2章-4
第二回部活動報告会を終え、俺は理事会が催す予算委員会に出席した。
伝統的に出席者は生徒会長一人である。なんでも他言無用の話が出るため、情報の取り扱いに慎重を期するのだそうだ。もっともらしい事を仰りますな。
理事棟は、学園の敷地の一番奥、中央大路の突き当たりにある。遠くからも見えるので存在感があるが、一般学生にはおよそ縁のない建物だ。
そのエントランスを潜り抜け、大理石張りの廊下を抜けると、映画館の入り口の様な扉がある。
ここが目的の会議室だ。
「失礼します」と扉を開けると、会議室にはピカピカに磨きあげられた大円卓があり、厳めしい面貌の理事が黒椅子にどっぷりと腰かけて俺を待っていた。
「座りたまえ」
促されるままに座った椅子は皮張りでふわふわ。何だか座ったら最後、懐柔されそうで、逆に居心地が悪い。
「早速だが」と会計担当理事が口火を切る。予算委員会は自己紹介もなく唐突に始まった。
「資料は見るまでもない。瑞穂くん、総額100億円を超えるのは、さすがに非常識だとは思わなかったのかね」
一言目がこれかよ。確かに各部の概算要求をまんま持ってきたけど。
額が大き過ぎるのは分かっていた。先輩も「今年は多いな」と、溜息交じりに言っていたから、いくら歴史がある学園といえども、非常識に近い額なのだと思っていたのだ。
一般的な公立高校の部費が、どの程度なのかは知らない。だが、外部生で庶民側の俺としては、たとえ部活が100個あろうと200個あろうと、一般人が見る額ではない事くらい分かっているつもりだ。
「重々承知しておりますが、まずは掛け値なく各部が出した予算を見てもらおうと思いました」
「しかしだね、額の異常さは君にでも分かるだろう。去年の総額は知らんのかね?」
「あえてこの額を出した意図をご理解ください。去年の事は横に置き、まずは各部が求める素の要求を知って戴きたいと思っております」
会計担当理事は、ばさっと申請書類の束を机に投げ置き、困った奴だと言わんばかりに俺に説教を始めた。
「前生徒会長とは話してないのかね」
「いろいろ教えて頂いてますが、昨年は昨年の事ですので詳細は聞いておりません」
「御令嬢はなぜ言わんのだ。まったくあの娘は」
会計担当とは違う理事が言う。
「御令嬢? 何の事でしょう?」
「前生徒会長のことだ。学園の懐事情は言わなかったのかと言っている! 全くどの方針にも反対しおって。その上、生徒と問題を起こすとは言語道断だ」
イライラを隠しもぜず、先輩の事を切り捨てる。反対とか揉めるとか聞き捨てならない言葉が躍るが、どれも何のことだか分からない。
そんな俺がきょとんとしていると、それを見た理事達は顔を見合わせた。
「キミは何も知らないのか」
「……」
「業務を引き継いだのに何も知らんとは、生徒会長としての自覚はあるのか!」
気勢を吐いていた理事は、バンと平手で机を叩いた。
「むろんです。その自覚のもと、この場に出席しています」
「概算要求だけ突き付けて何が自覚だ。この二ヶ月間何をしていたのだね。君は!!!」
何で怒鳴られてんだよ、俺は! 何をしてたも、なんとか生徒会の仕事をこなそうと必死にもがいてたよ。
「まったく御令嬢は何を考えているものか……」
「理事長が創設グループの御令嬢だからと野放しにするからでしょう」
「創始家のご意見は重要です。将来的な方向性を考える上でも、今から御令嬢のお考えを理解すべきと思いますが」
理事長を擁護する発言だ。俺の正面に座る理事長から見て左の三人は、どうやら理事長側の人間らしい。
「その時に考えればよいでしょう。今乗り切らなければ未来の話もないのですから」
その三人の対面から飛んでくる意見は、逆にアンチ理事長側の意見だろうか。とにかく理事達が勝手バラバラに発言し、俺を外して話が進む。
「部外者いるなか不謹慎な」
と小さな声も。
一瞬、声がひそまるが、理事長の横に座る若手の糸目の理事が、ハリのある声で発言する。
「我々の目的はこの学園をどう守り発展させるかでしょう。目的に立ち戻って考えましょう」
「綺麗事もよいが、足元の現実も見て戴きたい」
そう受けたのは、細目の理事の隣に座る理事だ。
「理念なき存続に意味はありますか」
「その発言は若さゆえの夢見がちな言と映りますぞ。お気を付けください」
「経験が浅いがゆえ暴走し、挙げ句、道を踏み外す。若人にありがちな失敗ぞ」
口髭をたくわえたおっさんが古風な口調で断じた。
「そうだ。力と経験は必ずしも一致せん。だからこそ、若い御令嬢を抑える必要もあるというものだ」
これは、理事長の言葉だ。分からん。誰が理事長側で、誰がアンチ理事長側で、その理事長は先輩の味方なのか敵なのか。さっぱりだ。だがはっきり分かるのは理事会と先輩はよい関係ではないこと。確か先輩は罷免と言ってたと思うが、それは嘘ではないらしい。
理事長が、ちらっと俺の方を見る。その視線を読むように理事達は、言葉を濁して発言を飲み込んだ。目線のパスが飛び交う中、暗黙のババ抜きは次々と手札を渡り、事の流れ上、自然と会計担当理事の手元に納まった。
観念した会計担当理事は、大きな息を吐き出した後、俺に大儀そうに説明を始めた。まるで物分りの悪い奴に仕方なく話す様な態度が気に入らない。
「話を戻そう。キミに理解できるか分からないが我々の現状を説明しよう。学園は債務不履行に陥る可能性がある。昨年度は様々な施策を打ち、支出を大幅に切り詰め、多額の寄付金も募った。だが今年は諸々の施策が効果を出していない」
「債務不履行って借金のことですよね。危機的なのですか?」
「そうだ」
別の理事が割って入ってくる。身のしまったストライプのスーツを着こなしているが、椅子に斜めに腰かける風情が挑発的な奴だ。
「生徒も良くないと聞き及んでいる。去年度入れた生徒の質が悪いというじゃないか」
質って。二年の先輩のことか。
「そういう生徒もいるでしょう。学園の雰囲気は少々変わったかと思います」と糸目の理事。
「風紀の間違いではないのか」
「いいえ、タイプの違った生徒が入学したことで、新たな化学反応が起こったものと思います」
「聞こえの言い方を」
また、議題とは関係ない脇道の話が進む。もしかしたら俺に聞かせるために、これ見よがしに言ったのかも知れない。だとしたら、いやらしいやり方だ。
しかし御令嬢って。たしかに先輩、常識ズレたところがあって、どこかのお嬢様っぽいなと思っていたけど、まさか学園の関係者だったとは。そんな楚々とした感じもなかったし、むしろ水分や阿達の方がよっぽどお嬢様だし。いや、中等部からずっと生徒会長という段階で気付くべきだったか。
「学園風紀は生徒の事なので、私に任せろと御令嬢が仰っていました。わたくしはあくまでもスーパーバイザーとして見ております。実際、剛柔絡めてうまく学園の風紀をまとめていらっしゃいました」
「私にはそうは見えなんだな。二年生の反発は知っているぞ」
「それは社会のルールを逸脱した者への当然の対処でしょう。生徒とはいえ守るべき学園の法はあるのですから」
「門戸を開くのなら、過去を捨てる踏ん切りも必要だ。伝統が足かせなら捨てればよかろう」
「それは御令嬢にお伝えください。わたくしは一理事に過ぎませんので、伝統の継承に口出しする権限はございません」
「……」
「それよりも教師の質を問うべきではないでしょうか。風紀とおっしゃるなら」
俺が居るのに先輩のことを悪く言うのはどうなのだろうか。それとも今更って感じなのか。
「ならば予算だな。活きのいい教師が欲しければ金だ」
うわ、露骨な言い方。角ばった顔のたっぷりとした口髭が、重々しく動く。
「そのお話は昨年した通りです。学生生徒等納付金はほぼ教師の人件費となっております。もちろんこの予算で教師をそろえて戴いたことには感謝しておりますが」
「ならば仔細を申すな」
黙り込む一同。もしや教師に高齢者が多いのはそういう理由なのかもしれない。
「何度も話が逸れて申し訳ないが、この予算など出せないのだ。最低でも4分の一に抑えて欲しい」
会計理事が咳払いを含ませ、ねじ込むように話を戻す。
「25億円? 70億円以上もカットするのですか!?」
「そうだ。そもそも100以上部活があるのはおかしい。不要な活動は切り捨ててでも」
「先輩は、いや前生徒会長はそれをよしとしたのですか」
「それは本人に聞きたまえ。それが我々の出せる最大額だ。それ以上はムリだ。交渉の余地はない」
「しかし」
「我々も学園を残したい。キミも高校生とはいえ組織の長だ。この通り様々な意見や手段が出ているがその点では我々と一致しているのは分かるだろう。だからこそキミに耳の痛い話もしている。キミにも協力してほしい。御令嬢と同じように」
「はい、それは分かります。私も学園がなくなるのは困りますから」
「分かってもらえてなによりだ。理事会という立場上、生徒を直接指導することはできないが、応援をさせてもらおう」
「ありがとうございます」
「瑞穂君、重要な事だが債務不履行の可能性は口外しないでくれ。分かると思うが父兄各位に知られると寄付が止まる。そうすればもう学園の債務不履行は決定的だ」
「わかりました」
ここで俺の話は終わりだ。酷い会議だ。交渉なんてなかった。そして俺がもらってきた宿題は、マイナス70億円という、とてつもなく重いものだった。元が100億円なので感覚がずれてきたが、ネットで調べると70億円でロケットが一発上がるらしい。おっと眩暈が。
しかし、先輩が言っていた「金の事」とは債務不履行のことだったのか。だとしたら、ここで部費を絞るのは学園の存続に直結するってことになる。なら、口止めされているのもあるが、25億円で妥結したことにして、あとは俺の力で何とかしたい。これは生徒会長の問題なのだ。
『あなたの横に立てる男になりたい』
そのためにも、俺はここでの踏ん張り通す!
一発逆転にはそれしかない。