2章-6
「はー」
椅子に深くもたれて肩から息を吐き出す。
「大波乱だな。サンドバックとは、よく良く云ったもんだ」
金を持って来い。納得できない。先に条件をよこせ。
どいつもこいつも言いたい放題だ。どうやっても公平なんてねーだろ。分かっててやってるのがイヤらしい。半端に頭がいいと屁理屈も凝っていやがる。
先輩が苦しんだのも良く分かる。この学園の生徒はみんな主張が強い。伝統があるとか名門だった矜持とか、過去の亡霊に取りつかれてるんだ。
それに俺は何を信じたらいいんだ。理事会のいうことは本当なのか。本当に金がないのか。こんなにデカい贅沢な学園なのに。部長の言ってる事は本当なのか、本当にそんなに金がかかるのか。もっともらしい事を言う奴らの真偽をどう判断したらいいんだ。
「何が正しいんだよ」
みんな俺が間違っていると言う。俺は本当に間違っているのか……。
両手で顔を拭い、天井を仰ぐ。
アタマをかきむしるのも面倒くさく、指の隙間から見えるトラス梁をただを見続けた。
さっきまで200名がひしめいていた灰色の箱には埃の臭いが充満し、それに軽い吐き気を覚える。
遠くから吹奏楽部の演奏が響いてくる。グリーンなんとかマーチだっけ?
部活か……。
中学の時は、そんなものに熱くなってどうするんだとバカにしてたっけ。きっと吹部の奴らでプロになる奴なんて一人もいない。それどころか音大も芸大にも行かず、高校を卒業したらもうトランペットもフルートも吹くことはないのだ。そんな事のために莫大な時間と金を費やして、何を目指しているんだろう。そう思っていた。
生徒会だって同じだ、学校のために必死に頑張っても、責められるだけで人生にとって何のプラスもない。数式の一つでも覚えた方がマシだろう。精神衛生を考えるならストレス発散にゲームでもした方が建設的かもしれない。
でも、先輩を見ていると疼くものがある。あのキラキラした充実感とか。信じるものを持ったシンプルな力強さ。
目を瞑って、音の流れに身を任せてそんな事をつらつら考えてみる。
「政治」
「うわっ!!」
頭の中で聞こえた声に虚をつかれ、盛大に椅子から転げ落ちてしまった。
尻餅をついた痛みにまさに尻をさすりながら、顔をあげると、胸に手をあてて驚いた顔の先輩がいた。
「先輩!」
「びっくりしたぞ」
「俺こそ!」
先輩の口がぽかーんと開いている。その口がきゅっと締まり、ふっと微笑む。
「どうした、ぼうっとして」
「い、いえ。何でもないんです。これは一筋縄ではいかないなと思っただけで」
「そうか。そうだろうな」
いつになく静かにゆっくり話す先輩。
儚げで消え入りそうで、いつものキラキラは、もっと細かく小さな粒になって先輩の周りを漂っているようだった。
先輩が手を差し出す。立場が逆のような気がするが、自然に俺はその手を取っていた。
そうして、ゆっくり、ゆっくり引き起こされる。
「こうして私が、政治の手をひっぱっているのは不思議な気持ちだな」
「ええ、これは男の役目ですよね」
「昔はお前が私をひっぱっていたのに」
それは俺の記憶には無いが、きっと俺の知らない子供の俺はそうだったのだろう。最近そう思うのだ。先輩はそんなことでウソを言うような人じゃないのだから。
「政治。私は本当はこういう時間が好きだ。静かで精妙な気持ちで、頑張る誰かの姿を遠くから応援している。私は遠くからそれを見ているのだ」
「先輩はいつも真ん中ですよ」
静かに首を横に振る先輩。
「そこは私の場所ではない」
俺は、ずっと先輩と手を繋いでいることに気づき、あわてて手を離した。
まだ残る暖かくやわらかな感触。さっきまで先輩に包まれていた手を見て、感覚に残ったその手の小ささに驚いた。そんなに身長は違わないと思っていたのに。先輩はもっと大きいと思っていた。
顔を上げると、先輩が微笑んで俺をみていた。ふと沸き起こった疑問を思わず口にする。
「先輩はなんで生徒会長になったんですか」
先輩はゆっくり視線を外し、スカートのお尻を丁寧に折って椅子に座った。椅子のかしめがキッと鳴る。
「なぜだろうな。皆に推されたからと言うのは容易いが、違うように思っていた」
「そうですね。それじゃ割に合わない」
「そうだな、しかも孤独だ」
「全く、そうですね」
先輩は自分の太ももを軽くさすりながら、自分に言うように俺に話す。
「辞した今だから思うが、期待に応えたかったのかもな」
「期待?」
「ああ、私は期待に応えたかったのだと思う。それを求められていたし、そうあろうと思っていた。政治だって、そうだろう」
「そうかもしれません。俺はそんな皆の期待じゃないですけど。先輩の」
そう、応えたかったのは先輩の期待。
「私も皆の期待ではない。……政治。今の私の気持ちを伝えてもよいか」
「はい」
「政治とこんな話が出来るのを嬉しく思うのだ。お前が辛い時なのに、私は嫌な女だな」
「そんなことは」
「私と同じ苦労している。私と同じように悩んでいる。私が通った道を歩んでいる。それが政治と私を同じ所に立たせてくれているようで。そんな実感を与えてくれる」
「先輩……」
「済まない。私ばかりが満たされてしまって」
儚げな雰囲気をまとって告げる。
風が通り抜けた。
俯いたその髪がふわっとなびき、リンスの香りが鼻腔をくすぐる。
ほどなくして遠くから小さな声が響いた。
「政治、手伝いにきたよ」
神門。
「一人でやれと言ったけど。椅子の片付けくらいは手伝うよ」
怒ってはいなかった。その事に僅かな安堵を覚える。
ここに神門が来たのは、怒鳴り散らした謝意なのか、本当にちょっとした手伝いなのか、彼の真意は表情からは分からなかった。あるいは、『これでお前も少しは懲りただろう』という、様子伺いだったのかもしれない。何れにしても、僅か二人の生徒会は、まだ首の皮一枚で繋がっている。
神門をきっかけに、俺と先輩の邂逅は幕を閉じた。
先輩はいつもの色鮮やかな彼女に戻り「よっし! じゃ三人で一気に片付けるぞ! 今日は1時間で片付ける。記録更新だ」と腕をまくり上げて、弾けるようにふるまった。
「コツを覚えたのだ。これは逆さに組み合わせて持つと思ったより楽に運べる。両手で持てば三つは運べるぞ。どうだ政治!」
俺の方を見て嬉しそうに椅子を持ち上げている。
あっ!
その三つの椅子がひょいと先輩の手を離れていく。驚いて振り返る先輩の後ろにいたのは新田原。
「三つも運ぶのは大変でしょう。お手伝い致します」
「新田原実」
ほけっと先輩が名を呼ぶと、新田原は照れているらしく、むず痒い顔になった。
「このメンバーじゃ、神門も戦力になりませんし、瑞穂は愚図だから使い物にならないでしょうし」
こいつさりげに俺をディスりやがって。
「いいのか新田原。部活があろう」
「いいのです。葵様を守るために始めた部活です。今するべきことは葵様のお手伝いをすることですから」
「ありがとう新田原」
なにいいムード作ってんだよ。実ちゃんよ~。白馬の王子みたいに、ひょっこりカッコよく出てきやがって。
「おい、新田原実、その椅子で俺を殴るなよ」
「するか! 葵様の前で。大体だな、お前は俺の事をどう思ってるんだ」
「直情的ですぐ暴力に訴える野蛮人」
「なんだと! この迂闊者め」
「うるせー! お前の前で迂闊な俺は見せたことは無いね。一度も」
「お前の存在が迂闊だと言ってるのだ」
「お前たちは意外と仲がいいのだな」
俺達の乱暴な口論を見ているのに、きょとんとして言う。先輩はいったどこを見てそんな事を!
「よくないですよ!」
「葵様! いくら葵様でもそれは承服しかねます!」
「いや、いい仲ではないか。新田原実は友達想いのいい奴だ。私が保障する」
「えー、先輩、本当ですか。こいつ先輩の前だとイイ子ちゃんなんですよ。裏あるんですよ。巨大な闇が、心の底に真っ黒な」
「ウソを言うな! さては俺の評判を落とそうとしてるな!」
「いやいや、先輩だまされちゃいけませんって」
「貴様、葵様の鑑識眼を疑う気か。失礼だ! 無礼だ! 冒涜だ!」
「どー見たって裏表あるだろ。俺と先輩との対応の差。なにこれ」
「当たり前だろうが! 虫けらを愛でる趣味などない」
「ほら、先輩みたでしょ。人を人とも思わぬこの態度」
「貴様、どこまで俺をおちょくれば気が済む!」
俺達の様子を見て先輩が、白い歯を見せて笑っている。
「新田原、よかったな。お前がこんなに楽しそうなのを見るのは初めてだ」
「葵様! 楽しいだなどと言う事はございません!」
「あはは、政治、そのくらいにしてやってくれ。新田原は兄弟そろって実直なのだが、このような扱いには慣れておらんのだ」
新田原は、どうやら俺と同列に扱われたのが不満らしく、少々ふて腐れて言葉を収めた。
「わりぃわりぃ。手伝ってもらってるのにな。しっかしお前、ホント先輩の事を好きだね」
「そのようなものではない。尊敬しているのだ。恩義がある」
「そうか。じゃ先輩、助けてやってくれ」
「無論だ。お前に言われるまでもない。俺は俺の信じる道を歩むだけだ」
「それでいいからさ。じゃ、とりあえず。その椅子、全部運んでよ。200席あるから」
「はぁぁぁ! なんでお前の指示を受けねばならんのだ!」
こと大げさに俺の指示に従うのが不満だと、全身を使って拒絶する。
「すまん新田原、なかなかの重労働でな。前回も筋肉痛になったのだ」
「分かりました。新田原が葵様の分までお運びいたします」
「やっぱり裏があるんじゃねーかよ」
「葵様をお助けするとは言ったが、おまえを助けるとは一言も言っておらん!!」
「はいはい、メンドクサイ奴だな、お前って」
新田原と戯れても、事態は快方する訳ではない。
ダメなのは自分が一番よく分かってる。やれることをやっているのに結果が付いてこない意味も。だから先輩の優しさが堪える。もしかしたら、このまま何にもならなくて、先輩に見放されてるんじゃないか。
「生徒会長はもういい。政治は十分頑張った」と言われるのが怖い。一人じゃ何もできない奴だったと思われて終わるのが怖い。
先輩や神門に見放されないうちに、是が非でも俺も出来る所を証明しなきゃ。
残された時間は少ない。