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緑の風  作者: 夢屋夢迷
3/5

 ヒロが風呂に入っている間に、昌平に包帯を巻き直して貰った。治療などの意味はほとんどないかもしれないが、見た目は誤魔化せる。痛々しい姿に見える事に変わりはないが、傷跡を見て怯えられるよりマシだと思った。

 晴生は色々な事を質問した。戦争はどうなったのか、日本は勝ったのか負けたのか、今はどんな時代なのか・・・知りたい事は山ほどあった。昌平はできる限り答えてくれた。


「戦争はとっくに終わってる。日本は負けたけど、今こうして普通の生活ができてる。物は便利になったし、アンタと同じ時代の人間はほとんど孫かひ孫がいるような時代だ」


「・・・負けたのか」


 日本国民として、兵士として誇りを胸に戦争に挑んだがやはり人を殺す事は誰しもが躊躇する。晴生はその躊躇する心を捨てようと、半ば無理やり戦場で戦っていた。敵兵を殺す時も感情を出さぬようにした。次第に、心が麻痺していくような感覚があった。あの時の自分は人間ではないようなものだったかもしれない。どんな事でも、人を殺して誇れるような心を持つ者などこの世にいるのだろうか。晴生は誇れなかった。国の為に戦い、敵兵を殺した事に誇りを持つ事ができなかった。仲間はそれを、恥だと言うだろうか。

 晴生はしばらく戦場での事を思い出したが、ズキズキと目の奥が痛み出して考えるのをやめた。

 話題を変えようと、晴生は再び尋ねた。


「あの子供・・・ヒロはお前の弟か?」


「ヒロ?ああ、違うよ。よく言われるけど、あいつはいとこ」


「親は?」


「・・・いねぇも同然だ」


 昌平の声が低くなった。晴生は、ヒロの顔の痣を思い出した。

 

「どういうことだ?」


「父親は既に死んでるけど、母親は弘幸(ひろゆき)を虐待して他の男と逃げやがったんだ」


 昌平の声は怒りのような色が滲んでいた。

 晴生は最初に会った時を思い出した。頭を撫でようとした時、咄嗟に身を守る動きを見せたヒロを。


「アイツは、ショックか何かで声を失った。家族の事を話したがらねぇ。痣の事さえも。ちょっとした他人の動きを怖がってる。大人のようなでかい人間にさえ不安になってる。ヒロは何も悪くねぇのに」


 晴生は言葉が出なかった。自分の時代には、なかった状況だった。

 少なくとも、戦争が始まる前は子供は「宝」とされて大事にされてきた。叩かれたりした事はあったが、それは悪い事をした時だけだった。子供に暴力を振るう人間は、いなかった。自分が知っている中では。戦争が始まっても、赤ん坊や子供を必死に守ろうとする人々を何度か見た。泣き叫ぶ赤ん坊を必死に守り、火の中を逃げ回っていた母親もいた。

 誰もが子供を愛している。それが、当たり前のように思っていた。しかし、それは違った。

 頭の後ろのほうで包帯が留められると、昌平は薬箱を押し入れの端の方に置いた。その顔は悲しさとやるせなさが感じられた。

 晴生は自分を助けてくれたヒロの事を知らない。知らなければいけないような気がした。時代が違う人間などとは関係ない。一人の人間としての気持ちだった。



 「あんまり使ってないから、和室使ってくれ。布団とか必要なものはあるから」


 昌平に案内されて入ったのは十畳程の和室。ちょうど居間の隣、玄関から入ってすぐ右手にある部屋だった。壁は木製でできており、畳は薄い緑色をしていて綺麗に見える。定期的に掃除しているのか、埃っぽくもない。

 昌平は布団を置き、窓を開けた。真っ暗でほとんど何も見えないが、暗闇の中にぼんやりと小さな青色が見えた。晴生が近づいてよく見てみると、それは紫陽花の花だった。窓は玄関の横についているような形で、広めの庭が目の前にあった。紫陽花だけでなく、他の植物も暗闇の中で静かに咲いていた。

 

「この家、元はヒロの父親の実家だったらしいんだ。引き取り手がなくて、一人暮らしする俺に譲ってくれたんだ。爺さんも婆さんもいなくなったけど、この家を壊すのも勿体ないし。俺も部屋探ししなくて済んだし、結構気に入ってんだ」


「庭もきちんと整理されているんだな」


「まぁね。俺がちょっとずつ世話してんだけど、正直今だにどの植物が生えているかまだ把握してないんだぜ?森みたいなもんだよ」


 晴生はしばらく暗闇の中で眠るように咲いている紫陽花をぼんやりと眺めた。晴生の家にも、同じような花が咲いていた。母が大事に育てていた紫陽花。あの紫陽花も家も、爆撃機が落とした爆弾によってもう失くなってしまった。実際に見たわけではないが、焼け野原の中で残っていた家はなかった。炎は簡単にあらゆるものを燃やした。家も人も、何もかも。

 ズキズキと機能を失った目の奥が痛くなり、晴生は思わず下を向いた。昌平が怪訝な顔をし「大丈夫か?」と声をかけた。

 

「ああ・・・少し、頭痛がして」


「おいおい、傷が開いたとかじゃねぇよな?それとも、幻肢痛?」


「わからない。でもそこまで痛みはない。ありがとう」


「そっか。なんかあったら俺二階の奥の部屋にいるから。よろしく」


「ああ」


 昌平がいなくなると、晴生は布団の上に座った。元の世界で溜めた疲れのせいか、ひどく体が重く感じられた。おまけに頭に鈍痛が響き、考える事ができなかった。

 倒れるように横になると、布団の柔らかさが心地よく、酷く安心する。眠る暇もあまりないほどの戦場だったからこそ、こうして静かに横になれる事が遠い日の事を思い出すような小さな懐かしさを感じた。

 晴生は明日になったら、今この日本のことを知らなければいけないと心に思った。その為には一人で行動するには不安である。ヒロか昌平に頼むしかないと思い、晴生は木製の天井を眺めた。

 今この瞬間、自分がいたはずの世界は何が起きているのだろう。戦闘は激しくなっているのだろうか。仲間は生きているだろうか。全くわからない。

 昌平の言葉を思い出し、日本は負けた事を知って晴生は皮肉に小さく笑みを浮かべた。まだちゃんと動く手を目の前に移動させ、眺める。


「なんのために、あんな必死になってたんだろうな・・・結局、負けたのか」


 日本の戦いは、自分達の力は、結局生き残った人々に何を与えたのだろう。日本は負けたが、今この日本の時代は平和になっている。炎もなにもない。あの焼け野原となり、瓦礫と死が溢れていた地上から、ここまで再生し、進歩した。その流れを、晴生は知りたくなった。

 次第に眠気を感じ、晴生はそのまま腕を下ろして目を閉じた。暗闇の中で、小さく銃声の音が聞こえた瞬間を思い出した。つい数時間前までその手にあった武器の感触が、まだ手に残っているようだった。

 ふと、瞼を閉じても明るかった室内がぱっと暗くなった。誰かが電気を消したらしい。遠くで小さな足音が聞こえた。ヒロの足音だった。



 初めて殺したのは一瞬だった。銃弾一発で、一人のアメリカ兵を殺した。あの瞬間に、自分は人間としてやってはならない事をやってしまったと思わぬようにした。先に戦争に行って散った父の言葉「殺生だけはするな」という言葉を、父も自分も破ってしまった。だが、そうしなければ国のお役にたてないと本気で思っていた。考えないように、戦い続けた。仲間の遅れを取らぬように、ただ一人でも多く殺そうとした。

 少しでも自分のやってしまった事を振り返ると、罪悪感と恐怖に飲み込まれてしまうのではないかと思った。それがとてつもなく恐ろしかった。

 晴生は自分の呻き声で起きた。部屋は暗かった。窓の外を遮っている障子の方を見ると、白く明るかった。もう朝だという事に、晴生はほっとした。苦しい夢から解放されて、それが夢で良かったと安堵した。同時に、ここは自分がいるはずの世界とは別の世界で元の世界に戻れていないという事も事実として知った。

 起き上がって物音がする台所を見ると、昌平が朝食を作っていた。男が台所に立つ光景に、晴生は違和感を持った。台所は母親のような女の聖域であり、男は台所に立つべきではないと教えられたからだ。

 古い床の板が体重でギシリと音をたて、その音に気づいて昌平が振り返った。


「おはよう。よく寝れたか?」


「ああ。おかげさまで」


 悪夢を見て起きた事は言わないようにした。

 晴生は居間の方に振り返り、ヒロの姿を探した。しかし、まだ起きていないのかヒロの姿は見えない。

 

「ヒロはそろそろ起きるぜ」


「学校、なのか?」


「はは、ちょうど夏休みだよ。良かったな」


 良かったな、の言葉は晴生がこの未来の日本でどうしたらいいかと思っているのを見抜いているような言い方だった。

 階段からヒロがパジャマ姿のまま降りてきた。晴生の姿を見ると嬉しそうに笑い、軽くお辞儀した。おはようございますと言ったのだろう。晴生は苦笑した。


「おはよう、ヒロ」


「ちょうどいい。朝飯にするぞ」


 朝食は目玉焼きとウインナーという肉とほうれん草の和え物に、ご飯と味噌汁だった。ウインナー以外は見た事あるもので、ほっと安心する味だった。時代が変わっても、白米と味噌汁は変わらないと知った。白米は戦争の時貴重だったが、今では普通に食べられているようだ。日本は確実に豊かになっていると感じ取った。

 味噌汁を一口飲んだ後、晴生は昌平に尋ねた。


「その、田城さん。戦後の日本の経過について、まとめられたものって何処かにないだろうか」


 昌平は一瞬嫌そうな目をして、持っていた茶碗を置いた。


「まず、田城さんとかやめろ。普通に昌平でいいよ」


「で、でも」


「この家にいるんだから、苗字とか違和感ありすぎ。名前で呼び捨てでいいよ」


「・・・わかった」


「本だったら図書館が楽かもしれねぇけど、資料館とかにもあるかもな」


「資料館?」


「ああ。戦争で残った物が展示されてたり、生き残った人々が綴った文章があったり・・・」


 晴生は思わず立ち上がりそうになった。戦争で生き残った人々が、どれほどいるのか気になった。その中にもし、自分の家族がいたら・・・


「そ、それはどこにあるんだ?」


「あー・・・長崎、広島、沖縄、鹿児島かな。東京のはよくわかんねぇ」


「ど、どれも遠いんじゃ・・・」


「そうだな。でも行けなくはねぇよ。なに、今すぐ行きたいのか?」


「できれば・・・・」


「ちょっと無理があるなぁ・・・計画する事もあるし。それまで待ってもらえねぇかな?」


 晴生は頷いた。正直、自分一人でも行こうとさえ思ったが道に迷うのが見えている。それに、甘えすぎてはいけない。

 昌平はしばらく何か考えながら顎を動かしていたが、やがて口の中のものを飲み込んでから言った。


「せっかくだし、どっか見に行くか?」


「どこに?」


「どっかだよ。戦争とかそんなん関係あってもなくても、行けばそれなりに良いと思う」


 川越。あまり自分には縁のない場所だった。戦争ともなれば、名前さえも浮かばない。戦場に市街の境界線などはほとんど関係なかったからである。せいぜい避難場所が記された地図に名前があったぐらいしか覚えていない。

 行って何か得るものがあるだろうかと考えたが、今の日本の状況を知る事はできるはずだ。

 だが、不安があった。


「行ってもいいのか?」


「いいよ。観光みたいな感じで行けば楽だろ」


「だが、この見た目では・・・」


 晴生は自分の体の事を言った。片腕に顔半分を包帯で覆った姿は、一般人からすれば奇妙に見えてしまうだろう。

 昌平とヒロが晴生を数秒の間見ていたが、やがて昌平は言った。


「別に、そんな奴いくらでもいるぜ?」


「だ、だが、みんな変に思うんじゃないか?」


「あのさ、今どき腕ない奴とか普通にいるんだぜ?障害者とか、そんな差別的な事をする人間、少ない方だ」


 晴生は小さく驚いた。昔、生まれつきでも後でも関係なく体のどこかが欠損している者は差別の対象の一つだった。戦争でお役に立てないからという要素が大きかった。戦争で役にたてなかった人間は、非難されるような時代だった。家族から愛されていても、理不尽は差別は受ける。晴生自身は差別や偏見をしない性格だったが、兵士になれなかった男を何人か見て皮肉にも哀れんだ事はあった。それが今では、哀れみを受ける側になっていた。

 同じ日本で、時代が変わってもこの身を見て何か偏見や差別を持たれるのではないかと思ったが、昌平の言葉は意外なものだった。まだ半信半疑だったが、僅かに希望らしきものは感じた。戦争がなくなった日本は、何か大きなものが変わったのだろうか・・・ 

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