2章-20
その夜、俺は先輩と大事な話をした。
「先輩、ひとつ聞きたいことがあるんです」
「どうした、改まって」
「たぶん先輩にも関係のある事だと思うので」
そう言われて顔を引き締める先輩。笑顔が素敵な人だが、真剣な表情も凛々しくカッコいい。
「言ってみろ。私に分かる事なら答えよう」
「サロンの事です」
サロンという言葉を聞いて、ぴくっと眉が動いた。その理由は分かる。多分先輩が思うのは、あの日の俺だ。
「大丈夫です。もう昔みたいに爆発したりしませんから。ありのままを教えてください」
「政治はどんどん大人になるな」
「……」
「そこに座れ」
先輩は俺に椅子を勧めると、自分も息を入れ替て椅子に座った。短いスカートの左右を引っ張り、なぜかリボンを整える。
そして落ち着くと、じっくり俺の目の奥を見た。
「政治はどこまで知っている」
「はい、どうも内部生の集まりで一等、二等っていうのがあるくらいしか。聞き出す機会もなかったですし。聞くのも憚られてましたし」
「そうだな」
先輩はどこから話そうか少し考えてから、重そうな口を開いて俺に説明を始めた。
「サロンは、内部生だけが参加する集まりだ。本校舎の二階に一般内部生が使う二等サロン室がある。特別内部生の一等サロンは別棟だ」
「一般内部生?」
「ああ、外部生がダブルと呼んでおろう。初等部から当学園に入学した者たちだ」
全然隠語じゃねーじゃん。ダブルって。
「じゃ特別内部生は?」
「学園の創始家や元華族、政財界の重鎮の子女などがそう呼ばれる」
なるほどね創始家の御令嬢。それは納得だ。ということは神門もそれなりの家の出ということになる。
「一等サロンは特別内部生しか入れん。三年の校舎の向こうにある洋館がそれだ」
別棟かよ! スゲーな。
「集まって何をしてるんですか?」
「何という訳ではない。情報交換や時間つぶしの噂話の類だ」
「それだけですか?」
少し言いよどんで、息とともに説明を続ける。
「特別内部生が嗜むイベント事などを話し合う。イベントといっても、形而上、大人の世界を模したお遊びのようなものだ。季節の茶会や鑑賞会、賓客を招いてのパーティーなどだな」
「はぁ……」
「気の無い返事だな。私も初めの頃こそ、見たことのない世界にときめいたものだが、今となっては内苑の茶会など、くだらんと思っているよ」
俺を気遣ってか、本当にそうなのか、さほどの価値を見出していないと説明にため息が混じった。
「あと……」
「あと?」
「しばしば、学園の暗黙の了解が決められることがある。そのだな、自分たちの処遇とか……」
だんだん雲行きが怪しくなってきた。先輩も言い難いらしく表情が曇る。それは俺のムカムカが顔に出ているからかもしれない。
「この学園の悪い所だ。サロンの影響力は一等から二等、二等から各クラスへと下達される。政治は遅刻して知らなかったろうが、入学初日にクラスで説明があった筈なのだ。食堂の使い方、席の上下、特別内部生の扱いや内部生特権についての説明が」
「後で知りましたけど、掃除や当番の免除されてますよね」
「ああ、申し訳ないが特別内部生が決めたルールだ。他にも特別内部生から見た問題児の処遇、学園側や教師へのもろもろの注文、一般内部生への指導なども」
苦しそうに言うので、「もういいです」と伝える。
「聞きにくいのですが、先輩はそこで……」
先輩は、最後まで言わなくてもよいと目で制する。
「一等サロンの会頭は私だ。かつて内部生の総代だと言ったことがあるが、そういう事だ。政治も勘が良くなったな」
複雑な心境を押して作り笑顔で答える。でも、俺としては笑うに笑えない。
「生徒会長で一等サロンの会頭だったんですね」
「すまん」
「謝らないでください。俺は別に先輩を責めているわけじゃないですから」
「すまない」
どうやら本当にこの学園の権力の中枢にいたらしい。新田原が憧憬の表情で見るのも分かる。美人で切れ者。その上、殿上人なのだから。様も付くってものだ。
逆にやっかみの対象にもなる。
しっかし、そんな人が外部生と場末で牛丼を食ったら衝撃だったろう。知らないとは怖いものだ。
「サロンには久しく出席しておらん」
「……水分が嘆いていたのは、それだと思います」
「お前には言ったのか。優しい子だ。間に挟まれて心を痛めているのだろう」
なぜサロンに出席してないのかは聞けなかった。確実に俺のせいだろうから。俺を生徒会長に推して立場が悪くなっているのも分かった。だからそんな苦しめる質問は俺にはできなかった。
「あのようなものがあると特別意識が生まれる。特別とは麻薬だ。より多くを求め、より差を求める。なぜだか分かるか」
「いいえ」
「孤独だからだ。いくら見下しても、いくら得ても満たされない。それはサロンの中ですらも」
「先輩は、それを感じていたんですか」
聞いちゃいけないと思いながら、興味で聞いてしまった自分を恥ずかしく思うが、先輩は俺の胸中を気にするでもなく答える。
「政治に言われるまで、違和感を感じながらもそこに甘んじていた。見下してくれても構わない。我鈍感を恥ずかしく思う」
先輩は、まだその後悔から脱していないらしく、重々しく俺にその言葉を向けた。
俺は合点がいくものを感じていた。先輩が二年生から悪く言われるのは、悪どもをロックアウトしたのもあったと思うが、大口寄付者の外部生でダブルになった人達と、純粋に内部生でダブルの奴らの確執を押さえ込まなかったからだろう。
特別内部生が特権階級なら、二等サロンから外部生ダブルを排除することも命じられた筈だが、そんな事をした形跡はない。
純粋内部生から見ると、先輩は自分たちの権利を守ってくれない特別内部生であり、外部生ダブルには自分達より特権階級に君臨する長として目の敵にされていたのかもしれない。
名門貴族と新興貴族の権力争いみたいなものか。
その特権層のボスが指名した生徒会長が俺で、しかもそいつが外部生の一年なら、風当たりが強いのは当たり前である。
特別内部生だからこそ、手が付けらない領域があった。
世間的には先輩が、気まぐれに外部生を生徒会長に推したと見えるだろうが、先輩はこのしがらみを断ち切るために本当に助けを求めていたのかもしれない。
それが俺だった理由は未だ分からないが、たしかに外部生であることに意味があった。
学園の事、金の事を考えるならサロンは潰すべきだろう。
でも……
サロンを壊せば!またひとつ先輩の居場所を奪ってしまう。生徒会、記念堂、そしてサロン。
口では先輩が犠牲にならなくてもいいと言いながら、やっぱり先輩を犠牲にしてるじゃないか。
学園を救う。大義の意味は先輩の身を切り刻むのと同義だ。生徒会が動く程、先輩は傷付く。
「これからやることは、先輩の立場を……」
「政治」
「はい」
「それは、お前が気にする事ではない」
「でも、必要があれば俺がサロンに説明に行きます」
「来るな、その必要はない!」
表情は厳しい。だが、その顔がふと和らぐ。
「むしろ逆だ、もしお前の決心が揺らぐなら、私は生徒会に近づかないようにしよう」
「そういう意味じゃないんです」
唇が。やわらかそうな頬が、ふにっと締り、そして小さな言葉を紡ぐ。
「政治がやりにくいなら。それがよい」
彼女に喜んでもらいたかった。だが、それ以上に小さくなっていく彼女を見るのは辛い。
先輩の願いと先輩の居場所、どちらも取るには矛盾がデカ過ぎる。