2章-22
気が付けは、季節は夏。
そんな当たり前のことを衣替えで知った。
桐花の夏服は、冬服より華やぐ。
男子は、半袖の白シャツだが、袖口や襟裏、ポケットのフラップにダークグリーンのチェックカラーが入っており、さりげなくおしゃれだ。
肩章には、やっぱり桐花の校章と内部生は二つ星、外部生は一つ星がつく。どうしても内部と外部を分けたいらしい。
ズボンはサイドにグレーのラインが入り、夏らしい爽快な雰囲気となる。ネクタイは、相変わらず臙脂ね。
女子は、ブレザーからフォーボタンのベストになる。色は白。前合わせは下がハの字になっていてフロントダーツはキツめ、冬服の印象に近いが、襟元は大きく開いており解放的だ。
そこに例の大きなリボンを合わせる。
ベストのポケットのフラップがダークグリーンのチェックなのと、胸ポケットに校章と星が付くのは男子と同じ。
冬服と違うのは背中のデザインだ。
やけに目立つお尻まで垂れた蝶蝶結びのベルト?※がつくのだ。
歩くとそれが揺れるのが、なんともたわやか。男子の間ではこのアイテムは『しっぽ』と呼ばれており意外に人気だ。
でも水分に聞いたら「じゃまなのよ。椅子にもたれると背中に当たって痛いの」だそうだ。
「水分は姿勢がいいから関係ないじゃん」
「時には背もたれも使いたくなるわよ。一日中、背筋を伸ばしているのはとても疲れるのよ」
ごもっとも。女の子は大変だ。きっと、お嬢様はもっと大変なんだろうな。
※バックベルトのこと。普通は尾錠で止めるが、桐花では20センチメートル長の蝶結びデザインの装飾となっている。
こんな涼しげな夏服だが、意味があるのは通学の時くらいである。なぜなら桐花の教室は全室冷暖房完備だからだ。
『こんな贅沢が許されるんだろうか』
田舎暮らしが長い俺は思ったが、確かに都会の夏は、頭がチンチンになるほど暑い。
コレがヒートアイランドってやつ? それとも地球温暖化?
冷房が必要なのは認めよう。余りの暑さにお爺ちゃん先生が、熱中症で倒れるのも嫌だし。だが、24度まで室温を下げるのはどうなんでしょう。
てことで、生徒会として管理室に確認したら、「暑いと苦情が来ないように、温度設定を下げているんです」と言う。「じゃ、寒いと苦情が来たら上げるんですか」と聞くと、「それはない」と答える。管理が怠慢だと思われないために、『過剰は良いが不足はダメ』と言われてるんだそうだ。誰に言われたか分からないけど。
そういう構図なんだ。桐花に限ったことじゃないけど、無駄遣いの仕組みが分かった気がする。
この無駄遣い体質に、誰かがブレーキをかけなきゃいけない。だが、ノーを言うには抗うだけの覚悟と信念がいるわけで、それを試されるのが今日の全校集会。
そして、先輩との約束を果すの第一歩だ。
◆ ◆ ◆
集会は朝、授業開始前に行われる。
授業時間を30分削るので、生徒達には授業が短くなって喜ぶ者と、面倒な行事に参加するのが不満な者が入り混じっているようだった。
俺のクラスは生徒会役員が多いので、前日には「何があんだよ」「教えろよ」といった質問が、俺達に相次いだ。
だが、もちろん黙秘。
ここらへんの結束が強いのはありがたいねー。この結束をもう少し俺への畏敬に変えてもらいたいけどねー。
勘のいいヤツは「風紀の強化だろ」と当たりを付けていた。新田原が動いているので、分かる奴には分かってしまう。
だがこれはブラフ。実は神門の提案で、『先に新田原が動けば、俺達の真の狙いから意識を逸らせることが出来る』という算段が働いているのだ。
おかげさまで、「持ち物検査あんのかなー」とか「リップくらいなら大丈夫らしいよ」みたいな噂が飛び交い、その先の勘繰りは抑え込まれているようだった。
いやぁ、ちょいちょいズルい手を考えてくるわ、この子は。末恐ろしいです。
当日の生徒会は6時起きだ。
会場となる体育館には、俺が一番に着いた。鍵を開けると、しっとりとした朝の空気が、スーっと足元を通り抜けていく。その冷たさに身が締まる。
調整室のライトを付けると、神門、大江戸、新田原の順に生徒会メンバーが集まってきた。一様に緊張を纏っている。
最後にやってて来たのは先輩。
先輩は生徒会ではないので、全校集会の時は三年の列に並んで下から俺達の一挙手一投足を見ることになるのだが、その前に顔を見に来てくれたわけだ。
優しいなぁ先輩は。そういうところ、大好き。
「下から生徒会を見るのは数年ぶりの経験だ。さぞ新鮮だろう」
俺達の事を気遣って、さも愉快譚だと話してくれるが、協力できない申し訳なさや、財務資料を集められなかった事を悔いていの懊脳なのだろう、表情に隠しきれない陰りがあった。
「何か手伝おうか?」と気を効かす先輩に、「大丈夫ですので、そこいらで座って見てて下さい」と伝えると、また何とも寂しそうな表情で小さく微笑む。
別れ際には全員に頭を下げて、「心の中で見守ることしかできぬが応援しておる。誠に申し訳ない」と末期の別れのような辛さを残して席を外していった。
俺は先輩が余りの憂慮に長い睫毛を伏せるものだから、「最善を尽くしているんだから大丈夫ですよ」と言って微笑み返すことしかできなかった。
新田原は感極まって泣きそうな顔をしているが、大江戸は「がんばります」程度の適当な返事でお茶を濁していた。
なんとなくだが、神門が言った、「キミには足りないものがあるよ」の意味が分かる。
大江戸は、仕事はきっちりするし手は抜かない。結果も出すし責任感も強い。
今回の費用削減案も部費計算のシミュレーションも、大江戸が一人で担当して、俺には理解できないような部長達が納得する配分方法を検討してくれた。
凄い事をやっているのだが感動が薄いのだ。何故?? まっこと損な奴である。
さて、全校集会は俺も初めてなんだけど、その初陣がこんな大作戦になるとは、俺も余程引きがいい。ここまで来るとどんな珍事が起こるか、楽しみなくらいだ。
その高鳴りと緊張を押さえつつ、壇上袖から会場を見ると、白の列が順に出来つつあるのが見える。
その列から、ひょいとはみ出てこちらに駆けて来る一人の女生徒あり。
均整のとれた体格に、栗毛のショートカット。ヨミ先輩だ。
手を振り振り、ステージ横の階段を軽快なステップで駆け上がってくる。
「よう! 生徒会ズ。 準備はバッチリか?」
「ヨミちゃん。ありがとう。直前の取材かい?」
神門が自分を殺して応対している。がんばれ! 青年!
「うん、まぁそんなところだ。このネタでウチの初号を飾らせてもらうからな。瑞穂っ、いまの胸中を教えろっ!」
「教えろって、ヨミ先輩」
ヨミ先輩とは何度か会って取材を受けていたので、すっかり慣れてしまって、お互いもうこんな感じだ。その取材も半分は雑談。つまり駄弁りに来ているという具合である。馴れ合いは良くないと言ってたのに。
「はやくしろ! 時間ねーんだから」
「えっと、緊張と期待ですか。ここから全てが変わっていく、記念すべき日ですから」
「ほほう、記念日とな」
いつの間にやら、ポケットから手帳を取り出してメモを書き始めている。
「桐花の文化の再構築。いや原点回帰です。それを外部生がやっていいのかとは思いますが、やるなら本気がモットーですから、選ばれた責任としてそれを体現するだけです」
「具体的には何をやるのさ」
「あの、ヨミ先輩、生徒会長とインタビューアなんだから、そこは敬語でしょ」
「いいんだよ、瑞穂は細かいんだよ。んなチマチマしたらすぐハゲんぞ」
「あと、40年くらいハゲませんよ。で、なんでしたっけ具体的にでしたっけ?」
「そうそう」
「それは、全校集会で話します。報道とはいえ公正を守ります」
「あーい、言うとは思わんかったけどね~。ねーちゃんにも言うなよ、口が上手いから瑞穂は乗せられそうだぜ」
「大丈夫ですって。先輩こそちゃんと記事にしてくださいよ」
「オレを信じろ! んじゃ、後でね。放課後~」
というと、また桐花の女子らしくなく、短い髪をなびかせて飛ぶように二年の列に駆け戻っていく。
列では、止まりきらないヨミ先輩を同じクラスの女の子達が、ふわっと受け止めているようだった。
まだ、集会が始まる前というのもあり、ヨミ先輩の周りには、女の子が一杯集まって実に楽しそうな笑顔がはじけている。
「モテる! 主に女子だけど」なんて言ってた気がするけど、本当らしい。もっとも、その周りにいる迷惑そうな男子が俺には気の毒でしょうがない。
先輩はといえば、こわばった顔で正面を見つめている。
列は学年・クラス別に縦一列に並ぶので、マ行の先輩はかなり後ろの方だ。俺の視力でもギリギリ表情が見えるくらい。
時々、同じクラスの人に笑顔で話しかけられても、ちょっと会話を交わすだけでまた正面をキッと見つめ直す。
張りつめた空気がこちらにも伝わってくるようだ。
全体に目を移すと、言っちゃ悪いが、どのクラスもタラタラ、ダラダラ。生徒会が催す全校集会なんて興味の対象外だ。自分に関係のあることなら声高に権利を主張するが、一歩離れるだけで自分に関係する事ですら無関心になるのは、普通の事なのだろう。
中学の俺もそうだった。誰かが用意してくれた平和なんて感謝の欠片もない。
「瑞穂、全員あつまったぞ」
全校生徒の集合を見届けた大江戸が、俺に声をかけつつ庶務担当の新田原に合図を送る。それを受けた新田原が、放送施設のガラス越しに「うむ」と頷く。
「臨時全校集会を始めます」
新田原のイケメンボイスがマイク越し体育館に響くと、お喋りと笑い声にまみれた体育館は次第に落ち着き始めた。
そして、消え切らぬささめきが残る中、次のアナウンスが流れる。
「生徒会長、よろしくお願い致します」
顔を上げ袖から檀上中央の演台に向けて歩き出す。
思ったよりライトが眩しい。そして思ったより床がギシギシと鳴る。
歩いて10歩先にある未来へ。
ここは三ヵ月前、先輩がいた所だ。
そして今、俺がいる。
演台に資料を置き、高い所から1、000名を越える桐花学園高等部の全生徒を見渡す。
横と後ろには教師が立っている。だがステージからは眩しくて誰の表情も見えない。だが、それは救いだ。
数拍の間をとり、俺は腹に力を入れてマイクに向かった。
「生徒会長の瑞穂政治だ。四月から幕内暫定生徒会長から任を引き継いだ。よろしく頼む」
「会長職を引き継いでから挨拶が今日まで遅れたこと申し訳なく思う。自分の力不足で組閣が遅れたことを許して頂きたい」
拍手も批判もない。そういうものか? そういうものなのだろう。
「さて今日は、俺から重要な事を話す。必要ならメモを取れ。同じ事は二度言わない」
主に三年生の列からメモを取り出す音がする。
あえて乱暴な言葉使いにするのは先輩のアドバイスだ。「桐花はそのくらいが丁度よい」と言われたのだが、それが丁度よいのは先輩だからでしょ、って事は言わない。
でもナメられないのは重要なので、俺としてはかなり無理をして言葉を選ぶ。気を抜くと声が上ずりそうだよ。
間を取ってゆっくりと全体を見渡す。それはもう、ゆっくりと、ゆっくりと。
勿体ぶった雰囲気に、皆が飲み込まれたのを見届けて、俺は大きく息を吸った。
「桐花学園高等部は、近々、財政破綻で消滅する。信じがたいが事実だ」
鋭く放った声が体育館に響き、そして余韻となって人の間に溶け込んで消えた。
どうした? 何の反応もないぞ。もう少し待つか? それとも次の言葉を繋げるか。そう思い口を開いたとき。
「えーっ」と黄色い声が上がった!
ざわざわと蠢き始める1000名。
波紋となって広がった驚きは次々と連鎖し、その量とボリュームを増して体育館中に広まって行く。
その喧騒は、まるで雨音に似て……。
土砂降りである。