2章-12
理由なんか一つだ。
『先輩が守りたかった物を俺も守る』
バカだなぁと思う。でも、先輩から受け取ったタスキは俺と先輩を繋ぐ全てに思えて、俺は駅伝選手のように柄にもなくタスキに全てをかけたくなってしまった。
「部長たちに、学園の財務状況をありのまま伝えるのはどうだ。もちろん現在調査中だと言い含めるが、全部話す」
「政治!!!」
「それは内密だと聞いたぞ! いいのか! 理事会を敵に回すぞ!」
鋭い視線が一気に俺に集まる。何が言いたいのかがよく分かる目だ。だが神門だけが、微動だにせず俺を見ていた。
「どのみち部長達の協力がなきゃ進められないんだ。破綻の話をしたらパニックになるだろうけど、それで逃げる奴は、もともと誰かが努力した成果を啜って生きている奴らだ。この学園の精神には合わない。なら出て行ってもらおう。それがたとえ多額の寄付をしている者だとしても。いいじゃねーか。危機的な状況を仲間と力を合わせて乗り切る。いっちゃ悪いが、たかだか学校の一つだ。国をどうしようと思った、この学園の創始者にくらべりゃ小っちゃい話だ」
「いつ話すの。誰に」
神門が口元を手で隠してぼそっと呟く。すげーマジな顔だ。しびれるねー。こいつは。
「やるなら臨時全校集会を開いて全員に言う」
「理事会には」
「相談しない。どうせ止められるんだ。俺達が先に動けば、破綻は本物か偽物かの情報も出てくる。俺達が裏を取った情報と合わなかったときは、風は一気に俺達の方に来る。本当だったときは……学園全員の本気が試されるだろうな。そんときは俺が責任を取ればいい。だいたい、大口の寄付者はもう金の事は分かってんだろ。だから今年はこんな事になってるんだから、もう潮時なんだって」
被せるように先輩の甲走った声が。
「政治が犠牲になる事はない!!! 自ら茨の道を選ばなくても、他にも手はっ」
やおら立ち上がり椅子を蹴って俺に詰め寄る!
同時にガツンと鈍い音が響く。
立ち上がったときに脛をテーブルにぶつけたのだろう。足元に目をやると白いハイソックスからじんわりと血が染み出ているのが見えた。
先輩は一瞬、苦痛に顔を歪めたが、それを振り切って俺を一身に見つめる。
「葵、落ち着いて。政治には覚悟があるんだ。キミが邪魔しちゃいけない」
神門は髪を振り乱す先輩の手首を、しっかりと握っている。
「だが、せっかく一緒になったのに」
「それを望んだのは葵なんだ。だから、政治のやる事を見届けなくちゃ」
「だが、私は……」
新田原が神妙な顔で二人のやりとりを見ている。先輩は悔しさに唇を噛むと、両手で顔を覆って席についた。
覆う手の意味は、これから俺達を襲う苦難を思うてか。
流れる沈黙の中、じんわり広がるソックスの染みだけが時を刻んでいた。
その様子をじっと見ていた新田原が、静か席を立ち鞄から絆創膏を取り出す。
「使え」
ぶっきらぼうに俺に突き出す。
「……」
「怪我をされておられるだろ。貼って差し上げろと言っているのだ」
「あ、ああ」
言われるままにゆっくり立ち上がり、先輩の横に跪く。
「先輩、痛かったですよね。絆創膏を貼りますから靴下を下げますよ」
先輩は、まだ顔を覆ったまま、うんともピクリとも動かない。俺はどうしようか迷ったが、そのままにしておく事も出来ず、そっとやわらかなふくらはぎのソックスを降ろし、机の縁にしたたか打ちつけた脛に絆創膏を貼ってあげた。
一瞬ぴくっと力の入った足は、その動きを無理やり押さえ、次第に弛緩して行く。
「もう、いいですよ」
先輩は顔を覆ったままだ。
張り付いた空気を乱さぬよう静かに自席に着くと、先輩は両手をゆっくり顔から下ろし、「政治、頼む。言ってくれ。皆に言ってくれ」と圧し殺すように答えた。
「先輩」
「すまない。怒らない、泣かないと言ったのに約束を守れなくて」
瞳が赤く潤んでいる。
「いえ、先輩が俺の背中を押してくれるんです。ありがとうございます」
「礼を言うな。また胸が苦しくなる」
「何度でも、何度でも言います。俺の目を覚まさせてくれたのは先輩だから。俺に目的をくれたのは先輩だから。これは俺の恩返しです」
涙ぐむ先輩は、ぷいと後ろを向くと、声を繕って背中から話す。
「……新田原、恥ずかしい所を見せてしまった。今のは忘れてくれ」
ぽ~と先輩を見つめていた新田原が、ハッと正気を取り戻す。
「葵様! 葵様が忘れろと仰るなら、二日分でも三日分でも全ての事を忘れましょう!」
訳の分からない熱弁を振うが、心中分からんでもない。新田原も先輩も大変だ。
「政治、この事を言ったらどうなるかシナリオはあるの? もちろんマイナスは大きいよ。キミは理事会に呼び出され、へたすりゃ機密漏洩で退学だろうね。生徒会としても引き続き情報を提供する義務が生じる。正確な情報を出し続けなきゃいけない。そして動乱を収めてどうするのかという話も出てくる。僕らも渦中に飲み込まれるんだ」
「そうだな、むしろ飲み込まれるために暴露するのが目的だ。俺達はその中心だけど、もう誰も他人事じゃねーんだ。協力する奴も出れば、俺達を責める奴もいるだろうし、俺達を学校側とのカウンターパートナーとして押し出す奴らも出てくるだろう。俺としてはその力を使って理事会や部長達と向き合いたい」
神門は目だけこちらに向けると、ふーと息を吐いて天井を見上げた。
「……分かった。政治がやると決めたなら、そっちで最善を考えよう。ようは世論を生徒側に動かせばいいんだね」
「そう言う事だ。神門は切れるな。話が早いよ」
「その褒め言葉には乗らないよ。じゃ強い広報がいるね。でも生徒会の外に持った方がいいか。いかにも中立な広報機関……報道新聞部はダメか」
神門は「ん~」と発音し考えるかと思いきや、あっさり打ち手を持ち出してきた。
「じゃヨミちゃんはどうかな。二年の」
「ヨミ?」
「益込世美。二年の女子で、去年まで報道新聞部だった子だよ。益込三姉妹といえば女子の間では有名だよ。長女の益込舞ちゃんはウチの三年で、報道新聞部の部長。姉妹で同じ部だったんだけど、方向性の違いでヨミちゃんは辞めちゃったんだ」
「なんだそりゃ? ロックバンドか? じゃ妹さんは?」
「葵は知ってる?」
落ち込む先輩に話題を振る神門。
「ああ、三女は同じ学校への進学を嫌い、違う学校に行っていると聞く。だが、彼女もそこで新聞だか放送だかの活動をしているらしい。一年でスクープを上げたと人づてに聞いたが。たしか名前は朝陽だったと思う」
「三人とも鋭い記事を書く事で、周囲から一目置かれてるんだけどね~」
「なんか含みがあるなぁ」
神門が目で先輩に合図を送っている。
「おおよそ見当がつくと思うが、なかなかに主張が強いのだ」
「やっぱ、そうですね。部活辞めちゃうくらいだから。で神門は、その子をどうするの?」
「泳がせて第二新聞部を作らせる。記事に革新性があれば話題になる。話題になれば客がつく。客が熱狂すれば部数が増えるだろ。その拡散力を使って僕らのプロパガンタに使う。そして世論を作るなら生徒会から切り離した方がいい」
指なんか立てて、ご機嫌に仰る。
「……おまえさ、ゲッベルスの生まれ変わり? そんな扱いづらい子を手駒に使おうなんて、考える事がいちいち恐いんだけど」
「ひど~い。政治は僕の事そんな風にみてたんだ~。さっきは親友だって言ってたのに~」
親指の爪を噛んで、髪を揺らせて駄々をこねる。そんな急にかわいこぶってもダメだかんな。ちょっときゅんとしちゃったけど。
「騙されねーぞ」
「騙してないのに~。これから騙すのにぃ~」
俺はチラチラと横に飛ぶ神門の黒目が気になった。その先にあるのは先輩。まるで目でサインを送るように。
あっ! お前も先輩に振れってか!
そうか、さっきからちょいちょい先輩に話を振ってたは、気落ちした先輩が俯いて独りぼっちにならないように、さりげなく手を差し出していたんだ。
悔しいがさりげなく、こういう気配りができるヤツなんだ。正面から「ガンバレ」と励ます新田原とは真逆に。
不思議な因縁でこの生徒会になったけど、このチームは其々の特長が極まった案外いいチームなのかもしれない。ならば、この振りに応えねばなるまいぞ。なるまいぞ。
「いや、神門にだったら騙されていいな。毒を食らわば皿まで。お前とどこまでも行こうじゃないか。それが例え禁断の世界であっても」
「ありがとう政治。僕も政治とだったら、どこまでも行けるさ」
神門が俺の手を取り、両手を添える。
「じゃ、先輩そういうことで」
「じゃ葵、そういうことで」
「ちょっとまて! それはダメだ! 政治はダメだ! 神門、そういうのは他の者にしてくれ!」
「葵が悪いんだよ。政治をじらすから」
「じらしてない! わ、私は、その……」
「僕が取っちゃうよー」
「そ、それは」
狼狽える先輩を見かねて、新田原が慌ててフォローに入る。
「葵様! このような輩と付き合っていては、葵様がバカになってしまわれます。お控えください」
「新田原、お前いま、俺達といたらバカが感染って言ったな。じゃ、お前もバカの仲間入りだ」
「俺には感染らん! もう免疫ができている!」
「なんだよ免疫って」
「貴様とやりあったせいで、バカには慣れた!」
「それはお前がバカの仲間入りしたってことだよ」
「残念ながら実くんも仲間だよ~」
「ざまーみろ、俺達と一緒に落ちやがれ、けけけけ」
「俺は落ちん! 葵様への熱い想いがある限り」
「実ちゃんは詩人だねー」
「じゃ、その熱さを冷ましてやる。神門、まずズボンから下ろせ!」
「はーい」
「パンツは止めろ! そこっ! 変な所に手入れんな、ちくしょー!!!」
俺が新田原のパンツに手をかけたところで、掛け合いを目で追っていた先輩が、ぷっと吹く。
「お前たちは本当にっ」
口元を両手で押さえていたが遂に堪えきれず、「あははは、お前たちは、本当にむちゃくちゃだ。こんな時にっ」声に出して笑い始めた。
「こんなときなのに。本当にいい。心配している私がバカみたいだ。新田原、確かに私にも感染ったのかも知れんな」
「葵様、お気を確かに!」
先輩よりもお前のパンツの心配をしろよ、新田原。
「だが、私が見てきたどの生徒会より素敵だ。本当に素敵だ」
お腹を抱えて、あははと笑う先輩。
俺は前生徒会も中等部の先輩も知らない。世間の人は幕内葵を、大人びた堂にいったリーダーだと言うだろう。
でも俺にとっての先輩は、今ここに居る幕内葵なのだ。
意外と抜けてて、凄く大人で子供っぽい。豪胆で爛漫で恥ずかしがり屋で。人一倍の頑張り屋さんなのに、誰よりも優しい。
『そんな、笑顔を守りたい』
それが顔に出なかった事を祈る。
「あはは、ところでお前たちは、どうやってヨミを捕まえるのだ」
笑いの止まらぬお腹を捩って、先輩は素朴な質問を投げ掛けてきた。
「えへへ、それは僕に秘策があるのさ。たった今思いついた」