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序章

あらすじ

 桐花学園高等部(とうかがくえんこうとうぶ)に入学した瑞穂政治(みずほせいじ)は、登校初日、大きな桜に見とれる間に、何者かに襲われ失神してしまう。

 目を覚ますと、そこにいたのは幕内葵(まくのうちあおい)という美少女。久しぶりに会うと言う彼女だが、政治にはその記憶がない。

 その真偽を確認しようとするが、葵は「私を信じて欲しい」と謎のセリフを残して部屋を後にするのだった。

 中学は、無難堅実にやってきたと思う。

 勉強もそこそこ。スポーツもそれなり。部活は帰宅部。友達はいるが親友と呼べるヤツはいない。

『何事も熱くならない』

 家でも学校でも何かに深入りせず、程々にやり過ごす。それをモットーに過ごしてきた。


 小学生まで俺はバカだったと思う。

 すぐ熱くなり、自分の思い通りにならないと腹を立て、うまくやっているヤツに噛みついた。それが高じて大立ち回りを演じ、入院までしたことがあった。

 多くの人や物、そして自分を傷つけて学んだ事は、何事もやり過ぎず、熱くならず、いい塩梅に生きることだった。

 それが俺、瑞穂政治(みずほせいじ)が得た教訓だ。

 そんなものだから、高校進学もホドホドの落とし所で選んでしまった。


 私立桐花学園高等部(しりつとうかがくえんこうとうぶ)は、過日、どこかの大物が作った由緒正しい学校である。

 だから、ここに進学した?

 そんな崇高な理由なんてありゃしない。ただ生まれ育った街に戻る口実になるなら、どこでも良かっただけだ。

 だが、この学園には、二つだけ気に入った所があった。

 一つは都下を睥睨(へいげい)できる好立地、もう一つは制服だ。

 白い襟の詰まったダブルのブレザーに臙脂(えんじ)のネクタイ。ブレザーには金糸の肩章(けんしょう)があり、襟口に桐の刺繍(ししゅう)が入っている。この土地ではもっとも人気がある制服だ。

 まぁ、恥ずかしいから言わないが、子供の頃からカッコいいと思っていた。

 高校という新しい環境にときめきはないが、この制服に身を包むことには、ワクワクするものを感じる。

 この真白い衣が、軽やかに自分を空の上まで運んでくれそうに思えたから。

 なんてな。単純にモテそうな淡い期待以外のなにものでもねーよ。


 今日から高校生活が始まる。


 ◆ ◆ ◆


 学園は小高い丘の上にある。

 通学路は一本道なので、この道を登る人は、ほぼ全て学園の生徒か関係者だ。

 小川の支流が大河に流れ込むように、白い流れが路地、小路からこの一本道に集まってくる。

 学校まで走る者、おしゃべりしながら楽しげに歩く者、一心不乱に本を読みながら歩く者もいれば、新緑に目を奪われ何もない所で蹴躓(つまづ)迂闊者(うかつもの)もいる。

 残念ながら俺は迂闊な部類だった。


 上り坂の中腹には、ちょっとした平地がある。いうなれば踊り場。川で云うなら淀みだ。

 そこには武家屋敷を髣髴(ほうふつ)とさせる大きな邸宅がある。延々と続く土塀の先には歌舞伎門があり、その向こうにどれほどの庭園が広がっているかは、窺い知ることができない。

 その隔絶された世界から、一本の木が顔を出していた。

 それは、壁から溢れんばかりに張り出した、万朶(ばんだ)の染井吉野。

 染井吉野は弱い木だが、その巨木は隆々たる樹勢(じゅせい)を誇り、枝には稠密(ちゅうみつ)に夢見草が咲き誇っていた。その花びらが春風に舞い散る。

 無限に舞うような花びらの戯れ。まるで溺れるように足を止める。


「……すげー」


 顔を上げ、ただ荘厳(そうごん)な巨木に見入る。純粋な感動が体を走り口から自然と感嘆の声が漏れた。

 舞い散る花びらに覚える、眩暈(げんわく)の様な感覚。

 それに、いったいどのくらい浸っただろうか。1分? それとも2分?

「ん?」

 ふと、後ろに近寄る人の気配を感じた。

 ぼーっとしていたのが良くなかったのかもしれない。その気配に無防備に振りかえった瞬間、目の前を白い何かがよぎった。

 それを最後に、俺の記憶はプツリと切れた。

 ・

 ・

 ・

「おおっ、き、気が付いたか?!」

 最初に見た光景は、俺の顔を真上から繁々と覗き込む、ビックリ顔の女性だった。

 思わず瞳を見合わせる。

 だが、それ以外は意味不明の衝撃で何もできない。


 (しばらく)くして動揺。

 視線は自然と柔らかく動く唇に向かう。グロスを塗っているような、ぷるんとした瑞々しいピンクのそれは、ちょっと体を起こせば触れ合う程の距離にある。


 気づかぬうちに始まる動悸(どうき)眩暈(めまい)

 一気に酸欠になり、無意識に生唾を飲み込んでしまう。


 そして、やっと神経が喉までつながり声になった。

「えっ! えー、 えーー!」

 頭の中は言葉で溢れていた。

(何だ! どうした! 何が起きた!? 誰、誰なの? この人。それに近いんですけど。近すぎて心臓に悪いんですけど! いやイイのか、これは幸運なのか、違う、違うだろ、良くないだろっ?)

 無数の言葉が頭を駆け巡ったが、一言も言葉にならない。

「んんっ、おはよう。瑞穂政治(みずほせいじ)くん」

 そんな百面相をやっている俺を見て、彼女は軽く咳払いするように言葉をつなげた。その表情がほんのり赤らんでいる。

 そりゃこっちの表情だって。


「えっと、あの、なんで俺の名前を」

 我ながら間抜けな質問だが、それが今の精一杯だ。

 何せ俺は今、目を覚ましたばかりなのだ。状況も飲み込めてないし心の準備も出来ていない。なにより彼女が誰かも分からない状態で、気のきいた事をスイスイ言える筈もない。そんなのができるのはドラマやアニメの主人公だけだ。美少女が自分を起こしてくれる経験なんて、普通の高校生は持っていないのだから。

 言葉に詰まっていると、彼女はにっこりと微笑み、ゆっくり椅子に腰かけ直して俺の代わりに言葉を続けた。

「気がついて良かった。なかなか起きんので心配したぞ」

「は、はい……」

「ここ学校の保健室だ。キミが登校途中に倒れたから運んできたのだ。もちろん運んだのは私ではない。そこらに居た屈強な男子だがね」

 急に倒れた俺を気遣ってか、口角を上げてかわいく微笑む。

 対照的にズキズキと響く頭に顔を歪めながら、俺はベッドから半身をもたげた。

 体を動かして気づいたが、軽い吐き気があり気持ちが悪い。首筋に手を当てるとビリッとしびれる痛みもある。

「保健室? なんで俺、こんな所に」

 そう聞きながら周りを見渡してヒントを探す。いや探すなら自分の記憶か。

 だが、思い出されるのは完全にグリーンだった今日のコンディションばかり。そして最後に行きつくのは、桜の巨木を見た記憶。

(りっぱな桜を見て、そして、それからどうなったんだけ……)

 俺が記憶を遡行(そこう)している間も、彼女は先ほどの微笑みを絶やさず、なにやら嬉しそうに俺を見ている。


「俺、確か桜の木の……」

 途切れた記憶の向こうを確認すべく声を出してみたが、彼女は勝ち気な瞳を潤ませ、俺の独白に意外な言葉を被せてきた。

「久しぶりだな政治、覚えているか? 私のことを」

「……えっ?」

 予想だにしなかった質問に戸惑っているというのに、嫣然(えんぜん)と微笑み絶さず答えを待っている。


「えーと、どこかで会ってましたっけ?」

 その答えに心なしか彼女の表情が曇る。

 絶対覚えているという自信に満ちた顔をしていたところをみると、やはり期待の答えではなかったらしい。とはいえ、知ってると嘘は言えないし。

 彼女は腕を組んでちょっと間を取ると、ふうと軽くため息をついて、組んだその手をほどき自己紹介を始めた。


「うーむ、幼い頃だ。仕方ないか。面影はあるが互いに顔も変わっておろう。私は幕内(まくのうち) (あおい)、三年だ。改めよろしく頼むぞ」

 そしてまた、出会った時に見せたさっきの微笑。

 その笑顔は、まるで光の粒が瞳から飛び散るように眩しかった。

 肩から落ちる長い黒髪がコクっと傾けた顔に合わせてふわりと揺れる。毛先がくるんと内向きにカールしているのだが、その毛先までもが朝日を浴びてキラキラと栗毛色に輝いていた。

 整った輪郭に、はっきりとした目鼻立ち。ちょっと肩幅があるが均整のとれたスタイル。

 綺麗だ。

 ほわんとそんなことを思って見とれてしまう。美少女。要するに美少女だ!


「こ、こちらこそよろしくお願いします。先輩」

 そう言って頭を下げた視線の先に見たものは、いつの間にか靴を脱いで椅子の上に胡坐で座り始めた先輩の姿。

 大股開きで、やわらかそうな太もももが露わになっている。もう少しでパンツが見えそう!

 せっかくかわいいのに、せっかく美人なのに、それは台無しだよ。

 だが、その幻滅とは裏腹に、刺激的過ぎる姿に体が反応しそうになる。それを無理やり押さえつける。

「先輩か……まぁよい。私はこうやってまた政治に会えたことが嬉しいぞ! しかも同じ学校で共に学べるとは。お前が急に引っ越したとき私がどんなに悲しんだか分かるか? ショックで本当に眠れぬ日を過ごした。だがこうやってお前は今ここにいる。また戻ってきてくれた事が嬉しい。ありがとう政治」


 葵と名乗る女性は、年頃の男子の自制にも気づかず、身を乗り出して嬉々と昔話しを続けている。

 そして、どんどん前のめりに迫ってくる。

 これほどの美少女に詰め寄られるのは非常に嬉しいのだが、なにせ身に覚えがない事なので、どうしたらいいものやら。


「……なことがあって、それで二人で泥だらけで帰ったことがあったな、政治!」

 あったなって言われても。

 うっ、その俺の発言に期待する目はやめて。答えに困ってるんだから。

「えーっと、えーっと」

 先輩は小首を傾げて、答えを待っている。

 返答に困りキョロキョロしていると、壁に掛かる時計が目に入った。その視線につられて、彼女も時計を見る。

「早いな、もうこんな時間か。急がねばならん」

 彼女は自分に言い聞かせるように言うと、椅子の上に胡坐(あぐら)を解き、居住まいを正して俺に向き合った。

 そしてキリリとした表情で、大事な事を伝えるように話し始めた。


「すまないな、入学早々、私のせいで面倒に巻き込こんでしまって。だが私は政治を信じている。本当に信じているのだ」

「はい? えっとあの俺、言っている意味が良く分からないんですが」

「分からなくていい。今は分からなくていいから、私の事もまた信じて欲しい」

 そう言うと揺れる瞳で俺の両手で取った。

(わ、わ、わ)

 ちょうど始業の予鈴が鳴る。

「もう時間だ。さて行こう! 政治も早くしないと入学式遅れてしまうぞ。まだクラスにも行っていないのだろう。体育館に行ったら一組の列に並べ。では後ほど会おう」

「せっ、先輩、ちょっと!!」

 俺が言い終わるのも待たずに、先輩は椅子から飛び降り廊下に駆けだしてしまった。

 舞い上がった埃が地に降り積もるように、喧騒(けんそう)はゆっくり落ち着き、主を失った保健室は、あるべき静寂に溶け込んでゆく。


 ぽかん。

 ぽかんである。


「何? 何なのあの人? なんて言ったっけ名前。何だか弁当っぽい。松花堂(しょうかどう)? 崎陽軒(きようけん)? なんで会えてよかったんだよ? それより何があったんだよ俺の身に。通学中だぞ、初日だぞ、どう考えたってこの三年間で一番大事な日だろ、それが失神して遅刻かよ! そりゃねーよ!」

 どう考えても悪目立ちだ。第一印象最悪。もう冷笑必死。

 怒濤(どとう)の事態に、悶々としていると壁のスピーカーから、「第153回桐花学園高等部入学式を始めます。開会の辞…」と張りのいい声が響いてきた。

「やべ! 遅れる。いや、もう遅れてるって!」

「雑談なんかしてる場合じゃねーって先輩~、あんたのせいで本当に遅刻だよ! なんなんだよ!」

 行き場のない叫びが、虚空(こくう)の保健室に木霊(こだま)した。

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