5-22章
二日目。
「何で生徒会室に来なかったんだ!!!」
クラスに行く前にちょっと生徒会室に顔を出したら、早々登校していた新田原の雷が落ちた。
「こんな広い学園、俺だけでは手がまわらんのだぞ!」
新田原とは同じクラスだが、風紀担当役員の新田原は、昨日はクラスにも顔を出せず、生徒会業務にかかりっきりだった。
桐花祭の当日運営で一番大変なのは風紀委員だ。何も無くても見回りがあるし、何かあればもっと大変で、事態の収拾に奔走しなければならない。そして今年はお金が無いので警備会社と契約できず、風紀委員は桐花祭だというのに、どのイベントにも参加できないタダの警備員状態に陥っていた。その中心人物が新田原だ。
「言い訳じゃねーけど、クラスの方だって、てんてこ舞いなんだよ」
「そっちには大江戸だっているだろう」
「風紀はお前の領分だろ」
「そうだが、風紀委員だってクラスと部活の出し物の掛け持ちで出払ってるんだ!」
「ヨミ先輩に手伝ってもらえよ」
「益込先輩は、記録映像の撮影で頼りにならん!」
「神門はどうした? あいつはクラスに来てねーんだから、こっちだろ」
「しらん!」
「神門も頼れよ」
「もういいっ! 今日はお前が見回れ! 強引な客引きなども行われているんだ。壁の模造紙に書いてあったぞ。他にもシールの強要もあると聞く。見つけ次第、取り締まるぞ。いいな! わかったな! 絶対だぞ!」
「わかったって!」
「そしてだ……」
「なんだよ、まだあんのかよ」
張り詰めた沈黙。
「お前、昨日、葵様と二人で出歩いたそうだな」
恫喝じみた声色を下から響かせ、新田原が一歩ずいっと詰めて来る。
「そ、そんなのは、知らないな」
ちらっと奴の手を見ると、またどこからともなく取り出した木刀が握られているではないか。こいつ手品師か!
「ウソをつけ。ちゃんと聞き及んでいるぞ。さて生徒会の仕事をほっぽり出して、遊び呆けている男をどう処分したらよいものか。そうだな、益込姉に報告してやろうか」
「やめろ! 仲間を売る気か! 面倒くさいんだぞ、あの人」
「ならばどうする。瑞穂。俺の言いたい事は分かるよな」
新田原は空に指で、ポチポチと何かを押す手真似をした。
「分かった。じゃ先輩に連絡するから。今日は先輩と一緒に風紀巡回に回れよ」
ニヤリと笑う新田原。
「上手く言え。期待してるぞ」
「うるせー、人を脅しやがって!」
ちょくしょう、生徒会長を恐喝して小間使いにするたぁ、向かっ腹も立とうというもの。
だが、この間もあらゆる仕事から逃げ回っている男がいる。
神門。許せん。あんにゃろ、どこ行きやがった。
ちょっと遅れてクラスに着くと、取り囲むように水分の周りに人が集まり、ワイワイと盛り上がっていた。おいおい、どうしたどうした?
「おう瑞穂、水分さんがさ」と、俺に説明しようとした男子の声をかき消すように、脳をつんざく甲高い声が被る。
「宇加様が徹夜でケーキを作られたんですって、こんなに!!!」
やめろー、疲れた頭には、その高い声は響くんだ!
「佳子さんも彌子さんも手伝って下さったんですよ」
こんな時の人なのに謙虚さを忘れない水分が二人の活躍も紹介する。その言葉にしっとり微笑みで応える佳子彌子だが、目がしょぼしょぼだ。さすがに疲れただろう。だが三人とも全身から、生き生きとした覇気がみなぎっていた。
こんなに細い女の子が、しかも特別内部生なのに超頑張ってる!
こんなに頑張っている人がいる一方、さぼっている奴がいる!
人として一層許せん気持ちがムラムラと湧き上がって来たので、我慢しきれず言ってしまう。
「ところでみんな、神門は見た?」
俺が全員に聞くと、「ううん」と答えが返ってきた。
「昨日はお昼にちょっといらっしゃいましたけど……」
「午後はフロアにはいらっしゃらなかったわよ」
「バックヤードにもいなかったぜ」
やっぱり。
「あいつ、昨日さぼりやがって」
さぼりの所を力を込めて言ってやる。
「本当?」「でも確かに見なかったわよ」「神門様ったら」「宇加様がこんなに頑張ってらっしゃるのに」
同じ特別内部生の水分が頑張ってる分、相対的に浮いて見えるのだ。いや相対的ではない、絶対的にサボっているのだ。浮いてるんだっつーの!
そこに春風のように現れた一人の男。
「おはよー。どうしたの? 大盛り上がりだね」
キタ! ヤツが! 何も知らず、のうのうとやってきやがった!
ならやる事は一つでしょっ、てことで俺はパチンと指を鳴らした。
「よし! 神門を捕まえろ!」
「えっ! えっ! えっ!?」
うわーっと神門に取りつく諸々衆生。こうなっては特別内部生もない。信頼を失い没落した特権階級ほど惨めなものはない。蜂起した民衆の力を思い知れ。
「生徒会長命令だ。昨日さぼった神門は、お前らの自由にしていい」
気分はルイ16世をギロチンに処す、アンリ・サンソン。
「なに、何なの!」
「済まないな神門、今日の俺は生徒会の巡回でクラスを手伝えない。だが誤解しないでくれ。他のクラスや部活がズルをしないようにする為の見回りだ。お前のサボりとは違う」
「さぼり? え!? なに?」
有無を言わさず、そのまま両脇から腕を押さえられ、ズルズルと控室に連れ込まれる神門。
「わ、わ~、何なの~! 助けて~~~政治ーーー」
「あばよ神門、さらばだ」
弱弱しく遠くに消えていく声を聞きつつ、この後、彼にどんな仕打ちが待っていたか、俺は知らない。懺悔しろ。あまんじて罰を受け入れろ。俺だって今日は一日中、学園を見回らなければならんのだ。しかも一人でだぞ。とほほ。
これなら中学の詰襟学生服でフロアに立っている方がマシだよ。
この学園はだだっ広い。ただでさえ広いのに、校舎の中まで一室一室赴き、歩いて確認しなきゃならないのは拷問に近い。
だが愚痴っても始まらないので、出足の増え始めた二日目の学園を、中央大路の正門側からチェックし始める。
大路の出店は、最初にお客さんが目にする出し物なので、桐花祭のファーストインプレッションに大いに影響する。お客様の心証を害さない紳士的な営業が必須だ。
丁寧な接客が行われているか、変なモノは出してないか、そんな確認をすべく、様子伺いを兼ねて、二、三軒の出店の生徒に話しかけていると、俺のスマホにLINEがきた。
開いてみると、赤羽からの一枚の写真。
そこには……巫女装束に、神楽鈴を持たされてカメラに向かって救いの手を求める神門がいた。緋袴がまぶしいぜ。
助けを求めたのだろう。伸ばした腕と後ろから引っ張られて半分はだけた掛襟が、妙に色っぽいのが気になるが、
『似合ってしまう自分を呪え!!!』
サボりの代償を思い知るんだな。そしてせいぜい、コッテリ働いてくれよ。
と思いつつ返事はしないで、そっと画面を消す。死者に鞭打つものではない。かしこみ、かしこみ。
大路に並ぶ飲食店では、特にアコギな商売をしているモノはいなかった。
金額もルールの範囲。裏手を見ても衛生面の問題はない。プロパンガスも火元から離して置かれており、ちゃんと先輩の指導が中等部にも行き届いているのがよく分かる。
一通り大路の出店を見終わって、甘いとも香ばしいともいえない、食欲をそそる馥郁に後ろ髪を引かれながら、部活棟に足を向ける。
これだけ店があるのに、昨日はどの店も仕入れた食材をほぼ使い切ったそうだ。ゴミの量も半端なかったし、十万人の出足は伊達じゃない。あー、ごみ処理業者に増便の連絡してなかったー。あぅぅぅ。
あっ、また赤羽からLINEだ。
『神門が瑞穂を許さないと言ってるぞ』
知るか! つーか、赤羽マメだな。というかコイツ面白がってるな。
無視するのも悪いので一言だけ、エスプリの効いたコメントを返してやる。
『自業自得』
返事はない。あったりまえだ、”世論に敵う自論なし”。なんでも自分の言う事・やる事が受け入れられると思ったら大間違いだ神門。それが学生時分に知れて良かったな。
文化部棟では、面白い物を発見した。
『超常現象研究部』という実にうさん臭い部だ。そのような部活があるのは、当然生徒会長の俺は知っている。そしてこの部が恐ろしく低予算で活動しているのも知っている。
予算会議のとき、『超常現象研究部』は全員一致で予算10万円を宣言された。どの部長も『コレは怪しい』と思ったのだろう。どの部よりダントツ少ない予算である。
だが、こんな楽しい部なら、もう少しあげてもよかったな。
部室正面に入室を阻むように立てられたホワイトボードには、
”資金がありませんので活動が制限されております。UMA調査は出来ませんので、想像のUMAを作ってみました”
と、ゲバ文字で投げやりなコメントが書かれている。
どこで覚えたんだよ、そのフォント! それよりお前らの部は研究する部だろ? なのにUMA作るって、それ研究じゃねーだろ!
部屋に入って一番目を引くのは、天井まで積み上げられた段ボールに描かれた『へしこのへっしー』だ。
あらー、こんなもの創造しちゃったんだ、キミたち。
だけど、へし湖ってどこ? 聞いたことないんだけど! 湖まで創作しちゃったよ、この人達。突込み所満載だ。
そのへっしーだが、サバの切り身に尖った怖い目鼻がついた怪物だ。下手うまな絵と相まって、夜うっかり思い出すと、寝れなくなりそうな凄味がある。お子ちゃまが見たらギャン泣きするよ!
そして昭和時代にあった、『特撮怪獣百科』を真似ているのだろうか、UMAの説明書きがイチイチ面白い。
「息→臭い」
「足→臭い」
「脇→臭い」
「鼻→曲がっている」
「夜→糠床で眠る」
「攻撃→お茶漬け」
「弱点→お湯。出汁が出てしまう」
攻撃お茶漬けって……、ウィットに富み過ぎている。というかヤケクソだ。大体、これじゃ水木先生の妖怪だ。もうUMAじゃない。
「これを考えたのは誰ですか?」
部員に聞くと、「僕ですが」と丸い黒縁のロイドメガネに、鼻の下が妙に長い、うらなり風情の一年男子が出てきた。
「いいよ! これ! 気に入った」
「はぁ」
「へしこ好きなの?」
「いえ、くさやの方が……」
「えっ、くさや?」
「会長は、くさやはお好きーですか?」
スローリーな、とろんと眠くなる喋り方をしおる。
「俺? いや、食べたことないし」
「美味しいですよー。あー、スケッチ見ますか? クサヤのくっしー。基本的にへっしーと同じスペックなんですけどー、こちらの方が強力な攻撃をするんです。実はへっしーとは異父兄弟という設定でー、母親はスウェーデン生まれで、鉄の鎧に身を覆ったシュールちゃんです。この鎧を傷つけるとー、そこから臭い液体が飛び散り、相手の目を潰すというー。妹はフランス生まれでブルー……」
「分かった。もういいから」
「はぁ」
なんで臭い押しなんだ、この人。
「絵も美味いね」
「小さいころから、こんな空想の落書きが好きでー」
「子供の頃から、こんなに絵ばかりを!?」
「ああー、ええ。好きでー。あー、そうです、これは異父兄弟の片親で、へっしーの父親でして、『ふなすっしー』と言いましてー、梨の精のなりそこないで。妖精になれない事を恨んで堕天して、鮒に寄生して人を惑わすというー。それでくっしーの父が『臭豆師』という台湾生まれの導師で」
「もういいから、わかったから! 臭いものはもういいから」
「ノートも見ますか、想像のUMAが10冊くらい」
「あ、ありがとう。今度みるよ。ね、ね」
「ぜひー」
だから、想像のUMAってなんだよ。
こんなUMA話を20分以上聞かされて、帰ろうとすると、そっと腕を捕まれ、じりじりと後退ると背後に立たれ、このお方、俺を”お気に入りリスト”に登録したらしく捉えて離さない。
そんなうらなりくんの暴挙に、『来年はこの部の予算を5万円にしてやる』と、固く心に誓ったところで、入り口前でじーと俺を見ているヨミ先輩と目が合った。
「なにやってんだ? 瑞穂」
「あっ、ヨミ先輩」
「お前、巡回じゃないの?」
おお、地獄に仏の助け舟!
「巡回……、そう巡回なんです! すみません途中ではぐれちゃって。ヨミ先輩、俺を探してましたよね!」
「えっ? 別に」
「うわぁー別棟まで行ったんですか! すみません! 急にいなくなっちゃたばかりに無駄足を。えっ? 急いでる? 急いでらっしゃる!?」
「う、うんまぁ、体育館のライブまでに、ここの文化部は撮りたい位には……」
「ですよねー、あっごめん、うらなりくん、俺、ちょと急な用事が」
「うらなり……」
「残念だなー、次のUMAがすごーーーく気になってたんだけど」
すみませんヨミ先輩と頭を下げつつ、ぱしっと彼女の手首を取って、おとととヨミ先輩の方によろけてみせる。
「ああ、先輩、そんなに引っ張らなくても、すぐ行きますから」
パントマイムよろしく、あららとヨミ先輩に引っ張られる猿芝居。
「お、おい瑞穂」
「じゃうらなりくん、そういう事で~」
「うらなり……」
「おい、瑞穂!」
サンキューっす、ヨミ先輩!
そのまま身を翻し、ヨミ先輩の手をグイグイ引っ張って一目散に部室を後にした。
後ろは振り返らない。決して。振り返ったら塩になってしまうかも知れない。
「おいっ、瑞穂!」
「走って! 前だけ見て!」
「ち、ちよっと!」
十分部室から離れたところまで逃げて、廊下の曲がりに身を隠し、ぴたっと足を止める。
急停止に前のめりによろけるヨミ先輩の手を、今度は逆に引っ張って受け止めると、驚いたヨミ先輩は「きゃん」と聞き慣れない高い声をあげた。
「はー、助かりました」
ヨミ先輩の息がはぁはぁと荒い。
「ちょっと捕まって逃げられなくなっちゃって。ナイスアシストでした! ヨミ先輩」
伝えた感謝にヨミ先輩のリアクションを期待したが、いつもならテンポ良く帰ってくる彼女の声はいっかな返って来なかった。どうしたのだろうと彼女の顔を軽く覗き込むと、視線があらぬ方に飛んでいる。
その先を辿ると、ガッチリ掴んだ手首。
「ああっ、すみません」
慌てて手を離すと、そこにはうっすら赤く俺の手形が付いていた。逃げたい一心で気付かなかったが、大胆にもヨミ先輩の手を取り、あまつさえがっつり握ってしまっていたのだ。
そこが痛いのだろうか、ヨミ先輩は手形のついた左手首をゆっくりとさする。
「あの、ヨミ先輩」
声をかけても何も言わず、彼女は自分の手首をじっと見ていた。
「痛かったですよね」
らしくない小さく動きで、可愛く首を横に降る。
と思ったらやおら顔を上げて「瑞穂! あのっ!」と、上ずった素っ頓狂な声を発した。
『ど、どうした!?』
意識しちゃってるのは分かるが、ヨミ先輩が何を言おうとしたのか全く分からない。
俺はというと、そんなヨミ先輩にかき乱されながら、手に宿したモチモチとした感覚に胸をバクバクさせていた。昨日は先輩の手をつなぎ、今日は今日でヨミ先輩の腕を取っている自分が急に恥ずかしくなってしまったのだ。
ヨミ先輩の頬も赤いが、自分も負けずに赤くなっているのがわかる。
「あの手首、強く掴んじゃって……」
言うとヨミ先輩は、さすっていた両手をぱっと離し自分のお尻に隠す。
ぽ~っとしているヨミ先輩に、急に高ぶってしまった自分。
それがどうにもヤバくて、俺は無理矢理な話題を振った。
「ところでヨミ先輩は何を?」
記録写真に決まっている。新田原も言ってたし、胸からカメラをぶら下げているだから。
「記録撮影。報道新聞部もやってるけど、奴ら盛ったり、脚色したりするだろ。もしもを考えてさ」
ヨミ先輩は俺が知ってて、そんな事を聞いたのに気づいたのだろう、無理に雰囲気を変えて、いつもの風に合わせて快活に話し始めた。しかも大袈裟に手振りを交えて、さも困ったように。
「問題起こしたイベントとかあると、感情的に煽ったりするだろ、なんでも裏があるって邪推したりするし」
「そうですね」
「ワイドショーかって」
なんて同意するが、『あなたがけちょんけちょんに貶しめている部は、去年まで自分がいた部のでしょうに』。だがそんな変わり身の早さも彼女らしい。
ヨミ先輩の首からは、高級感が漂う一眼レフがぶら下がっていた。普段の取材ではヨミ先輩は、彼女の掌にも納まるコンパクトデジカメを使うのだが、今日は記録としても記念としても桐花祭を残したかったのだろう。大きな本格的なカメラを持ってきている。
その乱暴な大きさがヨミ先輩に似合わなくて、真白いブラウスと大きな緑のリボンの下にある男っぽい黒の一眼レフは、俺の目にはいたくセクシーに映った。
そのカメラの虹の色彩の単眼が、じーっと俺を見ている。
「高そうなカメラですね」
重そうなカメラがヨミ先輩の立体的な胸元にあるのが良くない。さっき意識してしまったからだろう、なんとなくソノ下の存在を透かしたように想像してしまう。
「そうでもないよ。高いのはレンズだけど、ねーちゃんのお下がりだし」
「へぇー」
ああもう! 『へぇ』なんて言ってても妄想が止まらない。ヨミ先輩が目の前にいなかったら、自分でほっぺたをピシャリと叩いて、喝を入れたい気持ちだ。だが今は叶わないので顔を上げて声のするヨミ先輩の口もとを見る。ふっくらとした煌めきを放つ唇が柔らに形を変える。
ダメだ、ダメダメと思い更に視線を上げると、その上には一層、魅力的な双眸があり、そっちはそっちでじっくり見ることなんてできゃしない。
お互い慌てて目線を落として、廊下のすみの綿ぼこりなど見つめてしまう。
そんな微妙な空気に、ヨミ先輩が唐突に言い出した。
「瑞穂も撮ってやるよ。真面目に働く生徒会長ってタイトルでさ」
「えっ? いいですよ」
「いいから、いいから」
言いながら俺の返事なんか聞かず、ヨミ先輩は自慢の鈍足で、廊下の奥に駆けていき、アングルを決めると脇をきゅと締めてカメラを構えた。
「撮るよーーー!」
元気いっぱいの声。そしてやけに豪華なデジカメから、バシャリと派手なシャッター音が響いた。そんな威圧的な音がすると、つい身構えて撮られるポーズを取ってしまう。
ヨミ先輩は三、四枚写真を撮ると、今しがた撮った写真を確認すべく、カメラの画面に目を落とした。
親指をきゅっと上げて、サムズアップ。
エラく満足げな表情でウンと頷くところを見ると、どうやら上手く撮れたらしい。
「じゃ次はヨミ先輩も撮りますよ。真面目に働く広報役員ってタイトルで」
今度は俺がヨミ先輩のもとに寄る。ヨミ先輩は撮るばっかりで、自分の写真はないだろう。それにどう撮れたのかも確認したい。最近悪人面ばかり撮られるので、普通の自分の写真など記憶の彼方だ。
ヨミ先輩のカメラにさっと手をのばす。
「やんっっっ」
ヨミ先輩がカメラと一緒に自分の胸を抱いて、ふわっと身を縮めた!
「ちょっと! 変な声あげないでよ! 聞かれたら誤解を招くでしょ!」
びっくりした! なまらびっくりした! お互いまだギクシャクしてるのに、急に手を出したのは不用意だった。
大きく張り出したブラウス。ちょっと間合いを間違えれば柔らかなそこに手が当たってしまうのではないか、そんな距離だった。
もし当たっていたら……。
なんて思うと、また五感が急に敏感になり、かぶりを振ったヨミ先輩のシャンプーの香りにすら胸が高鳴ってしまう。
そんな自分を抑えるべく、『いかん、いかん』と何度も言いきかせ、欲望をグッと腹の下に押し込む。
「えへへ、ごめん、びっくりした?」
びっくりしたのは自分もだったのだろう。彼女は縮めた体をひねり戻して、ちらっと横目で俺を見て誤魔化し混じりに言う。
「いえ、コッチこそ驚かせちゃって」
「でも……瑞穂になら撮られていいかな」
体をくねらしてカメラのストラップを脱ぐヨミ先輩は見ない。ヨミ先輩は高校生男子の欲求を分かってない! 男が苦手ならもっと予防線を張って欲しい。
深呼吸してから、ちょっと離れて距離を決める。
「いつも以上に調子いいんだから、ヨミ先輩ったら」
「だって桐花祭だもん」
誘惑してるのとしか思えない素振りを無視して、今は写真に集中、集中。
当世写真なんてスマホで十分だ。だから写真の知識はゼロに近いが、そんな俺でも逆光だけはダメだと知っている。
もう昼は近いとは言え、秋の校舎の窓から長い日差しが差し込んでいた。その光線を避けるように背景を探してファインダーを覗くと、そこには前屈みに腕を寄せて、秋色の優しいライトを浴びた、女豹のポーズをとった色目の女性がいた。
緩めに開いたリボンの奥から、胸の谷間がチラリと見える。
『ちょっと何してんの!?』と、思いカメラから目を離すと、普段こんなに見えてたっけ? と思うほど露になった健康的なふとももがあった。珍しくスカートを折ってるのだ。
「ヨミ先輩、真面目に働いてない!!! だいたいどこでそんなポーズ覚えたんですか」
「瑞穂の部屋ー」
ウソつけ!!!
「ダメです! 恥ずかしくない健全なポーズして下さい。あとスカートそんなに折らない。広報役員でしょ」
「いいじゃん、お祭りなんだもん」と、不満げに口を尖らせてポーズを戻すが、俺がシャッターを切ると、すかさず自分の胸を両手で隠す様な次の悩殺ポーズ。
「ヨミ先輩!!!」
「えー、こういうの嬉しくないのー、瑞穂」
といって次の写真も次の写真も。
「もう! これじゃ四枚ともエロ写真ですよ。コレ、生徒会広報に乗せますよ」
「いいよ~、疑われるのは写真を撮った瑞穂だもんねー」
ぐぐぐ、確かにそうだ。世間様はこういうとき、決まって男の味方をしてくれない。これを広報に乗せたら出版責任は俺だし、この写真を撮ったのが俺だと分かれば血祭りになるのは俺だ。
う~、どうして女っていうのは、こうも口が達者なんだ。
「反論できそうもないので止めます」
ギリギリと歯ぎしりしていると、「よしよし、素直でかわいいぞ。素直ついでにお姉さんをエスコートしなさい」ときた。
はぁ???
「それ素直と関係ないでしょ」
「いいじゃん、ケチ。どうせ同じところ回るんだろ。なら、二人の方が巡回も早いって」
それはそうだが。まぁ目が倍あるわけだし、ヨミ先輩は生徒会なんだから、行動を別にする理由はないし、それ以上に断る理由もない。
「じゃ、一緒に行きましょう。俺は、ここから階を上がって各部の活動状況を確認していきますけど、ヨミ先輩もそんな感じですか?」
「あ、うん、そんな感じ」
ホンマか?
「見るポイントは、無理な客引きがないか、暴利を貪ってないか、危険な行為をしてないかです」
「なんか、ぼったくりバーみたいだな」
「健全な学生の活動を、風俗と一緒にしないで下さい」
「めんご、めんご。だって瑞穂のクラスだって、かわいい子はべらせてるじゃん。サイトで有名だぜ。かわいい男の子も多いって」
そっちかよ! まぁたしかに我がクラスはイケてるやつが多いのは認める。特にケビンの青年将校の制服は人気が高い。軍靴を鳴らして歩いてくる姿が、女の子をゾクゾクさせてたまらんそうだ。
「ヨミ先輩も、ケビンですか」
「ケビン?」
「軍服のレプリカ着てる奴です。ちなみに俺、反対したんですよ」
「オレは、そっちじゃねーよ。光源氏の子とか」
それ赤羽だ! 狩衣に烏帽子の。これはヤバイ。俺の親友だとバレたら、同人誌のネタにされてしまう。
「……そうですか、誰でしょうね」
と、同時にスマホが鳴った。
「瑞穂のスマホ鳴ってるぜ」
「そうですね、なんだろ。緊急事態じゃなきゃいいけど」
ポチっとLINEを開く。それを爪先立ちでヨミ先輩がのぞきみる。
「あ、写真だ」
巫女姿に満面の笑みで、胸にお盆を抱える神門と、おじゃる赤羽。自撮りしたのだろう、覗き込むアングルにバケーション感が溢れていた。そしてコメントもある。
『巫女さんとツーショット、羨ましいだろ』
赤羽……。
ダメだ、何て間の悪い……。
「あー、こいつ、こいつ! かわいくない? 平安顔でさ。てか、隣、神門じゃん。めっちゃ楽しそう」
全くだ。さっきまで俺を呪い殺す勢いだったのに、何が起こったんだよ。
「しっかし、似合うなぁ、あいつ。目がぱっちりしてて睫毛も長いから、オレなんかよか綺麗だもん。髪もサラサラだし。女としての誇りを失いそうだぜ」
なんとなくヨミ先輩の爪先が落ちてくる。
にわかに満ちる、気だるい時間。
「……いこ、巡回」
ヨミ先輩は、くるっと背を向けて先を歩き出した。
「ヨミ先輩、ショックでした?」
「ううん、ショックじゃねーけど」
歯切れの悪い言葉が切れて、ヨミ先輩は歩き出した自分の足元に目を落とした。桐花祭の時だけ許された校舎内土足のローファーが、耳に固い音を残して後ろに通り過ぎて行く。
彼女が目を落とした足元を俺も見る。
そこにはハの字の足跡が、残像を残していた。
このとき俺は、初めて彼女が内股だったことに気づいた。
「瑞穂はさ、葵先輩みたいに、女の子って子のが好きだからさ」
「えっ、何の話!?」
「お前、分かりやすいよ。葵先輩見る目、違うもん」
「いやそれはその、幕内先輩は先輩だし。俺の師匠っていうか。それに特別内部生だし」
「そんなの、気にしてねーだろ、普段」
ヨミ先輩が冷静すぎる程、俺の動揺は一層激しいものとなった。彼女の想いを飲み込んだ言葉には、言語にはならないメッセージが沢山つまっていて、きっと俺はそれを瞬時に受け止めきれなかったからだろう。
「葵先輩が卒業したら、どうすんだよ」
ズバリだ。
それは考えたくない事だった。
どうにもできない時の流れ。俺にはまだ二年以上の残余があるが、先輩の砂時計の上の段には砂粒の残りは殆どない。ここで先輩と過ごせる時間はもう、両手で数えられるほどしかないだろう。現実は残酷だ。
それ以上に、考えるほどに頼りないのだ。
卒業後の俺と先輩が。
俺と先輩は生徒会以外で接点はなく、二人を結ぶ糸はだその一点で繋がっている。もし先輩が卒業してしまえば、その糸を撚り直すことはもう出来ないだろう。それもまた現実。
「答えなんて、持ってませんよ」
「大切なら考えておけよ。成り行きにまかせたって、苦しいだけだぜ」
苦しんだ本人に言われると、言葉の重みが違った。好き野球を手放して激しく苦悩した人だ。後先なんて考えなかったのだろう。中学になる前の年齢だもの。そして先日まで、その苦悩の原因を知らずに迷走していたんだ。
「同じ大学に進学ってのは……」
「ない! ぜってーねぇ! お前、バカだもん。葵先輩首席だぜ。ないわー、まーくんと勝負してホームラン打つくらいないわ」
「そこまで言わなくても」
「だいたい、どこ進学するかも聞いてねーだろ」
正解です。この話題は怖くて聞いてない。
「お前はまだ、時間があるかもしんねーけど、葵先輩はにはねーんだよ」
言われなくても分かってる! でもやることも一杯あんだよ。どうしたらいいかも分かんないし。待ってくれとも言えねーし。じゃ他人に言えるほど、ヨミ先輩は時間を大事にしてきたのかよと、逆切れ気味にも思ってしまう。
「あー、ヤメヤメ。辛気くさくなった。いじゃいじゃしてきたからもうやめ! 瑞穂のせいで、丸ごと二階の写真撮ってねーし」
「俺のせいですか」
「そーだよ。気が利かない瑞穂のせい」
ニカッと笑って俺を除きこむ。それでも俺が不機嫌な顔をしていると、「ウソだよ」と目を細めて俺の鼻の頭を中指でピンとはじいた。
「いてっ!」
「行こうぜ。オレの情報によると、三階のボードゲーム部が、賭博まがいの事をしているらしい。しょっぴきにいくぞ!」
その後、俺とヨミ先輩はボードゲーム部の部長を物影に連れ出し、「鉄火場ひらくたぁ、いい度胸だ」と、こっぴどく叱ってやった。部長は俺よりヨミ先輩が怖いらしく、益込姉妹の臓腑を抉り合う姉妹喧嘩に、自分が巻き込まれることを想像して震え上がっていた。
やっぱね。過去にやらかした悪事を、暴露しあうの姉妹喧嘩はよくないよ。その暴露に、巻き込まれたのは俺だけじゃない。
男を騙して貢がせた件は、益込姉の評判だけじゃなく、男子生徒の世間体を多いに傷つけたし、ヨミ先輩のパンツとTシャツで過ごす怠惰な日常生活は赤面ものだった。
その点においてはヨミ先輩に、ぜひ女としての誇りを失わないで戴きたい。