2章-1
生徒会の最重要案件、部活動予算編成は、巨額の予算との戦いであった。
政治はこれに悪戦苦闘する。
一方、葵は口を出さず政治を暖かく見守る。会場設営の肉体労働も喜んでやる葵に抱く政治の想いとは。
ゴールデンウィークを過ぎると、桐花学園生徒会にとって、もっとも大きなイベントである『部活動予算編成』がやってくる。
この学園は部活も盛んで、やっていることも本格的なので動く予算も大きい。
創立以来、『やるなら本気』が桐花学園のモットーである。そのため充実した施設が次々に作られた。シンクロができるプールや、馬術のための馬場や厩舎、運動系の大きな部活には専用のトレーニングルームが付随しており、部活によっては体育系の大学よりも充実した設備を擁している。
文化系でもっとも潤沢な予算を貰っているのが華道部だ。華道部の歴史は古く、創部は何と120年。その間にコツコツ購入された花器が数多あり、ちらっとB/S(貸借対照表)をみたら総資産は億を超えていた。
生徒会も立派な調度品が並んでいるが、これらに比べると質素なものだ。高価なのはイギリス・ジョージアンスタイルの会長机と椅子程度である。
その豪奢な伝統を引き継いだ各部長が、予算を申請する。それを生徒会が適正にとりまとめ、学園の年次予算から部費を捻出するのだが、原資確保はなんと生徒会長の仕事なのだ。そのため、生徒会長は理事会が主催する『予算会議』に出席することが義務付けられている。
もう一度言うが、予め割り当てられたお金を各部に割り振るのではなく、生徒会が予算案を通して、お金を頂くのである。つまり俺がしくじると部費がなくなる。
やるなら本気の学園は、考える事が狂気じみている!
「先輩も予算編成をやったんですか?」
「もちろんだ。なかなか予算が成立しなくてな、随分苦労した」
その苦労を思い出したのだろう。先輩の眉間にうっすらとシワが寄っている。
「余程苦労したんだろうね。あの二の腕が今じゃすっかりこの細さだもん。激ヤセ」
応接の椅子に深々と身を沈めた神門が、文庫の小説を読みながら、さらっと話に色を添える。
「え、マジ? 一年前の先輩ってもっと太ってたの?」
「ウソだ! あの絵を見たろう。確かに痩せる程の苦労ではあったが2キロも変わっておらん!」
「どうだか。絵なんていくらでも描けるもんね」
つい、先輩の二の腕をマジマジと見てしまう。
「見るな!」
「いや、つい」
ブレザー越しで見えないのに、先輩は真っ赤になって二の腕を手で隠している。だが逆にふくよかな胸元が、むぎゅっと強調されて妙にエロっぽい。自然と目がそこに行ってしまう。いかんいかん、今はそんな事に気を取られちゃ。
「それより、よ、予算編成だ。政治」
「は、はい、かなり重要なイベントですよね」
「そうだ。ここでの成否が我々の存在価値を決める。正に正念場だ。心してかかって欲しい」
「分かっています。因みに前回はどんな段取りで進めたんですか?」
「決まりはない。私が執り行ったのはこんな感じだ。概算要求を集めて総額をつかんでから、予算編成会議で獲得バジェットの松竹梅を決める」
「バジェット?」
「予算の事だ」
「あとは会議を繰り返して、部費の圧縮とバジェットの拡大を交渉して、金額を合わせるという具合だ。やっていること自体は難しくない」
たしかに、聞くとそう思えるがやると大分違うだろう。相手は人だ。しかも利害の合わない交渉なのだ。
「だが基本的に利害が一致せん交渉だ。事務局としての我々の力量が試される」
でしょうね。先輩も同じことを言う。でも……
「力量というか、人徳でしょ」
「まぁ最終的にはそうだな。時には無理を飲んでもらわねばならん」
時にはじゃなくて全部じゃね。
「だから、部長との人脈や信頼が大事になってくる。生徒会役員に内部生が多いのは、そのような事情もあるのだ」
そうか。ただ特権階級だからと言う訳でもないんだ。じゃ、俺はどうなる? 部長なんて誰も知らないぞ。いや、それ以前に部活が幾つあるのかも知らないし。
「アホな質問で恥ずかしいんですが、部活って何個くらいあるんですか」
知ったかぶりは良ないので恥を忍んで質問すると、神門が今更と言わんばかりに、わざと人に聞かせるような大きなため息をついた。
バカにしてるだろ! 謙虚に質問した俺をバカにしてるだろ!
「政治、大丈夫? 『敵を知り』って諺があるけど、無知にも程があるよ」
大げさな抑揚を付けて言うところがドSだ。全く、めんこい顔をして。顔とSは関係ないけど。
「まぁそう言うな。この春入ったばかりなのだ。知らんのは無理もない」
「葵は甘過ぎるよ。そんなのパンフレットにも書いてあるんだから。これは責任とか当事者意識の問題だよ」
うぐっ、仰る通り。面目ない。
「教えてあげるけど、ちゃんと自分で調べるんだよ。今年の四月時点で112だよ」
「ありが、え?」
聞き間違いか!?
「112?」
「112」
「マジ?」
「マジ」
「多くない?」
「多い方だろうな。他校に比べれば」
先輩、冷静すぎ!
「いや、メチャメチャ多いでしょ。それをまとめるの?」
「そうだ」
急に不安になってきた。112も交渉出来る気がしない。なんか足がガタガタしてきた。
「考え過ぎなくても良い。過去には拘らず思う通りやればよい。まず各部長達との関係を構築しよう。そうだな顔合わせ会から始めれば良いだろう」
「葵! 政治に甘い! 生徒会長は政治なんでしょ、自分で言っておいて」
ちょっと甘めでお願いします。なにせ先輩にして痩せるほどの苦労なんだ。俺にできる自信がねぇよ、そんな仕事。
決めたはずの志が早くも揺らいできた。