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 十二月の休日、僕は街へ出た。緑と赤のクリスマスカラーが街を埋め尽くしている。普段は閑散としているアーケード街が心なしか浮ついていて、僕はその人為的な幸福の人波に逆らって無心に歩き、宇都宮の中心部へ向かった。ところが一歩アーケードを抜けた曇天の下の景観はまるで暗転した舞台の様に忙しなく、黒子たちが来るべきステージに備えて走り回っている。街の全てに灰色の靄がかかって見えた。鼻歌一つ聞こえてはこない街。宇都宮、うつのみや、何て鬱な街なんだろう。僕は凍える様な寒さの中で、背中に汗が流れ落ちるのを感じていた。雑踏の人々は表情を無くして行き交い、その場限りの未来を信じて今を生きていた…。

 僕は整形手術を受けに美容外科に向かっていた。目と鼻の手術をする予定だった。既に電話で予約を取ってある。別にモテたかった訳ではない。ただ美しくなりたかった。結局のところ、人間は顔だった。それもそのはずだ。「我思う故に我あり」の言葉の通り、人間の存在とは思考の存在なのだ。では思考とは何か?それは何をどのように知覚し、受容するかという事だ。人間知覚したことしか考える事は出来ない。知覚する為の受容体が最も多く集まっている部位は間違いなく顔である。顔は自己そのものとまでは言わないにしても、かなり自己に近い筈だ。その顔こそがその人なのだと言ってとりあえずは差し支えない様に思う。

 つまり僕は顔を変える事で、僕の存在そのものを変えたいと思った。勿論顔の表面の造作を変えただけで受容する世界が変わるとは思えない。だがもしかすると美しくなる事で、世界を受容した瞬間に自分の内面に再構築された像に対する自信が生まれるかも知れなかった。それは間違いなく自己を肯定する事であり、そういう意味では僕の施術の動機も「自信が欲しかった」という整形手術を受ける患者としては甚だ月並みなものに相違なかった。

 美容外科は小さなビルのワンフロアを使っている、ごくこぢんまりとした外観だった。中に入ってみると、内壁は全てピンク色で、不穏な優しさが漂っていた。受付付近にはこちらに微笑みかけてお辞儀をする数人の女性がいる。白衣を着た彼女達の顔は皆判で押した様にそっくりで、何かの彫刻の様な顔立ちだ。彼女達の人工的な顔の作りから発される微笑は美しいが妙に無機質で、肉感的な魅力が全くと言って良い程無かった。なぜなら彼女達の顔は彼女達の思考と僕の間に磨りガラスの様に立ちふさがり、僕が彼女達の思考を読み取る事を不可能にしていたからだ。人間の思考が外部から読み取れない時、その人間はまるで存在していないかの様に見えるものだ。その証拠にその場で目をつぶると、彼女達が何人いたか、どんな体型だったか、どんな声質だったか、全く思い出す事が出来ないのだ。美しいのに存在感がないというのは妙な感覚だった。

「こちらでお待ちください」

彼女達のうち一人が僕を仕切りで隔てられた個室に案内した。そこは大人二人がやっと入れるくらいの狭隘な個室で、僕はそこで五分程待たされた。僕は本も読まずにただ呆然として座っていた。その時は何も考えられなかった。それは多分緊張していたのではなく、何も考えずに全てを受け入れようとする僕なりの臨戦態勢といった様なものだろう。全てを捨てて全てを受け入れろ。これはある歌の歌詞だけど、良い言葉だと思う。

 暫くすると、人工的な微笑を浮かべた女が個室に入ってきた。

「どうも、初めまして」

彼女はそう言うと、僕の前に立ち膝になった。その姿が一層僕に機械的な印象を与えた。

「目と鼻の手術をご希望という事で?」

彼女はその声を以て、辛うじて存在を保っていた。

「はい、そうです」

僕が答えると、女は様々な手術の方法を僕に説明し始め、僕にどの方法が最適か、ということを説き出した。結果的に女は一番高価な手術を勧めてきた。瞼の脂肪を除去し、その上で糸を使って二重瞼を作るらしい。鼻はレディエッセというものを注入すると、二年程は吸収されずに長持ちするそうだ。

 女は電卓で合計の費用を提示した。風俗通いをする程浪費癖のある僕も、その金額には少し躊躇した。が、すぐに承諾した。

「では、それでお願いします」

「かしこまりました、ではすぐに手術室にご案内しますね」

こうして僕は同意書に拇印を押した後、手術室に通された。

 手術台に寝かせられると、助手の女が言った。

「もう少しで先生が来ますので、少々お待ちくださいね」

女はそう言うと退室した。僕は手術台に寝かされたまま一人になった。窓からは白く重厚な雲が見えた。それはこの顔で見る最後の景色に違いなかった。顔が変われば、それはもう僕ではない。いや、僕にとっては相変わらず僕だろう。だが周囲はそのように認識しない。火葬場で焼かれる直前、棺の中で目を覚ました死に損ない。もう手遅れだ。後悔などしてはいけない。僕は身じろぎもせずに横たわっていた。

 ふと隣の手術室から話し声が漏れてきた。母娘の会話らしい。

「この子ったらもっと可愛く生まれてたら良かったんだけどねぇ。でも私のせいじゃないからね。子供がどんな顔して生まれてくるかなんて産む前には分からないんだもの」

「うん、しょうがないよ。それにもうすぐ可愛くなれるんだから、あたしちっとも気にしてないよ。可愛くなったら何をしようかな?可愛い服を着て街を歩きたいな。いろんなところに遊びにいくの。学校だって今よりはきっと楽しくなるわ。友達もできるし彼氏もできるかも知れないし。ああすごく楽しみ!」

「ちょっと、手術費用結構かかってるんだから、それもちゃんと返してちょうだいね」

「わかってるよ。高校入ったらアルバイトして、それで返すから」

「じゃあ先生、お願いしますね」

その会話には一点、不自然な点があった。それは少女が自分の容姿の醜さを自覚し、かつそれを変える事を熱望しているにも拘らず、整形手術を受ける目的があまりにも曖昧だったことだ。勿論少女の言う様に、街に出て自分の美しさを誇示したい、服が似合う様になりたい、友達や彼氏を作りたいというのも目的ではある。ただそれらは結局のところ自分の美しさを証明する為の手段に過ぎず、それらの目的は畢竟、「自分の美しさを自覚する」というところに帰ってくる。他人から浴びせられる視線も持ち物も衣服も友人も彼氏も、自己の品質証明に過ぎないのだ。つまり女にとって美しさとはそれ自体が目的なのだ。「モテる醜女か、モテない美人か」という二択を迫られたら、多くの女は後者を選ぶのではないだろうか。してみると僕が手術を受ける目的はかなり女性的だったという事になる。損得勘定よりも自己肯定に重きを置き、それ自体が目的化しているという意味では。

 大分時間が経った後に、執刀医と思われる医師が慌ただしく僕のいる部屋に入ってきた。

「すみません、お待たせしちゃって」

若い男の医師はマスクで鼻と口を覆っていたが、それでも何らかの手を加えている事は明らかだった。他人の顔の再生に携わっていると、どうしても自分の顔にも手を加えたくなるものらしい。自分の顔の粗が目についてしまうのかも知れない。

 手術自体はものの十分程度で終わった。瞼の裏の粘膜に麻酔針を刺される時には少し恐怖を感じたが、それ以外は大した苦痛も無かった。

「お疲れ様です。鏡を見てみますか」

僕は医師から手渡された手鏡を覗き込んだ。鼻梁が一直線に通っていて美しい。瞼はかなり腫れていたが、それでも綺麗な二重瞼になっていた。

「腫れは一週間もすれば引きますからね。じゃあお大事に」

医師はそう言うと手術室を早々に退室してしまった。看護婦から痛み止めやら何やらを手渡されて、僕は美容外科を後にした。何ともあっけなかった。

 建物の外に出てみると、僕はいつの間にか死ぬ程喉が渇いている事に気付いた。その渇望はその街で唯一色づいた、僕の希望だった。近くの喫茶店に入り、僕は冷たいストレートティーを一気に飲み干した。喉を潤して我に返ってみると、僕は自分の浮薄さに嫌気がさした。腫れ上がった二重瞼の奥から見る街の景色は、以前とそれほど変わって見えなかったからだ。勿論そんな事は前から薄々感づいてはいた。変わるのはあくまで自分であり、それ以外の他者や、他者と自分との関係が変わる訳ではないのだから。つまり僕は自分の変化のみに満足すべきだった。そう出来なかったのは僕が最後まで他者との関係への未練を捨てきれなかったからだろう。だがそれは所詮無理な話だった。自分の中でのみ生きる事は僕を更に孤独に追いつめた。騒がしい喫茶店の隅で僕は灰皿に煙草をねじ伏せ、頭を抱えた。

 しかしそうは言っても、僕はもう日常の倦怠に耐えられなくなっていた。時間は自分で動かさなければ止まったままなのだ。つまりは相変わらず僕は変化を求めた。僕は週末に日焼けサロンに通い、肌を黒くした。僕の白い肌は敏感で、最初のうちは赤くなってひりひりと痛んだけれども、それでも三回目くらいにはもうかなり綺麗に焼けるようになった。これで少しは男らしく、強そうに見えるに違いない、等と考えながら鏡の前で、精悍な表情を作っていた。

 ここまで来れば恐らく殆どの人は、何を愚かな、と思うだろう。だが僕にはそうは思われなかった。悲しいかな、人間の世界というのは所詮獣の世界であって、身体的に弱く、恵まれない者は何をやっても大方失敗するのだ。なぜなら身体の弱さを以て落伍者と見なされ、そうなると誰も相手をしてくれなくなるからである。何らかの優れた能力があっても、この身体性によってスタートラインにすら立てなかったという例は枚挙に暇がない。くだらないと思うかも知れないが、世の中大抵はそんなものなのだ。

 そう言う訳で、僕はこの一ヶ月程の短期間で思いもよらぬ大変貌を遂げた訳だが、他者との関係という点では全く芳しい成果は無かった。それどころか、こんな目が大きく、鼻が高く、色の黒い僕を気味悪がって、誰も近寄らなくなった。僕は一層孤独に陥ったのだ。だが他にどんな手立てがあったか?少なくとも一時的にはこの変化が僕に希望をもたらした訳だし、第一何も変化が無かったところで僕はどうせ孤独だったのだ。自分を卑下して生きるより、そんな自分を捨て去った方が遥かに道徳的だと思う。もう誰にも口出しはさせない。そんな権利は誰にも無い筈だ。放っておいてくれ。

 そんな矢先に、実家の母親と弟が宇都宮に遊びにきた。東京に用事があったのだそうだが、仙台に帰る途中、ついでに寄り道したのだそうだ。僕はある日の夜、宇都宮駅まで彼らに会いに行った。

 僕の身体の変化にいち早く気付いたのは母親だった。母親は僕の顔を見るなり、目を見開いて言った。

「顔が変わってる!」

僕は何気ない様子でさらりと答えた。

「ああ、二重にしたんだ」

「どうしてまた?」

「美しくなりたかったから」

会話はこれで終了だった。さしたる非難も悲嘆もなく、家族は僕の新しい姿を受け入れてくれた。弟などは面白がって

「人体改造計画だな」

等とほざいていた。実際その通りだ。

 彼らは結局餃子を食べて、レモン牛乳をお土産に買ってすぐに帰って行った。最後まで僕の愚かしさについて非難がましい事は一言も口にしなかった。しかしそれが却って僕には堪え難いものだった。もし飯が喉を通らない程に彼らが衝撃を受けていたら、僕の変化は多少の目的を持った行為となっていただろう。結局家族ですら、他人の事などにさして興味は無いのだ。新幹線の改札前で彼らに手を振る。そして物陰に隠れて彼らの姿が見えなくなると、僕は踵を返して歩き出した。そしてペデストリアンデッキの上の喫煙所で煙草を吸う。寂れた街の明かりが点々と心細げに夜道を照らしている。やはり孤独だった。何も変わっちゃいない。

 会社においても、僕の変貌に言及する者はいなかった。気付いていないのか、それとも黙認しているのか、それは定かではない。しかし僕自身の変化によって周囲が何も変わらなかったのは事実だ。別に誰かに何かを期待していた訳じゃないけれども、ここに来ていよいよ僕は自分の存在に疑念を抱く様になった。

(結局何も変わりはしないんだなぁ…)

例えばブラウン管のこちら側。テレビを消した瞬間に襲い来るあの淋しさ。寂寥感というよりもあまりにも無意味なこの存在に、僕は乾いた笑いで嘲笑を浴びせたくなった。何だか死ぬ事すら馬鹿馬鹿しい。生きていても死んでいても大した違いは無い。だとすれば生きる為に生きるなどという事も結局は無意味ではないか?そもそも生だとか死だとかいう議論に話を飛躍させることが間違いかも知れない。無意味と知った上で生きていたって良い筈なのだから。しかしながらそれを神妙な顔つきで考えざるを得ない程、僕には何も無かったのだ。あるのはこのろくでもない命だけだった。

 そこはかとなく漂い来る終焉の匂い。気が付けばそれは僕が生まれたときから四方に充満し、僕の鼻腔を通り抜け、緊箍児の如く脳裡を締め付けている危険な匂いだった。始まった瞬間に終わりが始まっているやるせなさ。足を踏み入れた瞬間に底なし沼に足を取られ、ずぶずぶと沈んでいっている。どれだけ悪あがきしようとも、遅かれ早かれ頭頂部まで泥の中に浸かってしまい、もう二度と浮かび上がってはこないのだ。尤も僕はそんな考えですら楽観的に捉えられるような強さを得た筈だったのだが…なかなかいつでも強くとばかりはいかないようだ。皆こんな時どうしているんだろう?

 僕は一時間程そこに座ったまま、帰りのバスを待った。ストリートミュージシャン紛いの男がギターを弾きながらへたくそな歌を喚き散らしている。考えても考えても、結局世界は相も変わらずこんな風なのだ。僕は腫れ上がった瞼を閉じて、涙が溢れそうになるのを抑えた。瞼の熱が眼球にじんわりと沁みる。


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