白豚、暴露する
微塵も動かない表情。
姿勢よく俺の前に立ち、美しく頭を下げ、声楽家顔負けの美声で名を告げた。
「ベンジャミンでございます」
「ああ……」
怖い……、怒ってるよ、怒ってらっしゃるよ!
表面上は何も感じてないように見えるけど、彼、ベンジャミンの後ろでは紅蓮どころか蒼炎がメラメラと燃えている。
ひいぃぃぃっ。
でも、まだ訊きたいことはあるんだ、頑張れ俺。
「ベンジャミン、お前……仕事は何を……」
担当しているんですか? と最後まで言葉にすることができなかった。
今度は文字通り、切れ長の鋭い眼で睨まれたからだ、ひいいっ。
「今は……下働きでございます」
今は? 前は違ったのかな?
確かに、仕事できますオーラが俺を圧迫するほどだし……、あの陰険意地悪執事よりも執事らしい……。
「下働きの者はどれぐらいいるのだ?」
「? ……この時間ですと通いの者は帰りましたので、住み込みの者が5人ほどですが?」
ふむ。
その5人の「気」はベンジャミン並みのグレードなのか……実際に見て確かめたい。
俺は切実に味方が欲しいのだ! こんな何もわからない世界にポーンと放り込まれた身としては、有能で誠実な味方が欲しいのです!
「全員、この部屋に呼んできてくれ。あぁ、他の使用人に気づかれることなく。頼めるか?」
お願い! 何も聞かずに、協力して!
「かしこまりました。では、すぐに食事を準備いたします」
ベンジャミンは表情を変えることなく手際よく皿やカトラリーを並べ、静かに部屋を出て行った。
でも最後まで怒りの蒼炎は消えることがなかったけれど……。
俺は、並べてもらった食事を食べる気にもならず、焦る気持ちを抑えながらベンジャミンが戻ってくるのをじっと待った。
コンコンと扉が再びノックされたのは、実際にはそんなに時間はかかってなかったと思うけど、俺には随分と長い時間に感じた。
「厨房の下働きの者はまだ仕事がありますので、こちらの4人をお連れしました」
「うむ」
俺の前に一列に並んだ男1人と女3人の使用人たち。
ひとりひとりじっくりと見ていく、その背中に立ち昇る「気」を。
んーっ、大満足!
「うん。すまないがひとりずつ自己紹介を頼む。ああ、あっちで座って話そう」
食事が並べられたテーブルのソファセットへと移動しようとして…俺は立てなかった。
ひ、膝が……、腹がつかえて立てないし、そもそも体が重くて立ち上がるなんて芸当ができない。
ぐぬぬぬ。
助けて、ヘルプミー!
気づいたベンジャミンが手を貸してくれ、そのままソファまでエスコートしてくれました。
ドスンと3人ぐらい座れる大きさのソファにひとりで座り、他の席に座るよう誘うが遠慮して座ろうとしない。
「んじゃ、命令ね。座りなさい」
ベンジャミンと男の下働きの者は渋々座り、女たちは憎々し気に俺を見て座った。
やだ、すっげぇ嫌われている、俺。
「では、旦那様の希望どおり紹介させていただきます。これは私の養子でもあるノーマン、年嵩の者はライラ、左からマリー、メイです」
ベンジャミンに名前を呼ばれると、一応は頭を下げて挨拶してくれる。
さて、ここからは腹を割って話しましょう!
俺が見た「気」だけども、ベンジャミンが鮮烈な青と銀色で少し薄いグレー色がチラついていた。
ちょっと黒い色もあったけど、奴らみたいな黒さじゃなくて年齢を重ねた者が持つ狡さみたいな?
ノーマンは若々しい姿によく似合う綺麗な緑色を中心にオレンジ色が滲んで、やっぱり薄いグレー色がチラチラ。
ライラもマリーもメイもちょっと淡い綺麗な赤系の色で、所々に挿し色みたいに黄色とか紫色とかが入っている。
共通しているのは薄いグレー色の靄がチラチラしていること。
見ていて気分が良くなるような、爽やかな気分になるこの「気」を持つってことは、良い人と判断した!
ちょっと単純だけど、今の俺にはこれぐらいしか縋れる物がないのだよ……トホホホ。
さて、居住まいを正して……正して……ちょっと無理だから咳払いをひとつして、みんなの顔を順番に見て告白をする。
「実は……。俺には今までの記憶が無い」
だから、君たちの名前も知らないのだよ。
ライラたち女性はポカーンと呆けた顔を晒し、ノーマンはぎゅっと両手をきつく握って動揺を抑えようとしている。
ベンジャミンだけが、何か珍しい物を見た人のように目を眇めて俺を見る。
「ディーン! 誰もこの部屋に入れるな」
コンコン。
扉が廊下側から叩かれた。
どうやらディーンとやらの「了解」の返答みたいだ。
「誰かいるのか?」
「念のため、扉の外に私の息子ディーンを見張りに。息子は従僕で下働きではありません」
あ、そう。
なんかそれって屁理屈みたいだけど、まぁいいや。
俺はベンジャミンに後で息子に会わせてもらうよう頼んで、話を続けた。
美少女の娘ちゃんとチャラ男の婚約破棄の話の途中で、いきなり記憶が飛んだこと。
ここがどこで、自分が誰で、どんな常識で生活様式なのかもわからないこと。
これには、ベンジャミンも驚いた顔をしていた。
「生活様式も常識もわからないのですか?」
「そうだな……。例えば机の上にあった羽ペン。俺はあれの使い方がぼんやりとしかわからない」
だって、前世では筆記具なんていろいろ選び放題だったし、書いたら消せるのが常識なんだよ?
インク付けて文字を書くとか、義務教育のときの習字の時間で筆に墨付けて書いた以来だわ。
そのあと、ベンジャミンの質問に答えている途中で、喉が渇いて水が入った器を手に取ったところで、俺の記憶が無いことが全員に認知してもらった。
フィンガーボールで水を飲むなんて、どこぞの逸話と同じ失敗をするところだったなんて、はずかちい。




