2章-7
迷走する政治に、新田原は「お前は何を大事にしているのだ」と問いただす。
そんな政治に葵は、学園創設者が後世に託した思いを伝える。
四日後の臨時部活動報告会で、俺は三つの案を提示した。
①前年度の部費総額と今年度の初期申請額の平均を基準として、どの部活も一律75%予算カットする案
②部活動の成果を三段階に分けて、20%カット、50%カット、80%カットとメリハリをつける案
③原資を部員の人数で頭割りにする案
もっと厳密な方法として、部活維持に必要な最小限な予算を先に配布し、原資の残額を部活動の成果に応じて割り振る方法も考えたが、部活維持に必要な最小限の予算が容易に査定出来ないため、この案を提示することは出来なかった。
そんな名案がない中、絞り出したのがこれだ。
だがこの三つの案は、どれも酷く拒否られて廃案に。それはもう散々だった。
「いまさら、去年に戻れるか!」「ここから選べるわけない!」「出直してこい!」「ふざけんな!」「このポンコツ」「辞めろ」
マジ容赦ない。
まぁガキも大概容赦がない事を言うが、あれは分別がつかないからだ。だが、高校生は違う。
確信犯。
言葉で人を傷つけ我利を得ようと画策する、ダークな大人の先兵なのだ。だが、こうやって社会で生きていく術を身に着けていくのだろう。それが現実なんだ。
きっとここで理想にしがみついた奴らが、ニートになって社会から外されていくんだろう。
削減案を持たないまま出席した理事会では、「ビタ一文まけられない。更に圧縮できないか」とまで言われて帰ってきた。流石に「ムリ」と断ってきたが、もうラチが開かない。開く気がしない。
どいつもこいつも、好き勝手言いやがって!
そんな状態にも係らず、次の部活動報告会は、刻一刻と近づいて来る。
俺の日常も、もうぐちゃぐちゃだ。
予算成立の期限が近づき、部長達にも焦りが出てきたのだろう。休み時間ともなれば彼らは俺の席まで説得に来る。
「ウチの部は維持費がかかるんだよ、ウチだけ何とかならない?」
「コーチへの支払いだけでも先に」
「消耗品も買えねぇんじゃ部活なんか出来ねーだろ!」
予算を押し通そうと、十人や二十人じゃない来客が、脅し泣き落としと大騒ぎだ。
そんな騒動に、三日目には俺の隣の女子がブチ切れた!
その子は朝礼で、覚悟を決めたように挙手をすると、担任にこう談判した。
「瑞穂くんの横はうるさくて勉強に集中できません! 席の移動を要求します!」
席を立ち、上から俺を睨みつける目が憤怒に満ちている。俺のせいじゃねーだろ。俺だって被害者だってーの。
だが迷惑しているのはその通り。その子の談判は、ヤク○先生の判断で受理され、最後に一言「さようなら!」とキツイ嫌味を言われて、彼女は平和な窓際の席に移動していった。
そういう訳で授業中は孤独。さらに部活を通して俺の悪評が伝わっているらしく、よく話す男子連中からも微妙な距離を置かれ、休み時間もぼっち。
報告会に出れば、部長達には金づる扱いされ、理事会には「キミは部長の伝言しかできない子供の遣いか」と怒鳴られる。
内部生に不評を買ったり、二年生から目の敵にされるのは慣れている。だが家に帰っても会話が無いのがキツイ。
正直言って、気が狂いそうだ! もう、大声で叫んで走り出したい!
この数週間、この案件しかやってないんだ! 俺は!
他の生徒会活動も全部止めてんだぞ! 球技大会の準備だって、風紀の取り締まりだってあんのに!
宿題だって全然出来ていない。学業にさわるほど生徒会のカロリーが高いのはおかしい!
この学園は絶対変だ! 狂ってる!
そんなハイストレスを毎日全身にどぶどぶ浴びて、新田原いわく『死んだ魚のような目』で登校すると、悪友の容赦ない挨拶が飛んできた。
「おう瑞穂、ひでー顔してんなぁ、大丈夫か?」
「すまねーな、お前ほど美形じゃなくてよ」
「ちげーよ。お前、相当、人相悪いぞ」
「生まれつきだ」
言葉づかいは乱暴だが心配してくれているらしい。こいつらだけが、今迄通り付き合ってくれる。二人とも帰宅部なので部活の事情は知らんのだろう、利害がないので風評には惑わされないのかも知れない。
「目がすわってんぞ」
「ああ、最近よく寝てねーからな」
「幕内先輩との楽しい生徒会はどうなったのよ」
「そんなの初めからねーよ」
「傍から見たら結構楽しそうだったぜ。俺達はいつもスキップで、幕内先輩に会いに行く瑞穂をお見送りしてたからなー」
「うるせー、お前らだって俺の居ねーところで楽しんでたんだろ」
「まぁ、遊びに来ねぇのはお前だからな」
こいつらマジ楽しそうだ。人の苦労も知らんと楽しい毎日を謳歌しやがって。しかも山縣はそれなりにイケメンだから、俺と違って女子と楽しい会話もしている。
青春かよっ! 俺も遊びてーよ。ちくしょう! 女の子を腕に絡めて遊びに行ったりしてーよ。
「おい瑞穂、たまに遊びにいくか?」
ブツブツと机相手に愚痴っていると、赤羽が愛の手を差し出してくれた。
「遊びに行く?」
遊びに行く……。久しく聞かない言葉だ。
ここで全部放り投げたらどんなに楽だろう。どうせ人の金だ、もう頑張んなくてもいいんじゃねの。予算の決定も遅れてるんだし。
もうタイムオーバー。あるだけの原資をぶちまけて、もう引責辞任ってことで許してくれねーかな。
「……ああ、それもいいな」
もそっと口から想いを吐き出してみる。
「気の抜けた返事だなぁ。気のきいた赤羽くんが、病んでる瑞穂くんをお誘いしてんのに」
「そうだな。俺、もう十分頑張ってるよな」
「なんだ? 急に? 知らねーけど、頑張ってるんじゃねーの?」
「だよな」
「なに抱えてるか、知らねーけど」
そうだ。そうなのだ。人の苦労なんて他人には分かんねーんだ。そんな奴等のために、何で俺がボロボロに。
「いっそ無関心なら、全てに無関心になって欲しいぜ」
「腐ってんなー、その発言」
「ああ、どいつもこいつも腐ってやがる」
事情の知らない二人に八つ当たりしていると、新田原がツカツカと俺の元に歩いてきた。あー、あの顔はイラついている顔だ。
俺と新田原が接近すると、クラスの雰囲気が氷り付く。いつからそうなったか分からないが、みんな何か起こる予感に心の準備をするらしい。
そりゃ俺の反応だろ。もっとも今はそんな気すら起きやしない。
俺の机の横に立つ新田原が、胸を反らせて高みから見下している。
「おい、瑞穂政治」
フルネームで呼ぶなよ。
「なんだよ、新田原実」
机につっぷしたまま、顔だけ横を向けて新田原を見る。
「お前は何を大切にしているんだ。学園なのか、葵様なのか、それとも理事会の回し者か。お前の正義は何なんだ。お前の目指す生徒会は何なのだ」
「……」
「それが分かるまで、俺はお前を信じられん」
上から目線で、言いやがる。
「俺が理事会の回し者だと分かったら」
「お前を信じるが、葵様のためにお前をブチのめす」
「俺が先輩を大事にしてたら」
「お前は葵様には不釣り合いだ、葵様のためにお前をブチのめす」
「どれを選んでも、結局はお前にブチのめされんじゃねーの」
「己の正義のためにブチのめされるなら本望だろう」
「いやに決まってんだろ」
素直に殴られてたまるかって。
「貴様、逃げるなよ」
「逃げたら……」
「お前と言う人間を心底軽蔑するだけだ」
そう吐き捨てて、やおら背を向けると、新田原は己の席に戻った行った。じわじわとクラスに談笑が始まり、またいつもの時が戻ってくる。
呉か越のクセしやがって、俺に話しかけて来るって事は、あいつはまだギリギリのところで俺を試しているってことか。
「熱苦しいやっちゃなー」
「ああ」
「お前らほんと、犬猿の仲だな」
「ああ」
山縣や赤羽のいう通りだ。だが、ただの熱血バカじゃない。あいつは意外に良く見ている。そして悔しいが新田原の潔さには憧れを感じる。あれほど守るべきものの為に純粋に生きられたら苦しくてもどれほど幸せだろう。それに向かって燃えられたらどれほど。
放課後となる。
「はぁ~」生徒会室に行くと思うと気が重い。あそこには問題の全てがある。問題の緒言にして成れの果て。解決の糸口も見えない混沌の無限迷路。
それでも俺は行くのか、それとも遊びに行くのか。
逡巡を湛えたまま鞄を肩にひっ掛けて席を立つと、水分が俺の横に立っていた。
「水分?」
「瑞穂くん、これを」
そう言って渡されたのは小さな紙切れ。そこには小さな文字でこうあった。
『政治へ
放課後、記念堂に来てほしい。
葵』
ぐたぐた書かないのが先輩らしい。
「水分、記念堂って?」
「緑地の奥。もっと丘の上の方よ。時計塔があるからすぐ分かるわ」
「ありがとう」
紙切れをポケットに突っ込んで席を立つと、「一人で大丈夫?」と背中から声がした。
「子供かよ。でも、ありがとう。水分だけは優しいな」
「……バカ。サロンでは、随分言われているけど、私はあなたの事、嫌いじゃないの」
サロン。時々、聞く言葉だが、それが何なのか聞く機会を失っていた。
「サロン?」
「あら瑞穂くんは知らなかったのね。内部生の集まりのことよ」
「そうか。そこでも俺はボロカスってことか」
「一等ではそうでもないけど、二等では酷い言われようのよね」
一等? 二等?
「宇加様、そのような輩と!」
質問しようとする俺を遮るように、さも大変と声音を作った二人の女子が駆けてくる。
「さぁ、あちらに参りましょう」
二人に腕を取られて、水分は強引に彼方に引っ張られて行く。俺達を微かに繋いでいたまつり糸は、容赦なく引き抜かれて、水分もいつの間にか、よそ行きの顔に戻っていた。
その程度の関わりだ。そう理解しているつもりだ、それでも……。
「バカか」
彼女はどんな顔でそれを言ったのかは分からない。でも例えバカでも優しい響きが心に染みる。
緑地の散策道の道程にはY字路があり、左に行くと生徒会棟、右は行ったことがない獣道となっていた。
ここを右に曲がると記念堂らしい。
踏み込むと、そこは鬱蒼としており、何人の立ち入りを拒む妖気すら感じられる。
隘路は上へ上へと伸びていく。緑のトンネルを抜け、灌木の小枝をかき分けると、ざわめく木々が次第に晴れ、中央に時計塔を配した石造りの武骨な建物が見えてきた。
「これが記念堂か」
記念堂は、この学園の一番高い所にあった。見晴らしのいい丘の上には一本の木もなく、上にはただ蒼穹が開けている。
俺にはその無が美しかった。
人気を拒んだ先にあるのは孤高の美。だが、あまりに寂しすぎる。
「政治!」
モノクロに色を付ける声がした。
その先には記念堂の入り口に立つ先輩。風に暴れる髪を押さえて、小さく手を振っている。
そんな手を振るなんて柄じゃないのに。
記念堂までの坂道には、身の丈もある大石がゴロゴロあり、あたかも石庭のような存在感を示していた。
その白い道を一歩一歩と踏みしめ、そうして声の届く所まで来ると、先輩はまじまじと俺の顔を見て、「疲れた顔をしているな」と一言だけ言った。
先輩が俺を先導するように、玄関の先に鈍く開いた漆黒にすぅと消えて行く。俺もその後を追う。
薄暗い記念堂の中に何もなく、見えるのは波打った床板と、剥れ落ちた壁紙ばかり。
まるで廃屋だ。
先輩は振り向かず、語らず俺の前を行く。ギシギシと鳴る階段を上り、歩く先から埃が舞う廊下を進む。
そして二階の南京錠のかかった鉄扉の前まで来ると、足を止めて俺の方をちらっと見た。なぜかほころんだ顔。
「行こう」
と言うも先輩は動かない。
「どうしましたか?」
「政治が先だ」
意味は分からないが、言われるがままに、四辺の錆びたビス打ちの鉄扉に手をかける。思いのほかスムーズに開いた扉からは、ビョウと乾いた空気が吹き抜けた。
「うっ、眩しい!」
そうして眩しさに慣れた目に見えたのは、時計塔の根本の展望デッキだった。