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 四月、僕は久しぶりに故郷に帰った。震災で止まっていた東北新幹線が動き出してからすぐの事だ。実家は内陸の山沿いにあるので、津波の被害はなかった。だが道路がところどころ隆起し、家の壁にもひびが入っていた。そこに爪痕ははっきりと残っていた。尤もその頃には殆どの店が営業を再開していて、生活物資に困ることはなかった。

 実家から車を三十分程走らせて、僕は被災地を訪れた。荒浜、閖上(ゆりあげ)といった海岸沿いの地域だ。高速道路の土手を境に、周囲の景観はがらりと変わっていた。それは一見潮風に夏草の揺れる広大でのどかな草原のようだった。そうでないと知れるのは、大破し、錆び付き、紙くずの様にくしゃくしゃになった車や、根こそぎ引っこ抜かれて横倒しになった大木や、夥しい量の瓦礫の堆積がそこかしこに散見されるからだった。よく見ると、夏草の茂みの奥に白いコンクリートの土台が垣間見え、そこが住宅地であった事が伺い知れる。この辺りには沢山の人々が住んでいたのだろう。

「夏草や (つわもの)どもが 夢のあと」

不意にこの句が思い出された。夏草が午後の日差しの中で沈鬱に揺れている。それはこの地に訪れた惨劇を優しく、静かに弔っている様で、どんな言葉や映像よりも感傷をかき立てるものだった。

 車を更に奥まで走らせ、荒野の向こうに見える海辺に向かった。車を停めて外に出ると、懐かしい磯の匂いがした。小さい頃、僕はここによく海水浴をしに来ていたのだ。ただその頃とは似ても似つかぬ景色が僕の目に飛び込んできた。松の防風林はなぎ倒され、辛うじて立っている樹木の幹にはどこからか流されてきた鉄筋入りのコンクリート外壁が鎧の様にまとわりついていた。金網やガードレールが飴細工の様に歪められ、千切られ、僕の行く手を塞いでいた。浜には二三人の先客がいた。皆沖の方を見て放心しているようだ。浜辺に近づくに連れて、轟々という波音が耳朶を打つ様になる。靄にぼかされた灰色の空に響くその低音の咆哮は茫洋たる水平線の彼方から押し寄せ、僕はそれに僅かばかりの恐怖を覚えた。

(今、地震が起きたら、僕はひとたまりも無いだろうな)

そんな事を思うと、不意に何ものかに生かされている自分に気付いた。直感的に、生きる事は良い事だと思った。とすれば生きようとする事も醜悪な事ではあるまい。生きる為に生きる事も然りだ。つまり死んだ時に人は初めて存在意義を失う…。そうだ、死ぬ事だって悪くはないのだ。

 遥か遠くの岬を背に佇む震災犠牲者の慰霊碑に、僕は手を合わせて目を瞑った。供物の煙草が潮風に転がっていた。

 その後母親と一緒に祖父の病院に行った。そこに住んでいる老人達は以前と変わらずに空虚な表情で呆けたまま、魂をどこかに飛ばしていた。これほどの災害にあってなお、彼らが微動だにせず生き長らえているのが何だか可笑しかった。だが彼らに罪はない。生きる権利は誰にも平等にある。

 祖父は病室にいなかった。どうやら便所に行っているらしかった。だがいくら待っても便所から戻ってこない。中年の看護婦が心配して便所の扉をあけると、祖父は洋式便所に座ったまま寝ていた。看護婦は声をかけた。

「司郎さん、寝てるの?」

「寝てねえ」

「じゃあ部屋に戻りましょ?」

「ここがあったけえ」

祖父はずっとズボンを下ろしたまま便座の上でうずくまっていた。母親や僕の問いかけにも反応せず、殆ど意識もないようだった。埒があかないので、僕らは出直すことにした。

 母親は帰りの車の中で繰り返しこう言った。

「もうじいちゃんも長くないね」

僕が曖昧な返事をしていると、こう続けた。

「あんな病室の中で最期を迎えるのも可哀想だと思わない?最後くらい家に連れて帰りたいんだけどねぇ。でも家にはばあちゃんがいるからさぁ。もう一人年寄が増えたら、今度はお母さんが倒れちまうよ」

僕は何かにつけて繰り返される母親のこうした愚痴に辟易した。もう実家には帰ってくるまいと心に誓った。他人が傍にいるというのは途轍もなく疲れる事だ。やっぱり独りがいい。

 その年の八月、猛暑の日に、祖父は遂に帰らぬ人となった。祖父が家に帰った時には、既にその額は冷たくなっていた。七十九歳だった。

 滞在中時間があったので、僕は実家の本棚に置いてあったトーマス・マンの『トニオ・クレーゲル』を読んだ。以前読んだ時よりも味わい深かった。それはきっと僕の内面がよりトニオに近づいたからだろう。しかし芸術家気質等というものに一途に憧れを抱いたあのころとは違い、何となくトニオの孤独な末路を哀れに思った。何せトニオは気付いているのだ。芸術家など「迷える小市民」に過ぎない事を。

 栃木に帰って間もなく、相変わらずメンタープログラムに対して非協力的な川村さんに、僕は遂に怒りを爆発させた。僕は次の様な内容のメールを川村さん宛てに送った。CCに同期全員を入れて。

「川村主任殿

 お疲れ様です。突然ですが、メンタープログラムについてどう思いますか?以下に私の意見を申し上げます。はっきり言ってあなたの様に忙しいからと言って活動から逃げ回り、メールの返信もまともに出来ない人とは一緒に仕事ができませんし、したくもありません。「すみません」とか「ごめんなさい」などという泣き言は聞きたくありません。そんな言葉とは裏腹に一度としてあなたの態度は改善された試しがないのですから。忙しいから活動が出来ないと言うなら、積極的に活動している私は余程暇なのでしょうか?常識的に考えればいくら忙しくてもメールの一通くらいその日中に返せる筈です。何を勘違いされているのか知りませんが、やる気がないならいっその事活動を辞退してはいかがですか?関係者の迷惑になりますし、失礼ですから。メンタープログラムはれっきとした業務です。業務を怠った事については如何なる言い訳も通用しませんし、そういう人はプロジェクトに必要ないと思います。とにかくこれでは真剣に取り組む者が馬鹿を見ます。私はこうした不正を看過する事が出来ません。従ってこうして実態を白日の下に晒すしかありませんでした。私は決して短気でも激情家でもありませんが、こうするしかなかったのです。以上が私の意見です。あなたのご意見をお聞かせください 木村」

送信ボタンを押した後、僕は清々しい様な疾しい様な気持ちになった。書いた内容は間違っていないと思うのだが、やり方が過激なのも事実だ。しかも僕はつい最近まで無断欠勤を繰り返していた身分なのだ。こんな偉そうな発言をして良いものかどうか…。思い切った行動に出る人間の心理というものは、意外にもこうした怜悧な分析に満ちているのだ。

 後日、僕は会議室に呼び出された。そこには川村さん、本間君、多田君がいた。僕らは二人の同期を挟んで話し合いをさせられた。仲裁役の同期二人は場を刺激しない様に、出来るだけ穏やかな態度を保持しているらしかった。僕は彼らに一通りの状況を説明した後、硬い表情をして俯き黙っている川村さんに問うた。

「僕は君にこれだけ不躾なメールを送ったんだ。でも言いたい事は言い切った。君も何か反論やら言いたい事やらあるだろう?」

すると川村さんは暫しの沈黙の後、次第に涙ぐみ、声を震わせてこう言った。

「ごめんなさい…」

ああ、君は優しすぎるんだね。もっと怒ることを覚えたほうがいい。なぜなら君の優しさは周囲を酷く傷つけるからだ。でもそこが君のいいところでもあるんだ。君のそういうところが、僕は相変わらず好きだ。僕は一瞬にして自分の行いを恥じた。僕が怒ったのは業務上の必要性からなどではなく、単に私怨を晴らすためだったのだ。僕は卑怯者だ。

 更に後日、その件について母親との電話の中で話した。別に意見を乞おうなどというつもりはなく、話の流れでついでに話しただけだ。ところが母親は僕を叱責した。

「だめよ!そんな事して、会社にいられなくなったらどうするの?あんただって仕事を失いたくはないでしょ?」

世の中にはどうしようもなく鈍感で卑劣で強欲な人種がいる。それは親という生き物だ。もう極力電話もするまい。


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