2章-14
放課後、作戦が決行される。
生徒会棟に続く小路は、ちょっとした森だ。幸い? 通る人も滅多に居なく密事、睦言にはちょうど良い場所である。
人気がなくなった所を見計らい、お手て繋いで小路を行けば、よもや後ろに目がついているんじゃないかというほど勘がいい神門が、「大丈夫、ついて来てるよ」と俺に耳打ちする。
「大丈夫ね……、俺は男と手を繋いで歩いている事の方が大丈夫じゃねーよ」
「政治は俳優に向いてないね」
「俺の進路の中には一度も出てこなかった選択肢だ」
「じゃ、入れといてよ。必要になる日がくるからさ」
「いつだよ!」
俺の突っ込みを無視して、神門が足を止める。
「さぁスタートだよ。うふふ、楽しみだね」
「どこがっ!」
全く何が楽しいのか。こんなの恥じ以外の何物でもないだろう。ところが神門は破顔して言う。
「全部! もう始まっちゃったんだから、めちゃめちゃにするしかないじゃない」
何がめちゃめちゃ? まさか、俺がめちゃめちゃにされるんじゃないんだろな、おい!
そんな疑問を口にする前にスイッチの入った神門が、俺の耳元に熱い吐息を「ふぅ」と吹き掛ける。
「うにゃ~、やめろ、耳に息を吹き掛けるな」
「もう、政治ったらかわいい」
身悶えるようなかわいい声を上げて、神門が俺の腕に絡み付いた。
「早く!」
「え」
「早く、押し倒す!」
「いま?」
「そうだよ」
「ここで?」
「もうっ!」
小声のやりとりを打ち切り、神門が俺の腕を肩も抜けんばかりに引っ張った!
「うぁととと」
もうやるしかねぇ!
バランスを崩しながら、覚悟を決めて神門を軽く押し倒せば、草むらは、さふっと俺達を受け止め、深い緑に二人の身を覆い隠す。同時に遠くでシャッターを切る音がした。
「政治、強引なんだから」
「嫌いじゃないだろ」
漫画で読んだ台詞。
棒読みになってないだろうか、震えてないだろうか。芝居はヘタレじゃないだろうか。いや、仕草は益込さんからは見えてない。声だけが彼女の脳をくすぐっているはずだ。俺の目いっぱいのイケメンボイスで勝負に挑む!
「乱暴な政治は嫌いだ」
「神門はかわいいな。もう俺のモノも同然だ。瞳も唇も」
ふわっと神門を抱きしめる。彼の頭が俺の胸の上に。
「政治の音、ドキドキいってる」
「バカ、お前のせいだ」
歯が~、歯が浮いてどこかに飛んできそうだ~! そんな思いと戦いつつ耳に意識を向けると、葉擦れの足音が静かに近づいてくるのが分かる。俺達が視界から消えたからだろう。
その音が間近に迫り、そしてキラリと光るレンズが藪の向こうの見えた瞬間! 神門がプレーリードックのように素早く動いた。
「残念、盗撮はここまでだよ」
すっくと座り直した神門の豹変に、はっ息を飲む益込さん。
だが、流石は去年まで報道新聞部に席をおく敏腕記者。そこは気丈にも気持ちを立て直し、不敵に笑う。
「盗撮じゃない。取材だ」
これが俺が初めて聞いた益込さんの声だった。男言葉だが先輩よりも高い張りのある美声。力強い一語一語に記者としての矜持を感じる。
「それは、穏やかじゃない取材だね」
「どーいう事だ?」
輪郭の際立つ眉と凄んだ瞳に力が籠る。怖い顔だがなかなかの美人だ。
「好奇心、猫をも殺すってね」
「あんた何、企んでんの」
「見込んだ通りで助かるよ」
「遠まわしな言葉で誤魔化すな」
分からない会話が一時切れてにらみ合いが続いた。そして、益込さんの一文字に結んだ口が重々しくに動く。
「主導権はそっちにあるんだろ、だったら、はっきり言ったらどうなの」
「ふふふ、やっぱり動揺しないね。益込さんにお願いがあるんだ。生徒会活動の情報をエクスクルシーブで提供するから、第二新聞部を作ってみない?」
「はぁ? あたしが? 何でそんなことをしなきゃいけないわけ? なんのメリットもないのに、バカじゃないの?」
ひっくり返った声が、人気のない森に響く。
「うーんメリットか~、ヨミさんは報道は嫌い? そんなことないよね、カメラを持って取材に来ているくらいだもんね」
黒のデジカメを後ろに隠した益込さんが、嫌味な言葉に表情をこわばらせる。
「報道新聞部があるんだ。それで十分だろ。それに、そんな事したらあたしが姉ちゃんと仲違いしてるみたいに見えるだろ」
「別に新聞社が二社、三社あるのは社会では普通のことさ。むしろ健全なんじゃない?」
「そんな詭弁、この学園じゃ通じない!」
神門は、大げさに困った顔を作ると、親指と中指で自分の髪の毛をチラッとよじり、「うーん」と唸り声を発した。
「どうしても、作ってくれないかなぁ~」
「お断りだ。部活を作る気なんて、これっぽっちも考えちゃいんだから」
「チャンスだと思ったんだけど、それは悪いことをしちゃったなぁ。僕はてっきりヨミちゃんはお姉さんに気を遣わずに、自由に記事が書ける場が欲しいのだとばかり思っていたから」
「やっぱりそういう事か。あんた、あたしを使う気? あたしはお願いされたって言う事なんか聞かない。自分のやることは自分で決める!」
神門はそれには答えず、にかーと悪い笑いを浮かべた。
「実くーん」
神門の声に応じて、呼び出されたのは新田原。
いつから居たのか、茂みからノソっと出てきて大真面目な顔で屹立している。えらく可愛いカエル柄のエコバッグを抱えながら。
「取材っていうのは趣味と実益を兼ねるんだね。ヨミちゃんにとっては」
というと新田原が申し合わせたようにエコバックをひっくり返す。ばらばらと落ちる本の山。その本は、言わずと知れたアレだ。益込さんの顔がみるみる青ざめる。
「分かるよね。ヨミちゃんの愛読書だよ、たぶんロッカーや鞄に入ってたんじゃないかな」
その一冊をひょいと取り上げ、神門はパラパラとめくる。
「う~ん、結構、過激な方だよね。この手のなかでも」
人は思いもよらぬ窮地に陥ると本当に脂汗を流すらしい。益込さんの額にはうっすら汗が浮かんでいた。荒い息に胸が妙に大きくうねる。制服の袖口がぷるぷると震えているのが分かった。
「きたねーぞ! あたしをゆする気か!」
「そう思われるのは心外だなぁ。取引だよ。しかも圧倒的に君にとって有利な」
「人のプライベートを暴いて、よく言いやがる!」
「でも好きなんでしょ。僕らを見る目が輝いてたもん」
「あたしに新聞部を作らせるために、そこまでするのか! 脅しまで使って」
「脅しじゃないんだけどなぁ。それに僕はキミに能力を高く買っているんだよ。協力してもらうのはそれだけの価値がある」
「協力!? 冗談じゃない! 初めからお願いなんてするつもりもないクセに。ここまでするのがその証拠だろ!」
益込さんは手を大きく振って、神門の言葉をかき消した。
「だってお願いしてもやってくれないでしょ」
「あたりまえだ!」
「それじゃ困るんだよ。生徒会からの情報を正しく乗せてもらわなきゃいけない。どんな状況になっても。必ず。それにキミたちは、ややもすると情報に色をつけるからね。それを防ぐために、申し訳ないけどヨミちゃんの弱みを握らせてもらったんだ」
「最低っ! 絶対、おまえらの悪事を暴いてやる」
「それもいいね。それで第二新聞部を作ってくれるなら、僕は嬉しいよ。それに僕のやり方に対抗するなら、ヨミちゃんも僕らの弱みを握ればいいんだ。でもキミの立場から大っぴらに弱みを握るのは記事の公正さに瑕疵がつくかな」
ダメだ。神門のやり方は余りに強引だ。俺の目にも、どう申し開きをしても脅しにしか見えない。このやり方は俺の正義にもとる。ちゃんと何をやるのかを聞いてなかった俺も悪いが、こんな事までする奴とは思っていなかった。
「神門、そのくらいにしてやってくれ」
我慢できずに、神門を睨みつけて二人の間に入る。遅いかもしれないが、このやり方は正さなきゃいけない。
「すまない。益込さん。まだ事情は言えないが俺たちは信頼できる広報部隊が欲しいんだ。絶対ウソを書かない。生徒からも信頼されるメディアが。でも、それには今の報道新聞部じゃダメなんだ。もちろん俺達が直に生徒達に言っても信用されない。だから」
「それで、このやり方!?」
声を荒げて俺に食ってかかる益込さん。
「これは学園を左右する重要な事なんだ。それが出来る実力があるのが益込さんしかいなかったから。絶対イエスと言ってもらいたくて、強硬な手段に出ちまった」
「はぁ!? 逆効果だろ! 少なくともあたしは、あんた達を見損なったぜ」
眉を釣り上げて怒りも顕わ俺を見る。逆効果だったのはそうだろう。そして謝ってもやっちまった事は元にも戻らない。気持ちや感情なら尚の事。
「政治、ごめんね、ちょっと割り込むよ」
「おい、神門」
「ヨミちゃんは誤解しているようだね。これは取引だよ。だからキミの弱みを僕らは握ったと、『キミに』言ったんだ。僕は良心に基づいた信頼関係なんて美辞麗句は信じない。だからキミと取引をする。僕らの弱みもキミに差し出したつもりだよ。カメラを用意して」
俺の肩に神門の手があった。