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 会社には相変わらず行けたり行けなかったりといった具合だ。お陰で僕は社内で妙に浮いている。しかも川村さんはあれ以来僕に対して妙によそよそしく、あまりメンターの仕事をしようとしない。お陰で僕一人こんなハイリスクローリターンな仕事を押し付けられ、孤軍奮闘しているといった塩梅だ。川村さんの怠慢への腹立たしさが、自らの欠勤の疾しさと中和して何とかバランスを保っている、というどうしようもない毎日だ。

 ところが永久に続くかに思えたこの牢獄の様な日常にも、突然終わりが訪れた。いや、終わりではなく小休止とでも言おうか。それはとてつもなく大きな力で、良い事も悪い事も、日常という日常の全てを破壊し尽くして去っていった。

 ところで、僕は普段時事ネタを書かないようにしているのだが、さすがにこれは書かなければなるまい。三月十一日のことだ。僕はその時会社のデスクで仕事をしていた。相変わらず川村さんからの返信がない。そのためメンタープログラムは一ヶ月以上もの間何の活動もしていなかった。しかし僕は珍しく真面目に仕事をしていたので、山本さんに誉められ、僕もそれに気を良くして山本さんと談笑していた。

 ところがその最中だった。オフィスが軽く震動し出した。地震だった。最初のうち僕らは話に夢中で、それを無視していた。が、震動は次第に大きくなり、やがては看過できぬ程の凄まじい揺れと轟音が僕らを襲った。見上げた天井のモルタルが剥げ、火山灰の様にぱらぱらと落ちてくる。机に散乱した書類が床に落ちる。これほどまでの巨大地震は生まれて初めてだった。恐らくそれは僕だけじゃなく、周囲の殆どがそうだったろう。勿論、声にならない程恐ろしかった。死の影が脳裡にちらつき、それに怯えもした。しかし心の何処かで、これで全て終わりにしてくれはしまいか、という願望を抱いてもいた。自殺は想像以上に大変だし、とても不名誉だ。自然災害で死ぬのも苦しい事はあるかも知れないが、まあ致し方ないということにはなるだろう、等と一瞬だけ考えたりした。

 しかし実際には僕にかすり傷一つ負わせずに、地震は収まってしまった。安堵と落胆の混じった何とも不真面目な気持ちが暫く僕を支配していた。

 その後インターネットで調べると、震源は東北である事が分かった。とたんに僕は仙台にいる家族が心配でたまらなくなった。本当はもっと案じられて然るべき人が沢山いるのだろうけど、僕は自己中心的なことに自分の家族の心配ばかりしていた。そしてそういう態度はまた周囲の共感をも得ていた。自己中心的な考えが容認される事もあるらしい。つまりそれほどの事態だったのだ。

 家族に電話をかけたりメールを送ったりしていたが、全く繋がらなかった。回線が混み合っているのだろう。結局僕は家族の安否が確かめられぬまま、帰宅させられた。不安だった。

 家に帰ると、床に本が散乱し、デスクトップのパソコンが机から落ちそうになるまで隅に追いやられていた。被害といったらその程度のもので、大した事は無かった。大体普段から散らかしている部屋なので、何が散乱しようが普段とさしたる違いは無いのだ。

 テレビを付けると、どの局も蜂の巣を突ついた様な騒ぎで地震の速報を流していた。家族とは相変わらず連絡が取れない。それどころか余震が何度も続いている。僕はもうどうしたら良いのか分からずにパニックになり、その結果布団を被って寝た。しかしそれからも余震が度々起こり、その度に僕は目覚めてしまって、なかなか入眠する事が出来なかった。

 しかし一旦眠りに落ちると、僕は今までの恐怖や不安が嘘のように熟睡していた。朝目が覚めたときにそのことに気づくと、僕は軽い自己嫌悪を覚えた。本当のところ、僕はそれほど家族を案じてはいなかった。しかしそんな自分の不道徳が許せず、必要以上に家族を心配してみたりしているのだった。

 会社はすぐに自宅勤務ということになった。原発事故があったからだ。福島第一原発から宇都宮までおおよそ百五十㎞ほどだ。危険と言うほど近くもないが、そう遠くもない。

 僕は自宅勤務になって、やることが無くなった。勿論それなりに仕事は与えられているが、自宅勤務と言われて本当に自宅で仕事をしている人がいたら顔が見てみたいものだ。

 僕はあてもなく街を徘徊していた。陰鬱な街はいつもより人影がまばらで、道行く人は皆マスクや帽子を身につけていた。僕はそういったものの一切を身につけてはいなかった。がんになるとか何だとか言われても、別に命が惜しい訳じゃないからだ。非常事態の空の下、人は何を思うべきなのか。被災者のこと、家族のこと、故郷の友人達のこと…。僕はそれらの何一つとして考えてはいなかった。相変わらず自分の事ばかり考えていたのだ。何を指向して生きればよいのか、何をどんな風に書けばよいのか、そんな事ばかりが頭の中を巡っていた。該当で募金活動をする学生達、通りで野菜を売る農家の人々、人類共通の悲哀を共有する全ての人々…。彼らはここ最近見たことのくらい美しかった。だが僕は彼らから取り残され、相変わらずどうしようもない妄執を育んでいるに過ぎなかった。しかもそれがたいそう快く、僕はこの時間に永久に収まっていたい心持ちすらしていた。

 甘く、吐き気を催す、危険な香り。その毒牙にかかってしまった者はこんな状況ですら混じり合うことが出来ないのだ。それは永久に僕と世界を隔て、僕に幻想を与え続けるだろう。

コートの裾を翻しながらアーケード街を闊歩していると、コンビニの店頭で売っている新聞の見出しを目にした。死者・行方不明者数が戦後最悪だそうだ。突然目の前が真っ暗になる。立ち止まって、それ以上歩けなくなる。そんなとき、僕は思う。

(どうして僕じゃなかったんだろう?)

こんな毎日死ぬことばかり考えているような人間が生き残っていて、必死で生きようとしている人々が犠牲になっている。涙が出そうなほど悔しかった。減らず口を叩いて、自己否定をしつつ自己顕示しているような輩の一体どこに生きる意味などあろうものか?つまり僕はここにいて、地震や津波の矛先にいなかった。犠牲者はその矛先にたまたまいた。ただそれだけなのだ。本当にただそれだけ。僕の思考だとか背後にあるものだとかは実に何の役にも立たなく、何の意味もなくて、僕の身体がここにあること自体が僕のすべてだった。だから僕は何もできなかった。募金は少ししたが、これだって本当に何かの役に立っているのかは疑わしい。よしんば役に立ったとしても、それは僕じゃなく他の存在の成す所のものだ。もう謝るしかない。そして身体のなくなったとき、人は無意味に陥る。もはやそれまでだ。


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