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5-21章

 グラウンドでは、複数の部活が体験型のイベントを催していた。

 子供達に手取り足取りボールの投げ方を教えているのは野球部。笑顔ながらも真剣に教える先輩方が印象的だ。その横では他の部員がお父さんやお母さんにも、フォームを教えている。

 このイベントは、『お父さん・お母さんとキャッチボールをしよう』なるテーマが掲げられている。

 このようにイベントごとに具体的なテーマを用意するのも、今回が初めてだ。

 彼らが初めに持ってきた企画は、『スポーツを体験してもらう』という漫然としたモノだったが、それでは桐花祭でやる意味がないので、俺が「もっとスポーツの楽しさを伝えたいんでしょ。なら楽しんでるシーンを考えた企画を出してよ!」と何度も突っ返したのだ。

 そして幾度となく書き直すうちに、野球部は自ずとこのテーマに行きついた。

 だが努力は報われたらしい。

 体験を終えた参加者が、笑顔でグラウンドを後にしてゆく。


 陸上部は、『かけっこが早くなる方法』を教えている。

 小学生の特に男子にとって、かけっこが早いのはとても重要だ。そんな感情を上手く汲み取り、イベントは『一等コース』と『入賞コース』に分かれている。

 そして走る場所も別にして、もっと早くなりたい子と、人並みになって恥をかきたくない子の両方が、無理なく参加できるよう工夫している。

 年齢毎の目標タイムがあるのもいい。

 『このタイムを目指そう』の合言葉に、ふらっとやってきた子供たちは、大いにチャレンジ意欲を刺激されているようだった。

 こういう気配りも今まではなかった。

 でも……。

 うーん、俺が『例えば子供』と言い過ぎたのが良くなかったのかなぁ。小さい子供相手のイベントばかりになっちまった。

 でも、ラグビー部は、「スクラムの実演」でラグビーの魅力を伝えようとしてるし、山岳部はでっかい山頂写真を背景に、参加者に巨大なリュックを背負わせて、疑似山頂到達体験をしてもらってるし、どの部活もその部の本質的魅力を伝える工夫を凝らしてるからいいか。

 ただ見せるだけの提案から比べると大進歩だ。


 そんな各部のイベントを見て先輩は、「よいな、よいな」を連発し、さすが政治だと褒めてくれた。

 考えたのは俺じゃないし、俺はただ各部の案にケチをつけまくっただけだから素直に喜べないのだが、それが顔に出るとまた先輩を不安にさせるので、尻こそばゆい顔を作ってありがとうを言いつつ、話題を変えることにした。

「先輩は球技が得意なんですよね」

「得意という訳ではない。バレーボールだけだ。嗜みがあるのは」

「陸上は?」

「恥ずかしながら足は遅い。まぁ、ヨミ程ではないがな」

 いたずらに笑う。

「あれで、いつも子ども見たいに駆け寄ってくるんですよ。なのに足が遅いなんて」

「あいつは面白い。ちぐはぐだが憎めないところがある」

「そうですよね。エネルギッシュなのにデリケートで、あんなに野球が上手いのに、乙女チックなところもあって」

「ああ、そうだな。一緒にいて飽きん」

 全くだ。仰る通りである。飽きないどころか心が休まらないので、たまに静かにして欲しい位だ。

 ヨミ先輩のここ最近の暴れっぷりを思い出して、苦笑いを先輩に刺し向けると、先輩は微笑み返しながらも、ふっと長い睫毛を伏せた。

「何でもっと早く出会わなかったのだろうな。中等部でも会えた筈なのに」

 おや? どうも今日の先輩は、妙にしんみりしたことを言う。


 グラウンドを越えると、その向こうには、目に緑も麗しいサッカーフィールドがある。バカでかい桐花の敷地は、まだまだ先があり、その向こうには馬場やプールと続くのだが。

「政治、ストラックアウトをやってくれないか?」

 急に言う。

「サッカーのですか?」

「ああ、学年が違うと授業中の姿は見られん。だが見てみたいのだ。お前が活躍する姿を」

 確かに俺も先輩の授業姿は見ていない。選択科目でも会えないし、球技大会や桐花祭など、そういう合同イベントがないと別学年が授業をする姿は見る機会はない。その意味で、惜しむらくは水泳の授業だ。俺は先輩のスク水姿を見ていないのだ!

 あれは、人生の中で僅か何年間しか見られない、打ち上げ花火のような存在なんだ!

 紺色の水着を着こんだ先輩の立ち姿を想像し、一瞬「先輩、二年くらい留年してくれませんか」と言いそうになるが、イヤイヤありえないだろ。逆に俺がそうなりそうだ。ナシナシ! と、妄想をかき消して現実に戻る。

「上手かないですよ」

「それがいい。何でも出来ると嫌みだろう」

 いやそうですが。むむむ、これは断れないなぁ。

 覚悟を決めて「よし!」と言い、勇気を奮い列に並ぶ。

「応援よろしくです」

「まかせろ!」 


 列に並んでいる待ち時間の間、希望者にはサッカー部のエースくんが、ボールの蹴り方を教えてくれる。「踏み込みは」「ボールは時計の何時の位置を蹴る」「何歩で駆け込む」など、至れり尽くせりの親切説明。おまえら部活動報告会の時、そんなにジェントルマンじゃなかったろう!?

「先輩、サッカー部は去年もこんなにやる気だったんですか?」

 自ら実演しながら熱血指導を続けるサッカー部エースくんをじっくり見つつ先輩に問えば、「去年は観覧試合だったと記憶している。普段の練習みたいなものだったよ」と、よく覚えているなぁと思う返事をいただいた。

「今年は、どの部もやる気になっている。良い事だ」

「シールと表彰が良かったんですかね」

「それもあるかもしれんな」

 シールを張られて「ありがとございます!」とペコリと頭をさげる生徒を何度も目撃しているが、シールの多い部活は最後に表彰される分かり易い仕組みは結構モチベーションにプラスになっているようだった。益込先輩はあんなに反対してたのにさ。


 俺の番がやってきた。チャンスは三球。

 目の前にボールを置かれると、ピリピリと全身に電気が走るような緊張が高まってきた。そのせいかボールが普段より小さく見える。こ、これは空振りだけは避けたい。

 なんて考えながら、ポジションをとっていたら、

「空振りしてもよいから、思いっきりいけ!」

 と力のこもった先輩の声が飛んできた。

 いやーん、見透かされてるのねー。さすが俺の事をよく知ってらっしゃる。図星の恥ずかしさに違うタマがきゅっとなるが、「わかりました!」と滅法元気に応えて、高く手を降り返す。

 そうだ、先ほどからサッカー部エースくんが教える蹴り方を、見た通りにやろう。

 ゆっくりとした助走から、ボールのずいぶん前で踏み込み、足の甲でボールの斜め下を蹴る。振り抜かず面で押し出すように。


 ボムと想像よりもいい音がした。

 おお、いい蹴りじゃないか!


 ボールは、体育の授業でも体感したことの無い勢いで、(くう)を飛び、サッカー部エースくんの言った通り、ゆるーと弧を描く。

「おー!」

 自分で蹴ったのに、期待の声が出た。

 先輩も、「よっし!」と叫ぶ

 かつてない好シュート! これは初球でパネルに当たったかも。

 すると、出来るだけ高い点のパネルを落としたいと思うのが人情だ。行く末に鼓動を高ぶらせて弾着を待つが、当たったのは残念ながらボードのフレーム。

 鉄パイプはキンと甲高い金属音を奏でて、ボールは嫌みなほど彼方に飛んでいく。

「惜しい!!!」

 先輩が俺より悔しがる。

「政治! あと二球ある。私のために取ってくれ!」

 いや、ハードルが上げないでって! だが、期待に応えたい。

 元来、俺はどんくさい方ではないので、ここまで近くに飛べば微調整は可能だ。要するに右足で蹴って、右に行き過ぎたんだから、もう少し右を蹴ればいいんだろ。

 と、思い同じような感じで位置だけ変えて蹴ると、今度は大きく左にズレる。

「あれ?」

「頑張れ、政治!」

 分かんない。どういう事?

 頭を捻っていると、「あの、蹴る位置は最初の通りで、踏み込みの足の位置をここに」と、足元にボールを置くサッカー部の部員がそっと耳打ちしてくれた。

 どうやら一年生らしい。熱血指導の先輩部員と比べると少年のように顔が幼い。

「あ、ありがとうございます」

「幕内先輩の期待に応えて下さい。生徒会長」

「え、あ、うん。どうもありがとう」

「僕も外部生ですから。応援してます」

 おお珍しい、俺のファンだ! 言い過ぎか。ただの応援です。ちょっと盛りました。


 彼の言う通り踏み込みを変えてラスト一球。インパクトの瞬間に足首に力を入れて蹴る!

 ボムっといい音を発したボールは、ゆっくりと視界を斜めに切るような軌跡を描き、スラックアウトのボードへ吸い込まれていく。

「いい!」

 これは9点とったかも!?

 だがボコっといって打ち抜いたのは、フレームのど真ん中のボード。点数は5点。

 心の中で「ちっ」と舌打ちしたが、先輩は絶叫級の大喜びだ。まぁ、期待には応えたな。


「おめでとうございます!」

 さっき蹴り方を教えてくれた一年くんが、坊主頭に汗を光らせ笑顔でフィールを駆けてくる。

「瑞穂会長は、本番に強いですね」

「いや、アドバイスがよかったから」

「いえ生徒会長の運動神経です」

「いやいや」

 なんか、お互いに頭が低いのが面白いぞ。

 そして、「はいこれを」と一年くんが差し出したのは、箱に入った缶バッチやキーホルダー。

「部員が集めたものなので、お古ですが」と、申し訳なさそうに頭を下げる。

「これは?」

「一応景品です。何もないのは寂しいですし、でも予算もなくて……」

 それなら頭を下げるのはこっちだ。その予算を大幅に削ったのは俺なのだから。

 だが、この一年生はそれを知ってて、文句も愚痴も言わずに頭を下げる。それが申し訳なくもあり嬉しくもあった。

「ありがとうございます!」


 ありがたく受け取ったキーホルダーを片手に、先輩のもとに。

「どうですか!」

 えっへん、大自慢!

「凄いじゃないか! 政治ならやると思ったが、実際打ち抜くとは恐れ入った」

 えっへん、えっへん!

「先輩、これを」

 ん? と小首をかしげる先輩の手のひらに、俺はキーホルダーをぽとり落とす。

「部員達のお古だそうですが。景品をもらいました」

 見ると、ぽかんと口を開けた白蛇のフィギュアが、にょろっと頭をもたげたキーホルダ。

「チンアナゴ……」

 ぽつりと先輩が言った。たしかによく見ると蛇じゃなくてチンアナゴだ。

「ああ、そうですね。あれ? 先輩、同じようなの持ってませんでしたっけ?」

「ああ、持っている。持っているとも。ありがとう。本当にありがとう。大事にする。私の宝物だ」

 そう言うと、先輩の手の甲にポツっと一粒の水滴が落ちた。何かと思い先輩の顔を見ると頬にキラリと光る跡が。

 うわー、何で! 俺なんかした? こんなの期待はずれだった?

「先輩! どうしました? 俺なんかしましたか? ごめんなさい!」

「いや、すまぬ。驚かせた」

 人差し指で涙をぬぐう先輩。

「まさか、急だったから。また政治から貰うとは思ってなくて。懐かしさと嬉しさで」

 何が胸に押し寄せているのだろう。時より溢れるように先輩の瞳が潤む。そのたび上を見て堪える先輩の姿が、一段と切なく俺の心を揺さぶった。

「生徒会棟のキーホルダーですよね。あれって、もしかして?」

「ああ、政治から貰ったものだ。もう十年以上になる。そのあとすぐ政治は居なくなったから、礼も言えなかった」

 そんな幼い頃に先輩と遭っていた記憶のない俺には、キーホルダーをあげた記憶もないが、先輩が言うのだから間違いないのだろ。だとしたら何という繰り返しだろうか。

「偶然ってあるんですね」

「そうだな、恐ろしい程に」

 手の中のキーホルダーはギュッと握られ、先輩の柔らかな胸の前に埋まってゆく。

 ゆっくりと閉じられたお姫様のまぶたの裏には、十年の時を飛び越えて繰り返される、幻燈が写っているようだった。



 んーんーと胸ポケットが唸っている。

 こそっと取り出してみると、画面には見慣れた三文字の名前と、極度に効率的なメッセージ。


『帰ってこい』


 ……俺の至福の時間を〜〜〜。ダメなら金で返せ!!!

 球技大会は新田原だったが、今度は大江戸かよ。お前ら俺と先輩の時間をどれほど邪魔すれば気が済むワケ!

「どうした?」

 スマホをポケットに仕舞う俺に、先輩が不安そうに尋ねる。

「大江戸です、忙しくてが回らないから、帰ってこいと」

「そうか仕方ないな。政治の所は当日が本番だものな」

「ええ」

 ため息交じりに悲しげな瞳を俺に向ける。


 こんな喧噪の中にいるのに、俺達は午後の草原をただ二人で散策するような気持ちで、もと来た道を引き返した。

 何となく所在なくなり、足元ばかり見て歩く。

 リズミカルに視界に入る先輩の白い脛。ちらっと横を見ると相変わらず綺麗な栗色がかった髪が光を反射してキラキラ輝いている。

 久しぶりの二人の時間だと言うのに、ぽろっと来た先輩を見てしまったせいか、俺はとりつくろうように生徒会の話ばかりしてしまった。

 財務諸表はどうだとか、破綻予告をしたのに意外にも平静な学園の状態とか、四分の一の予算でも部活が出来ている事とか。

 先輩は先輩で、一等サロンが変な動きをしてないかと心配していると、苦々しい話ばかり。

 こんなことは話したくないのに、口は互いに乗らなかった。

 しばしば沈黙が訪れると、先輩は俺があげたチンアナゴのキーホルダーをじっと見て、それをぎゅっと握る。

 俺はその手をじっと見る。

 と思ったら、先輩は急に足を止め、顎を上げて覚悟を決めたように俺を見る。

「政治! お前のクラスが見たいのだが、茶を頂きに行ってよいか?」

 急だわ! 先輩ってば!

「えっ! あ、ダメって事はないんですが。あんまりお薦めしないかと」

「何故だ」

「いや、あの。いま混雑してるので大分、並ぶと思いますよ」

「構わん。繁盛店で良いではないか」

 いや、そう言うことじゃないんだけど……。



 クラスに着いて、俺は先輩と一時(ひととき)の別れを告げてバックヤードに向かった。

「おい、出番はまだだろ」

 だれ宛でもない風に、だが明確に大江戸に向かって文句をたれてやると、上を下への大騒ぎの中から返って来たのは、

「それどころじゃねー!」

 大江戸の口から出たとは思えない台詞だった。

「いまは総動員だ、デリバリーでみんな出払ってるんだぞ!」

「デリバリー?」

 赤羽が泣きそうな顔で、新たに導入されたとおぼしき、コーヒー豆の電動ミルを回している。

「大江戸の野郎が、テイクアウトとデリバリーも始めたって告知したんだよ。もう、まわんないんだ」

「女子なんか交代なしで、学校中走り回ってるぜ」

 そう答えた男子は、目も合わせないで三つのハンドドリップをこなしている。たしかに何でこの時間なのに裏方に女子が居ないんだ?

「コーヒーを頼んだ人には、写真撮影をOKにしたのが良かった」

「よかねーよ!」

「おかげで、この大騒ぎだぞ! 裏方は最小人数なんだっ」

 珍しく赤羽が荒々しい。

「俺は、儲けるためには、手段を選ばん!!!」

「なにを堂々と!!!」

 バックヤードの男どもの声が、一斉にハモった。

「てことで女子は午後もフロア。男子も出来るだけ表に出てるんだ。瑞穂程度の顔面偏差値の奴もフロアに行け!」

「うっせーな、はじめからフロアに行くつもりだったわ! 顔の事は余計だっつーの!」

 余りの喧騒に誰に言われたか分からないが、名もなき声の侮辱に反撃を試みる。


 裏方は俺の知らないうちに高度に効率化されていた。大江戸が発注したらしい秘密道具がフル稼働している。たぶんフリマの仕入れで作った人脈から借りたのだろう。

 プロ仕様っぽい電動ミルに、大きなケトル、朝にはなかったウォーターサーバーがあり、アイスコーヒーはパックの物に変更されていた。

 手作りアイスコーヒーのこだわりはどこにいったんだよ。

「ケーキは?」

「もう今日の分は売り切ったって!」

 山縣が早朝の市場関係者のように威勢よく答える。

「外注している。大通りに洋菓子店だ。電話が来たら取りにいけよ」

「ホントだ。いつのまに水分謹製のじゃねーし」

「瑞穂が、葵先輩とおデートの間に時代は進んでンだよ!」

「っっっ、知ってたの?」

「客商売なめんな。これだけ客がくりゃ噂の一つや二つ、すぐ聞こえてくるわ!!!」

 山縣さん、ご存知でしたのね。そりゃ目も三角になるわ。

「……すみません。僕、着替えてきます」


 フロアに出て暫くすると、席待ちの先輩が店に入ってきた。俺は皆にケツを蹴られて、否応なく先輩の元にオーダーを取りに行くことに。

「いらっしゃいませ……」

「コホン、店員殿、なかなか似合っているではないか」

「似合っているも何も」

「だが何故、お前だけ学生服なのだ。しかも黒の詰襟というオーソドックスな」

「詰襟が見たいって女子がいて。その担当が俺に」

 ふて腐れて答える。

「なぜ政治なのだ?」

「ウケそうな衣装はイケメンな奴がいいでしょ。消去法です」

 ふむーと先輩は頷くと、俺の脚からずーとパンで見渡す。

「私は好きだぞ。そこの紋付などやり過ぎな感が否めん」

「まぁ、アレだったら俺も拒否ったと思いますけど」

「おっと、忙しいのだったな。何があるのだ?」

「ハンドドリップのコーヒーと、アイスコーヒー、煎茶にケーキがあります。ケーキは水分が作ったヤツだったんですけど、売り切れて、今は外注だそうです」

「外注? まぁよい。ハンドドリップとは凝ったな」

「味には拘るのだそうです。豆は選べますよ。えーっと、コロンビアかガテマラか……」

 俺がポケットに手をつっこみメモを探っていると。

「モカかマンデリンか?」

「えーと、はい、それとクリスタルマウンテンだそうです。詳しいですね」

「父上がコーヒー好きでな。グァテマラを頼もう。苦いのは苦手なのだ」

「はい。先輩甘党ですもんね」

 俺がおこちゃま味覚の先輩をからかうように言うと、「チョコレートが好きなのとコーヒーは関係ない」とツンと言い返す。

「いらん事ばかり覚えておるな」

 てへへ、言われてしまった。


 コーヒーは先輩の味覚に合ったようで、「おいしい!」「焙煎がいい」とべた褒めだった。

 このままではまた、ご機嫌な先輩に「店長を呼べ」と言われそうなので、「デリバリーもありますので、また明日も」と言ってお帰り戴く。

 恥ずかしい姿は長々と見られたくないものだ。

 先輩は「後ろが詰まっておるものな」と言いつつも、少々寂しげな影を落としてクラスを後にした。

 そうして残念ながらこの日の俺は、遂に先輩のクラスの出し物は見ることはできなかった。


 こんな調子で働きづめて、五時になる頃には俺も含め、全員が憔悴(しょうすい)しきっていた。

 阿達なんぞ、目の下にクマを作ってる。

「大丈夫ですか凛様」なんて言われているが、返事をする気力もない様子。

 まぁそんな重そうなドレスを着てんだ。可哀そうにと思い「お~い、大丈夫か~」と声をかけてやる。これでも協力してくれたのだから礼儀としてね。

 するとなぜか鵜飼さんが「こういうドレスはコルセットで体を締めるから、とても辛いんです」と俺を怒るではないか。

 その返す刀で阿達に「ごめなさい凛様、ご無理をさせてしまい」と、両手を足に挟んでぺたりと謝っている。

「いいえ、着なれていないとはいえ、恥ずかしいところをお見せしましたわ」

 いや、そうじゃねーだろと思ったが、ぴったりとか素敵とか流石ドレスがお似合いになるとか、褒めちぎられた手前、怒るに怒れないのか力なく鵜飼さんに笑顔で答える。

 これはこれで、ぐったりしてる阿達には萌えるのだが、本当に辛そうなので周りも心配して、鵜飼さんたちに担がれて、控室に連れていかれてしまった。


「大江戸~! 見たろ。働かせすぎだって。お前、ブラック企業だぞココは」

「何を言ってる。倒れるまで働けとは一言も言ってない」

「はぁ~~~~~~」

 そりゃ全員、声が出るって!

「俺はサービスは増やしたが、もっと働けとは言ってない筈だが」

「いやだって、ガンガンオーダーくるしよ~」

「わたしたちだって、男子がコーヒーをどんどん渡すから、一生懸命運んだのよ」

「俺は、みんなやる気に満ちてるなと感心して見ていたんだが」

「止めさせろよ! 大江戸!!!」

 そりゃ全員、大声が出るって!

「このメンバーで会社を作ったら、儲かるなと思ってたんだが」

「働かねーよ! お前の下で!!!」

 そりゃ全員、怒声が出るって!

 こういうブラック企業を取り締まるのが生徒会の仕事だと思うが、それがまさか自前で行われているとは……。

 後で大江戸はたっぷり捻り上げてやろう。

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