第28話 紅蓮の誓い ―
崩れかけた《王城離れ・魔導塔》の上層。
紅と黒の炎が天井を舐め、空間そのものが軋む。
床は溶けた金属のように波打ち、焦げた魔力の匂いが鼻を刺した。
セリア・ヴェルディアは杖を握りしめて立つ。
紅蓮の魔力が彼女の全身を満たし、髪が光を帯びて揺れていた。
炎のゆらめきの向こう──かつて“師”と呼んだ男がいた。
バレスタ・クローン。
かつて天才と称され、いまは禁呪の炎を抱く《焔帝》。
黒炎をまとったその姿は、地獄の審判官のようだった。
「……まだ立つか。見事だ、セリア。」
彼は笑った。
皮肉ではない――純粋な賞賛だった。
「あなたが教えたの……“諦めない炎”ってね。忘れたとは言わせないわ。」
セリアの声は、震えていない。
だが、その胸は激しく脈打っていた。
「……ふ。」
バレスタが喉の奥で笑う。
黒炎が彼の背後で波打ち、塔の壁を焼いた。
「だが、教えた覚えは無いぞ。お前に“私を倒せ”なんてな。」
「勝手に成長した弟子に嫉妬してるなら、今さらでしょ。」
「はは……生意気だ。」
塔の外から、夜風が吹き込む。
遠くで雷鳴が転がり、空気がさらに熱を帯びた。
炎が鼓動のように塔を照らし──目の前の男との“過去”が脳裏に蘇る。
『いいか、セリア。炎とは破壊ではない。──創造の第一歩だ』
幼い日の研究室。
不器用に灯した小さな火球に、バレスタは穏やかに微笑んでいた。
『でも、燃やしたら何かが消えてしまうわ』
『それでも残る“形”がある。それを理解した者だけが、魔導士になれる』
その言葉は、憧れであり、呪いであり──
彼女を育て、そして縛った。
あの時のバレスタの手は温かかった。
今は、世界を焼き尽くす“黒炎”を操る手へと変質してしまった。
セリアは喉の奥が痛むのを感じた。
「……師匠。」
セリアが呟く。
「私、ずっと信じてた。あなたの教えを。」
「信じるかどうかは弟子の勝手だ。」
バレスタの瞳が紅黒に揺らめく。
「だが――その信仰が、いつかお前を焼くぞ。」
バレスタの足元で、黒い炎が波紋のように広がる。
「来い、セリア。お前が望む答えは、この“終焉”の先にある」
黒炎柱が塔の中心から吹き上がった。
セリアは杖を構え、空間を断ち切る。
「――紅蓮翔閃!」
紅蓮の光が翼のように広がり、黒炎へ突進する。
衝突の音が塔を揺らした。
バレスタは口角を上げた。
「浅いな。《黒滅砕牙》!」
黒炎が牙となって襲いかかる。紅蓮が砕け、空気が焼けた。
金属が軋むような音が響く。
「ふふ……やっぱり、師匠は容赦ないわね!」
セリアは床を蹴り、宙へ舞う。
両手を広げ、炎を掬い上げる。
彼女の両手が炎を掬い上げる。
「――《紅蓮嵐陣》!」
塔の外壁ごと、紅の嵐が渦を巻いた。
巻き上がる瓦礫が炎に溶け、塔の内部が光の竜巻と化す。
バレスタの足元に、黒の紋様が広がった。
「《虚黒葬界》!」
空間そのものが黒く腐蝕していく。
紅と黒の境界が歪み、空間がきしむ。
炎の衝突。熱波が皮膚を裂く。
セリアの髪が燃え上がるように舞い、瞳が紅蓮に輝く。
「まだよッ!」
杖を振り抜く。
「――《紅蓮崩星》!!」
紅の隕石群が空を裂き、バレスタを直撃する。
──通常なら終わりだった。
しかし。
その最中――
バレスタは胸の奥で、そっと小さく呟いた。
(《神聖術 第十等級――再臨焔環》……
隕石の中心から、より濃密な黒炎が噴き上がった。
「終焔審判――!!」
黒炎が逆流し、紅蓮が焼かれる。
塔の骨組みが焦げ、世界が巨大な熔炉と化す。
セリアの喉が痛む。
熱が皮膚を裂き、呼吸が焼かれる。
それでも──退けない。
「美しい……」
バレスタが呟いた。
狂気でなく、感嘆のように。
「やはりお前の炎は“私の理想”だ。破壊ではない、創造の極致だ――セリア!」
「そんな理想、私は要らない!」
セリアは息を荒げながらも叫ぶ。
「あなたの理想に、どれだけの命が焼かれたか、忘れたの!?」
黒炎が揺らぎ、バレスタが静かに首を振る。
「犠牲なくして進化はない。……それは君も知っているだろう?」
「違う! 私は“守るために”燃やす!」
紅蓮の光が一層強くなる。
彼女の瞳には涙が浮かんでいた。
バレスタは一瞬、懐かしげに目を細めた。
「……あの頃の君は、そう言うと思っていたが今もか!」
バレスタがかすかに笑った。
その瞬間、彼の全身から黒炎が噴き上がる。
両腕を掲げ、地の底にまで届く巨大な魔導陣が展開された。
セリアは身構えた。
「【禁呪・虚無焔界】!!」
塔全体が震動した。
空間が裂け、黒炎の津波が塔の頂を呑み込む。
叫びも音も飲み込む終焉の波。
セリアは杖を抱き、息を吐いた。
「ッ――なら……!」
セリアも詠唱を始める。
涙を拭う暇もなく、声を張り上げる。
「私の炎で――あなたを終わらせる!!
《最終術・紅蓮葬華》――ッ!!」
紅と黒。
二つの魔法陣が共鳴し──塔が崩壊する。
紅蓮の花が咲く。
黒炎の海が燃える。
その狭間で、空間がねじ切れ、世界が悲鳴を上げた。
爆発のあとに残ったのは、灰と静寂。
紅蓮の炎だけがまだ残り、瓦礫を照らす。
セリアは立っていた。
杖の先端が震える。
杖の先端から、紅の光がまだ消えない。
向かい──灰の中で、バレスタが立っていた。
全身は焼けただれ、黒炎も消えかけている。
「……これが、お前の“炎”か。」
声はかすれ、今にも途切れそうだった。
セリアは震える声で答えた。
「あなたの教えが、私を導いたのよ。」
一瞬の沈黙。
炎の粉塵が舞う。
バレスタは微笑んだ。
あまりにも、優しく。
どこか救われたように。
「ああ……やはり……お前は……私の“完成”だ……」
そのまま、彼の身体は音もなく崩れた。
灰が風に乗り、紅蓮の光を反射しながら散っていく。
──赤橙の輪が、彼女の足元でゆらりと生まれる。
セリアの頬に、灰が触れた。
まるで最後の別れのように。
「……バレスタ。」
膝をつく。
紅蓮の光が、ゆっくりと消えていく。
塔の外壁が崩れ、夜風が流れ込んだ。
「あなたの教えは……まだ、ここにある。」
涙が頬を伝い、灰と混じる。
その一粒が、紅く輝いて床に落ちた。
遠くの夜空に、星が瞬く。
それはまるで――師の魂が、空に帰る光のようだった。
炎の塔が崩れ落ちる中、セリアは立ち上がった。
背後で瓦礫が崩れ、紅蓮の光が王都を照らす。
彼女は一度だけ振り返る。
灰と炎の向こうに、確かにバレスタの影があった気がした。
「……これで、全てが終わったわけじゃない。」
夜風が髪を揺らす。
瞳の奥には、かすかな希望と決意の光。
「次は――この“儀式”を、終わらせる番。」
杖を握り直し、セリアは夜空を見上げた。
紅蓮の残光が雲間を染め、まるで王都そのものが燃えているように見える。
炎の魔女――セリア・ヴェルディア。
その背中は、もう“弟子”ではなかった。




