第13話 獣の宴、血の誓い
風が鳴いていた。
乾いた赤土の荒野に、夜の冷気が鋭く刺さる。
焚き火がひとつ、ゆらりと揺れては影を伸ばす。
その火を囲う八つの影――それが、かつて王国を護った英雄たちの残党、“血盟”だった。
「……風の匂いが違う」
最初に呟いたのはミレーヌだ。長い銀髪を後ろで束ね、腰の双剣を磨きながら、眉をしかめる。
「血の匂いが混じってる。あたしの勘がそう言ってるわ」
「物騒ね」
セリアが笑みを浮かべる。炎の反射がその頬を妖しく照らした。
彼女の手元には魔法陣を刻んだ羊皮紙が何枚も並び、淡く光を放っている。
「王国が本気を出してきた、ってことね。ここ数日は偵察の動きも多かったし」
「……本気、ですか」
静かに呟いたのは、王女エリシア・アルヴェリア。
夜風に金の髪が揺れ、瞳には微かな決意と怯えが混じる。
「もし父が軍を動かしたのなら、もう後戻りは……」
「最初から戻る気なんざねえよ」
グロスが豪快に笑い、巨斧を担いだまま座り込む。
「やっと派手な相手が来たってことだろ? 腕が鳴るぜ」
「バカ言わないの。今度の敵は正規軍よ」
セリアがため息をつく。「正面突破したら、あなたの腕が鳴る前に灰になるわ」
「灰になる前にぶっ潰す、それが俺のやり方だ!」
グロスが笑うたびに焚き火が揺れ、影が跳ねる。
そんな喧噪をよそに、ライル・アーヴィングは黙って地図を広げていた。
焚き火の光を頼りに、地形と風向きを読み取り、印をつけていく。
その姿は冷静で、まるで戦場そのものを見通しているようだった。
「……精鋭部隊だろうな」
低く呟いた声に、全員が振り向く。
ライルは地図の一点を指さした。
「王国の兵じゃない。“討伐”じゃなく、“殲滅”に来る連中だ」
「殲滅……」
エリシアの声が震える。
「父は……そこまでして、あなたを……」
「俺だけじゃないさ。俺の背後にいる“理想”を潰すつもりだ」
ライルは目を細め、荒野の向こうの暗闇を見た。
その瞳の奥に、遠い怒りの光が宿る。
そのとき、闇の中から軽い足音。
「報告です」
ゼイルが戻ってきた。黒衣に身を包み、肩の埃を払いながら焚き火の前に立つ。
「南方より三百。全員、統一された紋章持ち……王国精鋭部隊《蒼炎師団》です」
空気が一瞬で張り詰めた。
焚き火の音すら、どこか遠くで鳴っているように感じた。
ライルがゆっくりと立ち上がる。
マントが風に揺れ、焚き火が赤く彼を照らした。
「……決まりだな。迎え撃つ。場所は――ここ、荒野の峡谷だ」
そのころ、夜の帳を切り裂くように、王国軍《蒼炎師団》が進軍していた。
赤い炎の紋章が刻まれた旗が、月光を受けて翻る。
槍兵たちは整然と列をなし、魔導騎兵が地を揺らす。
行軍の先頭には、漆黒の甲冑を纏った将軍――ギルベルト・ヴァルドがいた。
「……間もなく目的地点に到達します」
副官の報告に、ギルベルトは頷く。
その声は低く、重い鉄のようだった。
「“血盟”を見つけ次第、包囲しろ。全員だ、一人も逃すな」
「はっ。しかし……報告では、敵の指揮は今もアーヴィング卿が――」
ギルベルトの瞳が鋭く光る。
「卿などと呼ぶな。裏切り者に名誉はない」
副官が息を呑んだ。
ギルベルトは前方を見据える。
「かつては王国を支えた英雄……だが、いまは獣だ。王を裏切り、王女を奪った反逆者。
奴の首を晒し、王都に静寂を取り戻す」
部隊の背後で、兵たちが呪文を唱えはじめる。
炎の魔導符が空中で連鎖し、巨大な陣を描いた。
夜空が赤く染まり、風が熱を帯びてうねる。
ギルベルトはその光を背に、静かに呟いた。
「王の命は絶対だ。あの怪物を再び歩かせてはならぬ……たとえこの身が焼けようともな」
荒野の夜は短い。
“血盟”の拠点では、焚き火が小さく爆ぜていた。
ライルはその前に座し、地面に描いた地形図の上へ小石を並べていく。
彼の周囲を、八人の仲間が囲んでいた。
「ここが峡谷の入り口だ。狭い地形を利用して、奴らを中央まで引きずり込む。
正面はグロスとミレーヌ。背後をゼスとゼイルが塞ぐ。
ルネ、後方からの弓で援護。セリアは結界と範囲魔法を準備。
……エリシア、お前は全体の指揮補佐を頼む」
彼の声は穏やかで、だが一言一言が鋼のように硬かった。
焚き火がぱちりと音を立てるたび、皆の視線がライルへと集まる。
「三百だって? 上等じゃない」
ミレーヌがニヤリと笑う。
「久々に全力で暴れられるわね」
「馬鹿ね」セリアが肩をすくめた。「突っ込んだら燃えカスになるだけよ」
「灰になる前にぶっ潰す。それが俺のやり方だ!」
グロスが斧を振り上げると、火の粉が舞った。
「お前ら、少しは静かにしろ」
ライルが軽く息を吐く。
「俺たちは狩る側だ。獲物は――王国だ」
その言葉に、空気が変わった。
誰もが黙り、ただその声の重みを感じていた。
しばしの沈黙のあと、エリシアが震える声で言った。
「……父の軍を、あなたと共に討つのね」
ライルは一度だけ彼女を見た。
その瞳は、迷いも憐れみもなく、ただ決意の色を帯びていた。
「迷うな。俺たちはもう、獣を選んだ」
風が吹き、焚き火が大きく揺れた。
夜明け前の空が、わずかに白み始める。
血盟の旗が風をはらみ、荒野の静寂を裂いた。
――獣たちの宴が、始まろうとしていた。




