白豚、腹が鳴る
下働きに身分を落とされた元使用人たちが守ろうとしているのは、伯爵家の血を引く唯一の跡取りシャーロットだ。
彼女は、父である伯爵代理や後妻、その連れ子による虐めや、そいつらが連れてきた使用人たちによる虐待でかなり瘦せ細っていた。
伯爵令嬢なのに、使用人のごとき仕事をさせ、ろくに食事も与えていないのだろう。
そりゃ、メイドのマリーが俺の食事をこっそりとシャーロットちゃんに渡したいわけだよ。
俺なんて必要もないのに、朝から分厚いステーキを食べようとしているしな……。
俺の朝食をシャーロットちゃんにあげるのか? という問いにマリーは下唇を噛んで答えない。
俺は片手をヒラヒラと振ってディーンに告げる。
「ああ、俺の食事は減らしてかまわない。その分、シャーロットちゃんやお前たちで分けてくれ」
確か、昨晩ベンジャミンは料理人がこちら側だと言っていた。
じやあ、俺の食事を持ち運びしやすいメニューに変更することも容易いだろう。
「……いいのですか?」
マリー、そんな涙目ウルウルでこちらを見ないでくれ。
俺はコクリと頷くと、前の人生での知識とばかりに喋り倒した。
ま、ほら、急に固形物を体に入れると負担がかかるから、柔らかいお粥みたいなものから食べたほうがいいよ、とかさ。
やっぱり甘いものは一日一個は食べたいと思うとか、さ。
「はい……。はい……」
いやいや、だから泣かないでよ、マリー。
「マリー。シャーロットちゃんもそうだけど君たちもかなり痩せているから、ちゃんとみんなで食べてよ」
俺のこの体は正直二、三日食べなくても死なないほどにカロリーをため込んでいるからな!
ちょっぴりマリーとの距離を縮めたところで、俺は軽く朝食を食べディーンの案内で執務室へと移動する。
うむ、二階の自室から二階の執務室までの移動だな。
この体で階段の昇り降りはキツイ。膝が死んでしまう。今でも呼吸音がフーフーうるさいのに。
「はあーっ、しんどい」
執務室の重厚な机に上半身を突っ伏して、息を整えなければ。
「そうでしょうね。旦那様はいつも、もっとゆっくりと動いています」
な、なんだとーっ!
ギロッとディーンの面を睨むと、奴は涼しい顔で俺の前に書類の束とペン、インク壺などを並べていく。
「ん? あの腹黒執事は来ないのか?」
俺の身の回りの世話はともかくとして、伯爵としての執務は奴の仕事の範囲だろ?
「来ませんよ。ああ、何か旦那様にサインしてほしい書類があれば来ますけど。基本は奥様とお嬢様のご機嫌伺いが仕事です」
すっごく意味深いニヤリ笑いをしたディーンは、最後の仕上げにお茶を淹れてから執務室から去っていった。
「……いや、俺、自分の仕事、わからんのだけども」
現代日本の商社で営業していた男が異世界の伯爵の仕事は未知数です。
その日の仕事としては量が少ないのか多いのかもわからないまま、紙とにらめっこする俺。
あ、ちゃんと文字が読めて書けました。
言葉も通じるしね、異世界転生の特典かのかもしれん。
それにしても……。
「これ、サインしていいのかね?」
ピラピラと一枚の紙を摘まんで目の前に掲げる。
どこそこの橋の修理とか、辞める役所の人間の報告だったり、購入する荷馬車の見積書なんかはいいけど。
「これって、税金徴収の書類だよな?」
この世界、いやこの国の伯爵位の領地の税金がどうなのか、さっぱりわからない俺だけど……この税金、ちょっと高くないか?
「う、う~ん。このポンコツ白豚伯爵ならばサインしてしまうのだろうが、俺の営業マンとしてのプライドが許さない数字なんだよなぁ」
こんな高い税率……革命が起きちゃうぞ☆ なんてな。
コーディという執事が監視にくるわけでもないから、この書類はこの引出の奥に隠しちゃえ。
全てが終わったあとに、ベンジャミンに確認しよーっと。
コンコン。
「……入れ」
ドキッとしたけど、コーディ一味じゃないよね?
「失礼します」
「……はーっ、ディーンか」
俺は脱力して、ぷしゅうと机に突っ伏す。
「旦那様、だらしないですよ」
うるさい、放っておけ。
「手紙です。ハーディング家から返事がきました」
「なに!」
俺はディーンから手紙を引ったくりビリビリと手で封を破る。
銀のトレイの上に手紙を置いていたディーンは顔を顰め、ブチブチと小言を漏らす。
「あ~あ、ちゃんとペーパーナイフを使ってくださいよ。あと、封は命じれば俺が開けます」
「ああ、そうか」
俺はディーンの小言を耳から耳へと聞き流し、手紙の文面を左右の眼でギョロギョロと追った。
「こ、これは。今夜もベンジャミンたちと作戦会議だな。ふふふ」
俺は脂肪で狭まった声帯体を震わせ不気味に笑うと、ディーンへ手紙を渡す。
「これは、父の考えた通りですね。コーディらの横やりが入らないうちに手配を済ませておきましょう」
「ああ。あとはあのボンクラの親がいつここに来るか、だ」
シャーロットちゃんからニセ乳に乗り換えようとしているボンクラの親は領地にいるらしいから、ここに来るまでには数日を要するだろう。
しかも、ボンクラの手紙が届いてから準備して領地を出立するのにも数日かかる。
ハーディング家から援助が整ってから、敵は迎え撃ちたいものだぜ。
フンッと気合を入れた俺の腹から「ぎゅるるるるる、ググウゥゥゥッ」と空腹のドラが鳴り響いた。
ち、ちがう。腹は減ってないよーっ。この燃費の悪い体がわるいんだよーっ。
俺はディーンの冷たい眼差しにグサグサと刺されながら、羞恥で頬を真っ赤に染めたのだった。




