2章-16
一方、大江戸の方だが、先輩から水分に話をしてくれたらしい。
「ちょうど宇加の家に訪問せねばならん用があったのでな」
宇加? ああ水分の名前か。
「どうでした?」
「事情を話したところ、好意的だったぞ。大江戸くんに聞いてみるとの事だった」
「あいつは協力的ですよね」
「ああ、少々人見知りではあるが、幼い頃から思いやりのある子だ」
「小さい頃から知っているんですか?」
「家族で付き合いがあってな。幼稚舎に行く前からよく遊んでおった。私に懐いていてな。手をとって歩かないと泣きそうな顔をするのだ。性格は随分違ったが何故か仲が良かった」
目を細めて思い出を語る。美しい子供の頃の一コマなのだろう。いつ頃の話なのかは分からないが、俺が知っている『実はお節介で大阪おばちゃんな、ナンチャッテ淑女』とは少しイメージが違った。
「ヨミの件はどうなった? 作戦とやらは成功したのか?」
「うーん、まだ成功かどうか分からないけどね。手ごたえはあったよ」
「ほほう、あやつ頑固そうに思っていたのだがな。私の見立て違いか。まぁそれなら良かったが」
顎に指をあてて、むむと唸っている。
「いや、先輩。もう頑固っていうか一筋縄ではいかないヤツでしたよ」
「ん? だが手ごたえはあったのだろう?」
「神門の機転がなかったら、上手く行きませんでした。俺だったら正面突破でハイサヨナラだったと思いますし」
「そうか、神門のことだから、また巧みな手を使ったのだろう」
「そんなことないよ、葵は僕が闇を牛耳るフィクサーのように思ってるよね」
「そこまでは思っておらんが、外れてはおるまい」
「ひどいなぁ、今回は僕だった身を削ってるんだから」
「そうなのか? 結局、お前たちは何をしたのだ?」
素朴な疑問を投げかけてきたので、ここ数日に起きた事を俺と神門で説明してあげた。どうやら俺達の噂は、三年生の所まで届いていなかったらしい。あるいは先輩の耳に入らないように、周りの取り巻きが配慮したのか? 先輩が俺と神門に随分と目をかけているのは、周知の事実だからね。
初めのうちは、わははと笑いながら聞いていた先輩だが、展開がシリアスになるについて顔から笑いが消え、なんでしょう、話も佳境に入るころには双眸の輝きをも失われ、定まらぬ焦点でふらふらした風に。
そして、神門が俺のピーをピーしたあたりでは、もう目がテンで口が開きっぱなしになっているではありませんか。
「そういう……そういう、こと…だったのか」
何がそういう事なのか、理解の程は分からないが、ぎりぎりその言葉を発すると、先輩は屹立したまま事切れた。
「葵~」
神門が先輩の顔の前で、はらはらと手を振る。
反応はない。
すっかり生気を抜かれ、脱力し、立ち尽くしている。マンガだったら制服が肩からズリ落ちているところだ。
「だめだね。すっかり呆けちゃったね。葵には刺激が強すぎたかな」
「神門! お前が、そんな露骨に言うから! 先輩、バカみたいなっちゃったじゃないか。どうすんだよ」
「そうだね、今度は政治が葵にキスをすると戻ると思うよ。お姫さまの眠りを覚ますのは、王子さまのキスって相場が決まってるから」
「お、おう、そうか。そうだな。そういうもんだよな」
「馬鹿者! そのようなこと、新田原実の目が黒いうちは断じて認めん! 寝込みを襲うような真似をしたら、貴様、即刻、その首叩き落としてやる!」
ここまで沈黙していた新田原が、木刀を背から取り出し構える。
「どこに持ってたのそれ! ねぇどこから出したの!? やめて、それじゃ撲殺だろ。残酷すぎるから!」
構える新田原に合わせて、俺も手を構える。ただで打ちのめされちゃたまらない。
「じゃ、先に実くんの口から封じちゃおうか? 実くんも、こういうのに免疫ないみたいだし」
「……なるほど。神門、グッアイデア!」
意味を理解した新田原が、はしっとして両手で自分の口を押さえる。かららんと落ちる木刀。
「どっちだ、瑞穂か! 神門か! お前らはどっちも……」
「うふふふ、どっちかな~」
なんか楽しくなってきたぞ。未だ半口からエクトプラズムを出している先輩をよそに、じりじりと間合いを詰め新田原を生徒会室の角に追い詰めてやる。
「どうした新田原、後がないぞ」
「お前ら!」
「さぁ、どうする、どうする?」
きょろきょろと左右を見渡し隙を探る新田原。ぐへへ、逃がすもんかよ。
「政治、実くんを……押さえて!!!」
「あいよっ!」
掛け声を合図に飛び掛かり、両手が使えない新田原の背後をするりと取る。うまい塩梅に羽交い締めにして両手を封じると、新田原の手の向こうから、意外にも端正な唇が顕になった。
それを見た神門がにやーっと嗜虐的に笑う。悪いやっちゃな~。
「へへへへ」
ネズミを仕留める猫のように、足音を殺してひとっひとっと近寄る神門。
「やめろー、やめてー、やめてくださーい!」
新田原がいい声を出しているぜ。ザマーミロ! 日頃、横柄な態度を取っている報いだ。今日までのツケを払ってもらおうか、うけけけ。
新田原は、「俺のファーストキスは愛する人とぉー。葵様ー、お助け下さいー」なんて叫んでいる。
「先輩は、もうこの世には居ない。諦めるんだな、新田原。素直に俺達の物になれ」
「俺達ってなんだーーー! 勝手に殺すなー、俺の唇はお前らになんかに渡さないぞー!!!」
罠にかかった獣のあがきですな。日頃の鬱憤があると、こういうプレイが実に楽しい!
なんて、いい調子に盛り上がっていると、ガチャと扉の開く音がした。
振り向くと、そこには大江戸。
「お前ら、何をしてんだ?」