第一話・第三幕
夜も更け日付が変わって少しした頃、街の喧騒も道を一本外れて奥に入ってしまえば遠ざかり、そこは漆黒が支配する闇の領域となる。
「昼間に来ていてよかった。初見だったらちょっと厄介だったな」
昼間の光景と現在目の前に広がる光景の違いに秋斗は舌を巻く。今彼が持っている懐中電灯が無ければ、2~3メートル先に何があるかすら解らない程に、路地裏は薄暗かった。
「……来たか」
しばらく奥に進んだ後、秋斗が唐突に懐中電灯の明かりを消す。耳を澄ますとかすかに暗がりから荒い息遣いが聞こえる。
「さぁ……ついて来い!」
声を上げる秋斗の目が薄く金色に染まる……と同時に秋斗は駆け出し、路地の奥に向かい走る。闇の中を尋常でないスピードで駆ける秋斗だったが、それに引き離される事無く後ろから物音を立てて何かが追走する。行き止まりに着いた秋斗がすぐさま振り返ると、そこには大柄な人影が一つ。
「やっぱり、夜襲狼だったか」
『グルゥゥゥッ……』
ビルに挟まれ光の差さない中で蠢く影。常人の目には見えないであろうそれを、しかし秋斗の目はしっかりと映す。そこに居たのは全身が毛深く鋭い体毛で覆われた狼人間。夜襲狼……主に夜間に活動し、人間などに化ける事の出来る変化能力と、強靭な爪と鋭利な牙を持つ種族。基本的に獰猛な性格をしており、生き物の血肉を喰らう事を至上の喜びとする……その夜襲狼が、秋斗の目の前には居た。
「……来な」
夜襲狼に対し挑発する様に声をかける。一瞬夜襲狼の口元に笑みらしき物が浮かんだかと思うと、一気に跳躍して秋斗に飛びかかる。夜襲狼の爪が秋斗の足元のコンクリートの地面ごとその場を抉り、あまりの勢いにコンクリートの破片が周囲に飛び散り埃の様に舞う。
『……グゥッ?』
獲物を仕留めたと確信した夜襲狼の表情が曇る。手ごたえが無い、そして爪にも血肉を引き裂いた際に付く鮮やかな赤色が無い。
「……お前さん、力は立派そうだが知恵は無いな」
夜襲狼が声のする方へ向くと、そこには秋斗がコートの裾を翻らせて立っていた。
「俺のこの眼……伊達や酔狂でこんな色をしているんじゃないんだよ。魔透眼……お前等みたいな下級の存在でも聞いたことくらい有るだろ?」
夜襲狼は秋斗の言葉を……特に「魔透眼」という言葉を聞いて、ビクンと身体を震わせる。魔透眼、それは魔の存在を見破り、闇を見通す、闇の支配者の一族のみが持つ特殊な眼。それを目の前の一見何処にでも居るような人間が持っている。その事が夜襲狼を困惑させる。
「まぁ、俺は純血じゃないらしいが……それでも、お前さんよりは遥かに、な?」
秋斗が腕を伸ばし闇に手をかざす。するとその手の先の空間が歪み、何も無い虚空に金の豪華な装飾が為された両刃の剣が現れる。秋斗がそれを手に持つと、剣が暗い金色のオーラのような物を纏い、輝きだす。
『グッ……グッ……グァァァッ!』
若干怯えを含んだ表情で声を荒げながら魔襲狼が迫る。とてつもないスピードだが秋斗はするりとその突進をかわし、すれ違いざまに剣を一閃させる。
からん……からんからん……
軽快な音を立てて何かが地面に転がる。それは秋斗の剣によって切り落とされた魔襲狼の爪だった。短くなった自分の手の爪と地面に落ちた爪を交互に見て焦る魔襲狼。
「言っておくが、見逃す気は無いからな。今まで十分血や肉の美味さを味わったんだろう?もうそろそろ終いでもいいだろう」
『ッ……ガァァァッ!』
自棄を起こしたのか、形振り構わず突っ込む。微笑を浮かべてその姿を眺めていた秋斗の姿が、一瞬にして眼前から消える。驚き一瞬動きが止まる魔襲狼の上から声が掛かる。
「ここだ、うすのろ」
魔襲狼が上を見上げると、そこには綺麗な直立不動の姿で逆さまになって宙を舞う秋斗の姿。
「……懺悔は済んだか、いくぞ」
秋斗の身体が路地裏を挟むビルに接したかと思うと、ビルを足で蹴り魔襲狼に向かって更に飛ぶ。その勢いは凄まじく、足で蹴ったビルの壁は激しく抉れ、次の瞬間には魔襲狼の背面に秋斗の姿があった。
『……ッ……ガフッ……』
そして魔襲狼は、真ん中から一瞬で真っ二つに寸断され小さく断末魔のうめきをあげて、左右に半身ずつ崩れ落ちる。
「……お前達が祈る対象なんて、無いだろうけれどもな」
地面についた瞬間に崩れ落ち灰となり、風に吹かれ消えていく魔襲狼の成れの果てを眺めながら、秋斗は呟いた。
「お疲れさん、秋坊」
「藤堂さん……何故此処に」
路地裏から出てきた秋斗に冬樹が労いの言葉をかける。様子からして秋斗を待っている様だった。
「お前なら問題無いとは思ったけどな、一応何かあった時に茅場の奴に連絡した方が良いかなとな?」
そう言って手の中に忍ばせた携帯を見せ付ける。
「大丈夫ですよ、あの程度の異邦者なら」
冬樹の心配に内心感謝しつつ、しかしそれは表に出さず冷静に言う秋斗。その秋斗の言葉に冬樹は首をひねる。
「異邦者、ね……前から聞きたかったんだが、そりゃ一体何なんだ?」
「ああ、夏彦さんからは聞いてないんですか?」
首を縦に振る冬樹。それを見て秋斗は溜息を一つ吐いた。
「夏彦さんも藤堂さんには言っておいても良いものを……異邦者、それは人外の存在です。見ていたかもしれませんが、あの狼の様に……いわゆる化け物ですよ。本来はこの世界とは別の次元に住んでいるのですが、時々紛れ込んだり……あと、自分の意思でこちらにふらっと遊びにきたり。まぁそんな存在です」
簡単な説明を終えると歩き出す。そんな秋斗の後ろをついていく冬樹。
「そうか……そんなモンが居るなんて、茅場やお前の様なやつらの事を知らなければ信じられなかっただろうけどな」
「そりゃそうですよ、普通は此方に来ても過剰な干渉はせずに居る者が大半ですから」
そのやり取りの後、二人は無言で歩き続けた。
しばらくして、人気が全く無いところに差し掛かった時、不意に冬樹が口を開いた。
「なぁ、秋坊。お前もひょっとして」
「俺は」
冬樹の言葉をさえぎり、やや強い口調で言葉を発する。
「……俺は、違いますよ。人間です。ただの人間……ちょっと特殊な力を持ってるだけの、ね」
振り返り冬樹の眼をじっと見つめて言う秋斗に対し、冬樹はそれ以上何も言う事は出来なかった。