危険のない範囲で必要最小限まで削る予定だ」
「ちょっとー」と言うのは女子。
安全はこの学園の売りでもある。家柄の良い子や裕福な子女がここ選ぶのは、安全を買ってのこともあるのだ。
とは言え、なにせ元が山城だ。この丘には学園しかなく、通じる道も一本道しかない。治安を守るには申し分ないのだから、敷地の中まで警備を入れるのは過剰だろう。
クレームが付くたび、増やしていった結果がこれなんだ。エアコンの温度設定と同じ。愚かだと笑いたいところだが、結果が破綻なんて笑うに笑えない。
「三つ目。学園の行事のいくつかを廃止・縮小する。現在候補に挙がっているのは、クリスマスイベント、夏休みの臨海合宿、林間合宿、交換留学などだ」
これは哀歓の声が入り混じった。この学園は行事が多いからだろう。それを面倒だと言う声も多かった。だが多額の予算が入る桐花祭も減額の対象になるのは、言わないでおこう。
「四つ目。寮も従業員の数を大幅に削減する予定だ。追って連絡をするが、寮長は寮環境維持のため、当番制で協同生活の質を高めてくれ。簡単に言うと風呂やトイレ掃除は自分達でやれと云うことだ」
絶句しているのは対象者だ。
寮は使用料が高いため、地方の裕福な子女が利用している。このような面倒がないために入寮したのに期待を裏切られた形だろう。
「これで全てだ。校舎の建て替えや設備の追加更新も、理事会に対して凍結を提案する予定だ。また警備が薄くなる事、それと急激な変化が起こるため、動揺が現れることを想定し、明日より一ヵ月を風紀強化月間とする。桐花にふさわしくない行動を認めた場合は、容赦なく対処するので、そのつもりで臨むように」
自分の気持ちを振りきって、淡々と話したのが良くなかったのかもしれない。「おい憲兵かよ」なんて聞こえてくる。半端に学力が高いと変な言葉を知っていて困る。だがそれも無視。
「別件だが球技大会が近い。知ってのとおり七月末、夏休み直前の実施だ。学級代表は速やかに種目別に選手の選定を行い、しかるべき登録を進めてくれ。なお、今年は応援や練習に伴う費用は生徒会では清算しない。必要があれば自腹で行なってくれ」
「まじかよー」って小声が聞こえるけど、それって普通だろ。俺とか大江戸にとっては、こんなものにまで補助が出る方が驚きぜ。
「これらの案は理事会の承認を受けたものから随時、行っていく。財務状況の詳細は調査中だ。理事会の情報提供を受け次第、即、全体に公開する。また、理事会がなぜ口止めをしていたかは不明だ。これも理由は分かり次第、全生徒に公表する。以上で全てだが、質問・意見はここでは受け付けない。言いたいことは投書箱に投函してくれ。回答は生徒会通達ならびに校内の報道機関から行う、以上だ」
言う事は言った。もう俺から言う事はない。
そう思い、一歩足を引いた時、言い忘れたことを思い出した。いや言う決意がついた。
「待て、もう一つ。校則を一部変えたい。男女、家柄、内部生・外部生について不公平をなくし生徒間の完全平等を謳いたい。俺からの話は以上だ」
これで本当に言う事は言った。
今度こそハケようと舞台袖に向かうと、生徒席から「勝手に決めんな!」と怒声が飛んできた。一瞬、その方を見たが、誰だ言ったのか特定することはできず、仕方なく流してまた歩き出す。
だが、この言葉を皮切りに、燎原之火のように、不満の声は一気に体育館に燃え広がっていく。
「生徒会長だからって、何でも自分勝手にできると思うな!」
「学園はお前のもんじゃねーぞ!」
「説明責任をはたせ!」
『ふーーーー』またか。
ここで罵声を浴びせられるのは、入学式以来、二度目だ。こんな短期間で、二度も全校生徒から罵られる経験をしたのは、桐花の長い歴史の中でも俺くらいだろう。何事も史上初というのは尊いものだが、これは苦笑いだ。
とは言え、何も思わないわけじゃない。今は正直こう思う。
『なんて身勝手なんだろう。今やらなきゃ最後に困るのはお前らなのに』
しょうがないので、もう一度、マイクの前に戻る。
「嫌なら学園を辞めればいいんです。財政改革しなくちゃどうせ無くなる学園ですから」
一気に静まりかえった会場に背を向け、俺は上手にハケた。
その向こうで、神門が渋い顔をして出迎えている。
「余計なことを」
「すまない」
「印象が悪いと、やっている事まで悪事になるんだから」
「分かっている」
「葵とそっくりだよ」
「なんだよ、それ」
「なんでもない。さぁて、クラスに戻ろう。僕らは譴責の嵐だよ。怖いなぁ。僕が虐められたらを守ってね。生徒会長さん」
「うるせ! 自分の身を自分で守れる奴は、俺は守らねーよ」
「冷たいなぁ」
僅か10分で終わった全校集会を締め括るべく、新田原が美声で終了を告げる。だが体育館は、ステージに詰め寄る者、その場で立ち話しをする者、ヤジを飛ばす者など狂気乱舞の無政府状況だ。
「ふざけんな!」
「横暴にも程があるぞ!」
「勝手に決めんじゃねーよ」
デモ行進のように野太い声が飛び交う。
教師がいくら退場の指示を出しても、逆に生徒に質問されてしどろもどろの状態。新田原の「速やかにクラスに戻るように」の案内も全く無視。言う事なんか聞きやしない。
ここで事態を収拾させようとヘタに動けは、逆に混乱は収まらないだろうと思い、俺は何もせず舞台裏から群衆を見ていた。
幾つかのクラスでは、学級代表と思しき者がクラスメンバーの間を必死に駆け巡り、言う事を聞かせようと躍起になっている。
中には舞台に上がってくる生徒もいるが、これは風紀委員が力で阻止している。
『どこかの国の国会だな、こりゃ』と、まるで他人事でも見るように思うが、こんな騒乱になるほど強引でよかったのだろうかと、今更ながら自分への猜疑も過る。
「いや、人気取りのためにやってるんじゃない。大義の為だ」
揺らぎそうになる心に杭を打つ。
そんな天秤を揺らしつつ、いったい何十分待っただろうか。
騒げども俺が動かないと分かると、騒いでいた連中もひとまずは諦め、次第次第にクラスに戻っていった。それを全て見届けてから、俺達はクラスに戻った。1時間目はとうに終わっていた。