第15話 聖血統の儀式 ― 王、神を僭称す
夜明け前の王都は、まるで息を潜めるように沈黙していた。
霧が立ち込め、石畳を這い、鐘楼の影を包み隠す。
その中心に、王城の尖塔が突き立つようにそびえていた――まるで神の塔そのものだ。
王城最奥、《聖炎の間》。
黄金の柱が並び、天井のステンドグラスを通して差し込む光が、血のように赤く床を染めている。
その中央、荘厳なる祭壇の上にひとりの男が立っていた。
アルヴェリア王国国王――アルトレウス三世。
銀に近い白髪を後ろで束ね、重厚な王袍に包まれた姿は、まるで冷たく磨かれた彫像のようだった。
だが、その眼差しには、光がなかった。
――ただ、底知れぬ暗黒だけが宿っている。
王はゆっくりと立ち上がり、玉座の前にある祭壇を見下ろした。
祭壇には血のように赤い紋章が刻まれ、微かに脈動している。
まるで、王国そのものが生きているかのように。
「……神は沈黙する。ゆえに、王こそが神の代弁者だ」
その声は、静かでありながら、聖堂の壁を震わせた。
集まっていた聖職者たちが一斉に頭を垂れる。
金糸の祭服をまとった老僧が、震える声で進言した。
「陛下……これほどの供物を捧げれば、王都の魔力網が崩壊しかねませぬ! どうか――!」
「恐れるな」
王は片手を上げて制した。
その仕草は、まるで慈悲を与える神のようで、しかしその目は人間ではなかった。
「王国の礎とは、血と信仰で築くものだ。……神は、我を選ばれたのだ」
その瞬間、聖堂全体が低く唸った。
天井から吊るされた巨大な球体――《神核》が、青白い光を帯びて共鳴を始める。
外では、王国軍の兵たちが、民を次々と聖堂へ連行していた。
泣き叫ぶ声。幼子を抱いて抵抗する母。
しかしその叫びは、厚い扉が閉じると同時に遮断された。
聖堂の中には、沈黙だけが残った。
アルトレウス三世は、微笑した。
それは狂気ではなく、信仰にも似た確信の笑みだった。
「……さあ、始めよう。神に捧げる、王の誓約を。」
黄金の祭壇に、鎖に繋がれた者たちが並べられていた。
民、罪人、反逆者。
中には、かつて王国を守るために剣を取った兵士の姿もある。
彼らの瞳には恐怖と混乱が混ざっていた。
それでも誰一人、声を上げることはできない。
恐怖に支配され、神への祈りさえ凍りついていたからだ。
「……供物は整ったな」
アルトレウスは静かに呟くと、祭壇に近づき、黄金の杯を掲げた。
杯の中には、深紅の液体が波打っている――それは王族の血。
「王の血は、神の血なり。民の魂は、神の糧なり」
その言葉に、聖職者たちが一斉に詠唱を始める。
低い祈りの声が重なり、聖堂の空気が圧縮されていく。
次第に、鎖に繋がれた者たちの身体が淡く光を帯び、魂の輪郭が浮かび上がった。
「や……やめてくれ……俺は、何もしていないんだ……!」
「神の……ために……? そんなの、嘘だ……!」
悲鳴。懺悔。祈り。
それら全てが、祭壇に吸い込まれていく。
魔法陣の光は赤から黒へと変わり、聖堂の空気が血のように濃くなる。
王は静かに呟いた。
「恐れるな。お前たちの死は、我の永遠を証明する……」
その顔に、もはや人間の表情はなかった。
ただ、神への模倣。あるいは“支配”そのものの具現。
「神よ、見ておられるか。汝の名の下に、我は王であり――神となる」
その瞬間、神核の光が跳ね上がり、聖堂全体が閃光に包まれた。
壁に刻まれた古代の紋章が共鳴し、空気が震える。
「陛下! これは――これは神への冒涜です!」
ひとりの近衛が震える声を上げた。
彼は恐怖に耐えきれず、王の背後で剣を握る手を震わせていた。
「黙れ」
王の声は、冷たく、そして絶対だった。
「神が沈黙しているのは――我を試しておられるからだ」
「し、しかし――!」
「ならば、見よ」
王が右手を軽く上げる。
瞬間、魔法陣の光が跳ね上がり、近衛の身体が一瞬で蒸発した。
灰と化した兵士の跡に、王の足音だけが響く。
「神は見捨てぬ。だが、弱者は赦されぬ。それが理だ」
聖職者たちは一斉に沈黙し、誰もが恐怖に膝を折った。
儀式は、ついに最終段階へと移行した。
神核が眩い光を放ち、天井のステンドグラスを砕く。
破片が宙を舞い、光の粒が雨のように降り注ぐ。
「来たか……! 神の御声が!」
アルトレウスは両腕を広げ、祭壇の中央に立った。
その身体から、赤い光が漏れ始める。
王の血が、神核と繋がったのだ。
聖堂中に声が響く。
低く、重く、世界の底から響くような――神の声。
『――王の血よ、汝は神の座を望むか』
「望むとも!」
王は叫ぶ。「王国を、永遠を、我に与えたまえ!」
『代償は、民の魂すべてなり』
「構わぬ。民は王のために在る!」
その宣言と同時に、王都全体の魔力網が暴走した。
街の灯火が一斉に消え、空が裂ける。
地脈が逆流し、王城を中心に赤い稲妻が奔る。
王の体が光に包まれる。
だが、同時に肉体が裂け、血が滲む。
神性と人間の境界を越えようとする、その“代償”。
「まだだ……! まだ終わらぬ……! 神よ、見よ! 王は神を超える!!」
聖職者たちは次々に逃げ出し、兵士たちが絶叫を上げた。
だが王は笑っていた。
血に濡れた顔で、涙のように赤い液体を流しながら――。




