第5話 孤高の魔女と怒りの剣士
山脈に囲まれた辺境の町――ルネヴァ。
かつて王国の交易路として栄えたが、今では魔獣の影響で人の往来もまばら。
昼間でも霧が立ちこめ、街路の石畳は湿気でぬめっている。
その荒れ果てた町の一角、酒場の奥でライル・アーヴィングはフードを目深にかぶり、情報屋の話に耳を傾けていた。
「……“深紅の魔女”を探しているのか。あんたも物好きだな」
油にまみれた紙を広げ、情報屋の男は地図の一点を指差した。
そこは、町のさらに奥――山肌に穿たれた洞窟地帯だった。
「噂じゃ、王都の研究塔にいた元宮廷魔導士。一年前、禁術の実験で同僚を焼き尽くしたとかで追放されたらしい。名は――セリア・ヴェルディア」
ライルの視線が、わずかに鋭さを増した。
宮廷魔導士。つまり、王直属の魔術師。
その名に、かつての記憶が疼く。
――王が裏切ったあの日、魔法部隊も俺に刃を向けていた。
「忠告しておくが、近づくな。奴は人を焼くことにためらいがねえ」
ライルは静かに立ち上がり、フードを整えた。
腰の剣がわずかに鳴る。
「構わん。焼かれる前に終わらせるだけだ」
その一言に、酒場の客たちの背筋が凍りついた。
彼の瞳には、かつて王に仕えた騎士の気品も、温もりも、もう残っていない。
ただ――燃えるような怒りだけがそこにあった。
翌日。
ライルは霧の山道を登っていた。
足元の岩が崩れるたび、山風が乾いた音を立てて吹き抜ける。
やがて、黒い岩肌の裂け目――洞窟の入口が現れた。
その前に立っていたのは、一人の女。
白銀の髪を揺らし、黒衣の裾を風に翻す。
紅の瞳は冷たく、まるで他者を見下ろすような光を宿していた。
「……侵入者ね。命が惜しければ、引き返すことをおすすめするわ」
「セリア・ヴェルディア。元宮廷魔導士、で間違いないな」
ライルが名を呼ぶと、女はわずかに目を細めた。
「あなた……王国の騎士ね。どうして私の名を?」
「俺も、かつて“王に仕えた”人間だ。だが今は違う。――裏切られたからな」
その言葉に、セリアの眉がわずかに動いた。
彼女は杖を軽く構えたまま、興味深そうにライルを見据える。
「裏切り、ね。……その言葉、私は嫌いじゃないわ」
彼女は微笑んだ。
それは、氷の刃のように冷たい笑みだった。
「協力を頼みたい。俺は王を討つ。だが、魔法の支援が必要だ」
「ふふ、命令じゃないのね。お願い、かしら?」
「頼む、とは言わん。ただ――目的が一致するなら共闘も悪くないと思った」
ライルは一歩、彼女に近づいた。
その足音に合わせ、洞窟の奥で魔力がうねる。
セリアの唇が吊り上がる。
「私がどうして王を憎むか、知っている?」
「禁術の研究を咎められ、追放されたと聞いた」
「それだけなら、笑って済ませたわ。でもね……実験を命じたのは“王”自身よ。
結果が失敗した途端、罪は全部私に押しつけられた。――あの偽善者が」
空気がひりつく。
魔力が熱を帯び、周囲の岩壁がひび割れた。
ライルはそれを真正面から受け止める。
怒りの熱は、彼の中でも同じだった。
「……なら、目的は同じだ。俺も王を許さない」
「同じ怒りを抱く者、ね。だけど――それを証明してもらわなきゃ」
次の瞬間、轟音が山を揺るがした。
地面が裂け、洞窟の奥から魔獣が這い出してきた。
岩のような皮膚、三つの頭を持つ獣――トライハウンド。
セリアが指先を鳴らすと、周囲の空気が一変する。
紫電が走り、魔法陣が浮かび上がった。
「こいつらは、私の“結界守り”。侵入者は皆、ここで灰になる」
「……いい試練だ」
ライルは剣を抜いた。
銀光が閃き、風が切り裂かれる。
最初の一撃――風圧だけで、岩が砕け散る。
魔獣が咆哮を上げるより早く、ライルの姿が消えた。
「な――!?」
セリアが驚愕する間に、三つの首が同時に斬り裂かれた。
剣速が見えない。
ただ、残響だけが洞窟に響き渡る。
「……どうだ? 証明には足りるか?」
返り血一つつかない剣を軽く払って、ライルは淡々と問いかけた。
セリアは呆然と立ち尽くす。
あの魔獣を倒すのに、かつて彼女は三十の魔法陣を展開したというのに――。
「まるで、怒りそのものが剣を振るっているようね」
「俺の剣は、忠誠を裏切られた怒りでできている」
セリアは、ふっと笑った。
今度は冷たさではなく、どこか懐かしさを帯びた微笑みだった。
「……いいわ、ライル・アーヴィング。あなたの怒り、嫌いじゃない。
王を焼くその日まで、私の炎も貸してあげる」
「感謝する」
「勘違いしないで。私が燃やしたいのは、あなたの敵だけじゃない。
――この腐った国そのものよ」
炎が再び灯る。
セリアの瞳には、紅蓮の魔力が宿っていた。
その夜、二人は焚き火を囲んでいた。
山風が灰を舞い上げ、夜空に散らしていく。
「王都を襲うには、兵も金も足りない。まずは傭兵団を組織する」
「人を集めるのね? あなた、意外と指導者タイプじゃない」
「違う。俺はただ、復讐を遂げる道を整えるだけだ」
「ふふ……なら、私は“燃やす役”でいいわね」
セリアの手のひらに、小さな炎が灯る。
それはまるで、ライルの怒りを象徴するように赤々と揺れた。
ライルは静かに立ち上がり、夜空を見上げる。
王都の方向――彼の宿敵が眠る場所へと、視線を向けて。
「王よ。裏切りの報いを、必ず受けてもらう」
その言葉に呼応するように、セリアの炎が燃え上がった。
闇夜を裂いて立ち上る紅の光。
それはまるで、復讐の狼煙のように――王国への“逆襲の始まり”を告げていた。




