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五月上旬、連休を利用して、僕は仙台の実家に帰省した。僕は栃木に住んでいるので、宇都宮まで出れば仙台には新幹線を使って一時間程度で帰ることができる。
何やら電話での母親の小言が五月蝿い。小言と言うよりも愚痴だ。実家では認知症の老人を二人も抱えており、二人とも母親が介護をしているので、よほどストレスが溜まっているのだろう。普段から愚痴っぽく頭に血が上りやすい性格の母親だ。ましてこんな状況では四六時中母親が金切り声をあげている事は想像に難くない。そんな母親を実家に住んでいる父親や弟にばかり押し付けておくのは僕としても心苦しく、思い切って有給休暇を取って、実家に帰る事にしたのだ。
実家に帰ると、思った通り母親の愚痴を延々と聞かされる羽目になった。母親と何の話をしていても、結局老人の話になるのだ。おまけに朝早くから父親と母親のけたたましい口論が続いていたし、弟はそういう家を疎ましく思ってか、毎日外出して殆ど家に帰ってこない。そのせいで僕の鬱は一層勢いを増した。が、多分自分がここにいる事で何らかの抑止力になっているものと信じた。僕には何も出来なかった。そう僕には何も出来ない。しかしながら僕が石像の様にここにいる事が僕の義務なのだから、これで役割を果たしたとも言えなくはない。これでいいのだ。何も出来なくても、生きていればそれでいいのだ。
微笑みかける日光に輝くベランダの鉄柵にもたれて、僕は煙草を吸った。そこから眺める風景は知らない街のようだった。この街は僕の故郷には違いない。だが僕がこの街を知っていようがいまいが僕の存在そのものには無関係だった。今僕がここにいる。それ以上でも以下でもないのだ。風に吹かれてタバコの灰が落ちた。僕は黙ってそれを看過した。すると洗濯物を干しにきた母親が窓を開けて現れた。
「煙草、まだ止めてなかったの?」
「ああ、止めようとしたけど、無理だった」
「止めた方が良いよ」
「分かってるよ」
僕は煙草を灰皿にねじ伏せ、そそくさと屋内に入った。
僕の部屋は弟の部屋とアコーディオンカーテン一枚を隔てて繋がっている。僕の部屋の壁には僕が高校生の頃に憧れていたミュージシャンのポスターが貼られ、もう殆ど弾かれなくなったギターやらベースやらが部屋の隅に多数横たわっている。対して弟の部屋の壁には異国のサッカー選手のポスターが貼られており、本棚には古びたサッカー雑誌が並んでいる。それらは形は違えど、全て青春の爪痕だった。古き憧憬の亡骸だった。古傷の疼くこの部屋は、僕ら兄弟にとって自身の内奥だった。それは今でもそうだ。僕らはそれぞれ違う大学に進学し、違う企業に就職してサラリーマンになってしまっているが、僕らの内部はこの部屋のまま何も変わっていないのだ。懐古の古傷は僕を癒しはしなかったけれども、僕は軽い幸福を感じてベッドに横たわり、丸くなった。それは何故かしら吐き気に似た幸福だった。
洗濯物を干し終わった母親が僕の部屋のドアから顔を出した。
「これから爺ちゃんの病院に行くから、付き合って」
「いいよ」
僕は寝たまま返事した。言い忘れていたが、祖父は僕が来る少し前に転倒して脚の骨を骨折していた。加齢で身体が弱っているのでなかなか治らずに、介護療養型の医療施設に入院していた。
出かける支度をする僕に、母親は言った。
「爺ちゃんの例の譫妄がまた始まったらしい。さっき病院から電話があった」
譫妄というのは、幻覚が見えたり、妄想に耽ったりする意識障害だ。骨折した脚の手術をする際に使用した麻酔が、年寄りには強すぎてそういう事になったのだそうだ。尤もこれは医療ミスなんかではなく、想定内の事ではあった。しかし祖父の場合、その症状が元々の荒っぽい性格と相俟って、度々病院側が手に負えない程の大騒ぎに発展する。そのためこうして度々病院から家族が呼び出されるのだ。
母親は薄汚れた灰色の上着に袖を通し、ハンドバッグを肩から下げた。こうした母親の持ち物も仕草も、大分昔から変わっていない。今ではそれが目を閉じてもはっきりと思い出せる程僕の脳裡に焼き付いている。母親のトレードマークとして、それは微笑ましくもあるのだけど、その時僕にそれは悲しげに映った。母親がもはや服飾や自分の細かな仕草といった自らの周辺に何の興味も抱いておらず、無意識に、無頓着にただ毎日こうして同じ服を着て、同じものを持って繰り返し繰り返し年寄りの世話に明け暮れている事が想像されたからだ。僕は母親の運転する車の助手席に乗って、祖父のいる病院へと向かった。
「あれ、ウインカーが切れてる」
道すがら、母親はハンドルを握りながら気が付いた。確かにウインカーの点滅が左側だけ速い。それは母親が左足を引きずりながら歩いている様で、僕は助手席で沈黙した。
病院についてみると、そこはクリーム色の外壁の、西洋のお城の様な荘厳な建物だった。駐車場には沢山の車が停まっていて、僕らは空きを探すのに苦労した。こうして施設に入れられた老人を見舞いに、沢山の人たちが病院に来ている。当然施設にも沢山の老人達がいるのだろう。それを思うと、僕らは老人達に未来を食いつぶされるのではないか?僕らが老人になった頃には、一体どんな生活が待っているのだろう?という不安が心をよぎった。しかし、母親は違ったようだ。
「着いたよ」
と言うと、颯爽と車を降り、病院の入口へ向かって足早に歩いていった。僕は母親に付いていった。母親の背中は力強かった。いつもいつもこの背中に、僕は支えられてきたのだ。
病院の中は、消毒液の匂いがした。エレベーターで四階まで上がり、長い廊下を進んで左手のドアを開けると、その奥から白髪の老人達が一斉に僕の目に飛び込んできた。五、六人の老人達が広場で卓を囲んで座っている。テレビは付けっぱなしだ。付けっぱなしと言うのは、誰もそれを見ていないからだ。テレビを見るでも無く、誰かと話をするでも無く、ただ呆然と遠い目をして虚空を見つめているのである。陰鬱な光景だった。
奥の部屋からけたたましい叫び声が聞こえた。赤ん坊の泣き声の様に断続的な、しかしそれとは似ても似つかないしわがれた声だった。多分老婆の声だろう。おむつでも替えられていたのかも知れない。
「アーアーアーアーアー、アーアーアーアーアー」
するとさすがに五月蝿かったのだろう。広場にいた別の老婆が怒鳴り返した。
「バカたれ!ハナたれ!クソたれ!」
人間は平等ではない。当然だ。だが人間最後にはいずれ老いて死んでしまうのであれば、多少の程度の違いこそあれ大方は平等なのかも知れない。
ふと、僕は想像した。もし僕の両親がこんな風になってしまったら、僕はどうしたら良いのだろう?頼れる親のいない世界。正直言って、それは想像すればする程恐ろしかった。僕の両親は共に還暦近い。それは決して遠くない未来の様に思われた。魑魅魍魎の蠢くこの世界で、僕は一人で自分の身を守って生きなければならない。自分だけならまだ良い。最悪自分が死ねばそれで良いのだから。しかし家族なんかいたらそうはいかない。僕は僕の力だけで彼らを守らなきゃいけないのだ。想像するだに恐ろしい!だがそんな恐ろしい事を、両親は弱音一つこぼさずやってのけた。彼らは疑いようも無く偉大だった。
つまりだ、今まで僕はそれだけ物質的にも精神的にも親に頼り切って生きてきたのだ。贅沢に暮らしてきたのだ。何故こんな当たり前の事に気が付かなかったのだろう?いや、気が付いてはいた。だがそれを恨んでいたのだ。僕がこんなどうしようもない人間になってしまったのは、きっと親が過保護に育てたせいなのだと。本当にどうしようもない人間だった。では僕は親なしで生きられたのか?とてもそうは思われない。僕は自分の弱さを親のせいにしていただけなのだ。
祖父とは久しぶりの対面だった。祖父は車いすに乗って、口から絶えず涎を垂れ流していた。だが僕の顔を覚えていたらしく、僕と目が合うと微笑んで片手を上げた。そんな祖父に、母親はつかつかと歩み寄って問いただした。
「爺ちゃん、付けで買い物しないって約束したでしょ?」
話によると、祖父は病院の売店で大量のパンを買い、それを全て付けにしたらしいのだ。買ったパンは病院の仲間や看護婦に気前よく配ったらしい。殿様気分を味わいたかったのかも知れない。しかし祖父はそれを否定した。
「知らねえよ。買い物なんてしてねえよ」
その表情から察すると、祖父に嘘をついている積もりはなさそうだ。本当に記憶に無いのだろう。
「じゃあこないだ渡した小遣いはどうした?」
「残ってねえ」
「買い物しないのにお金無くならないでしょ?」
「…看護婦がさ。売りにきたんさ。賞味期限切れるから買うてくれいうて。断りきれんくて買うてしもうたんさ」
もうこの辺りから祖父は意図的に嘘をついているのだろう。
「あのね、看護婦さんは物売りに来ないのよ。爺ちゃんが付けにした分の請求書が家に送られてきたんだよ」
「…知らねえ」
「じゃあ、買い物しないなら小遣いは要らないね?」
「いや、それは千円二千円くらいあったっていいけどもさ…」
もうどうしようもなかった。祖父は昔からこんな人だったそうだ。付けで飲み歩いては送られてきた請求書には「知らねえ」の一点張り。この間亡くなった祖母はよほど苦労しただろう。
母親と僕は暫し病室の外に出た。
「いっつもあんな感じなんだよ」
「あれは相当キテルね」
「悪いけど、小遣い彰夫から渡してくれる?少しは大事に使うかも知れないから」
母親は僕に二千円を渡した。
「分かった」
僕と母親は再び病室に入った。
「爺ちゃん、今回は小遣いやるから、この範囲内で買い物してね」
「ああ、二千三千円くらい」
「二千円ね」
母親がぴしゃりと言い放つ。
「これは俺からだ。大事に使ってくれよ」
僕は祖父に二千円を渡した。
「ああ、ありがとありがと」
僕はもう一刻も早くこの場を離れたかった。煙草が吸いたかったのではない。いや、それも少しあるが、それ以上に見ているのが辛かった。
翌日、祖父は「パンが七十個残っている筈だ」と騒ぎ出し、看護婦に手を上げたそうで、母親はまた呼び出しを食らった。再び母と僕で病院を訪れ、看護婦に謝罪した後、祖父の財布を確認した。そこにはもう五百円しか残っていなかった。
一方もう片方の老人は父方の祖母である。こちらは基本的に実家にいる。祖父とは違い、金を使い過ぎたり付けで買い物をする事は無い。けれども殆ど意思の疎通が不可能である点では変わらない。変な遠慮をするので、却って慇懃無礼になって母親を怒らせる。
「裕子さん、今日はご飯の量半分で良いですからね」
いつもの事だが、祖母は僕が来ると必ずこんな事を言って、格好付けている。少食が美徳だと思っているのだ。
「え?どうして?」
「お腹の調子が悪いのよ」
「こないだお腹の調子治ったって言ってたじゃない?」
「ええ、治りました。けど今日は半分で」
「何でよ?何処か具合悪いの?」
「いえ、悪くないです」
「じゃあ何で半分で良いのよ?」
「ええ、お腹の調子が悪くて」
「治ったんでしょ?」
もしかすると、母親も祖母の気持ちに気付いてやるべきだったのかも知れない。あるいは気付いた上で問いただしたのかも知れない。母親は祖母にもっと優しく接するべきだと思った。だが一方で祖母にも変な気を遣わないで欲しかった。こんなつまらないやり取りが続いた後、祖母は「頂きます」を三回繰り返し、三回目に
「いいから早く食べてください!」
とまた叱責された。
僕は飯を食い終わると、二階に行ってベランダで煙草を吸った。夜の海に沈んだベランダ。五月というのにとても寒かった。男の吐息がひとりでに吐き出されるのが聞こえる。気が付くと、僕は貪る様に煙草を吸っていた。街の明かりの乏しさは僕の精神の闇を代弁しているようであった。僕は何年か前の事を思い出していた。僕が東京に勤め出す前のことだ。荷物の搬出やネット回線の引っ越し等を終えて、家を出ようとすると、母親が叫んだ。
「お前は爺ちゃんそっくりだよ!お前なんか絶対出世しないね」
僕は黙って家を出た。よりによって門出の時に何故そんな事を言われたのか分からなかったが、確かに僕は出世しなかった。母親は正しかった。ただ母親は苛立っていて、言い方が強すぎたというだけの事だ。すると僕はいずれ祖父の様になるのかも知れない。血は争えないなと思った。僕は決して子供を作るまい。
そしてその後、僕が鬱病になって会社を辞めようとしたときの事だ。両親は必死になって僕に思いとどまるよう説得した。いや、より正確に言えば、言葉では辞めていいと言いつつ、遠回しに辞めるなと言っていた。
「いつ辞めても良い。だが大丈夫、人生は塞翁が馬だ。まだ辞めるには早過ぎる」
などと何の気休めにもならない科白で度々誤摩化されていた。
結局僕は我慢できずに上司に辞意を伝えたが、慰留されて何とか踏みとどまった。僕は結局会社を辞める事が出来なかった。そして栃木に転勤し、今に至る。今となれば、辞めなくて良かったと思う事が出来る。僕の様な人間が会社を辞めたところで、まともな再就職先は無かっただろう。でも当時は親を恨んだ。当時の僕は一人になると、こんな事をただ繰り返し繰り返し考えていた。
(親は何故子供を産むのか?それは子供を愛する為ではない。自分の人生を「幸福な人生」のロールモデルに近づける為だ。マイホームや自家用車と同じ様に。だから親は子供の幸福を願ってはいない。子供を幸福にした親の称号が欲しいだけなのだ。そういう親にとって、大切なのは一にも二にも世間体である。親子間で幸福の基準が食い違ってくると、親は子供の不幸をも願う様になる。彼らは僕が不幸になる事よりも、無職の息子を持つ事を恐れたのだ!彼らに騙されてはいけない。彼らは終身雇用や年功序列に頭まで浸かった、事なかれ主義の単細胞生物なのだ)
そしてまたこうも考えた。
(寒さ、飢え、病気などの肉体的苦痛に、僕は耐えられそうにない。だから働くのだ。しかしそれによって精神的苦痛が肉体的苦痛を上回る様な事があれば本末転倒だ。僕は辞めていいはずだ。それなのに奴らの即物的価値観は何事だ。彼らは精神の存在を知りもしないのだろう。単細胞のくせに自己防衛には長けている矮小な愚物どもめ!畜群とは奴らの事だ!)
こんな考えはひょっとすると間違いではなかったのかも知れない。僕は辞意を伝えた結果、会社を辞めずに済み、新たな職場を得たのに過ぎない。もし僕が両親の言う事を聞いて辞意を伝えずにいたら、僕はまだ東京で働いていて、今頃は鬱病が悪化して死を選んでいたに違いない。実際僕は東京で働いている時期に自殺未遂を起こしている。そんな後で両親が僕の肩にぽんと掌を乗せ、
「な、大丈夫だったろ?」
と言っている気がして、腹が立った。決して大丈夫ではなかった。鬱病は本当に辛い。無理して気丈に振る舞っている人もいるそうだが、本当は辛い筈なのだ。一日中吐き気の様な倦怠と戦い、朝は起きられず、夜は眠れず、食事は美味くない、性器も全く勃起しない。何にも興味が湧かない。何も楽しくない。全てが下らなく思える。たまに耳元で叫び声が聞こえる。それは昔宴会の幹事を怠けた時の上司の怒号の様に甲高く、またゼミのプレゼンでしくじった時の大学教授の侮蔑の様に屈辱的であった。とにかく、決して大丈夫ではなかったのだ。結果が過程を肯定するとは思わない。
あるいは、そこで感じた全ては真実だったのかも知れない。生きるなんてそもそも下らないのかも知れない。そうであった場合、真実との別れが惜しい気もする。しかし僕はもう真実なるものに耐えられない。偽りの中に生きていても、きっと良い文章は書ける。だから両親をもう恨まない。そう決めたのだ。
煙が夜空に立ち迷う。星々の見えない夜空に白い陰影が描かれている。良い眺めだ。夜は静かで良い。
僕は作家になりたい。今でもそれは変わらない。だがそもそも何の為に書くのだろう?僕は何を伝えたいのだろう?以前の僕であれば、こう答える事が出来た。
「暗澹たる人生の深淵を垣間見た者のみが書く事の出来る真理を描き、生きる者の苦しみを表現したい。幸福という陳腐な概念と決別したい。通俗的な価値観を覆したい」
途轍もなく恥ずかしいが、実際そこに嘘は無かった。僕は恥ずかしながら本気でこんな事を考えていたのだ。だがもう僕に真理を書く事は出来ないかも知れない。僕はもう本物の「生への懐疑」とでも言うべきものを抱えて生きてはいない。生きとし生けるものの共有する意思を、僕もご多分に漏れず持っているのだ。従って僕は極めて凡庸な事を書くしか無い。しかもそれがとても嬉しい。いやはや生きやすくなったものだ。呆れてしまう程に。しかしそれではなおの事、何の為に書くのか?書く事は生きる事だから。とりあえずはそういう事にしておこう。
しかし一体、僕はどこへ向かっているのだろう?正直不安だ。ただその不安は希望とも言っていいくらいに可能性に満ちている。どこに向かっているのか、僕自身判然としないのではあるけれど、誰にもこの勢いを止めないで欲しい。
そうだ、夜の薬を飲み忘れていた。トレドミンを二錠、パキシルを二錠。僕は一階に下りていき、水道水と共に錠剤を体内に流し込んだ。ガラスのコップの表面が、熱い掌に心地よい。体内に溶け入って消える純白の錠剤。これらは僕を救ったのか?それとも堕落させたのか?
ああ、とまれ僕は幸福だ。きっとそうだ。