第26話 紅の瞳は、黒の真理を拒む
王城の離れにそびえる古塔《魔導塔》。
かつてセリアと師・バレスタが共に理論を築いた“原点”にして、“終焉”の地。
その塔は、今では王の命を受けた禁呪の実験場と化していた。
瓦礫と焦げた魔導書の中に、ふたたび紅蓮の光が蘇ろうとしていた。
夜気を裂くように、冷たい風が吹き抜ける。
塔の周囲を覆う結界が波打ち、侵入者の気配に淡く赤光を放つ。
「……懐かしい匂い。焦げた魔素と、腐った理屈の臭い。」
セリア・ヴェルディアは黒衣の裾を払って歩み出た。
その紅の瞳が、夜の闇の中で淡く輝く。
杖の先端に魔力が集まり、静かに呟く。
「空間裂断――」
薄闇に、裂ける音。
塔の外壁が音もなくひび割れ、まるで息を飲むように彼女を迎え入れる。
かつて、ここで魔法の意味を学び、そして裏切られた。
――あの男に。
「久しいな、セリア。」
塔の奥。
黒い魔導陣の中心に、ひとりの男が立っていた。
バレスタ・クロウ。
――焔帝の異名を持つ、王国最高魔導士。そして彼女の師。
銀髪に混じる黒、血のような瞳。
その姿は年を重ねた分だけ冷たく、鋭くなっていた。
セリアは口角をわずかに上げた。
「やはり、貴方だったのね。儀式を進めているのは。」
「“やはり”か。予想済みとは面白くないな。」
彼は笑う。その笑みには、懐かしさも慈しみもない。
あるのは、燃え尽きた灰のような虚無。
「王は愚かだ。だが“炎”を求める点だけは正しい。
聖血を燃料に――我々は神の領域へと踏み込む。」
「……それが、貴方の“真理”?」
「そうだとも。命を燃やすことを恐れる者に、真なる創造などできん。
君も、あの頃は理解していたはずだ。――炎の美しさを。」
セリアの表情が、わずかに歪む。
胸の奥で何かが、熱を持った。
「……違う。私は“守るため”に炎を使った。貴方のように“喰らう”ためじゃない。」
「守るだと? 理想主義者の末路は、いつだって灰だ。」
「その台詞……あの騎士も同じことを言ってたわ。」
バレスタの目が細くなる。
興味深そうに、獲物を観察する蛇のような視線。
「ほう……あの裏切り者の亡霊と組んでいるのか。」
「裏切ったのは王と……そして、貴方たちよ。」
風が塔の内部を駆け抜ける。
散らばる魔導書の頁が舞い、炎のように光が揺らめく。
バレスタは右手をかざした。
黒い魔力が空気を染め、床の魔法陣が脈動する。
「ならば見せてみろ。君の“正義”とやらを。」
「ええ、見せてあげる。――“紅蓮”の意味を。」
杖が輝き、紅炎が奔る。
瞬間、空気が爆ぜた。
「紅蓮結界!」
セリアが詠唱を終えると同時に、炎の壁が塔全体を包み込む。
魔力の熱波が大気を歪め、足元の石が溶ける。
だがバレスタは怯まない。むしろ、愉悦のような笑みを浮かべた。
「その炎――まだ足りん。私の“黒炎”の前では、ただの灯火だ。」
バレスタの腕輪が割れ、黒い液体のような魔力が滲み出す。
それが床を這い、塔の構造そのものを侵食していく。
「黒炎の契印!」
轟音。塔が震える。
壁が焦げ、魔法陣が共鳴する。
黒と紅、二つの炎がせめぎ合い、塔の天井が軋みを上げた。
セリアは歯を食いしばる。
彼の炎はただの魔術ではない。
魂そのものを燃料にする禁呪――かつて彼女が拒んだもの。
「……やはり、堕ちたのね、バレスタ。」
「堕ちた? 違う。私は“超えた”のだ。」
二人の炎がぶつかる。
「ならば――次よっ!」
セリアは杖を横に振り抜く。
「焔環逆転」
紅の陣が床に描かれ、円環状の爆発が起こる。
だがバレスタも応じた。
「黒龍焔砕!」
黒炎の龍が地を這い、紅の円を貫いた。
衝突、爆風、塔の天井が吹き飛ぶ
炎が夜空へと迸り、二人の姿が光の中で交錯する。
紅と黒の炎。
その狭間で空間が歪み、時間がねじれたように見えた。
「“理想”のために戦う君は美しいな、セリア。」
「黙りなさいっ!」
「紅蓮破空!」
紅蓮の炸裂魔法が空間を撓ませ、爆発的な衝撃が走る。
バレスタが左手で防御陣を展開。
「災護の盾!」
爆炎が弾け、衝撃が塔を貫く。
床石が跳ね上がり、魔法陣がひび割れた。
熱風が肌を焦がす。
セリアの頬に、焦げた血の匂いがまとわりつく。
バレスタが静かに笑った。
「君の炎には“恐れ”が混じっている。――だから弱い。」
「違う。“慈悲”よ。」
彼女は杖を高く掲げた。
「冥炎竜獄!」
炎が渦を巻き、紅蓮の竜が咆哮する。
その身は純粋なる熱と怒り。
バレスタも詠唱を重ねる。
「死焔砲!」
漆黒の光線が紅蓮の竜を貫いた。
衝撃で塔が傾き、瓦礫が崩れ落ちる。
セリアの髪が焼け、衣の端が焦げる。
しかし、彼女は一歩も退かない。
「貴方の炎が奪うものなら――私の炎は、救うために燃える!」
「ならば――焼き尽くされてみろ。」
バレスタが両手を掲げる。
全身の魔力が逆流し、床の魔導陣が光り輝く。
「禁呪、紅蓮獄界。」
空間そのものが燃え上がった。
塔の壁が融解し、重力がねじれる。
紅黒の空間が、セリアを飲み込む。
セリアの足元が崩れ、浮遊する瓦礫の上に身を乗せる。
「……ならばこちらも、遠慮しない。」
紅の瞳が燃える。
杖が唸り、空気が震える。
「極限解放――紅蓮彗火!」
紅蓮の彗星が爆ぜ、炎の奔流が塔の中心を貫いた。
空間が悲鳴を上げ、崩壊音が響く。
黒炎と紅炎、
師と弟子――二つの“信念”がぶつかり合い、世界が裂ける。
熱が皮膚を焼き、空気が焦げる。
セリアの頬に焦げた匂いがまとわりつく。
だが彼女の瞳は、炎よりも冷たかった。
「貴方が見たい“進化”なんて――私は、焼き尽くす。」
杖が輝き、魔力が暴走する。
紅蓮の光が爆ぜ、塔を包んだ。
閃光の中、二人の影が交錯する。
師弟の因縁が、ついに――炎の中で、断ち切られようとしていた。




