1章-9
翌日の朝、下足箱を開けると、古典的にも手紙が入っていた。昨日の今日だ、脅迫状はあってもラブレターではなさそうだ。
差出人は書いていない。タイトルもなければ宛先もない、まっ白な封筒。ただ手触りが非常に良い。これ手透きの和紙じゃね?
人気を避けるためにトイレに籠り、封を切っる。まさかカッターの刃とか入ってないよなと、ちょっと慎重に。
中は便箋二枚に渡る手紙だった。右上がりの綺麗な文字で、筆圧の強弱から万年筆で書かれているのが分かる。
えー、なになに。
「ご存じかもしれませんが先日の事件は、本校の女子にとってすこぶる評判がよろしくございません。新田原さんがお怒りになったのは葵様をファストフードのお店にお連れになったことでしょう。同じように葵様を慕う女子の皆様は、そのような悪行をそそのかした瑞穂さんに対して大変な憤りを感じております……以後、このよう軽率な行動は慎むとともに、何卒、ご自身の名誉のためにも、葵様のご迷惑なる事はお控え戴くようお勧めいたします。 かしこ」
「……水分か」
考えるまでもない。ウチのクラスの女子で、こんな高価な便箋を使い、万年筆で手紙を書くやつ。流れるような筆致。ちゃんと見ているのだ、水分がオレンジ色のかわいい万年筆で、時々、手帳に何かを書くのを。あいつ以外いない。
これは真意を直接聞くしかないな。
堂々と呼び出すとまた要らぬ噂が立つので、放課後に水分を生徒会棟に呼び出すことにする。
この学園はだだっ広いのに、人気のないところが少ない。放課後は部活もあるから、屋上も渡り廊下も中庭も、いかにも人気のなさそうな体育館裏さえも、ゴミ捨て場の通路なので人の往来がある。一番閑散としているのは生徒会棟なのだ。
だが、建物の鍵は先輩が持っているから入れない。
「しまったなぁ、先の鍵を貰っておけばよかった」
まぁ、中に入らなくてもいいのだから、裏手で話せばいいか。
水分が一人の時を見計らって、『ちょっと話があるんだけど、放課後、生徒会室まで来るように』と、通りすがりに目を合わせずメモを机に置いて伝える。こういうとき、席が近いと普通を装って連絡が出来るから便利だ。
放課後になり、はたせるかな水分がやってきた。水分は、生徒会棟の玄関扉のノブを捻って、扉が開かないことに首をかしげている。
「まだ先輩が来てなくてね。鍵はかかったままだ。すまないな水分。呼び出しちゃって」
「瑞穂くん!」
ちょっと唐突だったか? びくっと飛び上がる水分。そんなに驚かなくても。呼び出したの俺なんだから。
「ちょっと建物の裏までいいか?」
胸の前でぎゅっと手を握って身構えている。これは明らかに怯えている。ショックだな~、俺ってそういう風に見られてるんだ。
「大丈夫。別に襲いはしないよ。話すだけだから」
一応フォローはしたけど、それで安心するわけないよな。
水分は、いつでも逃げられるようにか、俺から距離をとって恐る恐るついてくる。はぁ~、新田原め、お前だろ悪評をバラ撒いたのは。恨むぞ。
敵意も襲う気もないと分かってもらうため、ポケットには手を入れないよう気をつけ、極力、水分とは正面から向き合わないように立ち位置を決める。
「あの手紙は水分だろ」
「なんの事かしら」
「バレバレだよ。なんなら水分が書いた証拠をイチから列挙してもいいけど」
こんな優しい言葉なんて猫にも使わないぞってくらい、やわらかな口調で喋る。
「……そうよ。だったらなんなの」
軽くため息をついて、余裕を見せているつもりだろうけど、キャラでもなく目いっぱい凄んでいるのが分かった。
「そう緊張しなくてもいいよ。別に責めるつもりも怒るつもりもないんだから」
だが、水分の警戒は全く解けない。だよね~、お淑やかなお嬢様が、こんなところに呼び出されたうえ、二人きりだもん。極力、優しく、優しーく、接してあげよう。
「あの忠告の意味は何?」
「書いた通りよ。生徒会活動以外で葵さんに関わるのはやめてちょうだい」
「別に俺から関わっている訳じゃない。先輩から関わってくるんだ」
「それでも関わるのはやめてちょうだい。葵さんにもあなたにとってもマイナスにしかならないの」
「なんで水分が、先輩の心配をするのかな?」
「あなたには関係ないわ」
ありゃりゃ? 思ったよりハッキリ言うなぁ。なんか印象と違うぞ。もっとか弱い、深窓のお嬢様かと思ったのに。
「マイナスになるって、どうして?」
「分かってるでしょ! 葵さんだって敵が多いのよ! それなのに葵さんを慕っている人達からも反感を買ったらどうなると思ってるのよ」
「俺は先輩がやりたいと言ったことを叶えるために、ちょっと手を貸しただけだよ」
「それが余計だと言ってるの。あの人は好奇心が旺盛すぎるから、あなたみたいな人と出会ったら、それこそ何をするか分からないわ」
「やってみたい事をやるのがそんなにダメなのかい」
「あなたも見たでしょ! クラスの反応を。まさかあれが新田原くんとあなたのいざこざだけの反応だとでも思ったの? 内部生はみんな知ってるわ。男子も女子も。知らないのは外部生の男子だけよ、あなたの周りに集まっていた」
それは山縣が耳打ちしてくれたから知っていた。ダブルの奴らは遠巻きにしてたし、新田原が知ってるということは他の内部生も知っているんじゃないかと思っていたのだ。
「逆にいうと、知っててもあのくらいなら、いいんじゃないの?」
「やめてちょうだい! 私が内部生の女子をなだめるのにどれほど神経を使っているか分かってるの!」
それは驚きだった。そうだったんだ。真っ先に内部生の女子に責められそうだったのに、そうならなかったのはそういうことか。トリプルだから外部生には無関心なのかと思ったけど、これはなかなか。
にしても、その水分を押して、俺に詰め寄ってきた新田原は相当なもんだな。特攻隊長か、あいつは。
「あなたって人は。学園には学園のルールがあるの、それに気づかぬフリをしてメチャメチャにするのは止めてちょうだい!」
人は見かけによらないものだ。儚く消え入りそうな見た目に、すっかり騙されてたよ。何が『先輩が太陽なら、水分は月』だ。コイツは吹けばヨヨヨと倒れるようなタマじゃねぇ。ココにだって、闘いに来ている。
「あのさ、水分って思ったよりハッキリ喋べるよね」
「今はそんなこと関係ないわ。大事な話をしているのに、からかうのは失礼じゃない! そんな話はしてない。あなたの後先考えない行動についてよ!」
やっぱりだ。『お願いします』なんて意味で手紙を書いたんじゃないんだ。ならなんで、普段は猫を被ってるんだ? 自分の役割を演じなくちゃいけない理由でもあるのか。それは聞いてみるに値する揺さぶりだと思った。
「関係なくないさ。おまえ苦しくない? 決めつけちゃ悪いけど、水分は本当はドジっ娘だろ。バレバレの手紙なんか匿名で書いて。それに、そうだな~実はお転婆で、小さい頃は男の子と一緒に木登りとかして、自分だけ落ちて悔しくて、鼻水垂らしてビービー泣いてたクチだろ」
「な、な、な、なにを失礼な。取り消しなさい!」
裏声になる程の動揺っぷり。こりゃ当たったな。
「本当は友達と、学校帰りにマクドとか寄って、恋バナとか、どうでもいい話を、きゃあきゃあして、大笑いしてさ」
「止めなさい!」
「そのくせ電車のシートに靴のまま上がってる子供なんか見ると注意したくなる、大阪おばちゃんみたいな」
「止めなさい!!! 何を根拠にそんなっ」
「見りゃ分かるよ。内部生をなだめる力があるなら、先輩のために俺を消すことだって出来るんだろ。でも、そんな事しないで逆にまどろっこしい事をしている。ノコノコこんな所まで来て。なんで?」
「葵さんがそんなことを望まないからよ!」
普通に考えて、俺の為に内部生をなだめてるんじゃないのは分かっていた。だが、先輩の為だとしてもコストの高いやり方だ。水分の行動には俺がらみの意図がある。
「お願いされたからじゃないよね? 俺には先輩の背中を押しているように見えるよ。そのお節介は」
「な、何で……あなた……」
真っ赤になって声高に否定していた水分だったが、気の抜けた炭酸のように気迫が緩んでいく。
「俺なんだろ、先輩にお願いされた事は」
思うところがあるのだろう。躊躇いがちに瞳を見返すと、水分はそのまま暫く黙りこんだ。俺は彼女の言葉を待つ。
「……そうよ、葵さんに貴方の事を聞かれたわ」
「そうなんだ。だいぶ内部生には叩かれたもんな俺。それでか」
「たしかに葵さんは、内部生と外部生の確執を、気にされているわ。でもそれ以上に、あなたの事を心配している」
「それで水分が、体を張ったんだね」
「そんなのじゃないわ。葵さんとは、幼い頃から良くしてもらってて。だから私は、葵さんを支えてあげたいの。ただ最近の葵さんが……」
水分が言葉を選ぶので、その後は俺が続けることにした。それは、心当たりがあったからだ。
「違うんだろ、今までと。水分は、そんな先輩に戸惑ってる。でも、ちょっとうらやましいと思ってるじゃない?」
「そんな……」
「でもさ、先輩を支えて自分と重ね合わせても、いくら先輩の足をひっぱる奴らを振りほどいても、水分は自由になれないぜ。それは今、掴んでいるモノを手放して、もう一度、自分で掴むしかない」
「私は、そんなこと」
明らかに言葉に迷いが見えた。
「俺さ、水分が委員長になったとき、この子は何を諦めてるんだろうって思ったんだよ。普通、あんな面倒なことやらねーよ。いや、やりたいって言って自ら手を挙げる大江戸みたいな奴もいるけどさ」
「だってあれは、私がやらないと決まらないから」
「そうじゃないんだよ。水分はもっと我儘でいいんだよ。俺も先輩みたいな真っすぐ進む人に憧れるよ。周りの期待を背負いながら自分の力で飛んでいける。でも水分は同じことをやっても同じじゃないんだよ。俺は、お前がもっとお節介で言いたい放題な方が輝く気がするんだ。そんな水分の方がかわいいし、俺なら一緒にいたいと思うんだ」
「……瑞穂くん」
なんか水分が俯いてしまった。ほっそりした体が一層小さく見える。艶のある長い黒髪が顔にかかり表情は見えなかったが、なにか落ちるところに落ちたような雰囲気が漂っていた。
俺は俺で、言ってて急に恥ずかしく、と言うか辛くなってきた。応援したいというのは、自分もそうなりたい願いがあるからだ。じゃ水分の背中を押している俺はなんなんだ。自分の願望を人に押し付けて消化している。
また悪い癖だ。熱くなって勢いに任せて言いたいことを言って、現実から目をそらせて。高校生にもなって中二病再発かよ。
「……なし。なし、今のなし! 俺らしくなかった。つまりだな俺はお前がドジっ娘として萌えの才能があるってことを言いたくてだな、うん、バレバレの手紙を匿名で出す奴だもんな、こりゃ水分、萌えポイント高いよ」
「瑞穂くん、いつの間にか私の話になってる」
情けなくも、あわてて空虚な言葉を繋げて誤魔化したが、ふっと上げた水分の顔には喜色があった。よかった。怒ってはないみたいだ。いやそれより、空っぽの俺の底がバレなくて良かった。
「えーと、忠告ありがとう。でも俺は先輩を尊重するよ。もう少しは水分に迷惑をかけないようにね。それと、もし水分も牛丼に興味がわいたら一緒にいこうぜ。なんなら富士そばでも次郎でもいいぜ」
「バカ言わないで! あなたと一緒にしないでよ」
「あはは、そうだな」
「話はもう終わり? なら私は帰るわ。私の言った意味をよく考えて頂戴ね」
「ああ。こんな所に呼び出して、すまなかったな、サンキュー」
「サンキュー? あなた本当に大丈夫なの?」
きょとんした表情が何を意味するのか分からなかったが、言うこと言った水分は、くるっと背を向けると、生徒会棟を後にした。
「はぁ……」
水分ってあんな奴だったんだ。クールビューティーかと思っていたら猫被ってやがったな。でも内緒にしといてやろう。何か訳とかあるんだろうし。
「かっこいいねぇ~政治」
「うわぁ!!!」
急に横の窓がパカッと開いて、前触れもなく出てきたのは、頬杖をついた神門!
「どこから来た! 何時からいやがった!」
「自分で掴むしかないか~、男だね、ロマンだね、青春だね~」
一人ウンウン頷きながら、冷ややかな笑みを浮かべている。
「うるせー、お前はどうして、いつもいつも」
「で、政治はどうなの」
「え」
「政治は何を掴むの?」
「俺? 俺は……」
「今日の事は葵には内緒にしといてあげるよ。これ聞かれてたら恥ずかしいもんね。僕だったら、もう葵の顔は見られないからさ」
「うるせっ」
その言葉を残して、窓の向こうに消えていく。多分、言いたいことがあったが、俺と水分の話を聞いてやり方を変えたんだと思う。悔しいが、俺の事をよく知ったうまいやり方だ。ここで怒られた方が、なんぼか楽だったが、かっこいい事を言った手前、俺が引けなくなる事をよく知っている。
そう、これは先輩の問題だと言って引けない。先輩が牛丼を食べるのは何の罪もない事だが、だからと言って俺がこの件を誰かに押し付ける事は出来ないのだ。
あくる日、俺はいつもより早く学校に行くことにした。登校が早い新田原と話すためだ。
普段より30分早い教室は、清浄な朝の空気に満ち、既に10名くらいのクラスメイトと、そして新田原が来ていた。
教室に入ると新田原がギッと俺を睨み、そして視線をまた下におろす。多分、予習をしているのだろう。恒例の朝のご挨拶である。
俺はそのまま真っ直ぐ、新田原の元へ向かう。奴は気づいているが、こちらには目もくれない。不穏な行動に、早朝のクラスメイトがざわめく。
もう新田原の目の前だ。顔はこっちを向いてないが奴の全身は耳になっているのが分かる。張りつめた空気がピリピリと震える。
「新田原、迷惑をかけたな。お前の言うとおり軽率だったと思う。先輩はいい人だから俺が誘っても笑って付き合ってくれたけど、申し訳ない事をした。新田原からも俺が謝っていたと伝えてくれ」
新田原は動かない。俺は去る。
「俺を使う気か」
背後にガランと席を立つ音がした。俺は一瞬足を止めるが、また歩き出す。そうだ、やっぱりあいつはバカじゃない。分かっている。
新田原は今日ここで起きたことは言わないが、ここにいる奴等は噂を広める。そして今の話は内部生にまで広がるだろう。
「卑怯者!」
そうだよ。俺は卑怯だ。だがな、俺とお前の利害は一致してんだよ。先輩の名誉を護るという点でな。だからお前はいくら俺を卑怯だと罵っても口裏を合わせてくれる。
「そうだな。今更、謝るのは卑怯だな」
これで手打ちだ。牛丼事件は俺の軽挙妄動が原因という事になり、俺に無理やり連れていかれた先輩の誤解は解ける。この一言で先輩が守れるなら安いものだ。
先輩の輝きや名誉はこんな事で壊れないと思う。でも、俺はそれを最後まで信じられなかった。もしかしたら、俺がこの人の築いてきたものを、壊してしまうかもしれない。先輩はそれを何とも思わなくても、俺は翼を失った先輩を見るのが怖くなった。
「男らしくないぞ! 瑞穂!!!」
まったくだ。散々言っておいて、胸倉をつかんだ新田原と同じ事をしている。水分の前ではカッコいい事を言ったが、俺は口先ばかりの奴なんだ。
済まないな水分。自慢げに言っておいて、俺は何も捨てられそうもない。何も掴めそうもないよ。