2章-2
まずは関係者に部活動報告会の開催を告知をしなければならない。手元にあるのは部長名のリストだけなので、それを元に各部部長のクラスまで、わざわざ会いに行くのだが……。
めんどくさい。
ちょー、めんどくせー。
なにげに「校内放送で呼び出せばいいんじゃね」と言ってみたら、神門に「ありえない!」と眉をひそめられた。
「冗談に決まってんだろ」と誤魔化しておいたが、あいつはやたら勘がいいので、今のはマジだとバレてるに違いない。
やだやだ。
まずは敷居の低いところで、二年生部長から会いに行くことにする。いきなり最上級生にアタックするのは、ちょっとね。
もっとも、二年で部長をやる位の辣腕だから、逆にビシビシやられる可能性もあるんだけど、何となく気分的に、年が近い方が気が楽なのだ。
二年生のクラスは二階だ。行くこともない階なので足を踏み込むだけで新鮮で、何となく匂いも違う気がする。
これから、この階のクラスを一つずつ回り、部長に会って、直接、報告会の案内資料を手渡す訳だが、正直言って初対面の会話は得意な方ではない。
軽いコミュ障なんです。俺って。
ただ一言、お願いしますと開催案内を手渡すだけの簡単なお仕事なのだが、目的のクラスの前に立つだけで緊張が高まる。
気合いを入れるために、自分の頬をピシャリと叩き、「よしっ!」と腹で声を出し一歩踏み出す。
「失礼します。生物部部長の宝亀先輩はいらっしゃいか?」
開いている入り口をノックし、目一杯見栄を張った滑舌で呼び出すと、入り口近くに座っていた女子グループが一斉に俺に注目した。
うっ、イタタ。『あんたダレ』と言わんばかりの視線。
飲まれそうになるのを堪えるが、体が自然に反応し手に持つ資料の束にぎゅっ力がこもる。
結構、コミュ障なんです。俺って。
直立不動で待っていると、グループの一人の少女がこちらに来た。
「何かご用でしょうか?」
顔を見る。
あ、なんかこの子かわいい! いや訂正、超かわいい! いやいや訂正、かわいいってもんじゃない!
ちょっと童顔で、たれ目がちな目は、まっ黒でキラキラ。ぷにぷに突っつきたくなる、お餅みたいに白くてやわかそうなほっぺた。丸顔によくあうショートカットで、輝くようなきれいな髪をしている。華奢な肩は撫で肩で、ぎゅっと抱いたら、きっとめちゃめちゃ柔らかいんだろうなっていう、ぽちゃぽちゃ感。これ以上は俺のボキャブラリーでは表現不可能。
始めて先輩に会った時も、衝撃的に美しいと思ったけど、それとは違う癒されるような可愛さだ。
「あの、どうなさいましたか?」
「……」
「あのぉ~」
「い、いえ、ちょっと頭が真っ白になってしまいまして」
やばっ、ほけ~としてしまった。
「まぁ、大丈夫ですか」
「はい、失礼しました」
手を前に合わせてニコニコ微笑んでいる。つられて俺も笑ってみる。ちょっと顔が引きつっている気がするけど。
会話はない。
「あの、それでご用件は」
「はい?」
「何かご用があったのでしょう?」
おっとそうだよ! この人、俺の言葉を待っていたのか。ほんのりはんなりムードに引き込まれてしまった。
「そうです! 生物部の宝亀部長をお願いします」
「そうでしたか。宝亀くんをお呼びすればいいのね」
「はい、よろしくお願い致します」
言葉も丁寧な子だな。声を聴くだけでも癒される~。
謎のかわいい子は、まさに『ててて』という擬音がぴったりな仕草で、教室の奥まで小走りに走っていく。ほとんど歩く速度と変わらないのだが、本人的には急いでいるのだろう。いちいち、小動物のようで可愛い。
窓側後方まで行ったその子は、どうやら宝亀さんと思しき人と話をしながら、俺の方をちらっと見たり胸元に手を重ねるような上品な仕草でクスクス笑ったりしている。
あ、宝亀さんが立った。
眼鏡を人差し指で上げ上げ、たいそう身長差がある二人が話しながらこっちに来る。
「ありがとう秋山さん。結局なんの用事か分からなかったけどね」
「ごめんね。宝亀くん、今度はちゃんと聞いておくわ」
そのまま頭を下げて、その子は奥に席を移した女子グループの中に溶け込んでいった。
そうか、この子が秋山さんか。確かに赤羽・山縣のラブラブコンビが言ってた通りだ。初めてあいつらの言うことを信じたよ。これは並みのモンじゃない。美オーラが違う。偏差値高過ぎ!
そのオーラに逆らえず、秋山さんを目で追うと、女子グループの一人、ショートカットのはねっ毛の子と目があった。
敵意の目。
この子達、俺がずっと秋山さんを目で追っていたのを見ていたらしい。そして、そんな俺の事を全身隅々まで品定めしていたようだ。そして下された審判は……
うーん、どうも評価はあまり良くなかったみたいだ。鼻の下、伸びてたもんな。明らかにこの子のかわいさに目を奪われたように見えたろうな。
しまった。このグループの子達に「休み時間にお邪魔してごめんね」くらい言えばよかった。気の利かない自分に後悔。
その秋山さんが向こうに着席したのを確認すると、宝亀さんは急に言葉を荒げて面倒そうに「誰だお前」と言ってきた。
うわぁ態度豹変。相手を見て態度を変える奴って最低じゃね? 『天は人の上に人を造らず』って知らないわけ? 福沢諭吉読む?
俺が一番嫌いなタイプだが、先輩だし部長だしお願いだし、礼は尽くさねばならない。
「私は、生徒会長の瑞穂政治と申します」
「ああ、入学式の一件の奴か」
面長の顔に合わない丸眼鏡を人差し指で上げて、嫌味たっぷりに言う。しかも奴扱い! さらに事件の被告で覚えられているのは甚だ不本意だ。
「その生徒会長様が、何の用だ」
「部活動報告会の案内をお持ちしました。第一回目なので皆さんに直接お渡ししております」
「会長様自ら雑務か? ご苦労な事だ」
「皆さんのお顔を覚えたいので。大した苦労ではございません」
ひょろっとした手が、俺から案内を奪い取っていく。皮肉も通じないのかという、小馬鹿にした風がありありと分かる。
だが我慢だ。今日の目的は部長達に俺の存在と誠意を知らせることだ。自分の感情は二の次でいい。
「サロンで聞いたが、生徒会はお前と神門だけだそうだな」
「はい、まだメンバーは副会長しかおりません」
宝亀さんはクククと喉で笑い、渡したプリントをきっちり折り畳み胸ポケットに入れると「今度も冴えない生徒会になりそうだな。ま、精々頑張ることだ」と捨て台詞を残し、礼もしないで席に戻っていた。
なんとも無礼な人だ。桐花は気位の高い人は多いけど、無礼な人は少ないと思っていたのに。こりゃ先が思いやられる。
しかしサロン? 前も聞いたことがあったような。
こうやって部長、一人一人に会うべく、二年、三年のクラスを回る。
万事が万事このような扱いではなかったが、先輩のことを悪く言ったり、公然と俺を非難する部長もいた。逆に、「大変だな」「頑張れよ」という声も少なからずあったのは、意外であり勇気づけられた。
だが、そのような声をかけてくれるのは、もっぱら三年生であり、二年生の粗暴さに比べると雰囲気に随分と差がある。
予想では、三年の先輩から邪険に扱われるだろうと思っていたのだが、実に意外だ。これが三年歳上の余裕なのだろうか。俺にはまだ分からんが。
部活動報告会は、会場の設営も自分達でしなければならない。 部長は全部で112名。副部長を連れてくる部もあるので200人分を用意する。この人数になると、もう生徒会棟では入りきれないので、講堂で会議を実施することになる。
だだっ広い講堂に、木製の椅子を200脚も配置するのはかなりの重労働だ。その重労働をするのは、神門、先輩、俺の僅か三人。
こうなると、ひ弱な神門ですら重要戦力である。有無を言わさず、普段はやらないであろう力仕事に従事させる。強制労働。force to work。
だが先輩は女の子だ。幾ら人手がないとはいえ、こんな重い椅子の運ばせるのは気が引ける。
講堂の倉庫から、神門と先輩が椅子を運び出している。二人とも両手に一脚ずつ、合わせて二脚を運ぶのがやっと。やっぱり女の子だ、力仕事は厳しい。いや男の子も混じっていたか。
「先輩すみません。力仕事までさせちゃって」
「気にするな政治、むしろ楽しいぞ。私はいきなり副会長になったから、このような仕事はしていないのだ。体を動かして何かを皆でやるのは、なんとも言えぬ充実感があるな」
「そんな、気をつかわなくても」
「いや、本当に楽しいのだ!」
髪をポニーテイルに結び、嬉々として椅子を運ぶ姿は確かに楽しそう。一方、神門は重いだの腕が上がらないだの、ずっと泣き言を言っている。
「女々しいわ! 先輩を見習え!」
「だって重いんだもん」
「だって禁止、だもん禁止! 次言ったら四個運ばせるからな 」
「えー、無理だよー」
銀髪が汗だくの額に張り付いている。これをウチの女子が見たら何て言うのだろう。『神門くんカッコ悪い』かな? いや、あいつなら『神門くん可愛そう』あたりか。まてよ、その前に働かせている俺が、蟹工船の資本家よろしく糾弾されそうだ。
あ~、いま想像のクラス女子が、俺の事をボロクソに言うわ映像が~。ガラスのメンタルにヒビが入ったよぉ。うにゅ~へこむー。
もう17時半。椅子の設営に一時間以上もかかっている。外はもう薄暗くなってきた。この配置が終わったら、マイクをセットして、俺達の机を入れて、一度、生徒会室に戻ってプロジェクターの用意をしてと、まだまだ仕事がある。
残る準備の段取りを考えてゲンナリしていたら、ほんのり汗ばんで頬を高潮させた先輩が背筋を伸ばしてやってきた。真っ白なブレザーの胸とお腹のところが黒く汚れている。
「政治、椅子の配置は終わったぞ」
嬉しそうに報告する先輩。
「先輩、制服がこんなに」
「ああ、途中から椅子を抱えて運んだからな。その時に付いたのだろう。洗えば落ちる」
こんなに汚れているのに、こんな一年の男子がやるような力仕事なのに、それを晴れ晴れとした表情でやっている。
そんな先輩を見て、俺は泣きたい気持ちになってきた。
それは俺のせいで先輩を汚してしまったから? 俺とは全く違う受け止め方ができる先輩が遠くに見えたから?
分からない。
でも自分だけが薄汚く思えたのだ。この三人の中で一番くすんだ俺。二人と比べてえらく不釣り合いな自分。神門のような軽さもなく、先輩のような輝きもない。鉛のように鈍く重く沈んだ愚鈍な存在。
先輩の突き抜けるような笑顔が、醜い自分をより際立たせ、殊更に惨めにさせた。
そんな急に生まれた重い心が顔に出ていたのだろう、先輩が小首を傾げて不思議そうな表情で俺を見ている。そんな無邪気な雰囲気に、うっかり心の声が漏れた。
「俺も先輩みたいになりたいです」
先輩は、きょとんとして言う。
「どうしたのだ? 急に」
なに言ってんだ俺は! そんなこと本人に言ってどうする。俺の問題だろ!
「何でもないです、忘れてください」
ぶっきらぼうにそう言って、悔恨を先輩に悟られないよう、ぷいと背を向けた。
先輩の顔が見れない。
バツの悪さに足元から視線を泳がせれば、遥か先には、ぐったりと椅子もたれる神門。
窓から差し込む夕陽に、舞い上がる埃がキラキラと光っていた。幻想的な美しさに潜む、儚く悲しい埋めがたい何か。
「政治?」
背中越しに声がする。なんて答えたらいい。
「具合でも悪いのか、政治?」
具合が悪いか。あはは、全くその通りだ。具合の悪りぃ奴だよ、俺は。
「そうですね。カッコわりぃな、俺ってヤツは」
喉の辺りに巣食う卑下の塊を押して、失笑まじりに情けない言い訳をすると、ちょっと間があいて先輩の声がした。
「政治、こっちを見ろ」と。
軽やかにトーンを飾った声が。
振り返ると同時に、うわっと顔を覆ってきたのは、先輩の両手。
『なんだ!』
そして先輩の柔らか手が、ゴシゴシと俺の顔を擦る。
『なに!?』
先輩は存分に俺の顔を撫でまわすと、その掌を自慢げに俺に見せた。その向こうに見えるのは破顔した先輩。
「あははは、政治の顔、黒汚れだ」
「先輩……」
「お前も一緒に汚れてしまえ」
鏡がないから分からないが、腹を抱えてケタケタと笑う先輩を見ると俺の顔は相当汚れたらしい。
「そんな顔をするな。お前はお前でいいではないか。人は誰にもなれん、自分にしかなれんのだ。無理に真似る必要はない、無理に飾る必要もない。それは、お前が私に教えてくれた事ではないか」
俺は、先輩の言葉とは裏腹に、急速に気持ちが冷え固まっていくのを感じていた。
『先輩には、わかんねーよ。あんたは何でもできんだから』 起こるのは、そんな呟き。
「さぁ、まだ、ひと仕事あるのだろう。私は先に生徒会室に行って鍵を開けてこよう。政治も後で来い」
薄暗い入り口に向けて歩き出す先輩と入れ替わりに、神門が俺の背後を影のようにすり抜けて行く。
「願い通り、慰めてもらえて良かったじゃない」
囁くように小さく、恐ろしく鋭い、深淵から届く忍び声。
さらっと流した言葉だったが、その軽蔑は俺を切り裂くのは十分だった。怒りより早く恥ずかしさが込み上げて、ただ俺は赤面し震えた。
「僕も先に行ってるよ。此処にいたら、また力仕事だからね」
『慰めを貪る俺』
『本当に不似合な俺』
これが本当の俺なんだ。今日まで傷つかないように自分を見ないで逃げてきた、見せかけの無関心で偽ってきた。先輩に見たのは、鏡に映った不格好な自分。
あなたの横に立てる相応しい男になりたい。それがどんな男か俺には分からないけど、そうなりたい。もしそんな男になれたら、そしたらこんな仕事も二人で笑って出来る楽しい出来事になる気がする。
煌びやかなライトがなくても輝く人がいる、ステージの上に衣装を着込んで立ってもくすんだ奴がいる。
たかだか椅子の設営で、そんな現実を突きつけられるとは思ってもみなかった。