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無題シリーズ

無題6

作者: 中原恵一

冬の雨は外気の冷たさと相まって、不思議と温かい。


 ――この町の冬は比較的暖かいという話、だ。

 

とはいえ、やはり寒いものは寒い。


 嘘のように凍える寒さを、

 突き刺さるような冷たい風を一身に感じて、

 まだこの唇は減らず口を叩こうと必死だ。

 ここは僕以外に人がいないし、それでいて太陽の光もストーブの火も含めて一切の温かみがない。

もうそういう次元の問題では、到底ないのかもしれないけど。


 さて――どうしてくれよう。


 僕の今立たされている状況はある意味で生死の境ではあるが、それがまた輪をかけて自嘲めいた笑いを誘う。

 バカバカしいにもほどがある。


生きている、ということはなにも、生産的なことをしないといけない、というわけではないのだから。


 僕に関する真理に気づいてしまって、僕の人生は一変しようとしている。


 生きているなら、つまり、死んでいないのなら、有用に生きるべきだ。どこかの哲学者が言ったように、人間はただ生きるのではなく、よく生きなければならない。僕はただ全てを真に受けて、あまり考えずに、よく生きることを念頭に置いてきた、つもりだった。

 あまりにも早熟な人生に対する諦観。

 それは僕の運命、生きていく方向性を決定づけた。

 しかし今までの何もかも、とりつかれるように努力してきたことがまるで馬鹿らしく感じられてきたのだ。

 僕の人生は誰かの足しになるのだろうか。

 僕一人よく生きた所で誰か僕のために救われるのだろうか。


 自分の走ってきた道を振り返って、僕は自分の選択が限りなく間違いに近かったことを改めて思い知らされる。

 早熟な諦観は、この砂利へと辿り着く道へ僕の足を進ませたのだ。

 では具体的に、何を? 僕は何を間違ったんだろう。

 両肩からだらしなく垂れ下がる腕も、腰から延びる細い両足も、もう僕を止めてはくれない。僕の体はとうに僕の意思を離れてしまった。

 頭からバケツで水をかぶったようにずぶ濡れになって、とめどなく降り注ぐ雨水に眼球が浸蝕されていく。

視界は暗く、かつ透明に濁る。景色は滴を垂らした水面のように僕の神経を犯して、正常な思考を妨げる。

もう足下を確かめる余裕もない。

僕の体はだんだんと、外側から内側へ向かって大気と同化するように冷えていく。

体は表面に触れるあらゆる水を吸って、水と一つになる。



僕は僕自身の手によって、僕が積み重ねてきた時代をゆっくり壊していく。

 さよなら、懐かしい日々。

 普通に生きていた、いや、普通に生きてなどいなかったのかもしれないが、とにかく普通に生きていた頃の平凡な日々とはこれでお別れだ。

 冷たい冬の雨は僕のような最低な人間には似合わない。

 体を芯から凍らせてめちゃくちゃに破壊してしまうような罰が必要なのだ。

 いっそのことこのまま。

 冷たいどぶ川に片足を突っこんで、やはり躊躇う。躊躇う、という言葉は行動を実行に移せない愚か者が使う言葉だ。

 僕は愚か者じゃない。僕は馬鹿じゃない。皆、僕を馬鹿にしている。

 下に見られている、見下されているという妄想にとりつかれてしまった人間は、抜け出さすことができない自己否定と自己卑下、そして歪んだ自己肯定感に身をゆだねることになる。

 常に心臓を誰かに握られているような、そんな気分で誰かと話をしても楽しくないに決まっている。


 それでも時は待ってくれない。

 どんなに僕が祈っても、泣き叫んでも、これでもかというぐらい不平をぶちまけても、そんなことはお構いなしに僕をじわじわと追い詰めていく。

 時計の針をとめても、時間は止まらない。

 ワインの滴と葡萄の関係が絶対であるように、誰も逆転させることのできない時間の流れというものがそこにはあった。


 なぜ、僕は逃れることができないのだろう。


 そう思ったとき、急に僕の中で、何かが静止したような錯覚が生まれた。

 頭蓋骨の内側を反響するように鳴り響く雨の音が止まる。


 今は、僕が主体。

 

 そうなのか。

 目を瞑ると暗闇に広がっているのは、僕が統べる世界。

 世界の主役は僕だ。

 

つまり、僕が自分の世界の時間の流れも、悲しみも、何もかも決めることができるのだ。



 ――ああ、


僕は死にたかったんだ。



 自殺する奴は最低な奴だと思っていた。

 でも今、最大の皮肉は、僕自身が自殺願望を抱き、こうして冬の雨で増水した河川敷までやってきて、自ら命を絶とうとしているということだろう。


 瞼を開けると、両の目を潰すように眩しい光がなだれ込む。

 ゴミの浮いたおいしそうな茶色いコーヒー、泥色の川。

 橋げたを流さんばかりの濁流が、失うべく何かを持たないなぎ倒された木々をバラバラに打ち砕く。

 僅かな間、己の置かれた状況に酔いしれる。脳髄をつくような陶酔は、自慰している時の快楽に似た感覚だった。そしてそれに伴う自己嫌悪が僕を苛む。

 変わり果てた自分の姿に快感さえ覚えてしまう自分は、マゾヒズムに満ちた屑だ。

 いや、そんなに大層なものではない。

 僕という人間の存在そのものが、真面目に生きている人々を、人生を茶化している。

 尤も人を弄ぶような人間を一番憎んでいたのは自分自身だったはずなのに。



 僕の町には、冬、雪が降らない。

 代わりに降るのはとめどない冷たい雨だ。


この人はひどい中二病ですね

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