1章-2
学園は、内部生と外部生とに明らかな差がある格差社会だった。
初日からの失態でクラスでハブられると思っていた政治だが、意外にも神門という美少年の救いの手により、かろうじてクラスでの居場所を見つけるのであった。
白い制服ってこういう時困る。
全身についた灰色の靴跡が目立つんだよ。この学校はこういうことを想定してないのかっ……しないか。
ああそうか、だから学ランは黒なんだな。こんな時に目立たないようにと。
どんな高校だそりゃ。
おかげさまで入学式が終わって教室に戻る帰り道は、全身に足跡をつけた奴に気さくに話しかける勇気ある少年少女はおらず、我クラスはさながらお葬式のような沈黙の行進となってしまった。
『とほほ』って言葉はこういう時にあるんだな。この状況を前に、両手で顔を覆って掻き毟りたくなる。
友達できるかな……。
クラスに戻り全員が席に着くと、担任教師が前側の入り口をガラリと開けて入ってきた。
担任は、さっきのヤ○ザ野郎だ。
だぶっとしたダブルのグレーのスーツに、やたら光る黒い靴。明るい所で見るとスーツ越しにも結構体格が良いのが分かる。
「このクラスの担任になる。吉田だ。よろしく頼む」
頭は下げない。クラスが息をのむ。たぶん柄の悪さのせいだろう。
透視能力があったら、コイツの背中に龍の彫り物が見えそうだもん。おかげでクラスの皆は背筋ピーンだ。
コッチがじっとしていれば何もしないが、ちょっとでも悪さでもしたら張ったおされそうな恐ろしさがある。触らぬ神に祟りなし。
それよりだ。吉田の印象より俺の第一印象だよ。皆どう思っているんだ。
反抗的な生徒?
それとも目立ちたがりのお調子者?
幕内先輩との関係も変な噂になったらいやだなぁ。
絶望的な気持ちに頭を落とすと、制服の袖についた靴底マークと埃っぽい匂い。
もう、散々だよ。どこで間違ったのやら俺の高校生活は。もうはっきりと幕内先輩のせいだろうけど。
「はぁ~~」
しまった!
「おぅ瑞穂、大きなため息をついてどうした」
口を覆うが手遅れ。獲物を見つけたドラ猫のように、吉田が教壇から身を乗り出して俺を視界に収める。笑顔だが、口元を手で覆ったら目がマジだ。
「いえ、なにも……」
これが精いっぱい。つられてクラスの奴らも誰一人、不動の姿勢でピクリとも動かない。
俺はもうこれ以上、余計な事は言わないぞ。
吉田教師の促しでクラスメイトの自己紹介が始まる。先頭は赤羽くんだ。出席番号はたぶん1番。
赤羽くんは、県内の公立中学から来たそうだ。歴史のある学校なので緊張しているとのこと。普通の自己紹介である。
席は男女を分けて苗字の順に並んでいる。次は隣に座る女子の阿達さん。
内部生で幼稚園から、ずっとここだそうだ。胸に軽く右手をあてながら、つま先立ちするように背筋を伸ばして話す。耳触りのよい良く通る高いはっきりした声。
一人一人の目をしっかり見ながらクラス全体にまんべんなく話す喋り方は、まさに場なれしており全く感嘆してしまう。人前で話すことに慣れているのだろう。
自信に満ちた、つり目がちな瞳。
自己紹介は「引き続き仲良くしてくださいませ」という言葉で締めを迎えた。
その言葉に育ちの良さを確信した。声も瞳も堂々としているのはそういうことなのだ。
椅子に腰かける仕草もモデルのように滑らかで、細い体はまるでその場に収まるのが当然だったようにスッと椅子に収まっていく。ボブにそろえた髪を軽くゆらしながら。
歴史のある学園だとは聞いていたけど、本当にこういう子がいるんだ。
まぁここ数年で急にレベルが落ちたんで、俺みたいのも入学できるけど。これは凄い学校だわ、思ったより。
てな具合で、自己紹介はどんどん進んで行く。
男子は、面白そうな奴もいれば、いかにもお坊ちゃんな奴もいる。
女子は……制服のせいもあるかもしれないが、美人が多い気がする。
女子の制服は、白のダブルのブレザーで前合わせの裾の部分はハの時になっている。ウエストがきゅっと締まって見えるから、ぽっちゃりしている子は大変そう。
襟は男子と一緒でかなり詰まっている。リボンはブレザーの外に出す感じだ。
普通の蝶のリボンだがサイズが大きいうえ、学年ごとに色が違うので、年によって随分印象が異なる。
今年の一年は赤色だ。
スカートは黒のボックスプリーツで、裾に白いラインが入っている。生地が固いためか、動いてもふわっとした感じはない。
全体としてみると歴史のある学校らしく、カチッとしたイメージ。これはスレンダーな子じゃないと着こなしが難しそうだ。
だが、そんな心配は杞憂で、みんな素敵に着こなしている。ちょっと胸の大きな子は苦しそうだけど。
失礼。いま悪魔側の俺が変態的なことを言った気がするが、気にしないで欲しい。
そんな自己紹介を聞いている間も、俺の頭を占めるのは勝手に任命された生徒会長の件だ。
手遅れになる前に、幕内先輩に会いに行って断らなければならない。このまま放置すれば本当に面倒事を引き受けることになってしまう。
新入生をいきなり生徒会長に指名するなんて、ほんと凄い学校だよ。いや酷い学校だよ。
でもなんで俺を指名したんだ。幕内先輩は謎めいたことばかり言っていたし。忘れているだけで、どこかで会ってたかな。いや覚えてねーけど。うーん。
気が付くと自己紹介は、俺の直前に座る銀髪の男子の前まで来ていた。
神門正義。ほっそりとした華奢な体躯に白い肌、肩口までの長い髪。その髪が銀、正確にはグレーなのでクラスの中でも一際目立つ。
立ち上がると身長もそれほど大きくないので、まるで女の子ようだ。実際、奴の横にいる妙にガタイのいい女より、よほど女っぽい。いや、これは絶対言わなでおこう。口にしたら本当に俺の高校生活は終わる。
神門が喋る。
「御存じの方もいらっしゃると思いますが、桐花学園中等部からの繰り上がりです。またよろしくお願いします。外部生の皆さんは初めましてですね。髪の毛がこんなのですが悪い子ではないので、怖がらないでください」
顔が耽美だと声まで美麗だ。滑舌のはっきりした少年のような透き通った声が香炉の薫りのようにクラスにくゆりみつ。
そして、周りの生徒からクスクスという笑いが起きる。神門のギャグがどうやらヒットしているらしい。
この女の子なみの容姿と体つきで怖がるもなにもない。むしろフェミニンな神門を見る女生徒の目は、ため息交じりのアンニュイムード。これは、中等部の頃から、さぞかし人気があった事だろう。
その神門が俺の方をちらっとみると、次はキミだよとグレーの瞳で合図してくれた。いや、ウインクはやめてくれ。惚れてまうやろー。
ふーっと、息を整え席を立つ。
「瑞穂 政治です。よろしくお願いします」
これだけで、クラスがザワザワ。
「生徒会長の……」「遅刻した」「葵先輩の……」と聞こえてくるが無視。
自己紹介は、滞りなく進めたつもりだ。べつに変な事も言い訳も言ってない。朝の事件の事には触れず、出身校や趣味や得意など、失敗を取り戻すべく極力無難なテーマを選んだはずだ。だがクラスの空気が微妙なのだ。
ふんと鼻を鳴らす人が一部にいる。なんだろうこの、いきなりの嫌われっぷりは。
そう思い席につくと、前に座る銀髪くんが、くるっとこっちを振り返った。
「あの微妙な反応の子達が気になるんでしょ。肩章のラインが二つ以上ある子は僕と同じ内部生だよ。まぁ突っかかる気持ちは分かるな。瑞穂くんは外部生なのに、いきなり幕内先輩のお気に入りだもんね」
「お気に入り? むしろ被害者だろ」
「そう思わない子も多いよ。でも、いきなり生徒会長は巻き込まれちゃったね」
「ずいぶん訳知りのようだけど、えーっと、神門くんだっけ」
「呼び捨てでいいよ。たぶん瑞穂くんよりは知っていると思うよ」
「俺の事は政治でいい」
「ふふふ、似てる名前だね」
「ん? ああ、そうか? 神門はセイギだったか。確かに似てるな」
無駄に爽やかな笑顔を弾け飛ばして、神門が握手を求めてきた。神門には逆らえないオーラがある。さっと差し出された手に俺は自然と手を合わせた。
男に使ってよい言葉だろうか。白魚のような柔らかな手にうかつにもドキッとする。
手が綺麗だと爪まで綺麗だ。楕円の形の整った大きな爪がやけに健康的な輝きを放っている。つい自分の手を見比べてしまうのは、あまりに自然な衝動だろう。
その手から視線を離して周りをみると、キッと睨む女子の皆様の視線が突き刺さる。
つまりこういう意味だろう。
「アンタみたいな外部生が神門くんに近寄るなんて許せないわ」と。
その意図は大いに理解できたので、あえて神門くんの手をがっちり握り男の友情を誇張して見せつけてやった。そういう誰が誰に相応しいとか、差をつけるのは嫌いだ。そして、神門は俺の貴重な友達第一号なのだ。
「よく分からないが、俺に話しかけてくれて有り難う! マジありがとう! 分からないことが多そうだ。いろいろ教えてくれないか」
「もちろん!」
未来はカオスだ。何かを選択するとは何かを失うことだという。たぶんこの瞬間に、俺は数多ある制服デートのチャンスを失ったに違いない。分かっていても心が痛む。
初日は、色々やる事がある。
学級代表を決めたり、今後の注意事項を受けたり、この学園は大きいので施設の説明を受けたり。
学級委員はあっという間に決まった。
男子は大江戸歳とい角メガネのキリッとした「いかにも勉強できます」という奴が立候補した。いや~よくやるね。こんな面倒そうな仕事を。
女子は内部生と外部生の腹の探り合いの後、内部生が一人の女性を推薦した。
水分宇加という淑やかな女性だ。腰ぐらいある長い黒髪が目を引くが、もっと特徴的なのはその振る舞い。
すっと背筋の伸ばした歩き方、前に出て話をするときも手を前に重ね、指先までそろっている。この人も阿達さんと同じ、お嬢様なんじゃない!?
教壇に二人が立ち、就任の挨拶をする。
大江戸が口を開くと、「ご挨拶は宇加様からではございませんか」と女子から声があがった。
その当然でしょうという女生徒の態度に、大江戸が面喰っている。それにしてもこの学校、様の付く人が多いなぁ。
一瞬、怯んだ大江戸だったが表情を戻して「失礼。ではレディーファーストで」といって水分に挨拶を譲った。
真面目な秀才くんかと思いきや、以外と敏い対応力だ。流石はこんな学校で学級代表をやろうというだけの事はある。
水分は、百貨店の外商のように手をお腹に前に重ねて深々と腰を折り、「大江戸さん申し訳ございません、妙な学園の慣習もございまして」と切れ長の目を申し訳なさそうに伏して言葉を選んだ。内部生には内部生なりに面倒があるらしい。
水分が「皆様のご期待に沿えるよう努力します」みたいな無難な挨拶をしただけで、内部生は満足そうに頷いている。
なんとなくこの学校の構図が見えた気がした。
このクラスを見ても半分以上は内部生なのだが、どうやら、その中でも派閥みたいのがあるらしく、それは多分、家柄とか家庭のつながりなんだろう。
で、『様扱い』されてる人は、そのボスってとこらしい。
ということは幕内先輩もその筋の人ってことか。これは敵に回したくないなぁ。でも、ちゃんと禍根を残さず断ってこないと。
水分は見た目と仕草はお嬢だったが喋りは普通だった。期待はずれ。「なんとかですわ」とか、「ごきげんよう」とか言うんじゃないかと期待してたんだけど、流石にそれはなかった。でも、「ご指名に預かりまして」なんて滅多に聞かない言葉を普通に使っていたけど。
大江戸の挨拶は覚えてない、三つほど公約じみた事を言ってたが、俺には関係ない事だったからね。
二人はそのまま各委員を決めていく。
風紀とか衛生とか、ここら辺は普通の学校と変わらない。俺は訳あり生徒会長だから委員など関係ない。余裕たっぷりで進行と黒板を行き交う二人の洗練されたリーダーシップを目で追う。
水分の席は俺の斜め後ろだ。
前に出る時に思ったが、水分からは、とてもいい香りがする。多分のお香なんだと思う。ゆっくり時が流れて包み込まれるような香り。嫌いじゃない。寧ろ好きなのだが、俺には切ない香りだ。
凹凸がない、ほっそりとしたなめらかな体つき、揃えた前髪の清楚さ、物静かな印象も、その儚さを助長するのかも知れない。
ある意味、幕内先輩とは対照的だ。先輩は凛として溌剌として眩しくて、ナイスバディーで。
水分が月なら先輩は太陽。 二人とも全く別の魅力がある。
「……」
「おーい、生徒会長。生徒会長殿」
「……」
「はい?」
俺のことか。
「瑞穂くん、聞いてたか今の話」
え、なに?
「……すまない。聞いてなかった」
「キミはどうやら問題児のようだな。頼むから水分さんばかりじゃなくて、僕の方も見てくれないか。君にとって結構、重要な話をしているのだが」
「べ、べつに見てねーよ」
見てました。委員長になった大江戸が大げさな呆れ顔で俺をみる。水分は?
水分は何事もなかったように表情を変えていない。それに少々の安堵と意にも介されなかった失意の両方を思ってしまうのだけれど。
「そうか、勘違いなら良かった」
「問題児にならないように努力するよ。で俺に何の用?」
「桐花祭実行委員は、瑞穂くんの兼任でいいかという話だが」
「げげっ」
「生徒会長なのだから、どうせやることは同じだろ。だったら兼任がいいと全会一致で決定した」
「ええっ決まってんの? 俺の意思は?」
「残念ながら民主主義だ」
「ちがうだろ、本人の意思を尊重しない民主主義なんて聞いたことねーよ。俺達は西側の価値観を共有しているんじゃないのか」
「何をどこかで聞いたようなことを」
「瑞穂さん、申し訳ございません。わたくしがもっとしっかり瑞穂さんのご意思を確認すればよかったのですが」
ううっ、またこのパターン。いながら欠席裁判。俺は仕事の最終処分所じゃないって。でも水分が悲しい顔を。
「いや、返事しない俺が悪いから。いいです。やります。大丈夫です。責任をもって」
また、いらぬ仕事を引き取ってしまった。幕内先輩に会う前に、仕事の重さで自爆しそうだよ。
このあとは、諸注意や選択科目の説明、施設の確認など事務的な事が殆ど。学園は無駄にデカイから説明を受けないと選択科目の移動も出来ないので、事細かにどの施設がどこにあると、歩きながら説明を受ける。
あれ? 生徒会室の紹介が出てこないんですけど。まぁ、いいか。どうせ断るつもりだし。
初日なので今日は早めに上がれる。折角、早く終わったのだからと、遊びに行こうと画策するリア充どもを尻目に、俺はそのまま帰ることにした。
ちょっと違う意味でリアルが充実し過ぎて、魂が抜けるように疲れた。
長すぎる初日が終わった。