1章-1
入学式の生徒会長祝辞に現れたのは、先ほど出会った幕内葵だった。彼女は全校生徒を前に宣言をする。
「瑞穂政治を生徒会長に任命する」
突然に任命に戸惑う政治。だが巧みな葵のやり方に断る事ができないのであった。
遅刻して到着した体育館は、集まった生徒の体温でほんのりと暖かく、俺は入り口近くの先生に一組の列に行くよう指示された。
指し示す先には、ぽかんと空席が一つ。一組は先頭列なので実によく見える。
「うわー、わざわざ空けてくれるなんて。俺にあそこまで行けってことね~」
小声たが、これは悪態をつくしかないてましょ。正直、淡々と続く校長の訓示の中、あんな所まで堂々と歩いて辿り着く自信がない。
できれば後ろの席にひっそりと身を隠したいと思い、他に座れるところがないか見回す。
コツ
コツコツ
なんだろう。
ゴツ
ゴツゴツ
後ろから脇腹を突く感触が。いっ、いた、いてぇって。
ドスドス
ドスドスドスン!
「なんだよっ!」
思わず敵意をむき出してキッと振り返ると、白髪交じりの初老の男性が、ニヤッと笑い、手持ちの杖で俺を突いている。
やべ、どうみて奴は教師だ!
「早く席に行けや」
ゴロゴロと鳴るような低い声が腹に響く。ギラリと光る教師とは思えぬ眼に射抜かれて、俺は一気に震え上がってしまった。マジ怖い!
「すみません。ですが皆さんの邪魔ですから、僕はここに立って」
「ここは教師席だ」
「ですが、今出たら校長先生も気が散るでしょうし」
強そうな奴に媚びるのはポリシーではないが、ここは明らかに遅刻した俺が悪い。媚びてんじゃない、今、俺は申し訳ない気持ちを伝えているのだ。うんそうだ。
なんて自分を納得させる暇もなく、深い皺が刻まれた日焼けの顔がぬぅと俺に迫ってくる。うっとする男性用整髪剤の臭い。
「素直に従ってくれねぇかな」
『くれねぇかな』って、先生が使う言葉じゃないでしょ!
本当にコイツは教師かと周りを見れば、他の先生方は割とお年の召した温厚そうな方が多いのに、コイツだけは別格の気迫を放っている。
生徒指導? 不穏分子の掃討要員? この学校ってもしかしてヤバい学校だった? 私立高校って怖えー。
想像が膨らんで怖くなってきたので、恐怖と不満で染まるマーブル模様の心を、素直という名の糖衣にくるんで、渋々教師の指示に従うことにする。
「……行きます」
「それでいんだよ」
身を縮め、頭を下げながら自席へ向かう。
最前列を歩いているから目立つのだろうか。それとも俺の歩き方が卑屈なのだろうか。周りの女の子が声を殺してクスクス笑っている。奥の列の子なんて口を覆い、隣の子と顔を見合わせている。
恥辱に濡れる心をもて余しながら座につき、俯き加減に小さくなって、校長の話を聞くフリをする。こうすれば『集中してます』の雰囲気を醸し出しつつ、入学式が終わるまで、ナリを潜めている事ができよう。
やたら長い退屈な話が終わり、やっと次のプログラムになった。
「生徒会長の祝辞です」
その声に潜めていた頭を上げると、驚いた!
つかつかと上手から入ってきたのは、あいつだ! なんだっけ、松坂屋じゃなくて!
考えているうちに奴は中央にたどり着き、マイクを前に両腕を開いて、演壇に手を着き全校生徒に語りかけた。
「暫定生徒会長の幕内葵だ。新入生の諸君、入学おめでとう。これから三年間、奮励努力してくれたまえ。私の挨拶は以上だ」
余りの短さにざわつく会場を見おろし、そのまま上手にハケようとするが、くるっと踵を返すと芝居がかった振る舞いで、再度、マイクを取り上げた。
「失敬、事務連絡を忘れていた。先ほど暫定生徒会長と言ったがそれは今日でお終いだ。会長職は明日から別の者に引き継ぐ。先ほどその者の快諾を得たところだ。次期会長は、瑞穂政治。新入生だが前途ある意欲的な若者だ。あとは頼んだぞ、瑞穂」
さらにざわめく会場。ざわめくってもんじゃない! どよめきだ!
「だれ?」「瑞穂政治?」「新入生なんだろ」「指名って」
男子の声と女子の声が入り混じる。
どよめきを超えて、これは動揺だ。動揺。
そして一番動揺しているのは俺だよ!!!
「はぁっっっっ!!」
我を忘れて席をけり上げて勃然と立ち上がった。
「俺!? 俺が生徒会長!?」
凄い大声だったのだろう。自分の胸に人差し指を突き刺した状態で空気が止まり、会場が一気に沈黙に包まれる。そしてヒソヒソ話。
「あの人?」「なんで?」「誰なの?」
いや、何でって聞きたいのは俺だから!
「おお、瑞穂。そこに座っていたか。間に合ってよかったな」
壇上から俺を見つけた先輩が、視線を合わせてマイク越しに話かける。
「間に合ってよかったじゃねーよ。そもそも遅刻の原因は先輩じゃねーか」
「おいおい、先輩に向かってその口調はいかんな。親しい中にも礼儀はありだぞ、瑞穂」
「親しいって会ったのはさっきです」
「おお、そうだったな。すまんすまん。つい」
檀上と会場を行き来する会話。
「あの二人親しいんだ」「付き合ってんの?」「どういう関係?」
いやその会話、全部聞こえてるから、ひそひそじゃないボリュームだよ君達。
それより不幸なのは俺の左右の男子だ。いきなり遅刻野郎が生徒会長になって先輩と口論。このぽか~んした顔は止めるか放っておくか、どうする俺って考えている顔だろう。分かる、分かるよ~。俺も入学早々こんな奴が隣にいたらそうなるよ。たぶん。
だが、ここで怯んじゃいけんのだよ。
「そもそも敬語の話じゃなくて、なんで俺なんですか?」
「ん? さっき保健室で二人きりのとき、お前は快諾しただろ」
何言いくさってんの、この人!
「えー、いきなり二人きり」「ちょっと凄くない」「葵様を!」
周りの人! 全部聞こえてるから。その好奇心も驚きも嫉妬も。
そして何度も言いますが、一番叫びたいのは俺なんです!
「快諾!? 知らねーよ。言ってねーよ!」
「瑞穂、そう言ってもなぁ、ちゃんとお前の返事を録音してしまったのだよ。このスマホに。なんらここで聞かそうか?」
まじ? ホント? いやいや当の本人が知らないって言ってんだ。そんな訳あるか。そう言って俺が怯むのを狙っているんだろ。その手は食うか。
ここは強気に出るのが男の子。なし崩しにはさせないぞ。
「わかりました。じゃあ聞かせてもらおうじゃありませんか。もしウンとでもハイとでも言っていたら、生徒会長をやりましょう。そのかわり先輩の話がウソだったら、俺の言う事を一つ聞いてもらいますからね」
「よかろう。ただしエッチなお願いはダメだぞ。我々はまだ健全な高校生だからな」
「イヤらしい」「恫喝か」「とんでもねー奴だ」「あの野郎」
だ・か・ら・全部聞こえてるから、なんでいきなりそうなるのかな君達。どう考えても幕内先輩がおかしいでしょ。みんなあの人を贔屓しすぎじゃない。
だが、うっすらではあるが「出たよ幕内」「途中で投げたくせに」という声も聞こえてくる。彼女への非難? いや、この状況を楽しんでいるように見える、生徒の中には彼女に恨みを持つ者もいるらしい。先輩も何かいわくがあるのかもしれない。
いやいや、そこに同情してる場合じゃない!
「そんなお願いしません! じゃ聞かせてもらおうじゃありませんか」
「まぁ正直、プライベートの会話を全校に晒すのは気が引けるが、政治がそういうなら私達の全てを晒そうじゃないか」
「誤解を招くことを言い続けないでください!」
幕内先輩が胸ポケットからスマホを取り出し、再生の準備を始めると体育館は一瞬にして静寂に包まれた。
スマホがマイクに近づき、鼻づまりの声が体育館に響きわたる。
・
・
・
ありました。俺の声で「ウン」という声が。ただし……
「これって快諾じゃないでしょ!!」
スマホに入っていた声はこうだった。
「……お前の大切なモノを奪ってしまって。許してくれ」
「……」
「次の生徒会長を決めねばならず、少々焦っておったのだ。許してくれるか」
「…ああぅ」
「そうか瑞穂、おまえは昔から優しいな。その優しさに甘えていいか瑞穂政治。お前、生徒会長を引き継いでくれないか。この学校には生徒会長の候補者がいない。暫定会長はもう無理なのだ。やってくれるか」
「う、うん…」
「そうか! 瑞穂! やってくれるか、ありがとう!」
先輩がスマホの再生を止める。そしてシナを作って伏し目がちに言う。
「二人の会話を聞かれるのは少々恥ずかしいものだな、瑞穂」
「ちーーーーーーがうでしょ! この『ああ』も『うん』もうなされてるだけですって」
「言っているじゃないか。これを議事録に起こしたら快諾以外の何物でもないぞ」
「生気がないでしょ声に。しかも俺が気を失ったのはアンタのせいでしょうに!」
「奪ったって」「葵様に向かってアンタって」「葵様をっ葵様をっ」
外野うるさい! たしかに口が滑ったがマジうるさいっ。なんでこんな事になっているか、俺は先輩と話したいんだよ!
「政治。政治のことをアナタと呼ぶのは私の方だろう。だが、もっと二人の時を過ごしてからアナタと呼びたいものだがな。あははは」
「あははじゃねー!!! このバカ……」
イライラが爆発し、そう言いかけたところで、俺は怒りに目を血走しらせた、精悍な先輩方に胸倉をつかまれ列外に引っ張り出され、紙風船のようにその場にぺしゃんこにされた。
「貴様! 無礼にも程があるぞ!」
「葵様の心の傷みはこんなものじゃない、思いしれ!」
「天誅だ、天誅!」
口々に罵声を浴びせられ、ボッコボコの足蹴に。
なんでしょう、急にフルボッコにされると、むしろ冷静になるのね。頭を覆いながら俺はこう思うのだ。
なぜ、なぜ俺はいまここで蹴鞠にされているの? 先輩方から何でこんな仕打ちを受けなきゃならないの? 神様~
いってっ、つま先で蹴んなよっ。
きゅっきゅと鳴る、上履きの音の隙間から葵さんの声が聞こえる。
「諸君、そのくらいにしておいてくれたまえ。瑞穂も悪気があるわけではない。少々面喰っているだけなのだ。許してやってくれ。あとで私から言っておくから」
「しかし葵様」
「ありがとう新田原誠、君の忠誠心を嬉しく思う」
新田原と言われた男は、「はっ」と言いながら不承不承に蹴り上げた足を止めた。
それにならって、一緒に蹴っていた奴らの足も止まる。
「少々騒がしくなったが、瑞穂、生徒会を頼んだぞ。そして諸君、瑞穂を大いに盛り立ててやってくれ。以上だ」
以上だって? アンタのアタマが異常だよ。何を澄ました顔で下手に掃けてんの。
それに、この状態で放置プレイはやめてーーー。