1章-10
牛丼事件について何も言わない葵を気にしつつ、生徒会長としての公務が始まる。
だが公務はスタートから前途多難。学級代表委員会では、自分への非難に加え、葵の辞任理由を仄めかされ、政治の心は揺れる。
生徒会長になって、もう三週間。先輩とは、まるで普段通りの日々が続いている。
今更ながら気づいたが、新田原は入学式で俺をボコボコにした奴の弟だった。まったく兄弟そろって俺に仇なしてからに。そして先輩にご専心かよ。
だが、そうなると牛丼事件は兄貴も知っている訳で、すると先輩の耳にも届いていると考えるのが妥当だ。でも先輩は何も言わない。
それが不安でもあり安堵でもあり、俺はそんな微妙な居心地の悪さを心の奥底に押しとどめていた。
四月も終わりに近づくと、いくら名ばかり生徒会長と言えども、最小限の活動を開始しなければならない。
『第1回学級代表委員会』である。
生徒会長になって数週間だし、委員会は前任者と一緒にやると思っていのだが、先輩ときたら「政治、私は臨席せんから、あとはお前の差配次第だ」と言うではないか。
血の気が引いた。
だが、発言レベルまで噛み砕いたレジュメや何枚もの想定問答集、そして綿密なリハーサルのお蔭で、何とかを乗り切ることができたと思う。
……その資料を作ってくれたのは神門だけど。リハーサルは先輩がしてくたけど。
それほど準備しても、やはり問題は起こるのである。
委員会のテーマは顔合わせと年間行事の確認、各クラスの課題共有、ゴールデンウィークに向けた注意喚起くらいなのだが、二年、三年のクラス代表から見たら、入学したばかりの若造が、いきなりトップを張るっていうのは、納得できないんだろうね。
まぁ当然と言えば当然。
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「瑞穂さんの責任ではありませんが、生徒会長選出の基準が不透明に思います」
これはメガネに三つ編みの利発そうな三年女子の発言だ。いきなり核心を突く質問にドキリとするが、これは想定の範囲内である。
気づかれぬように、ゆっくり深く息を吸い込み、発言者を観察する。胸のワッペンのライン数は二本。内部生か。キツそうな子だなぁ。
想定問答をめくる。
「選出は生徒会規約の範囲で行われ、暫定生徒会長が指名しました。選挙は行っていませんが問題はございません」
嘘じゃない。なぜ俺かは不透明だがプロセスには問題はない。
「なぜ瑞穂さんが選ばれたのでしょうか」
緑色のリボンということは二年生か。ちょっとぽっちゃりした、笑顔がかわいい子が、おっとり口調で質問する。この子も内部生ね。
「それは私には分かりかねます。前暫定生徒会長に個別に伺ってください」
笑顔は崩さないが納得はしてないみたいだ。それを受けて二年の鼻もちならなそーな男が質問を続ける。
「でも、瑞穂くんも興味あるんじゃない。変な噂が出る前に何で瑞穂くんなのか公開しちゃったほうがよくない」
口調はチャラいのに、もっとも臭い事を言う。
「選出基準は時勢により個別に設定されるものです。選挙の多様性を担保するためにも、生徒会として意見を述べるのは差し控えるべきだと判断します。これについては前生徒会長とも確認しています」
「ふーん、粘るね」
遊んでるわけね。俺の答弁で。気位の高い人が多い学園だから、正面切って不満を言うよりも冗談めかして非難する方が多いと思っていたのだが、読み通り。準備通りに答えれば、なんてことはない。
さて、出席者の中には、我クラスの代表、大江戸と水分もいる。だが二人は沈黙を守っていた。
沈黙は今の俺にとって一番の援護射撃だよ。本人たちは様子を伺っているだけ、だろうけど。
水分は相変わらず澄まし顔で、『私は関係ございません』と決め込んでいる。大江戸は全方位で出席者の顔色を読んでいた。学級代表に立候補したときは、ただの物好きかと思ったが、案外はしっこい気象である。こいつは敵に回さない方がいいなぁ。
「幕内もいるんだろ。裏に」
不意にヤンキー口調の声が、何人もの頭を飛び越えて俺に届く。誰だ? 今の突っかかってきたのは。見渡すと声の主は左奥にいる二年生。また二年生かっ。
「引き継ぎ後も、お前らがここに集まってるのは知ってんだ。辞任した奴は生徒会から外れるのがルールじゃねーのか」
「幕内先輩は生徒会役員ではありません」
「詭弁だろ、んなもん」
不満? 怒り? いや、脅しとも取れる言い方だ。先輩に私怨でもあるのやもしれない。それを俺にぶつけられてもなぁ。だったら、あんたが直接言いに行けよ。
だが、こういう輩は頭の中や下っ端に不満を展開するだけで、本人の前ではからきしダメなのだ。『言わせて逆らわずが賢い乗り切り方』と、対応を定めた所で……、
「ねぇ、何で葵ちゃんが辞任したか知ってる?」
と、別の方向からチャラチャラした声がした。
コイツ、さっき絡んできた奴だ。『粘るねぇ』なんて言ってたが、どうしても俺が生徒会長であることを認めたくないらしい。
机に突っ伏して、うそぶいていたそいつは、のそっと頭をもたげると意地の悪い口元でなぶるように話し始めた。
俺は俺で、進行と関係ない話をするなという思いを込めてキツく睨み返す。
「今の発言は、あなたですね。お名前は」
「いいじゃん、そんなこと」
外部生か? 肩章がよく見えない。
「前任者の辞任理由は生徒会活動に影響はありません。どうでもいいことです」
「なーに必死になってんの。でもそっかー、葵ちゃん言ってないんだ。大事な事なのにね~」
カチンと来るなぁ。てめーだけ知ってるような小ばかにした言い方をしくさって! 葵ちゃんと呼ぶのも腹立たしい。
挑発など無視すればいい。
だが、それが出来なかったのは、俺もその事が気になっていたからかも知れない。
学園が無くなるかもしれない。それを守りたかった先輩が道半ばで辞任したこと。しかも罷免されそうになっていたこと。そして俺は、先輩から意思を託されたこと。全ては準備が出来たら話すと言ってくれたが、その時はなかなか訪れず、少々焦っているのもあった。
言いたくない事情があるのか、それとも言えないような事だったのか。
知りたいが、それを聞き出すことはゴシップ集めに喜ぶ三流記者のようで自分のプライドが許さなかった。
「ははーん、気になるよね、教えてあげようか」
「気にしていません」
「あらら、無理しちゃって。キミ、葵ちゃんに信じられてないんじゃない? もしかしたら葵ちゃんの手駒かもよ、かわいそ~」
「……」
悔しいが言葉が出ない、絶対そんな事は無いと確信しているなら、即座に反論したろう。だが、言われて心が揺らぎ出した。
こいつが言うとおりかもしれない。無いとは言い切れない。一番大事な事を、俺は知らない。知らされていない。
『なぜ俺なのか』
俺をいきなり生徒会長にした程の強引な人なのに、向き合うと意外なほど慎重に言葉を選んでいる。牛丼事件の事も何も言わないし、俺が先輩の事を覚えてないことも追究しない。どうでもいい事なのか。それとも信用されてないのか。
「教えてもらえないんじゃ、やる気もでないよね~。じゃ、お兄さんが教えてあげよっか~」
くっ! 見透かされている。「やめろ」と言わなければならないのに、まるで踏み絵の前に立ち尽くす信徒のように口が動かない。
「葵ちゃんはね~、去年の一年生にね~」
このままではコイツから聞いてしまう! 聞いてしまえば俺と先輩の関係は別のモノに変わってしまう。先輩のことを本当に信じられなくなるかもしれない。
焦りと緊張で眩暈を覚えながらも、俺の反対側に座る水分が、椅子から半腰を上げて二年生を睨みつけているのが見えた。俺と話した時とは比べものにならない怖い顔だ。口が動く。もう言葉が出そうなくらい。
「い、やめろ」
「くだらん!!!」
そのハッキリとした声は、俺と同時に発せられた。
はっと振り向くと、三年の誰かがテーブルに両手をついて立ち上がっている。
「もういいだろ。卸矢。関係ないことに時間を使うな。みな時間を出し合ってここにいるんだ」
卸矢と呼ばれた二年は興ざめた様子で、「へぇー、時間ね。こんなところに雁首揃えて座ってんのが暇人の証拠だっての、先輩」
あざ笑うように三年生相手にも係らず減らず口を叩く。三年生は、そんな挑発には乗らずゆっくりと椅子に座り直す。俺も。
「幕内は、人を弄ぶような人物ではない! 俺は良く知っている。あいつを」
良く知っているという言葉が、俺の心を引っ掻いていく。
俺は先輩の事を殆ど知らない。でも、人を道具扱いするような人じゃないと思う。
『と思う』……。
先輩との時間は余りに短い。とても知っている言えるレベルじゃない。やってきたこと、大切にしてきた事、考え方、志。なにもかにも分からない。
『燕雀安んぞ鴻鵠の志を知らんや』というが、レベルの低い俺には先輩の想いなんか、想像も出来やしない。
住む世界が違う人。テキパキ仕事をこなし、自分のやるべき事を知っていて、学園の問題と戦ってきた人。そして親衛隊なんぞあって愛されている人。
城下の平民は、お姫様の側には決して行けない。遥か遠くから永遠に見つめるだけ。
そんな、何もかも劣る俺を、きっと先輩は半人前の青二才と心の中で思っているに違いない。
はっきり言って憤りと自虐の天秤の間で俺は混乱していた。俺は先輩を尊敬したいと思っている。だが己の劣等感が、先輩への信頼を揺さぶっている。
それでもボロ切れの理性を引っ張り出して役割を演じる。
「幕内先輩には、事情があるのだと思います。私は幕内先輩を信じております。卸矢先輩がおっしゃった事は、本会には関係のないことですから、取り下げさせて戴きます」
「ちっ! 生徒会長殿お好きにどうぞ。どうせ葵ちゃんも裏で聞いてんだろ」
卸矢は舌打ちして俺を適当にあしらうと、そのまま突っ伏してしまった。
この話が先輩の知らないところで行われたのは、不幸中の幸いだった。俺の動揺も躊躇いも、何より先輩に対する不穏な話もバレなかったのだから。
切り替えよう。全て俺の心に仕舞い込んでフタをしてしまえば、何もなかったことになる。切り替えて行こう。
この後は、嫌な空気も次第に和らぎ、無事、委員会を終えることができた。簡単な連絡事項に二時間もかかってドッと疲れたが、でも乗り切れたんだから良しとしよう。
各クラスの代表が余韻も残さず早々に掃けると、その足音を察してか、向かいの生徒会室に控えていた先輩と神門が、にこやかに大会議室に入ってきた。
「ご苦労様、政治」
「いや~、葵の件は心配したけどうまくやったね~」
ほんとお疲れ様だったよ、俺。そして頑張ったよ、俺。そんな俺を誉めて欲しい、誉められて伸びるタイプなのでって……ちょっとまて!
「なんで知ってるの神門? 居ないのに?」
「ここに居たら何も分からないから、盗聴器をしかけておいたんだよ」
盗聴器!? スパイかよ! お前は!? 神出鬼没だし秘密道具は使うし、ミッション・インポシブルか! まさか手当り次第に女と寝てないだろうな。俺を手伝うフリして。
「先に言えよ! 俺を騙してどーすんだよ」
「だって聞いていると思ったら、僕や葵のこと頼るでしょ。政治」
「頼らねーよ。ガキじゃあるまいし。ちょっと待て! じゃ聞いてたんだ、さっきのも」
慌てて振り向き先輩を見ると、先輩はわたわたと狼狽える俺に、はにかみながら応える。
「政治、ありがとう。私のために怒ってくれたこと。嬉しく思う」
「いえ、その、アイツが、卸矢があまりに無礼だったので。それを注意しただけで……」
「それでも嬉しいのだ。政治に迷惑をかけているのは私なのだから」
キラキラした瞳が痛い。俺は何もしていないのに、それどこか先輩を疑い、過去を詮索する誘惑に負けそうになっていたのに。
その純な瞳の力に居た堪れなくなり、ノリの軽い話題を神門に降って、負い目という名の袋小路から抜け出す。
「せ、先輩はアレだけど、神門は手伝うって言ったんだから出席してもよかったんじゃないのかよ!」
「え、だって僕、手伝うって言ったけど役員に任命されてないもん」
「なんだそれ! じゃ今から神門は副生徒会長だ。いいな、それで決まりだ。俺が任命した」
「そんなの僕がイヤって言ったらそれまでだよ」
「いや、お前は手伝うって言った。武士に二言はない」
「ぼく、武士じゃないもん」
「だもん」はやめろって。男なんだから。高校生なんだから。だが確かに武士というよりは公家って感じではある。
「じゃ、公家か華族として俺の後見人になれ」
「それならいいかな~」
なんだかんだ言って役員になるなら素直になればいいのに。そんな俺達の掛け合い漫才を先輩は楽しそうに見ている。椅子の上に胡坐をかいて。
時々見る仕草だ。機嫌がいい時やリラックスしているときに、このあられもない姿を披露するんだけど、まさかクラスや前生徒会ではやってないかったろうな。
その胡坐の足首を両手で握り、前屈みに俺に問う。
「あのな政治、明日の昼休みにココに来てくれないか」
「どうしたんですか?」
「昼食は取らずに直ぐに。手ぶらでいいから」
『あのな』とは先輩にしては珍しい。なんの用事だろう?
「何んですか」
「別段難しい話ではない。詮索はするな」
「はぁ……」
そわそわして、何か隠しているな。キレ者だというが俺の前だと意外とポーカーフェイスが苦手なんだ。
喜怒哀楽がハッキリしてて表情が豊か。隠し事が出来ないから、俺でも気づいてしまう。
そんな素直な人が、人を道具にする筈がない……と思う。
「さあ、政治の初仕事も終わったことだ。今日は早く帰ろう」
先輩が膝をぱんと叩く。
ふと、こんな風景に見覚えがあることを思い出した。
俺と、もう一人誰か。二人でじゃれあって、横でそれを嬉しそうに見ている子が居る。そんな光景を俺は何処かで知っている気がする。
誰だったんだろう。そこにいた二人は。その子も椅子の上に座っては、弾けるように飛び降りていたような。今の先輩のように……
「ぎゃーーー!!! 先輩っ!!! 足ーーー!!!」
「ん?」
『見えちゃうーーー!!!』とは、さすがに言わなかったが、その瞬間が一番見えそうなんだから気をつけてよ! 追憶に浸っている暇もありゃしない。
もう!