表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
緑の風  作者: 夢屋夢迷
4/5

 「どこ行きたい?車で行ける範囲にしろよ」


 昌平が着替えて鞄の中に色々荷物を詰め込んでいるヒロに話しかけると、ヒロは机の上にあった雑誌を手渡した。ページの所々に付箋が貼られていた。

 昌平の横から晴生もその雑誌を見た。見た事ない風景や文字が並んでおり、奇妙に見えた。しかし、興味深い文章や写真を見て晴生も興味が湧いてきた。それを表に出さぬように冷静なフリをしてしまうのは、いい歳した大人がはしたないと思われてしまうのが気まずいからだった。

 パラパラとページをめくっていき、昌平はあるページで止めた。見ると、沢山の魚の写真があった。


「ここに行きたいのか?江ノ島」


 昌平が尋ねると、ヒロは何度も頷いた。

 江ノ島。聞いた事あるような、ないような名前だった。


「江ノ島か・・・まぁ、悪くはないかもな。ダチの所に泊めてもらえるか聞いてみるとして・・・晴生、アンタはここでもいいの?」


「ああ。構わない。どうせなら、ヒロが行きたい所から行こうと思っていたからな」


 ヒロは純粋なきらきらした目で晴生を見て、それから笑顔になった。口元はマスクのせいで見えなかったが、見えたほうがいいとさえ思った。

 昌平の服を借りて着替え、帽子を被って出かける事にした。少しでも包帯の部分が隠れれば幸いだが、気休め程度にしかならないだろう。だが、ないよりはマシだった。

 昌平が持つ車で行くといい、倉庫にある見慣れない鉄の乗り物に晴生は戸惑いを感じた。

 後ろのドアを開けて、ヒロが座席を軽く叩く。ここに座ってという意味らしい。おそるおそる座ると、ヒロは慎重にドアを閉めてから前の座席に座った。手にはスケッチブックとペンを持っている。いつでも筆談できるようにと持ち歩いているものらしい。

 車が発進すると、ぶおんという機械の音と共に鉄の箱は動き出した。晴生は日本が移動に便利になった事を改めて知った。この動く鉄の箱も、日本が作り出したのだろうか。

 黒く塗装された不思議な道を走る。ガラス一枚隔てた先の景色は、歩く時とは全く違って見えた。それどころではなく、晴生自身が知っている日本の景色とは違っていた。工場のような建物は晴生が知っているものよりも巨大で、背の高い煙突が何本も空に向かって伸びている。煙突から出る煙は雲と同じように白く、まるで煙管の煙のようにも見え、すぐに消えた。車という箱が大きな吊り橋を渡ると、どれほど自分が小さいのかわかる。昔はそうは思わなかったのに、この時代はほとんどの物が大きく見えた。それはおそらく、そう感じて考える事ができる余裕があるからこそ思う事だった。


 休憩という事で、途中にあったパーキングエリアという所で車を止めた。車や人が多く、車から降りる時に一瞬だけ躊躇した。昌平が晴生を少し強引に車から出した。

 初めて見る風景にどうしたらいいかわからず、晴生はただその場に立っているしかできなかった。

 ちらほらと、周りから視線を感じる。同じ日本人が何人か、晴生の事を見てひそひそと何か言っていた。晴生はなるべく彼らを見ないようにした。やはり、来るべきではなかったのだろうか。同じ日本人なのに、別種の人間を見るかのような視線だった。そこに敵意はないが、普通とは違う視線。差別、偏見の視線と似たような。

 気分が悪くなりそうになった時、左腕の通っていない袖が軽く引っ張られた。ヒロだった。困ったような、心配そうな目をしてスケッチブックを晴生に向けた。


『だいじょうぶ?』


 少し乱れた字が白い紙に並び、辛うじて読める文字だった。それなのに、感情がこもっている文字だった。

 ただそれだけなのに、少しだけ救われた気がした。

 晴生が言葉をかけないので戸惑っている様子のヒロに、晴生は苦笑した。


「ああ。大丈夫だ」


 ほっとした顔をし、ヒロはくしゃりと笑った。その笑みが伝染したかのように、晴生も自然に笑った。

 安心したような顔をしたヒロであったが、すぐに何やらもじもじ仕出し、缶の飲み物を買っていた昌平に何か伝えてから小走りである場所へ言った。人がよく出入りするその場所は、どうやらトイレのようだった。

 ヒロを待つ間、晴生は近くにあった横長の椅子に座った。そこに昌平が飲み物を持って来ると、透明のペットボトルという容器に入った飲み物を晴生に渡してから隣に座った。

 開け方を教えてもらってから一口飲むと、それが水だと知った。鉄の味がしない、美味しい水だった。

 数秒沈黙が流れ、ざわめく人の景色を見ながら、晴生は尋ねてみた。


「ヒロは・・・普段、会話などはどうしているんだ?」


「学校ではほとんど筆談。心の傷のせいで話せない事、それなりにフォローしてくれてる」


「学校・・・近いのか?」


「まぁ、近い方ではあるかな。アンタとヒロが会った神社ってのは、学校と家の中間ら辺なんだよ」


 晴生は驚いた。彼がいた時代ではあの神社の周りは林か畑ぐらいしかなく、ひっそりと神社だけがあったのだ。それに加え戦争によって全てが焼かれたのにも関わらず、あの木も神社も残っているようで、しかも学校まで建てられているらしい。

 時代は、日本は確実に変わっていた。戦争がなく平和で、技術的にも進歩している。それはもう、確信できることだった。

 だが、その考えはすぐにそれで終わった。晴生はどうしても、ヒロの事が気になっていた。小学生だという少年が満足に声も出せず、子供が喜ぶような動作に怯え、普通の人とは違う会話をするヒロ。考えてみれば、ヒロは本当は声が出るはずなのだ。本人さえ知らぬ間に、本能的にヒロは声は迷子になっているようだった。どんな声なのかも気になるが、ヒロと声で会話したいという気持ちが生まれつつあった。

 晴生にとってヒロは他人でしかないが、同時に「命の恩人」でもあるのだ。非現実的な、未来への日本へ来てしまった自分を助けてくれた小さな少年に、晴生は何かできないかと考えた。


「いつか・・・声は出るのか?」


「わかんねぇ。ヒロの心次第だ」


「俺が・・・俺があの子の声を出させるようにできたら、礼ができる。俺を助けてくれた礼を」


「・・・」


 昌平は数秒の間黙っていたが、やがてふっと笑った。


「いいな、それ。俺にだってできていねぇんだけどさ、アンタならちょっと期待できるかも」


「自信はないがな」


 晴生はそう言ったが、昌平は笑っていた。その笑みが、晴生の事を信頼しているという意味が込められているようだった。

 ヒロが戻ってきた。昌平が笑っているのを見て、首を傾げている。昌平は車の鍵を手で弄びながら「なんでもねぇよ。行くぞ」と言った。




 しばらく車を走らせた後、目的の場所である江ノ島へ辿り着いた。車から降りると風と一緒に潮の香りがした。すぐ近くに海が見える。

 建物は多く並んでいるがどれも綺麗な建物であり、人通りもそれなりに多く見える。人の声や波の音が混ざり合って聞こえるが、その音は銃声や爆撃の音などと比べたら静かな部類に入った。

 少し歩いていくと、家の建物とは少し変わった大きな建物が見えた。人の出入りが多く、家族連れが多い。入口らしき場所の近くに、海の生物のような模型があった。

 ヒロがそれを見ると目を輝かせた。行きたいと言っていた所なのだろうか。疑問に思っていると、ヒロが晴生の服を引っ張り、建物を指差した。晴生はその様子を、一緒に行こうと言っているように捉えた。


「一緒に行ってもいいが・・・ここは、なんという所なんだ?」


 ヒロの代わりに、昌平が言った。


「江ノ島水族館。海の生き物を展示してる施設って思えばいいよ」


「海の?」


「ああ。なんて説明すればいいかな・・・目の前の海の生き物とかを誰でも見られるように、水槽の中で飼育してる場所かな」


 そんな場所があるのかと、晴生は建物の方を見ながら思った。海の生物といえば魚などしか思いつかず、魚屋に売っているものや池の中で泳いでいる鯉などしか想像ができない。どんな場所なのだろう。興味が湧き、晴生もヒロと似たような気持ちになった。これほどわくわくしたのは、いつぶりだろう。

 ヒロが袖を引っ張り、晴生がそれに従って歩こうと思った時、右側から声が聞こえた。


「おーい、久しぶりだなぁ昌平!」


 見ると、昌平と同じくらい若い男が手を振りながら近づいてきた。その男の容姿を見て、晴生は言葉を失った。

 若いその男は短い髪が金色をしており、目が青空と同じ色をしていた。日本人ではないと一目でわかる姿だった。

 晴生の脳裏に、銃で撃ち殺した敵が過ぎった。日本に火を放った国の人間・・・

 昌平と男は親しみを込めた握手をした。ヒロは晴生の後ろに隠れ、その様子を見ている。晴生はその場で立ち止まっているしかなかった。


「相変わらず変わってねぇな、ジョン。わざわざ呼んで悪いな」


「いや、嬉しいよ。えのすい来て欲しかったし、俺も楽しみにしてたし。っと・・・そこにいるのがヒロといとこの?」


 ジョンと名乗る外国人は、晴生とヒロを見て言った。

 昌平は晴生の事をいとこの一人と説明しているらしかった。ヒロが少しだけ横から顔を出すと、ジョンはにこっと笑った。アメリカ人にも関わらず、日本語が違和感さえもないくらいに使えていた。


「怪我、痛そうだね。出歩いて大丈夫なの?」


「えっ・・・あ、ああ。大丈夫だ」


 晴生は答えるのが少し遅れてしまった。目の前の外国人と話す事に戸惑いを感じる。この日本には、日本人ではない人種がいる。

 あの時は、同じ言葉を喋られない人間は敵だと教えられた。銃を向けられ、晴生が殺した人間と似た人種の人間が、この日本にいる。全く違う国で、普通に生きている。それは、喜ばしい事なのだ。戦争がなく、普通に当たり前のように接する事ができているこの時代は平和だ。

 激しい感情の波が、心の中に押し寄せるような感じがした。少なくとも、あの時自分は彼らの先祖であるかもしれない人間を殺したのだ。許されない事をした罪人と同じなのだ。

 そんな事を考えていると、肩を軽く押された。


「ヘイ、表情固いけど大丈夫?」


 ジョンはやや心配そうな顔をして晴生の顔を覗き込んでいた。晴生は驚いたが、素直に首を振った。

 すると彼はにこりと笑い、はっきりした明るい声で言った。


「今日は楽しんでいきなよ。動物とか全然知らなさそうだしさ、俺が教えてあげるよ!」


「・・・ありがとう」


 晴生はただそれしか言えなかったが、ジョンは笑っていた。昌平が小さく安堵に似た溜息を漏らしたのがわかった。

 ジョンがさっそく歩き出すと、ヒロが軽い足取りで歩き出す。袖が引っ張られて晴生も歩き出した。

  

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ